ムーミンパパの気まぐれ日記

ご訪問ありがとうございます。
日常を綴っているだけの日記ですが、
ゆっくりと遊んでいってくださいね。

教訓

2010-02-10 | column
 暮れに父が亡くなって以後、あれこれと断続的に訪れる法要や手続きなどに追われている。今日はそんなあれこれから感じたことの一部を紹介してみようと思う。このブログをお読みのみなさんの中には、これからご両親を見送らなければならない方もいるだろう。そんな方の参考になればとも考えている。身内が亡くなることを前提にした話なんて縁起でもないと思われかもしれないが、この種のことは元気なうちに考えておくに越したことはない。大事な人が病気になって入院でもしてからでは死んだ後の話なんかできるものではない。死はいずれみんなに順番に訪れるものなのだから、笑い話で済むうちによく話合っておくのがいい。それがまず教訓の第一である。
 さて、死亡直後のあれこれはともかくとして、最初にやらなければいけないことは葬儀の手配である。我が家は割りと古い家柄と言うこともあり、ごくありふれた平均的な日本人なので葬儀の方式に関しては余り疑問の余地がなかった。ともかく、祖父や母の際にもお世話になった近所の葬儀社と菩提寺に電話をして日程を確定してから、あちこちへ連絡をすることになる。ここで困るのは親戚はともかくとして、父の個人的に親交があった人たちが分からないのである。とりあえずは年賀状を探し出して眺めてみるが、連絡をした方がいいのかどうなのかが分からない。何でもいいから電話してしまうというのも一つの手だが、それなりの人数がいるし、連絡されても困惑するような人もいるだろう。結局考えた挙句、父が勤めていた会社のOBで作っていた旅行会と大学の同窓会の幹事を探し出し、そこにだけ連絡をすることにした。自分が死んだ時にどことどこに連絡してほしいのか、ちゃんとどこかにメモを残しておきましょう。これが教訓その2。
 とりあえずは連絡を終えると今度は葬儀用の写真探しである。父は長いこと闘病生活を送っていたので最近の写真はほとんどチューブが挿入されているもので、まさかそんな写真を使うわけにはいかない。仕方なくかなり前の物でもいいからということで兄弟で写真を持ち寄って写真を選定。10年くらい前の写真も含めてなんだかんだ20枚くらいは集まったのだが、顔が小さかったり、眼鏡が光っていたりして、何とか使えそうなものは結局2枚しかなかった。そういえば、歳をとると写真を撮る機会が減るから、もしもの時のために毎年お正月の家族が集まった時などに意識して写真を撮っておいた方がいいと、今は亡き親戚のおばさんが言っていたのを思い出した。やはり年寄りの言うことはちゃんと聞いておくものである。これが教訓その3。
 あんまり長々書くのもいかがなものかとは思うので、今回はこれくらいにしておくが、みなさんもこれだけは覚えておいた方がいいというようなアドバイスなどがあればコメントくださいね。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

辛いなあ

2010-02-07 | handmade food&drink
 半年ほどかけて熟成した檸檬酒だが、できれば更に1年くらい寝かした方がおいしくなるということだし、そもそも甘い酒だから一度にそんなに沢山飲めるようなものでもない。そんなこんなで瓶詰めしたまま冷蔵庫に放り込んでおいたのだが、ちょうど飲んでいた焼酎が飲み終わったので、久しぶりに取り出してみた。透明な瓶はうっすらと黄色になっていて、いかにも檸檬のお酒と言う感じである。さてとばかりにグラスにつごうと明るいところに出してみるとちょっとおかしい。何やら白い物がふわふわとしているのである。一緒に漬けた林檎酒も澱のようなものが沈殿することがあるから、同じようなものかなあと思ったのだが、どうも違う。2〜3cmくらいの大きさの綿ぼこりのようなものがいくつか浮いている。これはもしかしてカビ?なんでえ???漬ける時の容器も詰め替えた瓶もみんな使う前にアルコールで消毒したのになあ。もともとリカー自体がアルコールなんだから、わざわざ消毒なんて面倒くさいことやらなくったって大丈夫だよと思いながらも、まあ初めてのことだからと思ってわざわざ一手間かけたのになあ。いい加減と適当で出来上がっている私がそんなことやるなんて滅多にないことなのに、それがまさかこんなことになるなんて信じられない。しばらくは瓶を蛍光灯に透かしてみたりして、ため息をつきんがらその浮遊物を眺めていたのだが、そんなことを続けていてもそのカビらしきものが消えるわけもない。しばらくして、もしかしたらカビじゃないのかもなあと一途の望みをもって瓶を振ってみた。とりあえず浮遊物は消えたのだが、それは細かくなってちりぢりになっただけのことである。やっぱりカビみたいだなあと思いつつ、瓶を再び冷蔵庫に戻すことにした。ここまで来たら選択肢は2つしかない。このカビらしきものがあっても飲めるのかどうかを調べて飲むか廃棄かの決断をするか、まあこれくらいは大丈夫だよと思って飲んでしまうかである。
 逡巡した揚句・・・しばらく放ったらかしておくこととした。カビだと分かって捨てることもできないから調べるのも嫌だし、かといって強行して飲んで体壊すのもバカバカしい。どっちも選択できないのである。きっとこのまま放置して瓶の中がカビだらけになれば諦めもつくのではないだろうか。冷蔵庫にとっては迷惑な居候だけど、そんな気分なのである。自分で作ったものを捨てるのって辛いから。そんな気分になりませんか?
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

あれから40年

2010-02-03 | review
 落語を始めとして漫才とか漫談、喜劇などが好きである。わざわざ舞台を見に行くほどではないが、割とよくその種のテレビ番組を見ている。関西の血が半分入っているせいか「おもろうてやがてかなしき」のキャッチフレーズで知られた藤山寛美の松竹新喜劇やまだ今ほど有名になる前の吉本新喜劇なども子供の頃から見ていた。しかも下町育ちなものだから浅草喜劇の「デン助劇場」も大ファンというのだから、節操なく東西喜劇をたしなんで育ってきたことになる。そんな私だが最近の第何次だかの漫才ブームでもてはやされている若手の中には、どこが面白いのかまったく分からず辟易することも多い。それは自分が歳をとって若い人の感性が分からなくなっただけではないかと言われるかもしれないが、それでも何人かは好きな若手芸人もいるのだから、歳のせいなんかじゃないと頑なに信じている。
 とまあ、そんな私が一押しなのが綾小路きみまろである。ジャンル別で言うと漫談になると思うのだが、今やオフィシャルグッズはもちろん銀座にカフェまでオープンするほどの人気者である。その漫談は同じことを職場で話したなら確実にセクハラで告訴されるであろうほどの内容であるが、その毒舌ぶりは小気味いいほどの冴えで笑いを誘う。ターゲットを中高年に絞って若者には見向きもしない戦略も見事だが、老いや熟年夫婦の日常をその本質にまで迫ってえぐり出しながら、笑いにまで高めてしまう話芸には感心してしまう。中高年女性をいじるという点では毒蝮三太夫の話しっぷりと通じるものがあるが、二人に共通しているのは中高年に対する愛情だったり応援だったりというという優しさが底流にあるというところであろう。その辺が聞き手に嫌味を与えないのではない理由だと考えている。
 今回勢いで購入したCD「"元祖"爆笑スーパーライブ第0集」は彼がまだそれほど売れていない頃に販売していたカセットテープを再録したもので2話で約40分。とにかく何回聞いても笑えるので、そんなものお金出してまで買うほどのものかなと思う方も是非一度聞いてみてください。絶対損したとは思わないはずです。私はまだ2枚しか持っていないのだが、また折をみて他のCDも買おうかなと密かにたくらんでいるところである。

 ああ、あれから40年。奥さん、昔はみんな若かったんです!
コメント (4) | トラックバック (0) | goo

コチュジャン

2010-01-31 | handmade food&drink
 韓国の料理や民芸など、さまざまな文化を伝えるスッカラという雑誌がある。たまに見かけるのだが、写真やイラストが豊富で、眺めているだけでも楽しい雑誌である。その2月号の特集は「ジャンの味は故郷の味」だったのだが、その中に自家製コチュジャンのレシピを記載したページがあった。コチュジャンなんてものは焼肉屋のテーブルの上にあるものくらいの意識しかなかったし、そもそも自分で作れるような調味料だとは思ってもみなかった。そんなことを思ってみると、いつものようい無駄なチャレンジ精神がむくむくと湧き上がってくる。折もよく週末でもあり、それくらいの暇は十分にある。
 さすがに著作権に抵触するだろうからレシピの詳細を書くわけにもいかないが、必要な材料はもち米、麦芽粉、米麹、粉唐辛子、粗塩、醤油の5種類だけ。余り特別な材料は要らないようだし、一つだけ手に入りにくいとされている麦芽粉も上野の韓国食材の店に行ってみたらあっさりと買うことができた。まずはもち米を水に浸して1時間。これを炊いてから麺棒などでつぶして、麦芽粉と米麹を混ぜて3〜4時間ほど保温して発酵させる。この時間は特にやることもないので、コチュジャンというのはこうやって作るものなのかとネットで調べてみたら、これが大違い。いくつか見つけたサイトのレシピは、細かな違いはあるもののどれも温めた味噌に唐辛子や調味料を混ぜて作るものばかりである。しかも、出来上がりの写真を見てみると、自分の作りかけよりもずっと市販品のコチュジャンに近いような気がしてくる。もしかして大量の失敗作ができるのだろうかという不安と、韓国を案内する専門誌のレシピの方が本場の作り方に違いないという強気な感情が行ったり来たりするが、ここまで来て作業を止めるわけにもいかない。ともかく作業を続行することにして、発酵の終わった素材を鍋にあける。この鍋にいったん火を通してから唐辛子、塩、醤油をよく混ぜ込み、もう一度再沸騰させる。真っ赤なコチュジャンがぶくぶくと沸騰するのは、まるでマグマのようである。これで火を止めて作業は終了。時間こそ半日ほどかかるものの、調理にそれほど手がかかるものではなく、むしろ拍子抜けするくらいあっさりと完成してしまった。見た目も何となくコチュジャンらしい出来上がりである。
 常温まで冷ましてから恐る恐る味見をしてみたのだが、まずは麹の甘さが来て最後に辛味が効いてくる。なんとなく本場っぽい味のような気がして、とりあえず一安心だったのだが、密閉容器に移してからが問題だった。調理する前の素材の総重量が約1kgだったから当然なんですが、これって10年くらい使えそうな量が出来上がっているんですけど。。。
 100円ショップで小さい容器買ってきて、また部下に押し付けるかな
コメント (8) | トラックバック (0) | goo

緊急事態

2010-01-27 | column
 以下尾籠な話題となるので、事前にご了承の上読み進んでくださいませ。

 最近は毎日のウォーキングに加え、週末になると3〜4kmのランニングをしている。こういう習慣と言うのは恐ろしいもので、一回でもサボったりするとそのままずるずると堕落してしまい、ランニングはおろかウォーキングすらしなくなり、気がつけばリバウンドした挙句10kgも体重が増えてしまう。そんな恐怖感に背中を押され、ずぼらで飽きっぽい私がひどい二日酔いの時でも、よろよろとベッドを抜け出してウォーキングやランニングを始めたりするのである。これは努力とか粘り強さというものとは全く無縁のむしろ惰性とでも言うべきものであろう。あの土曜日の朝もそんな感じだった。
 気持ち悪くて目が覚めた。昨夜は何を飲んだんだっけかなあと思いだそうとするのだが、そもそもどうやって家まで帰ってきたのか、その記憶すら定かでない。ああ、そういえば3軒ほどハシゴしてビール、日本酒、焼酎と飲み歩いたんだっけ。脳は覚えていなかったが、強烈な吐き気を催している胃とアセトアルデヒドの分解に忙しい肝臓が、昨日のご乱行を思い出させてくれる。それでも、こういう日にこそ体を動かさないとまずいんだよなあと思い、もそもそと身支度をして家を出る。寒さに震え上がるような冬の朝だが、今朝に限ってはその寒さが気持ちいい。河川敷のウォーキングコースまではおよそ1km。ストレッチも兼ねてくてくと歩いて行く途中、朝から水の一杯も飲んでいないことを思い出し、自販機でお茶を買って一気飲み。何とかの一つ覚えのように「酔い覚めの水千両と値が決まり」などとつぶやく。ウォーキングコースに着く頃には結構体も暖まり、軽くアキレス腱を伸ばしたりしてスタート。相変わらず走り始めは左膝だの足首だのが痛むが、どうせいつものように500〜600mも走れば気にならなくなるだろうと思って走り続ける。しばらくすると、脚の痛みの方は治まってきたのだが、別のところが気になってくる。どうもお腹の調子が良くない。でもまあ、家を出る前にはちゃんとトイレにも行ってきたことだし、こっちの方もすぐに収まってくるだろうと思い、構わず走っていく。1.2km付近にある公衆便所が見えた時は少し気になってのだが、こんなところで中断するのも癪だなと思って通り過ぎた。ところが、ここが地獄の始まりであった。無視された公衆便所の霊が祟ったのか、先ほどとはうって変わって強烈な痛みが下腹部を襲ってきたのである。あれから既に500mは走ってしまったし、なんとかノルマの2kmは走りたいと思って頑張ったのだが、それはもう冷や汗が背中を伝わるような状態である。途中で走るのをやめ、葦の草むらの陰に潜り込んで雉打ちをしようかと何度も何度も考えたくらいである。ともあれ、2kmちょうどを走り終えたところでランニングは中止。いろいろ考えた挙句、土手を斜めに駆け下り住宅街の真ん中にあるスポーツ公園を目指すことにした。たぶんそこのトイレが一番近いはずである。妙な格好で体をよじりながら、早足で歩く。こういう時は止まってはいけない。とにかくひたすら歩く。ほんの2〜300mの距離が2kmにも3kmにも感じられる。そういえば下村湖人の「次郎物語」の中にトイレが我慢できず中等学校の受験に失敗する話があったなあなどと考えて、意識を下腹部から遠ざけようと無駄な努力を試みてみる。。。。。
 セーフ。危機は去った。もう自分自身としては宇宙戦艦ヤマトがぎりぎりで地球に帰ってきたような感覚である。すっきりした後は、再びコースに戻り、また1kmほど走ったのであった。まるで何事もなかったかのように。

 トイレ問題はいつ起きるか予測できないから、深刻ですよねえ

☆ミニうんちく講座
 道端、屋外等近くにトイレのない場所において便意を催し、我慢できない場合にやむを得ず排泄することを「野糞」と呼ぶが、登山などでは隠語として「雉打ち(きじうち)」とか「お花摘み(おはなつみ)」と呼んだりする。いずれも草むらのなかでしゃがむ格好がそれに似ているからできた隠語と言われている。
コメント (10) | トラックバック (0) | goo

神戸新聞の7日間

2010-01-24 | review
 録画してあった1月16日にフジテレビ系列で放映されたドラマ「神戸新聞の7日間」を見た。1995年1月17日午前5時46分に明石海峡を震源として発生した大地震は、6,434名の死者と4万人を超える負傷者、25万棟に及ぶ住家を全半壊させた。「神戸新聞の7日間」は、そんな関東大震災以来の大きな被害をもたらした阪神・淡路大震災から15年という節目に、地元紙である「神戸新聞の新聞記者たちが、それぞれの立場でもがき苦しみながらも、新聞を作り続けた闘いの模様を描くドキュメンタリードラマ」である。
 正直言って実際に見るまでは、またジャニーズのタレントを使った(主役は嵐の櫻井翔)ドラマかと余り期待していなかったのだが、それでも創刊以来戦時中でさえ一度も休刊したことのない新聞がどうやってその伝統を守ったのかを知りたいと思って見ただけのことであった。その予断はあっさりと裏切られた。2時間の間涙が止まらない。実際に現地で被害に遭われた方だったら見続けることができないのではないかと思うほどの場面が次々と映像として突きつけられていく。新聞を発刊し続けるための記者たちの想いと努力、我が身を捨ててまで神戸新聞に協力する京都新聞社の新聞記者仲間としての連帯、悲惨な情景を前にカメラを向けることに何の意味があるのかと自問する記者たちの苦悶。ドラマとしての主題はそういうところにあったのだろう。その想いを伝えることに失敗したとは思わない。あえて桜井を主役・ナレーターとして起用し、阪神・淡路大震災を知らない若い人たちにメッセージを届けたいというのもいい試みだったと思う。しかしながら、ドキュメンタリーの迫力の前にはすべてが霞んでしまったのもまた仕方がないことなのだろう。とにかく、目の前で繰り広げられる再現映像や実際に現場で撮られた画像は、それが真実であったとは信じたくないほどの悲しさを見る者に染み込ませていく。圧倒的な事実の山の前にドラマの訴求力が薄まってしまうことを、たぶん制作者は分かっていたのだと思う。それでもあえてドキュメンタリーを織り込んでいったのは、阪神・淡路大震災の経験を風化させてはいけないというテレビマンとして矜持であったのだろう。彼らの仕事に敬意を払いたいと思う。
 折角だから、もう一度見直してみたい。ドキュメンタリー部分を落ち着いて見られるようになれば、ドラマ部分の良さももっとしっかりと見えてくるだろう。もちろん一つの作品を2つの部分にセパレートして論評すること自体がナンセンスだというのは分かっているが、それでもやはりそう感じてしまうのである。
 平均視聴率は関西地区で19.3%、関東地区で15.3%だったとのことである。たぶん再放送される機会があるだろうから、見逃した方は是非とも見てほしい作品である。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

べろメーター

2010-01-20 | column
 大して信じてもいないのに、占いやら性格分析やらで遊ぶのが結構好きである。このブログでもこれまでいろいろと紹介してきたが、今回遊んでみたのはべろメーターというサイト。このサイトは味覚診断を行うもので、人間の味覚は、苦味、酸味、塩味、旨味、甘味の5つの味で構成されていて、その5味は、およそ3歳までに完成され、その習得過程ならびに成長期や以後の人生における毎日の食習慣によって好き嫌いが出てくるという基本認識に立って、求める食の味覚(5味)とその強さを調べることで、その人のこれまでの生活スタイルや、そのときの心理状態を診断するというものらしい。具体的には、サイト上で食べたい物を一品づつ選んでいくことにより、理想の朝食を完成させ、それを分析し、その人の味覚を16タイプに分類する。まず最初に主食を選ぶ。ここではパンやご飯、シリアルなどの中から一品だけしか選べない。ここで何を選ぶかで和食派か洋食派かがはっきり分かれることになる。私はもちろん「白米・おかゆ」をチョイス。次は、おかずなのだが、ここでは複数を選ぶことが可能で、「焼き魚」、「目玉焼き」、「サラダ」、「納豆」の4品を選んだ。本当はこれに「ハム・ベーコン」も加えたいところだが、ちょっと食べすぎの気がしてこれは断念することにした。バイキング方式で出されるホテルの朝食だったら、間違いなくお皿の上に載せる大好きな食材なので、これはちょっと悲しい決断である。その次は、スープ・汁物なのだが、主食がご飯なのでここでは「みそ汁」以外ありえない。もっとも今時の若い子だと平気でご飯にコーンスープなんかを組み合わせたりするのかなあという気もしないでもない。それで最後はドリンク。これも複数選ぶことができるのだが、「コーヒー(ブラック)」を選ぶ。まあ、これだけ食べればお腹いっぱいになり、しばらくは動く気が起きないだろうという感じの朝食である。冒頭の画像は実際に選んだ時のスクリーンショットなのだけれど、みそ汁がご飯の左に置かれてしまうのが非常に気になるのは、親の躾の賜物であろう。ともあれ、後は性別やら年代だのを入力して診断である。結果は・・・

人魚タイプ 【塩味系】中盛り派
 ヘルシーなものが好き!でもちょっと塩分多めかも。


 明るくて人気者。だけど人には言えない秘密を持っている人魚。人を驚かせるのも大好きで、そのためのネタを持っている。趣味のつながりで、仲間がドンドン増えていく。誰とでもすぐに打ち溶け合える性格。飲み会に誘われると断れない。だけど一番楽しんでたりする。恋愛も情熱的だが、一旦冷めてしまうと別れるのも早い。


ということらしい。ちなみに、塩味系には他に小盛り派の「カエルタイプ」と大盛り派の「ネコタイプ」があるのだが、基本的に3タイプとも「行間を読めるヤツ」らしい

 まあこの種のものはみんなそうだが、当たっているような気もするし、そうでもないような気もする。みなさんもお暇な時にでもどうぞ。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

檸檬酒その後

2010-01-17 | handmade food&drink
 7月4日付けの記事で紹介した檸檬酒がそろそろ半年を経過することとなった。酒に意地汚く気も短い私にしては、よくもここまで手を出さずに置いておいたものだと、有森裕子さんみたいに自分で自分を褒めてやりたいくらいである。もっとも、物事の評価には常に両面があるもので、実際のところは単なる物臭オヤジが放ったらかしにしただけとも言えなくもない。ともあれ、正月用に買ったお酒もなくなったことだし、そろそろ飲んでもいいだろうということで保存していたタッパーから空になっていた紹興酒の瓶に移し替えることにした。相変わらず適当な性格なので、移し替えてみると瓶の容量が足りないことに気付き、慌てて探してみたらアーリータイムズのポケット瓶を発見したので残りはこちらに移して完了。それにしても紹興酒だのバーボンだの本当に節操無くなんでも飲んでいるなあとほんのちょっぴりだけ反省したのでした。
 折角瓶詰めしたので、早速味見をしてみた。それはもう爽やかな酸味が夏の草原を吹き渡る風のように喉を越えて行く。風が吹き去った後には口の中に切れのいい甘味が残り、それはあたかも初めて恋をした女性と旅をしているかのようである。清楚な女性の魅力にひかれ、私はゆっくりと酔っていく。
 ・・・なんてはずもなく、要するにレモンのお酒だなあと思っただけである。所詮私にはソムリエだの唎酒師だのになれるような繊細な味覚も表現力もないのだから仕方がない。要するに美味けりゃあいいのである(←ほとんど投げやり)。ショットグラスで味見してみたが、一般的なレシピで作った果実酒というのはどうしても私には甘過ぎるようである。やおら冷蔵庫からクラブソーダを取り出し、micomicoさんに頂いた最近お気に入りのグラスに氷を入れてソーダ割りにしてみた。うん、これはいけるな!と一気飲み。まだ午前中、どころか9時過ぎなのに既にほろ酔い気分になってしまったのであった。いくらなんでも早過ぎですな。
 それにしても自分のブログを読み直してみると「1年程熟成させる方がおいしいらしい」などと書いてある。やっぱり待ちきれなかったってことなのね
コメント (4) | トラックバック (0) | goo

崩壊

2010-01-13 | column
 酔っ払った後で締めにラーメンというのはよくある話だが、たまにどうしてもご飯が食べたくなることがある。時計の針が日付変更線を越えようとする時間帯だから、そんな時は牛丼チェーンのお世話になることが多い。牛丼ご飯少なめ、生玉子付きというのが定番である。
 それほどしょっちゅう行く訳ではないが、そんな牛丼屋で嫌な場面を見ることになった。30歳前後の男性。身なりは普通だし、さして酔っ払っているようにも見えなかったのだが、牛丼と同時に注文した味噌汁に口をつけるなり、いきなり店員に怒り始めた。「こんな熱い味噌汁飲めるかよ。」というのが彼の主張らしく、店員を睨みつけながら2度、3度と同じクレームを繰り返している。店員の方は恐縮した様子ですいませんと謝っているのだが、見ていて気持ちのいい景色ではない。大体味噌汁がぬるいというクレームなら理解できなくもないのだが、熱いというのは珍しいのではないだろうか。いくら薄利多売の牛丼屋でも飲めないほど沸騰した味噌汁を提供するとは思えないし、そもそも同じ寸胴から提供されていた私の味噌汁は文句を言うほど熱くはないのである。まあ、それほど大きい声で怒鳴り上げるという訳ではないのだから、自然と収まるだろうなあと思っていたのだが、この予測は甘かった。数分と経たないうちに彼は牛丼と味噌汁をカウンターから払い落とし、中身を床にぶちまけたまま物も言わずに店を出て行ってしまったのである。店員は周囲の客に汚れなかったかどうか尋ね、謝りながら床の掃除をする。食券方式だから代金は既に支払われており、店側に実損はないのかもしれない。しかし、どんなに気に入らなかろうが、彼にそんなことをする権利はないはずである。食べ物を粗末にすることがどんなに罪深いことなのか、親に教えられたことはないのだろうか。その瞬間自分がどんなに軽蔑されているのか想像することができないほど愚かな奴だったとしか私には思えないのである。きっと自分の行為に溜飲を下げ、俺はちょっと店員を教育してやったとでも思っているのだろう。もはや救いようもないほど哀しい推測である。
 クレイマーなる言葉から始まって、モンスター・ペアレントやモンスター・ペイシェントなど、自己中心的で理不尽な主張を繰り返す人たちの話題には事欠かない時代である。110番にはタクシーがつかまらないからパトカーを出せとか、家にゴキブリが出たから退治してくれという電話が多くかかってきて、警察業務に支障が出るほどだという報道もあった。この世の中は一体どこで狂ってしまったんだろう。地球温暖化も少子高齢化も大きな問題なのだろうが、きちんとした倫理観に支えられた構成員を持たない社会は、そんな問題以前に内部から崩壊してしまうに違いない。それもまた教育が悪いからだと他人のせいにするのだとすれば、もはやこの国に未来はないであろう。それを見る前にこの世からいなくなれるのがせめてもの救いなのかもしれないが、それも悲しい人生である。
コメント (2) | トラックバック (0) | goo

Crescent Moon

2010-01-10 | review
 別にブルースやジャズが嫌いというわけではないけれど、基本的に洋楽より邦楽の方が好きである。フォーク、ロック、J-POP、演歌。ジャンルはなんでもいい。要は自分の感性に合っていればいいのであって、それだけが好き嫌いの基準となっている。だから、アイドルだろうがなんだろうが、自分がいいと思えばそれでいいと思うし、高名な音楽評論家が何を言おうが、ミーハーと言われようがそんなことは関係ない。芸術を生業にして生きているわけではないのだから、自分以外の感性なんか気にする必要はないのであって、そもそも芸術なんていうのはそんなものだと思っている。
 いきなり妙な力の入った話になってしまったが、邦楽がいいと言うのにはもう一つ理由がある。それは日本語でなければ意味が分からないからである。アレンジや何やらが重要でないとは言わないが、大雑把に言って歌が持つ力の半分はメロディで残りの半分は歌詞=言葉である。英語やフランス語の名曲もたくさんあるのだろうが、歌詞の意味が分からない、というか、歌詞自体を聴き取れない私にとってはどうしてもその魅力が半減してしまうことになる。それに、例え意味が分かったとしても、母国語が持つ民族の感性や文化的な土壌をバックボーンにした歌詞が持つ魅力にはどうしても敵わないのではないのだろうか。とりわけ日本語が持つ豊かな抒情表現は世界の言語の中でも特異な地位を占めているのだから、歌詞によって歌の力に大きな差が出るのは文化的必然とも言うべきものであろう。個人的に一番好きな歌手が中島みゆきというのも、こうした歌詞が持つ力というか言霊の魅力にひかれているからなのは言うまでもない。
 とまあ、あれこれと偉そうに言っておりますが、要するに語学の才能がないからということだけなのかもしれないけどね

 そんな私の最近のお気に入りは、絢香の「三日月」。他の曲はよく知らないので、彼女のアーチストとしての実力はよく分からないけれど、この曲は女性の持つ繊細な想いをとてもよく表していて心に染みてくる。残念ながら、病気のために昨年末でいったん音楽活動を休止しているようであるが、必ず復帰してまた綺麗な歌声を聴かせてもらいたいものである。

三日月
 作詞 絢香
 作曲 西尾芳彦/絢香

ずっと一緒にいた 二人で歩いた一本道
二つに分かれて 別々の方歩いてく

寂しさで溢れたこの胸かかえて
今にも泣き出しそうな空見上げて
あなたを想った

君がいない夜だって
そう no more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって
君も見ているだろう
この消えそうな三日月
つながっているからねって 愛しているからねって

冷えきった手を 一人で温める日々
君の温もり 恋しくて恋しくて

どれだけ電話で 「好き」と言われたって
君によりかかることはできない
涙をぬぐった

君がいない夜だって
そう no more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって

今度いつ会えるだろう それまでの電池は
抱きしめながら言った あなたの「愛してる」のひと言

君がいない夜だって
そう no more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって
君も見ているだろう
この消えそうな三日月
つながっているからねって 愛しているからねって

三日月に手をのあした 君に届けこの想い


 それにしても、これって2006年にリリースされた曲だったんですね。今頃になってお気に入りだなんて、どんだけ時代から遅れているだって感じですな。ま、おじさんだからしょうがないんですけどね・・と、開き直る今日この頃でした
コメント (2) | トラックバック (0) | goo