人間の傍で飼われている愛玩動物のペットたち・・・
人間の傍に住み着いてからどれくらいの年月が経つのだろう。
元々は、自然界に居る”ハイエナ”のように人間の生活圏から出るゴミを食料にしていたのだという。
自然界で狩をするより、おこぼれ頂戴する方が効率がよく、割と頭の良い動物たちだったに違いない・・・
最近ではペットブームに拍車をかけるようにペットを擬人化し、あたかも人間の感情があるかのごとく接する人たちを目にする。
例えば犬だが、2歳児ぐらいの知能はあるという。
以前、親戚のヨチヨチ歩きの2歳児とウチの柴犬が遊ぶ機会があったのだが・・・
これが面白かった。
掴まり立ちしながら、赤ん坊がテニスボールを投げる・・・
すると柴犬は、ヤレヤレという仕草でボールを取りにいく・・・
我々と接する時のボール遊びとは、テンションが全然違うのだ。
咥えたボールを赤ん坊の手の上でゆっくり口から離す・・・
それを掴んだ赤ん坊はまた投げる・・・
その雰囲気は、柴犬が赤ん坊のお守をしているようなのだ。
知能年齢の近い動物同士だと意思疎通できているのかもしれない・・・
しかし、犬や猫には人間のような深い感情は無い。
でも、人間は傍にいるペットをあたかも人間のように接している。
まぁ、それもいいかも知れないのだが・・・
以前、猫を溺愛している人と逢ったときの話だ。
機嫌が良いと、猫様に大好物のマグロの刺身をあげる・・・
私の方が食べたい・・・なんてことは言えないのだが・・・
見ていると、その刺身に醤油とわさびをつけて猫様に差し上げている・・・
・・・それは違うだろう・・・・
と思った。
またある時、その猫様が、春の訪れと共にやってくる恋の季節で、戦いに敗れてご帰還された。
首には深い傷があり、飼い主は・・・
可哀相!!
手当てしなきゃ!!
といい、首の傷にヨードチンキを垂らしたのだ。
・・・それも違うだろっ・・・
と思ったのだが・・・・
猫は、烈火のごとく叫んだ。
たまたま手当てしていたその場所が和室の床の間の前であったため、思い切り身震いした猫の首からは、溢れたヨードチンキが飛び散り、うん十万もする床の間の掛け軸には、猫様から飛び散ったヨードチンキが霧吹き模様を描いたのだった。
飼い主は怯むこともなく、一段と掛け軸の風格が上がったなぁ・・・
と呟いていたそうな・・・
まぁ、ここまでくれば王道という事なんだろう。