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谷やんの ”まなブログ”

最近思う事・自動車全般・ムフフ話・など自分の今思う旬なネタを題材に社会派で迫ります。

ジムカーナ

2008-03-17 | 自動車全般

あれはまだ20代前半の頃だった。

3年間付き合っていた彼女との間に、亀裂が入った・・・
”覆水盆に返らず”とはよく言ったもの・・・
一度切り損ねたステアリングは、修正する事が出来なかった。

結論の出た次の週末・・・

北志賀の林道を走っていた。
当時は、まだ砂利道の区間が多く、ハイスピードで走っていた私は、覚えたての”カウンターステア”と、少し自虐的になっていたせいもあり、自分のコントロールを超えたスピードでドリフトしていた。

雪も溶け、冬季閉鎖が開けたばかりの林道は、行楽客の車も走っている・・・
シフトロックでリアがスライドし、ブラインドコーナーを抜けた瞬間、白いクレスタが突進してきた。
相手はフルブレーキング・・・
しかし、完全なアンダーステア・・・

やばい・・・

次の瞬間、カウンターをオーバーに当てた私は、自ら側溝の中の人となった。

まぁ、事故には成らずに良かった、か・・・

その後、他の通行人や林業の大型トラックに牽引され、側溝から這い上がる事は出来たが、左フェンダーには大きな痕が残っていた。

その時に、何かが吹っ切れた。

これからは、自分の時間は100%自分のものだ。
昔からの夢であった、”モータースポーツ”に足を突っ込んでみようと・・・

それから、左フェンダーの修理費用は、車の改造費に充てられる事になった。

6点式ロールバー
強化クラッチ
マツダスピード、ショック&コイル
マーベル、ブレーキパッド
マツダスピード、4Pリミテッドスリップデフ
フルブッシュ
ウイランズ、4点式シートベルト
ポテンザ71S&ウェッズスポーツ
ポテンザ610S&スーパーラップホイール
雪山練習用スタッドレス

他にもあったと思うが思い出せない・・・

国内B級ライセンスを取得し、格式の低い競技から参加した。
競技種類は、スピード競技である”ジムカーナ”
工事用のパイロンを広いアスファルトグランドに立ててコースを作り、そのコースを走りタイムを競う競技である。

これに、のめり込んだ・・・

車をコントロールする醍醐味・・・
競技中の緊張感・・・
タイムへの挑戦・・・

これに全精力を注いだ。

残念ながら、リザルトを残す事は出来なかった・・・・
しかし、在りし日の思い出として、今でもふと思い出すことがある。

あの緊張感・・・

やっぱり素敵だ。。。

(写真は雑誌スピードマインドに掲載された、若き日の谷やん)
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半世紀前の天竜下り

2008-02-28 | 自動車全般

少し前に読んだ本がある。

ブガッティの前に回りクランク始動でエンジンを目覚めさせる。
バラついた排気干渉のあるエンジンをブリッピングさせると置針式回転計がコマ送りのように動き出すオープニングシーン。
週末の深夜には欠かさずに見ていた、”カーグラフィックTV”である。
その中で頑固そうでプライドの高い初老の紳士が出演していた。
雑誌、カーグラフィックの元編集長であり、番組に出ていた頃は、顧問という立場だったと記憶している。

その方が、小林彰太郎である。

昭和四年生まれ。
杉並区で育った彼は車に関して多感な青年期を過ごす事になる。
東京大学経済学部に入学した彼は、得意の英語を武器に翻訳のアルバイトなどで破格のお金を稼いだ。
当時は戦後間もない昭和25年頃である。
オーナードライバーでさえ、珍しい時代に学生の身分で1台の”大古車”(中古車とは言えないほど劣悪)を手に入れた。
その車を、メンテナンスと言うよりレストレーションする事により、車を一から学んだのだそうだ。
雑誌、”カーグラフィック”の妙にバタ臭い文の感じは、彼のアイデンティティーそのものだったのかも知れない。
この本の中に、昔の雑誌の記事が一部掲載されている。

”プリンス・スカイラインの天竜下り”(1958年10月号)

題されたその記事は、私には興味深いものだった。
小林彰太郎が率いる車好きの3人の若者が、プリンス自工から1台の車を借り出す事になる。
東京~高崎(中仙道経由)~諏訪~伊那~天竜峡~佐久間~浜松~東京、と三日間で走りきり、車をインプレッションすると言うものである。

この記事を読んでいくと、当時の国道事情、保守点検の必要な車の状態、当時の山間部の様子が手に取るようにわかる。
また、このルート前半は私が熟知しているコースであり、そう言った意味でも身近に難じる事が出来たのかもしれない。

今は2008年、今から50年前の車でドライブする、50年前の”天竜下り”は今とは比較にならない難しさがあった筈だ。
この記事を読むと、当時の臨場感はしっかりと伝わってくる。

現在では砂利道さえ発見するのが難しい時代・・・
遠出をしても、サバイバル感は感じることが出来ない。
自動車社会から見れば、日本は小さくなった。

現代で、この状況を体験するとしたら、海外でのドライブだろうか・・・
カルネナンバーを取得し、シルクロードでも走ってみたい衝動に駆られることがある。

男はやっぱりロマン好きなんだろう・・・

(写真は書籍、小林彰太郎の世界より借用、長野県和田峠旧道付近、すべて砂利道でガードレールは皆無)
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KPGC10

2008-02-17 | 自動車全般
Hakosuka Skyline GTR


人間で言う3代目とは、落ち着いてあまり目立たない存在だったりする。
先代の偉業を見習うものの、順風万般の家庭で育った彼らにはハングリーさは似合わない・・・

プリンス時代から数えで3代目の通称”箱スカ”は1968年に誕生する。
1500ccのエンジンを基本としたボディー設計は当初4ドアセダンからスタートした。
箱型のボディーラインからそのニックネームを貰ったスカイラインは、1969年2月に異端児モデルを発表することになる。

三つの舶来物の霧吹きから噴射される鉛入りの揮発油混合気は、2個の弁からの負圧で気筒内に導かれる。
活塞が下死点を迎えた時の気筒内の容積を9.5分の1に圧縮された混合気は、火花放電を期に効率の良い爆発を起こし活塞を下死点へ追いやる・・・
軽量化された分銅に直結された曲軸は惰性でそれを押し上げ、やはり2個の弁より排気を追いやる。
全気筒容量1989ccの内燃機は、1分間に7000回で160頭の馬力を発揮させるのだ。

元々サラブレットの血を引くこの”型式番号S20”の内燃機は気難しく、扱いにくいのが通り相場だ。
しかし、能力のある調教師に出会えると、その能力を遺憾無く発揮し、競技では無敵を博した。

1970年10月、ドア2枚の軸距を70mm短縮したモデルが発売された。
この最高峰車種は競技で勝ち続けるために開発されたものであり、通算50勝を導く事になった。
やはり、日本の自動車競技の歴史の中では欠くことの出来ない英雄である。

空気を劈く高周波金属音・・・
荒れたアスファルト舗装面のコーナーでは、強力な発条機の反発で減衰機は耐え切れず撥ねる・・・
カブらせないようにアクセルコントロールし、最高回転まで導くスロットルコントロール・・・
そして、ヒール&トゥーでのシフトダウン・・・

昭和40年代生まれの我々には、心底痺れさせるテイストなのだ。
機械が搾り出す、”160頭の馬”そんな言葉が良く似合う車だ。

(画像は50連勝を導いた立役者の一人、黒沢元治”通称ガンさん”のドライブするスカイライン2000GT-R 2HT)
コメント (6)
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PORSCHE

2008-01-09 | 自動車全般

男が一生に一度、乗ってみたい車がある。

ひとつは、”赤い跳ね馬”であり、もうひとつは”バイエルンの風”
昭和40年代生まれなら知っている、スーパーカーブームがあった。

当時の日本では考えられない、スポーツとラグジュアリーの最高連峰が日本でブームとなった。
小学生達は意味もわからず、写真とスペックを丸暗記し、友人との話で答えられないと、足元をみられた。

車体の軸間にエンジンを搭載する車達は、官能的なフォルムを纏い、それを囲む大勢のギャラリーからはフラッシュの嵐を浴びるのだった。

私もそんな一人だった。
入場料を払っては、行列に並び興奮の面持ちで眺めている・・・
いつかは、手に入れてやるんだ!?
と思いながら、免許も持っていない年齢の私は、臍を噛んでいた。

それから、30年・・・
私のガレージに、それらが納まった事は今だにない・・・
空冷水平対向6気筒、リアエンジンリアドライブ、アロイホイール。
蛙のような眼差しは、今だに愛おしい・・・

もう、少し前になるが・・・
PORSCHEのディーラーに行った事がある。
エントランスに佇むものの、気後れしてなかなか中には入れない。
業を煮やして、中に入ると、有無を言わさず一杯のコーヒーが出てきた。

なんという余裕なんだ!?

日本メーカーの気さくで低姿勢な雰囲気とは異なり、高級品を扱う宝石店のような雰囲気。
私は精一杯の見栄を張っていた。
それはポルシェの歴史に始まり、挙動性能、メンテナンスなど・・・
私の質問する内容もかなり突っ込んだ話になっていたと思う。

そんな私を見ながら、余裕のスタッフ達は、懇切丁寧に一つ一つに答えて下さっていた。
話しながら、興奮している自分に気付き、段々冷静になってきた。

”嫌な客になっているぞ?!”

自分でも気がついていた。

それから暫らく雑談し、帰ってきたのだが・・・

最後に渡されたカタログを見てビックリした。
日本の車のような、パンフレットとは異なるのだ。

それは、”1冊の文庫本”なのだ、それもハードカバーの・・・?!
全113ページに渡る”解説書”は実にキメ細かくPORSCHEを語っている。

この手の車種は、薄利多売では商売が成り立たない・・・
少ない台数で、確かな利益を上げていかなければいけない。
一人一人の顧客には、時間もそうだが、それ相応のコストをかけるんだと思う。

スタッフにとって私の事はどう映っていたのだろう?!
まだまだ青二才だな?!
でも、いづれは乗るのかな?!

まぁ、どう思われてもいい・・・
PORSCHEに乗るには、まだ時期尚早なのだ、この私は・・・

しかし、今だに送られてくるダイレクトメールには心を揺さぶられている。
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8トラック

2008-01-06 | 自動車全般

後ろの座席には、いつも赤いケースがあった。
大きさでは10程のカセットが入ればいっぱいのそのケース。

カセットテープといっても、両面使えるタイプではなく・・・
ガッちゃん、とデッキに押し込むと、4つのフェーズに分かれた4曲、計16曲がエンドレスで流れる、些か大きな前時代のカセットの事だ。

後部座席の後ろのスペースには、ボックス型のスピーカーが鎮座し、決して上等とは言えない音質の中で、懐かしい曲が聴こえていた。

昭和40年代初頭、カーステレオと呼ばれたこのシステムを積んでいた車は、リアのウインドウに誇らしげに”8トラックステレオ”とステッカーが貼られていた。

正月、実家に帰った際、大掃除の片付けをしていると、その赤いケースが押入れの中から出てきたのだ。

勿論、再生できるデッキもない・・・
擦り切れるほど、再生されたテープは劣化も進行し、音を発する事も難しそうだ。

私が幼い頃、父親のドライブする車の中で聞いていた曲は、まさにこのカセットから奏でられていたのだった。

その後、この手のカセットは、カラオケで大活躍する事になるのだが・・・

時代は変わり、小型カセット、CDと進化し、最近では”ipod”対応の新兵器も出現している。

一時期、老舗オーディオメーカーが、カーオーディオ分野にも進出し頑張っていたが、車の室内は自動車設計段階から携わらないと良い音響設計が出来ないようだ。

フィッティングショップも、自動車メーカーの構築するシステムには脱帽したようで、最近は、後付け高級機種も振るわない・・・

人間のあくなき欲望の中に、”良い音”を意識する連中も存在する。

良い音は、確かに素晴らしい・・・

しかし、車内で聞く音響は、運転という業務の中で聞く”BGM”までなんだと思う。

拘りすぎて、事故でも起こしては、元も子もない・・・

車内での良い音は、嗜む程度。

これが良いのではないだろうか・・・
コメント (10)
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