ムーミンパパの気まぐれ日記

ご訪問ありがとうございます。
日常を綴っているだけの日記ですが、
ゆっくりと遊んでいってくださいね。

すべての人に感謝の花束を

2013-02-19 | column
 日本人の平均寿命は女性85.90歳、男性79.44歳(2011年)ということらしい。もちろんこれはただの統計数字でしかないから、私が80歳になった時(もちろんそこまで生きていたらということだが)に、その数字がどう変わっているのかは分からない。ましてや誰がいくつまで生きていられるかなんてことは、誰にも分からないってことは人類が誕生して以来、いや、DNAが二重らせん構造を持つ生物が誕生して以来明らかなことである。明日何かが起きてこの世から姿を消してしまうのかもしれないし、もしかしたら5分後に飛行機がオフィスに墜落してきていなくなってしまうのかもしれない。未来のことは何一つ分からない。分かっているのは、人が死亡する確率は100%だということだけである。だからと言って、死を怯えながら暮らすこともないし、いつ死んでもいいようにと覚悟を持って暮らし続けるのもなんとも辛い。人生の先行きを考えながら生きていくのは難しいことである。

 それでも私は今日を生きていく。

 毎日世界中で沢山のことが起こっている。いい話も悪い話も数えきれないほどの出来事が起きている。それでも、その中のいったいどれほどの出来事が後世の歴史書に掲載されるのであろうかと思ってみたりする。高校生の頃に眺めていた日本史や世界史の教科書は、まさに有史以来の出来事が掲載されていたけれど、たぶん500ページもなかったような気がしている。あと2,000年経った時、41世紀の高校生たちは1,000ページの教科書を読まなければなるのだろうか。それともやっぱり500ページくらいに圧縮された教科書になるのだろうか。私たちが生きている時代はいったい何ページに、いや何行くらいになるのだろう。3,000年の歴史が500ページなら、単純計算で一年は0.17ページ、人生80年なら同時代の記録は16ページということになろう。もちろん、その中に私やその友人に関する記録が入っている確率は限りなくゼロに近い。

 それでも私は小さな何かを成し遂げながら日々を暮らしている。

 毛沢東は「婦女能頂半辺天(女性は天の半分を支えることができる)」と言ったとされている。その政治的意味はよく分からないが、世の中の半分は女性であることは毛沢東に言われるまでもない事実である。もちろん統計的には出生比率はわずかに男性の方が多いことはよく知られているし、社会の高齢化が進めばどうしても平均余命の長い女性の比率が高くなってくる。そんなディテールを無視すれば、恋愛対象が異性である人は世界の人口の半分、約40億人の中からパートナーを選ぶことになる。もちろん生涯に好きになる人は一人ということはないだろうから、その相手が5人なら8億人に一人、さらに年齢構成も絞られるから、広めに見てその1/4程度、2億人に一人の確率で相手を選んでいることになる。ということは、ある相手が自分のことを好きになってくれる確率も1/2億だとは考えられないだろうか。誰かを好きになるっていうのは、物凄い奇跡への挑戦なんだと思う。

 それでも私はあの人を好きにならずにいられない。

 なんだかよく意味の分からない記事だなあと思ったかもしれませんね。ただ、私はこんなことを頭のどこか片隅に置きながらこのブログを続けてきました。その一部だけでも書き留めておこうと思ったのです。勝手に付き合わせてしまって、ごめんなさい。

 2004年10月16日(土)に最初の記事を投稿してから足掛け10年。満53歳の誕生日を迎えた今日、ちょうど1,000回目の記事を投稿することができました。拙い文章ではありますが、いろいろなことを考えたり、ただ感じたり、楽しかったり、苦しかったり。そんな日々の想いをその時々に書き留めてきました。ただそれだけの記事をこれまでとても多くの人が読んだり、コメントをしてくれました。そう、今では既に天の高いところで読むことになってくれている人もいます。お世辞にも粘り強いとは言えない私に、このブログをここまで続けさせてきてくれたのは、そうした多くの人たちがいたおかげだと思っています。
 この先、このブログがどこまで続くのかは分かりませんが、とにもかくにも1,000回を迎えたことを区切りに、すべての人たちに感謝の花束を心の中で捧げたいと思います。
 本当にありがとうございました。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

赤頭巾ちゃん気をつけて

2013-02-04 | review
 ずいぶんとまた古い小説だなあと思われた方も多いだろうと思う。庄司薫の4部作の第一作で中央公論に初めて掲載されたのが昭和44(1969)年5月なので、既に40年以上前の作品なのだから、そう思われても仕方がない。ちなみに昭和44年に起きた出来事というのを調べてみると、本書にも出てくる東大紛争安田講堂攻防戦と東大入試の中止、アポロ11号による人類初の月面着陸などが起きている。ついでに言えば、フジテレビでサザエさんの放送が始まったのもこの年の10月である。そんな「赤頭巾ちゃん気をつけて」を最初に読んだのは高校生の頃で、当時某私立高校に通っていた私は、主人公である都立日比谷高校生の感性や考え方にずいぶんと共感して何回も読みふけったものだが、そんな思い出の小説を電子書籍版でダウンロードして久しぶりに読んでみた。

 主人公の薫くんは受験を予定していた東大の入試が中止になり、子供の頃から飼っていた愛犬のドンをなくした上に、家の中でスキー板を蹴飛ばして生爪を剥がしてしまうという踏んだり蹴ったりの状況に陥ってしまう。ここから幼馴染の由美や治療にあたった女医への性的好奇心など、自分自身の生き様や社会との関わり方などについて深く考え込んでいく。そんなところに小さな女の子との偶然の出会いが、薫くんの気持ちを変えていく。

 私のつたない読解力ではせいぜいがそんな感じでしかあらすじを表現できないのだが、文庫版になった当時の帯にはこう書いてある。
 「女の子にもマケズ、ゲバルトにもマケズ、男の子いかに生くべきか。さまよえる現代の若者を爽やかに描く新しい文学の登場!」
 ともあれ、芥川賞を受賞し、映画化までされた作品であり、主人公を作者と同名の「薫くん」と設定したり、主人公自身に若者の話言葉でストーリーを語らせる手法など、社会に大きな反響をもたらした小説であったことは間違いない。それにしても、久しぶりに読んでみて思うのだが、やはりこういう小説を読んで共感するためには、ある種の同時代性というものが必要不可欠だということである。現代小説(当時は、だが)だからこそ、東大紛争がもたらした影響とそれに対する市井の人々の反応や高度成長期が曲がり角にさしかかってきた社会の雰囲気といった大きな時代の潮流といったものが描かれているし、文中には流行歌の「ブルーライト・ヨコハマ」やプロレスラーのザ・デストロイヤーなども登場してくる。もちろん、そうした状況や言葉自体を知らなくても小説としての本質的な価値には影響がないのだが、それでも知っていればこそ分かる感覚というのもある。文学や芸術の世界では「時代と寝る」という言葉あるが、鑑賞者にとってもその感覚は重要な要素だなあと思わされる作品である。

 この作品を読んだ勢いで、赤白青黒の4部作(「赤頭巾ちゃん気をつけて」、「白鳥の歌なんか聞こえない」、「さよなら怪傑黒頭巾」、「ぼくの大好きな青髭」)を続けて読んでみた。自らの青春時代を少しほろ苦く思い出すとともに、あの頃は自分にも少しは純粋な部分もあったのだあと照れくさくなった。

 4部作とも昨年新潮文庫で新たに刊行されているので、興味をもたれた方はぜひお読みください。お薦めです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

謹賀新年

2013-01-01 | column
 去年の春先には、いくらなんでも今年中には1000回投稿を達成するだろうと書いたのに、気が付けば6月からまったく投稿せず新年を迎えることになってしまいました。
 こんな状態のブログに誰がアクセスしてくれているのか、とは思いますが、縁あってご訪問頂いたみなさまのご多幸をお祈り致します。どうか素晴らしい一年をお迎えされますように。そして、あと2回で1000回を迎える気まぐれなこのブログをこれからもよろしくお願いいたします。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

英語知らずの英語ばなし

2012-06-19 | column
 このブログでしつこいくらいに書いているように私は英語ができない。海外出張に10回以上行ってみたり、国際関係のポストに就かされてみたりしたから、一部からは「本当はできるらしい」などと、まったくもって有難迷惑でしかない評価をいただいたりするが、できないものはできないのである。そんなまあ、力んで言うほど自慢すべきことでもないのではあるが…(-_-;)
 一方で、雑学好きな私としてはネタとしての英語が大好きなのもまた事実ではある。だから冒頭写真のような本を見かけるとついつい買ってしまって、その蘊蓄をせっせと溜め込んだりしている。

 英語に関することで一番話題になるのはなんと言っても和製英語であろう。これにはいくつかタイプがあるようで、サラリーマン:salary(給料)+manやガソリンスタンド:
gasolin(ガソリン)+stand(売店)のようにそれぞれの単語は正しいのだが、日本人が勝手にくっつけて使ってしまっているケース。それぞれ正しくはoffice worker、gas station。
 日本人が得意の省略もよくある。インフラ(infrastructure)、エアコン(air conditioner)、アパート(apartment)などなど、枚挙に暇がない。ちなみにapartmentはアパートの部屋と指す単語で、建物全体ならapartment buildingである。
 他に英語の意味を取り違えて使っているものもある。よく知られているのはトランプ(trump)。これは切り札という意味で正しくはcards又はplayng cards。ケースバイケース(case by case)は正しくは「一件ごとに(慎重に)」という意味であって、状況に応じてと言うのならas the case may beとかaccording to the situationと言わなければならない。もっともキャプテン・クックがオーストラリアで「あの動物の名前はなんだ」と聞いたところ先住民が現地語で「カンガルー(私は知らない)」と答えたのを誤解してカンガルーと呼ぶようになったという話があるんだから、こういう勘違いは日本人の専売特許じゃないよなあと思ってみたりもするが、実はこれ自体が俗説。元は「跳ぶもの」という意味でカンガルーを指す現地語gangurru(ガングル)が語源。キャプテン・クックもとんだ濡れ衣を着せられたものである。
 和製英語ではないけれど、基本的にカタカナを使えば英語だと思い込んでいて通じない言葉も多い。パン(pan)はポルトガル語だから英語では手鍋になってしまう。タレントのケント・デリカットが初めて来日した時に、ホームステイ先で「食事はライスとパンどっちがいいか」と聞かれて、びっくりしながらライスと答えたら、「やっぱりご飯の方がおいしいわよねえ」と言われたという話を聞いたことがあるけれど、これなんかは典型的な勘違いでしょうね。もちろん正解はbread。他にアルバイト(arbeit)はドイツ語だから英語ではpart-time job。ちなみに、arbeitは「働く」とか「労働」って意味だからアルバイトではドイツ人にも通じないことになる。

 あれこれ書いてみましたが、折角写真で紹介したのだから「日本人のちょっとヘンな英語」から一つだけ。"I like street walking."は「私は街歩きが好きです。」ではなく、「私は売春が好きです。」ということだそうです(^^ゞ。
 英語ができないなら余計なこと考えずに通訳雇うか、日本語で押し通せってことですかねえ。まあ、間違いを恐れてたら永久に英語を話せるようになんかならないんでしょうけどね。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

居酒屋のトイレ

2012-05-21 | column
 どういうわけだか居酒屋のトイレにはいろいろなものが貼ってある。もちろん、ビール会社の宣伝ポスターやカレンダーなど、普通の家でも貼ってあるようなものも多いし、高級レストランじゃないんだから、折角のスペースを利用して何か貼ってあることに文句をいう気もない。一方で、なぜか他のところでは見ないのに、居酒屋にだけあるNGOピースボートの「世界一周の船旅」のポスターなんかには違和感を感じたりもする。申し込みハガキがついている例のポスターであるが、余りの浸透ぶりにどことなく胡散臭い感じがしてネットで調べてみると、案の定いろいろと評価が分かれているようである。ネット上の評判をそのまま信じるほどバカではないし、実際問題として船酔いが激しい私が船旅になんぞ出かける心配はかけらもないので、どうでもいいのではあるが…^^;
 そんなものとは違って、若い頃はちょっと粋に感じたりしたのが「貸して不仲になるよりも いつもにこにこ現金払い」とか「朝顔の外へこぼすな棹の水」のような川柳を書いた色紙などである。いずれも川柳に託しながら、店側から客に対してそれとなく要望を伝えているもので、「当店では貸し売りはいたしません。」なんて書いてあるよりは風情があるというものである。ちなみに、朝顔うんぬんの方には「急ぐとも 心静かに手を添えて 外へもらすな 松茸の露」なんてバージョンもある。よく意味が分からない人がいるかもしれないが、どちらも女性用トイレには貼ってないところがヒントである。
 閑話休題。
 そんなこんなに混じって、よく見かけるのが人生訓みたいなものを書き記した貼紙である。いくつか種類はあるのだが、よく見かけるのは冒頭の写真のようなもの。ちょっと小さくて見づらいかと思うけれど、こんなことが書いてある。

 人の生き方

 家内仲よく 揃うて信仰
 先祖をまつれ 親おがめ
 天地に感謝 社会に奉仕
 人をうやまい わが身慎め
 よく働いて 施しをせよ
 不平不満(いやいや)くらすな 愚痴云うな
 人をうらむな うらやむな
 口をひかえて はら立てず
 貪慾起せば 大怪我のもと
 親切正直 成功のもと 
 
 気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば 命長かれ


 最後のフレーズはフォントに特徴があり、「気」は縦長に「心」は丸っこく「腹」は横倒しに「口」は小さく、そして「命」は最後を長く書いてある。よく考えたと言えばよく考えた書き方ではある。これに似たものとしては、

 つもりちがい十ヶ条

 一 高いつもりで低いのは 教養
 二 低いつもりで高いのが 気位
 三 深いつもりで浅いのが 知識
 四 浅いつもりで深いのが 欲の皮
 五 厚いつもりで薄いのは 人情
 六 薄いつもりで厚いのが 面の皮
 七 強いつもりで弱いのは 根性
 八 弱いつもりで強いのは 我
 九 多いつもりで少ないのは 分別
 十 少ないつもりで多いのが 無駄


 なんてのもよく見かける。それぞれ居酒屋のトイレ以外では寿司屋用のでかい湯呑みでしか見たような記憶がない。まあ、言われていることは左様ごもっともとしか言いようがないのだが、どうもこういうものを見ると余り気持ちがよろしくない。何がってわけではないのだが、生来の天邪鬼というか反骨精神というか、そういう感情がムクムクと頭をもたげてくるのである。そんなことは言われなくても分かっているよとか、そんな聖人君子みたいな人いるのかねとか、あれやこれやと反論が口をついて出そうになるのである。そういえば、その昔、某財団の大物理事長だかが出てきて「お父さん、お母さんを大切にしよう。」なんていうテレビ広告が話題になったが、あの時もむやみと反発していたから、こういう性格は子供の頃から変わらないものらしい。それにしても、なぜに居酒屋はこういう人生訓を客に教えたがるのであろうか?まったくもって謎である。もしかして店主が京都見物かなんかした折にうっかり買ってしまったお土産の置き場所に困って飾ったりしているんでしょうかねえ…。

 長々書いたついでにもう一つ書き足すと、

 トイレの中まで大変失礼いたします。
 でも、ここが一番お客様とゆっくりお話のできる場所だと思い、つい筆を取らせていただきました。
 本日は数ある飲食店の中から、当店をお選び頂きまして本当にありがとうございました。ご満足いただけましたでしょうか。価格は、サービスは、従業員の態度はいかがでしたでしょうか。
 ちょっと考えても心配なことばかりです。
 少しでもお気に召さない点がございました、どうぞご遠慮なくお申し付けください。責任を善処させていただきます。
 それでは最後に本日のご来店誠にありがとうございました。
 心よりお礼申し上げます
                             スタッフ一同


なんてのも、よく見かける。最初に見たときこそ「なるほど」とは思ったけれど、あちこちで見かけるようになると、完全に逆効果である。大体あっちっこちのスタッフが偶然「つい筆を」取ったりするなんてことがあるわけない。この店はこうやってどこかからの借り物の文章を貼っておくのが接客だと思っていて、客のことなんか本気で考えていないのだなというのがよく分かってしまう。

 とまあ、ぐだぐだと書いてきたけれど、たかがトイレされどトイレである。清潔でちょっとしたセンスのある装飾を施してあるトイレのある店にハズレがないのもまた真実。居酒屋のトイレってのはいろいろと考えさせられる場所なのである。
コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

テルマエ・ロマエ

2012-05-17 | review
 久しぶりに飲み会もなく時間があったので、思いついて映画「テルマエ・ロマエ」を観に行った。公式サイトによれば、ストーリーはこんな感じである。

風呂を愛する二つの民族が出会ったとき、
世界の歴史が大きく動き出す!


古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛)は、生真面目すぎる性格が時代の変化に合わず、職場を解雇される。落ち込む彼は友人に誘われた訪れた公衆浴場で、突然現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまう。そこで出会ったのは漫画家志望の真実(上戸彩)ら「平たい顔族(=日本人)」。ルシウスは日本の風呂文化に驚愕、打ちのめされる。しかし、古代ローマと現代日本を行き来しながらにhンの風呂文化をローマで再現していく彼は、たちまち評判の浴場技師となっていく。その評判を聞きつけた時の皇帝ハドリアヌス(市村正親)は、自分の後継者にと考えているケイオニウス(北村一輝)のためにルシウスに大浴場を作るよう命じる。次第にルシウス、そして真実までもがローマ帝国の運命に深く関わっていくことに……。


 今年のゴールデンウィーク興業の首位を走っている作品でもあり、かなり話題になってもいるから、あらあらストーリーをご存じの方も多いのではないだろうか。ここではネタバレになりそうなことは書かないけれど、私自身は最近原作のコミックを借りて読んでから、初めてその存在を知った程度であった。ただまあ、スケールが大きいんだか小さいんだか分からないけれど、とりあえずはSFなので、映画化には向いているなというイメージは持っていた。ただ、お風呂をめぐるエピソードを単純につなぎ合わせただけでは映画にはならないから、いまだ連載中の原作にどのようなストーリーを加えていくのかが腕の見せ所って感じかな、などと想像しながら観たのだが、結論から言うとギリギリ及第点といったところ。歴史の改変とか時代を越えた恋愛とか、よくあるタイムトラベル物の定番を上戸彩の可愛さに背負わせてなんとか逃げ切ったという感じである。でもまあ、原作を読んだことのない人には、エピソード自体の楽しさで十分見ごたえがあるだろうから、こうした評価はちょっと厳しすぎるかもしれないかな。ともあれ、主要な古代ローマ人役に阿部寛を始めとした顔の濃ゆい日本人を起用したチャレンジや細かなセットの作り込みなど、エンターテイメントとしての基本を押さえた作品に仕上がっており、ちょっと肩の凝らない映画でも見てリフレッシュしたいなあというサラリーマン諸氏にはお勧めである。残業しなくてもいい日の仕事帰りにでもぜひご覧ください。
コメント (7)   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

割り箸のマナー

2012-04-05 | column
 4/3付の読売新聞夕刊に掲載されていた楊逸(ヤン・イー)さんという女性のコラム「割り箸のマナー」を見てひどく驚いた。テレビを見ていたら作法を教えるおばさんが出てきて、使用した後の箸は箸袋に戻して折るというのが正しい作法だと言われたというエピソードから始まる話である。記事自体はそこから始まって中国出身の筆者の複雑な思いを綴ったものなので、詳細は新聞をご覧頂きたいのだが、ともかくも私自身はそんな作法があることをまったく知らなかっただけでなく、むしろ箸を折ることはいけないことだと教わっていたなのでびっくりしたのである。私の父は土木技術者だったから「箸を折る」のは「橋が折れる」に通じるので、土木に携わる者は決してそんなことをしてはいけないという話を、子供の頃から聞かされていたし、父親のそんな職人気質をかっこいいと思っていた。それに周囲を見ても食後に割り箸を折っている人なんか見たことはなかったから、いつしか割り箸というのは折ってはいけないのが常識なのだと信じていた。そんな50数年間に渡って信じていた常識がひっくり返る、まさに青天の霹靂、驚天動地の記事だったのである。

 そこで慌ててネットで調べてみると、使用済みの割り箸を他の人が勘違いして使ってしまうのを防ぐために折るという実用上の理由がマナー化したという説(楊逸さんの記事に出てきたのはこれ)、家以外で使用したものには自分の魂が乗り移ってしまうので、それを自分に戻すためとか、他の人が使うと災い起こるのでそれを避けるために折るという、お箸を神聖視したのが理由という説などがヒットしてくる。どうやら使用後の割り箸は折るのが作法と認識している人がある程度いることは確かなようである。とは言え、そんな作法は聞いたことも見たこともないという私みたいな人も多いから、それが作法だと有無を言わせないほど多数の支持を得ているわけでもない。
 もちろん、作法とかマナーとか言うのは、多数決で決まるようなものではないけれど、その正統性の根拠となるような資料にも乏しそうである。そもそも割り箸そのものが江戸時代後期に誕生したものらしく、その作法も小笠原流礼法や茶の湯の作法などに比べればかなり新しいものということになるから、作法として正統を主張できるほどの歴史を重ねてきてはいない。また、割り箸は極めて庶民的な道具であるから、皇族や旧貴族階級によって作法が確立されたということも考えにくい。
 それどころか、割り箸を折って皿の上に乗せて帰るのは、この店は美味しくないとか対応が悪いので二度と来ないという意思表示だという慣行もあるようだ(折箸退店とかいうらしいです。)
 となると、どうやらこの作法、どうしても守らなければマナー違反として怒られるほどの正統性や普遍性はないと言ってもよさそうな気がしてくる。私としてはやっぱり橋が折れるのは嫌だし、そもそも折れた割り箸がテーブルの上に残っているのは、どう見ても美しくはない。それが作法だという人や地域の慣習があることは尊重しつつも、私はそのまま普通に残して席を離れるようにしたいと思う。

 礼儀正しい人になるってのは難しいもんですなあ。。。((+_+))
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

浦和のハート

2012-04-02 | column
 2012年3月30日、浦和レッズは「3月20日のヤマザキナビスコカップ・ベガルタ仙台戦で負傷し、左膝前十字靭帯損傷と診断された山田直輝が、本日手術をいたしました。全治は約6ヵ月の見込みです。」と発表した。
 
 発表の通りなら復帰は10月以後、公式戦への出場はリーグ戦終了後の天皇杯に間に合うかどうかというところであろう。厳しい予選を勝ち抜いて手に入れたロンドンオリンピックへの出場も不可能になった。21歳の青年に与えらえる試練としては大き過ぎるものであることは間違いない。
 レッズユース出身の生え抜きとして2008年にはユース在籍のままトップチームに登録、すぐに京都サンガ戦に途中出場し、リーグデビュー。西京極陸上競技場のピッチに立った17歳の少年のあどけない顔と彼を気遣い声をかける先輩プレーヤー達の優しさは私にとっても忘れられない光景の一つである。そのまま2009年には正式にトップチームに上がると、すぐに日本代表に選出。レッズでも中盤の要として躍動する姿はまさに順風満帆であった。それが2009年1月に行われたアジアカップ最終予選で右足腓骨を骨折。復帰直後の8月に同じ右足腓骨を骨折。負傷による長い低迷の後、満を持して臨んだ2012シーズン開幕直後の大怪我である。多くのレッズサポが小野伸二がシドニーオリンピック予選の対フィリピン戦で左膝靭帯断裂の重傷を負ったことを思い出したに違いない。怪我はサッカー選手にはつきものとは言え、レッズにも日本代表にも痛い怪我であった。
 そんな直輝が負傷した仙台戦の直後に行われたコンサドーレ札幌との試合。なんとか逆転で勝利した直後、2得点のヒーロー柏木陽介選手は山田直輝の背番号34のユニフォームを着て、また梅司選手は「直輝 一人じゃないぞ!みんな待ってるからな」と書いたアンダーシャツを見せながらサポーターへの挨拶へと向かった。他にも槙野智章選手や阿部勇樹選手がそれぞれに直輝への思いを表現していたようである。とりわけ、かつて右膝前十字靭帯損傷、右膝半月板損傷など、次々と故障を繰り返し、彼はプロのフットボーラーではなくプロのリハビラーだよと揶揄されたこともあった梅崎選手の思いは強かったようである。自分が長い間苦しんだだけに、人一倍直輝の気持ちが分かるのであろう。自身のブログでも3月21日の記事で
 >乗り越えてもっと成長してほしい。
 >乗り越えれるやつだと俺は確信してる。
とメッセージを発している。

 プロの選手がそんな甘ったれた仲良しごっこをしていてどうするんだというような意見も多いだろう。しかし、サポーターはすぐに反応した。それが梅選手たちの行為に触発されたものかどうかは分からないが、アウェイの札幌ドームに乗り込んだサポーター達はそこにいない選手のチャントを大きな声で歌いだした。
 アレ 直輝 ラーララーラー
 アレ 直輝 ラーララーラー
 俺た〜ちの 直輝〜 浦和のハート〜♪
それは俺たちはお前の復帰を信じて待っているという決意のチャントであった。

 これだからレッズサポはやめられないのである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東京マラソン完走後記

2012-03-14 | column
 だらだらと東京マラソンの話を書いているうちにJリーグも開幕し、我らが浦和レッズは今年もまた開幕戦を落としてしまいました。ということで、さすがに東京マラソンネタはこれが最終話です。

 初マラソンを完走した後、沢山の同僚や友人からお祝いの言葉をいただいた。それはもうこちらが照れくさくなるほど、いろいろな人から声をかけられたのだが、その中で一番多く話に出たのは「どの辺りが苦しかった?」とかいう質問であった。それも「やっぱり30kmくらい?」という言葉が添えられることが多かったのだが、正直言ってこれには驚いた。確かに初心者のランナーにとっては30kmを越えてからが厳しいというのはよく知られているが、それはあくまでランナーの間では知られているということであって、ほんの少し前にはこんな知識を持っている人は一般にはほとんどいなかったと思う。東京マラソンがランニングブームを引き起こしたと言われているが、こんなところにまでその影響が出ているのかと感心してしまったのである。今や奈良、神戸、大阪、熊本、京都と日本各地で大規模な市民マラソンが誕生しているが、東京マラソンの波及効果は実に絶大だなあと実感した場面である。
 ついでに言うと、「楽しかった?」とか「速いねえ」とも言われたけれど、こっちはもう「全然だめ」というのが本音でした。確かに、50歳も過ぎてから走り始めて初マラソンで4時間14分というのは、客観的にみれば褒められてもいい成績なのかもしれない。しかし、練習でのタイムを考えればサブ4、あわよくば3時間30分を切れるかもなどと思っていたのだから、生意気だなんだと言われようと個人的には「まあまあだったな」という記録でしかないし、そもそも歩かずに最後まで走り続けることができなかったことが何よりも悔しい。確かに20kmくらいまでは楽しく走ることができたけれど、最後に残っているのは何とも言えない挫折感でしかない。そんな挫折感と周囲の評価とのギャップがこれまた言いようのない違和感をもたらしている。素直に喜ぶっていうことができない、我ながら困った性格である。

 でもまあ、素直に感動したものもある。それは応援の力。私を(というか、私のことも)応援しに来てくれた部下はもちろんのこと、数多くの沿道の人たちから力をもらったことが、初マラソンを完走に導いてくれたことは間違いない。これまでほとんどスポーツをしたことがない私にとっては、声援がプレイヤーの力になるというのは頭の中で理解しているある種の定理に過ぎなかった。それが今回のマラソンで現実のものとして体感することができたのである。
 小さな子供たちが背伸びをして歩道から差し伸べてくれる手にハイタッチをする。その瞬間に指先から体の中に向かってエネルギーが充填されていくような感覚が流れていく。「がんばれ〜」という高い声が背中を押してくれるような気がする。歩いている私に向かって「使いますかあ?」と筋肉消炎用のスプレーを振りながら笑顔で声をかけてくれた若い女性。本当に断るのが申し訳ないくらいの素敵な笑顔で、ありがとうと返しながら、頑張らなきゃと思い直してまたしばらく走ることができた。
 皮肉屋の私にしては、珍しく真面目にそんなことに感動しながら走っていた。

 ともあれ、そんなこんなで私のマラソンデビューは一応の成功をみた。そして次のレースに出るかどうかは、まだ未定である。なにしろ、あれからしばらく練習休んだら、太っちゃって。。。((+_+))
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

東京マラソン完走記(中間点〜フィニッシュ)

2012-03-06 | column
 前回の記事がこのブログの990件目の記事だったようです。いかに気まぐれなブログとはいえ、今年中にはなんとか1,000件を達成しそうだなあ…などという無駄な感慨は置いといて、東京マラソン完走記の後編です。

 東京マラソンのコースは複雑な十文字に似た形状になっているが、JRのガードをくぐり数寄屋橋の交差点に差し掛かる辺りがちょうど中間点になる。高橋尚子選手のコーチなどとして有名な小出監督が「ランナーに銀座通りを走らせたい」と都知事に頼んだのが、その始まりと言われている東京マラソンだから、ここから浅草雷門で折り返して戻ってくる10〜15kmくらいが一番のハイライトということになる。確かにいつもは多くの車や買い物客でごった返している通りを走っていくのは気持ちがいいものではあるが、私のような初心者ランナーにとってはそろそろ辛くなってくる区間でもある。それでも沢山の応援に励まされているせいか、初レースの興奮のせいか、疲れを感じ始めながらもなんとか走って行く。和光、三越、松屋、伊東屋などなど、おなじみのお店を確認しながら銀座通りを抜け、日本橋の交差点を右折し、浅草に向かうコースへと入る。そして、その時はやってきた。
 25km地点を越えたところにある給水ポイントでついに立ち止まる。レース終盤のエネルギーをチャージするためにも、20〜30kmくらいで何か補給した方がいいという話を言い訳にして、コースの端に寄ってウエストポーチに入れていた栄養ゼリーと給水所のアミノバリューを飲む。それで一息ついてまた走り始めるのだが、一度止まってしまった気持ちはなかなか立ち直らない。これまで歩かずに走った最長距離が25kmだったので、やっぱり練習でできないものは本番でもできないものなんだなあとしみじみと実感する。ここまで来るともう自宅が近いんだけどなあなどと、ちょっと弱気になりつつもなんとかだましだまし走る。浅草雷門前の折り返しは大勢の観客がいるし、華やかな踊りなども行われているので、何事もなかったようにちょっとだけスピードを上げながら走り抜けたのだが、その歓声が後ろの方から聞こえなくなった29km地点で再度立ち止まる。なるべく歓声の多いところは歩きたくないという見栄である。中央分離帯でストレッチをし、再度走り出す。そんなことを数回繰り返して、フィニッシュまでなんとか怪我せずいけそうな感触を確かめ、ちょうど500m歩いては500m走るというのを基本にひたすら前へと進んでいく。後から思えば、この30kmから35kmくらいの区間が一番辛かった気がする。なにしろ「頑張れ〜!」、「諦めずに走れ〜!」という声援に「じゃあ、お前ら走ってみろよ。」なんて逆ギレ気味の思いが頭をかすめたくらいである。
 東京マラソン最大の難所、応援が途切れ厳しい勾配の佃大橋をなんとか抜けきって、豊洲に差し掛かるところでまた見栄を張らなければいけない事態がやってきた。そう、部下の女の子たち3人が応援に来ているはずなのである。しかし、豊洲と一口にいってもその範囲はかなり広い、仕方なく元気そうな顔をして女の子たちを探しながら走る。それがもう1km近くになり、もういい加減見栄張るのも限界だあと思い始めたところでようやく発見!ハイタッチをし、記念写真を撮ってもらいながら、ひそかに休憩。そこからまた彼女たちから見えなくなる東雲一丁目のコーナーまで無理して走る。ここまで来ると残りは後3kmほど、少し元気が出てくるのだが、そうなると人間欲が出てくるものである。なんとかグロスで4時間30分を切りたいと思い、時計と脚を天秤にかけながら走る。かつてとは大きく様変わりしてマンションやオフィスビルが立ち並ぶ有明北地区の景色を眺めるなんて余裕は、もうかけらもない。それでも最後の最後に東京ビッグサイトのフィニッシュ地点に友達を発見。手を振りながら声をかけたら、みんなが自分のことのように喜んでくれる。こちらも何となく笑顔になる。午後1時41分01秒。52歳のおじさんの無謀な挑戦はとうとうフィニッシュの時を迎えたのだった。

 そんな初マラソンの感想はまた次回に。。。って、マラソン大会一つでどんだけ引っ張るんだあ^^;
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加