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谷やんの ”まなブログ”

最近思う事・自動車全般・ムフフ話・など自分の今思う旬なネタを題材に社会派で迫ります。

臆病

2009-04-05 | 最近思う事

その分野でのスペシャリストと言うのがいる。

アルピニストでいえば伝説のロッククライマー
レーサーでいえば、”日本一速い男”等・・・

常人にはできない業を持ち、人を感動の渦に巻き込むパフォーマンスのできる人の事だ。

最近、”日本一速い男”こと”星野一義”のコラムを読んだ。

1位に成る事に拘り続けた信念は、レース前後では気迫や狂気のオーラを醸し出していたようだ。

そして1位に成れなかった時・・・
それは、机を引っくり返すなどは茶飯事で、荒れ狂う巨大低気圧のようだったという。

日本一になるには、妥協を許してはいけない世界なのだ。

しかし・・・

彼に言わせると、その意識の根源にあるものは、人一倍似感じる”臆病さ”なのだという。

命なんて一つしかないんだから、賭けるなんてことは出来ない・・・・
だから人一倍の練習を重ね、ミスを起こさないよう徹底的に練習する。

日本一速い男は、”サーキットを日本一距離を走った男”なのかも知れない。


もう一人、日本のロッククライミングの創明期に北穂高滝谷にて幾つものルートを開拓した兄弟を知っている。

学生の頃、その方の山小屋でお世話になっていたのだが、岩登りの世界では巨匠といわれたその人と話していると、やはり臆病な一面を感じる。

レースやロッククライミングなど死と隣り合わせにある”道楽”を極める人たち・・・

彼らは非常に臆病者だと思う・・・

危険な事を非常に良く理解している。

だからこそ、技術を磨き鍛錬する。

人一倍の練習を重ねる。

そして、その世界で君臨することができるのだと思う。

これらの世界で”命知らず”と呼ばれている人は、命の大切さを人一倍理解している人種なんだろうと思う。

本当に命知らずの人間は、有名になる前に他界しているはずだから・・・
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SP

2009-03-07 | 最近思う事

それは8月のお盆の頃だった。

谷やん家は群馬県高崎市在住であったが、その昔である今から数えて四代前は四国の愛媛県の出身だった。

通常のお墓参りは高崎市にある墓地を訪れるのだが、数年に一回は愛媛県まで墓参をすることになるのだ。

その歳は、私と兄と母親の三人で四国へ出かけたのだった。

社会人になってからと言うもの谷やん家の直系だけで墓参する事は珍しい・・・
そこで、久しぶりの墓参の最終日にはちょっといい旅館に宿泊する事になった。
その旅館は、よく言う”厳選の宿”的な位置づけの高級旅館でありその温泉地でも指折りの老舗旅館である。

墓参の最終日に少し疲れを背負いながらも、辿り着いた旅館は満足できる内容のものだった。
担当の女中さんはその旅館でもベテランのようで旅立つ時までの世話役をしてくれる人であった。
通されたのは、その旅館でも一番格式の高い部屋で、最上階にあるその部屋から下にある日本庭園を見るとその規模の大きさには驚くばかりであった。

話によると皇室もご用達のようで、その時は準備が大変であるとその女中さんは語っていた。
部屋食の夕食も満足できる内容だし、女中さんの気さくな会話には我々を真の意味でリラックスに導いてくれるのだった。

さて、夕食も終わり庭園の散歩も終えて就寝を迎える時間になった。

しっかり糊のかかったシーツの上に横たわり羽根布団を上掛けすると、意識の無くなるまでにはさほど時間は懸からなかったようだ。

なんて極楽なんだ・・・・

それが夢に陥る前の最後の言葉であった。

それからしばらく経って真夜中の2時を過ぎた頃だったと思う。
私は何かの気配で目が覚めた。

電気の消された部屋ではあるのに若干の視界を感じることが出来た。


ん・・・


頭の上に人が立っている・・・
それも一人ではない・・・
数人の黒いスーツを着た人たち・・・
手には白い手袋を着け両手を少し広げ気味でそれぞれ同じ格好で立ちはだかり我々を見下ろしている・・・

その時私は・・・・

特に怖いという印象ではなかった。
もしかしたら、私も夢の中にいるのかもしれない・・・
そう思いながらも現状の様子を見ていると、我々の枕元に立ちはだかる彼らは我々を守っているのだと感じた。
それは正に護衛官であり、英語でいう”SP”なのだと・・・
彼らは無言で我々を守り安全を導いてくれる”霊”なのだと・・・・

そう思いながら、私は何時しか眠りについていた。


次の朝、何事もなく目が覚めた。

そこにはいつもと変わらない母と兄の姿があった。

朝食の後に私はこっそり兄に昨夜の出来事を話してみた。
すると、兄もまったく同じ現象に遭遇していたのだと言う・・・・

きっと老舗旅館の守護霊たちは、旅館のプライドにかけて、我々を本当の意味において守ってくださり、安全にそして癒しを与えてくださったのだと感じたのだった。

その後色んな旅館に宿泊したが、そのような事に遭遇した事はあれ以来一度も無い。
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バレンタインデー

2009-02-14 | 最近思う事

2月14日・・・

彼女がいてもいなくても・・・

何となく男がそれを意識してしまう日・・・

たとえ義理であっても、その中のほのかな可能性を信じてしまいそうになる日。

それを”バレンタインデー”という。

あるお菓子業界の作戦に乗せられてしまった我々は、思っていても切り出せない自分の思いを表現するには画期的なイベントになった。


そもそも、そんな習慣が始まったのは私が小学生の頃だったように思う。

女の子達はその日鞄とは別の化粧された紙袋を持って学校にやってくる。

活発な子は、授業の始まる前に勝負に出る。

しかし、メインエベントの殆んどは放課後だった。

その日、全く縁の無い男子生徒も何だか家に帰らないで教室をうろついている。

女子は何人かのグループに分かれヒソヒソ話を繰り返している。

そして、意を決した女子生徒は、何人かの女子を後ろ盾に、本命の彼の所にやってくる。

該当の彼は、顔を真っ赤に染めながら照れくさそうにそれを受け取っている。

周りにいる他の男子生徒からは、「お前、やったじゃん!!」とか囃し立てられながらも、本人はボーっとしていたりする。

そんな光景をよく目にしたものだ。


そして日が暮れる頃になると・・・

「今年もゼロか・・・・」

と落胆の色を隠せないまま家路に就くのだった。


祖母からは、「お前チョコは貰ったのかい?!」

と聞かれ、答えたくない私は、憮然としていたのだった。

すると、祖母が・・・

「はい、チョコ」

と、綺麗に包装もされていない普通のチョコを私に手渡した。

「別に~」

と、強がってみるものの、一様は貰っておく事にする。


暫らくして、「ただいま~」と、やや弾んだ声の兄貴が帰ってきた。

手には可愛らしい包装の「チョコ」を持っている・・・・

戦果は歴然たるものがあった。

兄貴は同情した目で、「お前も食うか?!」と貰ったチョコを私の前に差し出した・・・

子供の私は、何故か悲しく、目に涙を湛えながら、兄のチョコを頬張っていた・・・


子供の頃のバレンタインデーは良い思い出が無いのである・・・
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目薬

2009-02-07 | 最近思う事

私が青年の入り口に入ろうとしていた頃・・・

女性の存在を意識するようになっていた。

その頃、同級の女性達は休日になると化粧をする人も現れ、見違えるほど大人びた彼女達は幼さとは卒業したようであった。

とりわけ興味があったのは、彼女達が持つようになった”化粧ポーチ”である。

その中には、自分を変身させる七つ道具が隠されており・・・

ビューラー・マスカラ・アイシャドゥ・ファンデーション・リップスティック・・・

自分は生涯使わないであろうそんな道具を垣間見るたびに、ドキドキしたものだ。

中でも特に興味のあるものがあった。

それが”目薬”である。

勿論、中には目の調子が悪く本当の意味の使い方で使用される目薬もあったのだろう・・・・

しかし、彼女達の使うタイミングは違っていたのだ。

好きな男性に近づく時、その時の目の表情を麗しくさせる為の道具なのだ。

実際、目薬を差したあとの瞳は潤んでいて、非常に魅力的であった。

大きな、そして潤んだ瞳で見つめられると、決して彼女達は勝負するつもりでもなんでもない同級の男子にも勘違いをさせてしまう魔力があった。

あの頃の女子は、恋愛にはピュアで一途、惚れた異性になんの打算も無い無垢な心で飛び込んでいたように見えた。

きっと彼女達は同級の男子には興味なかたんだろうなぁ・・・

そう思うと、先輩方に奪われていった麗しい彼女達に嫉妬しながらも、いつかはそんな年下の彼女を持ってみたいものだと思っていた。

最近、私は目薬を使う事が多くなった。

それは、女性達を虜にするための道具の様でもあるが・・・・

”霞み目対策”なのだ。

因みに処方箋も必要である。
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上毛かるた

2009-01-18 | 最近思う事

私は、この”かるた”が全国にあるものだと思っていた。

♪ つる舞うかたちの群馬県~
♪ 縁起だるまの少林山~

次の瞬間に小学生達の鋭い眼光は、目的の一枚に向けて瞬間的に向けられ、素早く伸びた手はその一枚を弾き飛ばした・・・

このかるたは、町内毎に練習させられ、正月明けには地区戦が行われる。
勝ち抜くと小学校代表で今度は他の小学校と戦うのである。

年末になると夕飯を食べ終えた小学生達は町の公民館に集まった。
近所のお年寄りや世話人たちが、かるたの”読み”を行う。
並べたかるたの前後に4~6人ほどが正座し、戦いが始まるのだ。

勝てる子、と言うのが居る。

やはり、勉強や運動にも長けていて、リーダー的存在の子は何をやらせても上手なのだ。

私は何度やっても彼には勝てなかった。
悔しいのだが、差は歴然たるものがあった。

そんな勇ましい一時が終わると、一休みなのだ。

時には近所の叔母さんの作った”ぜんざい”が振舞われたり・・・
甘酒なんて日もあった。

小学生の私は、勝敗どうのこうのより、こちらの方が楽しかったのだ。


さて、この”上毛かるた”・・・

実は群馬県民の深い思いが込められていた。

敗戦後の群馬県・・・

GHQの統制下、日本を象徴する文化の啓蒙活動にも規制があったのだ。

当時の子を持つ親達は、今までの先人達の偉業や群馬県の象徴を後世に伝えるには何か無いものかと媒体を捜し求め、子供の遊びである”かるた”にその思いを込めて作ったのが始まりだった。

このかるた遊びは群馬県の小学生なら誰でもが知ることとなり、何時しかこれは普遍的な物へと代わっていった。

今年の正月、母親と兄と私で、このかるたを出して遊んでみた。
結果、70歳を過ぎた母親に負けてしまったこの私・・・

先人達の役割はきっちり果たされているのだと感じた次第だった。
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