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小原柳巷  秘密小説 悪魔の家 六

2011年11月06日 | 著作権切れ大正文学
  五九 梶浦の注意



 其様事は暫らく措き、自分と紅林医師と二階の書斎に通ると、古里村の死骸の傍で番をし乍ら洋机(デスク)に向って手紙を書いて居た梶浦大尉は、自分等の足音を聞くなりペンを捨て迎えて呉れた。
「おお梶浦君」
「太刀原君でしたか」ヒシと手を握り締た儘、両人の間には一語も無かった。而して云い合した様に傍(かたえ)の寝台(ねだい)に注いだ眼には涙が一杯溜って居た。やがて大尉は密(そっ)と手を放して。
「何卒(どうぞ)死んだ古里村の顔を見てやって下さい」と沈んだ声で云った。云われる迄も無く自分にとっては兄弟よりも親しくした古里村の死骸である。ツカツカと自分は寝台の傍に寄って、死骸の顔を掩(おお)うてある白布を取って其死顔を見た、紅林医師は甲斐甲斐しく検案の準備をして居るのであったが、其顔は明かに「誰が検(み)たとて脳溢血には変りがあるものか」と云った色がありありと読めた。
 けれども自分にしては外ならぬ親友の古里村の死骸である。念の上に念を入れて検案するのが、死んだ友人に対する義理だと信じたから、三十分以上も費やして充分検案したが矢張自分が診ても脳溢血に相違ないやがて検案を終えて手を洗って居ると紅林医師はポンと自分の肩を叩いて、
「何うです別に変った兆候がありましたか」と聞くのである。
「いいえ別に、矢張御診断の通りです」残念乍ら自分は恁う答える外は無かった。すると紅林は、さも得意そうに、
「ハハハハ何方が診ても脳溢血は然う間違える病気じゃありませんからね」と、皮肉な笑いを自分に浴せてサッサと階下に降りて行くのである。自分は平常ならば、斯様事を云われたが最後、拳固(げんこ)の一個も見舞ってやるのだが、場合が場合だからジッと胸を押えて我慢した。
「何うです、じゃ矢張貴方も」と、紅林の階段を降り尽した頃梶原大尉は自分の顔を仰いだ。
「はい、残念乍ら―前後の事情から推せば他殺でなければならんですが」と自分。
「では別に他殺の兆候は無いんですね」
「はい」梶浦大尉は飽迄他殺と信じて居るのか、自分の斯う云った返辞には少からず不満の様子が見えた。乃で自分は、更に改めて何か参考になる事もやと、大尉に其夜の容子を質ねたが、大尉の答は新聞に載せているのと大同小異で差のみ参考にもならなかった。それでも未だ何うやら心残りのある様な気がするので今度は大尉と一緒(ともども)室内を隈無く調査(しらべ)る事にしたが、丈高い古風な卓子(テーブル)洋書の充満(ぎっしり)つまった書架、扨ては二台の寝台まで前日同様(おなじ)である。殊に室内は梶浦の注意で一昨夜の儘手をつけずにあるとの事であるから、他から曲者が忍び込みでもしたとすれば多少其形跡が残って居なければならぬのに、白色コスモスが一杯盛れる花瓶から、洋机(デスク)の上の墨汁(インキ)壺の置場まで一昨夜どころか、其一週間前自分が泊まった時其儘である、随って古里村の死が他殺だと云う証拠は一つも無い。だが自分も大尉も未だそれで納得が出来ぬ。
 今度は最後に自分は、古里村の死を第一に発見したと云う下女を呼んだ、お菊と云う本年(ことし)二十六になる人の好さそうな女であったが、其語る処に由ると、一昨夜十二時頃此室まで戸締りに来ると、扉(ドア)には未だ鍵がかかって居ず、古里村は窓の傍の棚から書を取って居たから其儘「お寝みなさい」をして階下に行ったが、翌朝は内から鍵が掛って居たと、それだけである。愈以て自分等の想像は当りそうも無くなって来たが、併し大尉は古里村が短銃を持って居た点や、恐怖に打たれた様な絶叫を発した点から推して何処までも他殺説を主張する、自分も亦兆候が何うあろうと、夫れが普通の脳溢血とは思われぬので大尉の説に賛成し、茲(ここ)に如何(どう)でもしても屹度古里村の死因を確めようと云う約束が二人の間に成立した。

  六〇 蜂部の宿痾

 斯う自分と梶浦大尉との間に一種の攻守同盟が締結(むす)ばれたが其実行の第一歩として、其日の正午に古里村の葬式が済むと、其足で自分は御殿山に蜂部を訪ねた、古里村の死が尋常の死で無く下手人が他にありとすれば嫌疑者の第一人として蜂部を目指すより外は無いと思ったからである。而してこれには大尉も自分と同意見なのである。
 折宜く蜂部も瑠璃子も在宅であったが、可愛そうに瑠璃子は悲しみの為めに非常にやつれて居た、自分は蜂部共々種々(いろいろ)と慰めて見たが只泣く許りだ、其中に蜂部は何か用事が出来たと見えて座を外したので、kろえ幸いと自分から先ず古里村の死に就いて話し出した、kろえが一週間前ならば、瑠璃子の顔を見ただけで恍惚(ぼうっ)となる筈の自分が、思えば能くこれだけ感情を矯(た)める事が出来たものである、而して先ず其夜の様子から聞き初めた、すると瑠璃子は涙の間(ひま)から、
「容子と云って別に…父は十一時前に気分が悪くなったと云って帰ったのですから」と前置して、下の如く其夜の有様を譚(ものがた)るのであった。
 夫れに拠ると蜂部は晩餐後三時間許り書斎で話して居る中に急に頭痛がすると云い出したが、其時は古里村は未だ何ともなく自働車(くるま)を命じて玄関まで親娘を送り出したとの事である。而して蜂部は途中も余程具合が悪そうに見えたから、予て懇意にしてる紅林医師の許に拠ろうかと云ったが直ぐ全快(なおる)と云って聴きいれぬ、自家に帰ってからも瑠璃子が頻りに寝る様にと勧めたが、夫れも聞き入れずに三時頃迄喫煙室に起きて居たとの事である、乃で瑠璃子は頻りと心配して火酒(ブランデー)などを勧めて居たが、あんまり苦しそうなので再び医者を呼ぼうかと聞くと、此前の南米行の航海中に覚えた持病が再発したのだから医者を呼ばなくも直に全快(なおる)と云って何うしても瑠璃子の云う事も聞かぬ。瑠璃子は今迄父が頭痛がすると云った事を聞いた事が無いので変に思ったが、それでも一生懸命介抱して居ると、次第に快くなって来たと云うので、三時半頃寝台(とこ)に就いたが、其時は未だ顔が真青で足が慄えて居たとの事である、瑠璃子は不思議に思ったが別に冗(くど)くも質ねもせずに居ると、昨朝の九時頃はもう平常の蜂部に帰ってピンピンして起きて来た、そして一時間許り経つと梶浦大尉から古里村の死を報じて来たと、斯う云うのである。
 是れに依れば益(ますます)自分等の想像が何うやら当って来そうである、古里村の死因も脳溢血なら、蜂部が昨夜の病気も脳に関した病気である、其間に何等かの関係ある事は殆ど疑も容れぬ、自分は轟ろく旨を押し静め然(さ)あらぬ体で、
「古里村の死んだのも脳溢血なら、貴方の阿父(おとう)様の病気も頭痛、全く変ですね、では検死の時無論其の事を阿父さんが警察医に仰ゃったでしょうね」と消息子(さぐり)を入れた、すると意外瑠璃子は頭を振って、
「いいえ別に、父はずうっと以前、南亜米利加(アメリカ)に居た時に頭痛の癖を覚えて、それが再発したのだから古里村さんの病死とは何の関係が無いと云って、別に警察医の方には申上げなかった様で御座いますの」益以て怪しむ可し、自分の病気が例え以前からの持病であろうと、場合が場合である、其夜食卓を同(おなじ)ゅうした古里村が、同じ様な病気で倒れたとしたならば、蜂部としては進んでこれを警察医に申告す可き筈なのに、故意(わざ)と夫れを秘(かく)す様な態度を採ると云うのは、実に以て奇怪千万と云わねばならぬ、自分は此一時を以てするも、古里村を殺害した犯人として、蜂部は尤も有力な嫌疑者だと見て差支え無いと思った、だが夫れも真(ほん)の束の間また瑠璃子の顔を見れば…面やつれした為に一層美しさを増した我愛の女神の顔を見れば此天使(エンゼル)の様な娘を持った蜂部が…とも思って来る、自分の胸は千々に乱れて取り止めがつかぬ。



  六一 絶叫と短銃

 自分は此様事を考えては、亡き古里村に済まぬと思い乍らも、矢張瑠璃子の顔を見ると遂思いが乱れて来る、乃で自分は瑠璃子の傍に立った儘、屹度眼を瞑(つぶ)って而して古里村の死に就いて考えた。古里村の死が他殺だとして、而して其の下手人が自分等の想像の如く蜂部だとすれば蜂部が古里村を殺すに至った原因は何だろう、一体普通の理窟一篇から云えば、古里村は蜂部から云えば、娘の為めには只(たっ)た一人の恋人でないか、云い換えると自分の娘の婿とも将来なる可き筈の男だ、勿論それも蜂部が、最初から古里村を厭って居れば別問題であるが、自分の観察した処に依れば決して其様容子も蜂部には見えなかった。して見れば古里村が蜂部に殺された理由は他に無ければならぬ。
 自分は夫れから夫れと考えたが、其中にフト思い出したのは、古里村が死ぬ一週間前即ち自分が其別荘に泊まった晩に、二人の間に結ばれた約束である。其夜の約束は既に前(さき)に記して有る様に、二人の中何方が先きに蜂部が秘密を知り得るかを賭けた筈だ、夫れだ夫れだ其結果蜂部が古里村の為めに、或秘密を看破されたに違いは無い、夫れならば蜂部が古里村を殺す丈けの理由は立派にあると云うものだ。処でこの想像が当ってるとして、然らば古里村が孰(ど)れ程まで蜂部の秘密を知る事が出来たかが疑問となって来るが、古里村が生きてでも居れば格別、肝心の当人が死んで了った以上、全く他の想像し得可(うべ)き事でない、唯先刻梶浦大尉の話に拠れば、死ぬ前夜古里村は例(いつも)に似気(にげ)なく、瑠璃子には依然として満身の愛を注いでは居るが、併しそれが為に直に結婚を申込むと云う事は考え物だと云れたそうだ、しれ見れば古里村が蜂部の秘密を或程度まで探り得たに相違ない、今となって思い出せば、彼の糊谷老人が自分に遺した手紙に「彼れと親密にす可し併も其秘密を知らんとする事を避けよ、然らざる時は取かえしもつかぬ災害を受く可し」と云った意味の誡めを遺した理由(わけ)も判って来る、つまり古里村は其秘密を知らんとして取返しもつかぬ災害に逢うたのだ。
 と斯う考えて居る処へ蜂部が戻って来た、食堂の用意が出来たから一緒に行こうと云うのである。三人は連れ立って食卓に着いたが、瑠璃子は瑠璃子で、死んだ古里村の事を考えて居るのか一言も無ければ、蜂部は蜂部で是れも亦何事か思案して居るらしくろくに口も利かぬ。とは云え何時までも口を利かせずには自分が折角此家(ここ)に来た甲斐が無いから、自分は先ず古里村の死体を検案した様子から話出した。而して極力立会医師の不注意を鳴らした。すると蜂部は果して自分の計(はかりごと)にかかった。
「おや貴方は古里村さんの死が疑わしいと云うのですか」と自分の方を見返った。
「いいや然う云う訳では無いが、梶原大尉の聞いた古里村の叫びや、乃至(ないし)は短銃(ピストル)を打った事に就いて何の研究をもせぬ事を云うのです、それに真の死因は解剖して見ねば解らんのですし、殊に令嬢から伺えば貴方も昨夜矢張同様なご病気だったと云うじゃありませんか」と斯う云うと蜂部は慌だしく手を振って、
「いや夫れは違います、私のは南米に居たとき受けた持病で…では貴方は解剖して見ようと斯う…」
「いいえ、解剖し度くも死体は今頃は焼場に行ってる筈ですから…貴方はあれを常識から推して矢張普通の病死と御考えですか」
「さァそれは私は医者で無いから…」と、此の自分の問いには酷く窮して何事かモグモグ口中に云って居たが、此時迄我慢して二人の話を聞いて居た瑠璃子は、此処まで来ると最早聞くに耐え兼ねたものか、
「ウム」と云って其儘椅子に卒倒しかけた。
「おお瑠璃子ッ」
「令嬢しっかりしなさい」と二人は箸を投じて立ち上った、而して急ぎ瑠璃子の介抱をせねばならなかった。斯うなれば折角の話も滅茶苦茶である。

  六二 洋装の女

 夫れから自分と蜂部とで、瑠璃子を寝室に担ぎ込んだが、素より神経の激動から来た脳貧血であるから、暫らく介抱して居る中に回(かえ)った。だが夫れが為め自分は肝心の目的を達する事が出来なんだ事は云う迄も無い。乃(そこ)で自分は一先ず此家を辞する事となったが、すると蜂部は自分を自働車の傍まで送って来て、
「彼女(あれ)も可愛そうです、私も末始終は次第によっては古里村さんい嫁(あ)げ様と思って居たのに、イヤハヤ飛んだ事になったものです」と、述懐めいた事を云うのであった。自分は其涙ぐんだ工合から、悲し気な態度から、仔細に之れを観察したが、すると夫れが意外にも万更狂言から出たものの様では無い。否真に古里村の死を悲しみ、瑠璃子がそれを悲しむのを悲しむのである事は寸分疑いを容れる処は無いのであった。して見ると或は自分等が最初古里村の下手人として蜂部を疑ったのは理由が無い事になって来る。
「じゃ矢張古里村は単純の脳溢血で死んだのかしら」とも思って見たが、此処迄考えて来ると、さらばと云うて古里村の他殺を否定して了うだけの勇気も無い、兎も角く急がずに研究して居る中に其真相が判って来るに相違無いと思ったから、自分は呉れ呉れも瑠璃子の健康に注意を与えて蜂部に別れを告げた。而して自分は直に古里村荘まで引返そうと思ったが、考えて見れば自分には未だ為さねばならぬ仕事が残って居る。古里村荘に帰るよりは其足で玻璃島家に帰り、第一に蘭田を詰問せねばならぬ。蘭田が自分が正しく玻璃島家に居たに拘らず、不在と断って古里村が死んだと云う報せを秘して居た罪を責めねばならぬ。
 斯う俄に思い定めたので、自分は自働車が滝の川を過ぐる頃玻璃島家に向う可き旨を運転手に命じた、自働車は夕暗(ゆうやみ)の田圃路を縫うて矢の様に走る、やがて玻璃島家に着いたのは夜の八時であった。宮沼家扶が出迎えて呉れたので、蘭田はと聞くと姫の居間で渥美女史と共に、姫の相手をしているとの事であるから、自分は其儘二階の姫の書斎に上った。扉(ドア)の前に立って軽く叩(ノック)すると、中から顔を出したのは渥美女史である。
「まァ太刀原さん、御通夜じゃ無かったんですの」と、早くも古里村の死を知って居る。
「はい、御通夜は昨夜だけだったそうです、―時に蘭田君は居りましたようですね」
「は、居らっしゃいます、姫もお待ち兼ねですから何卒」自分は渥美女史の後に跟いて姫の室に入った、姫は扉を入って真ぐの書斎に蘭田等と卓子を囲んで居たが自分が入ると何うした事か非常に慌てた様な気配であった。而して自分の気の故(せい)かも知れぬが、自分が室内(そこ)に入る途端に何者か次の間即ち姫の寝室に隠れた者がある様に思われた、而してそれが何うも洋装の女である様に思われた。併し夫れが何人で有ろうと自分には慥むる必要は無い、自分は蘭田の不都合さえ詰問すれば宜い。と斯う思ったから自分は室内(なか)に入るなりツカツカと蘭田の前に進んだ。すると蘭田は例(いつも)の調子には似ず、莞爾(にこにこ)愛嬌笑いをして。
「おお太刀原君、早速だが僕は君に謝罪せねばならぬ事があるので、実は君のお帰りを待って居たんだ」と云うのである。而して昨朝掛った電話が自分の在否を第一に聞いた処から、居ると云って夫れが為めに横浜行を延期されると困ると思って、出掛けて了ったと断ったと云うのである。
「今朝新聞を見て真相が解って、実に済まん事をした、君が帰ったら充分謝ろうと思って居たんだ」と、平謝りに謝る、すると傍から姫も口を添えて。
「ね、許して遣ってね、太刀原さん、悪気でしたのでは無いんだから」自分は握り締めた拳固の遣場を失った。



  六三 不思議な用向

 日の経つのは早いもので、古里村が死んでから早一週間目の日が来た、此の日は古里村家から一七日の法要に招れたので、自分は阿里を連れて深川なる古里村家を訪れた、云って置くのを忘れたが、古里村の死んだ後は、阿里少年は再び玻璃島家に帰って来て、自分と共に礼の岡の上の図書室内に起居しているのである。
 此日の法要に連らなった者は、自分や阿里を初めとし、梶浦大尉其他古里村の死際に立会った内輪同志許りであった、夫れは古里村翁の云う処に依れば、古里村の死が普通の脳溢血に相違無いとしても、其死様が異様であったから、法要の盛大にする事は世間の記憶に新しくする様で好ましくない為だと云うのである、自分は此一言を聞くなり、沁々(しみじみ)此の只一人の愛子に死別れたる老人の胸中を思いやり、何うでも古里村の死因を確めなければならぬと決心した、而して密と蜂部の顔を見たが、矢張前日の様に殊勝らしく涙ぐんで古里村翁夫妻の話を傾聴して居た、其容子が何うも古里村を殺した当人とは思えない、斯うなって来ると愈自分等の想像が怪しくなって来る訳だ。
 其様(そんな)次第(わけ)で此日の法要も無事に済んだが、夫れから八日目の朝になると、蜂部はヒョッコリ自分を訪ねて玻璃島家に来た、自分は何事が出来たかと庭で応対すると、蜂部が自分を訪ねて来た理由と云うのは実に不思議な用向きであったのだ、と云うのは古里村が其死ぬる二週間前に、瑠璃子に宛て一万円を贈る可き旨を認(したた)めた遺言書が発見せられたので、昨日古里村家から其家を送って来たが何うしようと相談に来たのである、自分は前途に望みを持った、未だ壮年の古里村が、何故此様な忌しい遺言書などを書いて置いたのか、鳥渡(ちょっと)変に思ったが、併しそれに対して彼是云う可き地位で無いから、夫れなら受取ったら宜(よか)ろうと答えた、すると蜂部は私も然う思うが何うも瑠璃子が承知しないから、一層養育院にでも寄付しようかと思う事、また瑠璃子が古里村の死後太(いた)く健康を害して居るから転地して見様と思って居る事などを物語って自分の意見を尋ねた、素より反対すべき事でないから、自分は孰れも賛成だと云った、蜂部は非常に喜んで二時間許りして後に帰った。
 翌日は金曜日であったが、此日は華族会館に洋楽の催しがあるとかで姫は渥美女史を連れて朝っから其方に行かれた、自分としては云わば其日一日暇が出た様なものであるから相変らず図書室の二階で調物をして居ると、阿里は一通の手紙と名刺とを持って来た。手紙は蜂部からで昨日の礼を述べ古里村家から贈られた金は早速養育院に寄付の手続きをとった事、それから瑠璃子を連れての転地も近日実行するが、目下其候補地を選定中だと書いてあった。次にも一枚の名刺を見ると、織山(おりやま)夫人烈子(れつこ)と印刷した羅馬(ローマ)字入の名刺だ、自分には此様な名の女に知合も無ければ、遂ぞ一度会った様な記憶も無い、併し自分を名指して訪ねて来たとあれば会わぬ訳にも往かぬから取敢えず阿里に命じて三階の書斎に通す事にした。書斎に戻って待って居ると、やがて阿里の趾について入って来たのは身長(せい)の高い、華麗(はで)な洋服を来た四十五六歳の人品卑しからぬ婦人である。自分は其顔を見るなり直に昔何処かで会った事のある様に思われたので、暫時考えると、解った解ったこの婦人こそは、嘗て読んだ東京タイムスの夕刊に『驚く可き貴婦人の詐偽』と題して写真版入りで掲載せられた糟場夫人そっくりである、糟場夫人ならば自分を訪ねて来べき理由が無いでも無いから、確かに之が礼の詐欺夫人に相違無いと思った。だが其様気振は露程も見せず、初対面の挨拶が終ると、極めて真面目な態度で其来意を尋ねた、すると彼(か)の夫人は、
「実は貴方は糊谷さんの御友人だと承わりまして」と切り出した、愈以て糟場夫人と相場が決定(きまっ)た。

  六四 奸悪の閃き

 斯う云って少時(しばらく)自分の顔色を窺った後、自分が汲んで出した茶に唇を濡らした彼(かの)夫人は、
「それに糊谷老人の最後に御立会なすった様に承わりましたが、真実(まったく)なので御座いましょうか」と問うのである。是れに対して自分は、其問を発する者が縦(よ)しんば糟場夫人にしろ、何等秘し隠す必用が無いと思ったから、
「左様友人と云う可き間柄であるか何うかは御返事に窮しますが、糊谷老人の末期(まつご)に立会っただけは事実です」と答えた。而して自分は直に此の夫人は自分と糊谷との関係を、てっきり蜂部親娘の中から聞いて来たなと感づいた何故なれば自分と糊谷老人との関係を知って居る者は、死んだ古里村か蜂部親娘より外に知る者は無いからである。すると彼の夫人は自分の言に漸く安心したと云う表情を示して、
「そんなら矢張事実で御座いましたのね、では貴方は彼の老人の死際に御立会なすった時に、何か老人からお預りなさらなかったでしょうかあの財産に関係した書類と云った様なものでも…」此の無礼極まった一言に自分は思わずムッとした。
「まァ夫れに対して御答は無論即座に出来ますが、併し私は何故貴方に御答せねばならぬのか、先ずそれが解らんのですから」自分としては随分皮肉に云ったつもりであるが、彼の夫人は別に悪びれもせず、
「ホホホホ全くで御座います。妾とした事が遂前後を忘却しまして」と笑いに紛らして、
「実は妾は糊谷の遠縁の者に当りまして…」見す見す嘘とは知れ切ってはいるが、併し自分としては此れ以上追窮する必用も無いと考えたから。
「然うですか、判りました、それでは御話しましょう、私が老人からい依頼(たのま)れたのは、或人に対して届物を頼まれた切りです、夫れも疾(とう)に果して了いました、何人に何物を届けたかは其人の許可(ゆるし)を得ぬ中(うち)は云われませんが、併し財産に関したもので無い事は明言が出来ます、それに第一糊谷老人が財産家であると云う事は一度も聞いた事は無いのですから」自分は此の夫人の顔を見れば見る程、表面(うわべ)は如何(いか)にも優しそうに見せかけて居るが、眼には奸悪の閃きがある、決して油断のならぬ婦人(おんな)なる事が解ったので、故意(わざ)と斯う云ったのである。処が彼(あ)の夫人は、
「いいえ違います財産が無い所か」と頭(かぶり)を振って「有るもある大した財産家なので御座いますよ、貴方は何も御存じ無いからです」
「へえ、でも第一其那様子は無かったが」と飽迄自分は空惚ける。
「其様事があるもんですか」と彼の夫人は厄鬼(やっき)となって「それが非常な財産家な証拠です、老人は人知れぬ場所に其財産を隠して故意(わざ)と貧乏人の真似をして居りました、非常な財産が無くてあんな贅沢が出来るもんですか、年中旅行して、偶(たま)に東京に居るかと思えば、二晩と同じ床に寝ないと云う人ですもの、ですから若しや其財産に関した書類を、貴方にお預けしてでも有りはしないかと思いまして」と、遂々(とうとう)本音を吹いた。
「いいえ其様なものは一切」と自分は打消して「若しや蜂部とか云う人が知って居ませんか、老人と友人の様に聞きましたから」自分は蜂部と此の夫人と、何等か屹度関係あると白眼(にら)んだから斯う云ったのだ。
「蜂部、其様人は聞いた事がありませんが」と夫人は一寸考えて「其方に御会いになったんで御座いますか」と、無論とぼけて云うのな事は顔色で解った。
「いいえ、只その死ぬ前に其様な話を聞いた様に思いましたから」と、自分も負けじと空惚けて見せた。兎角して居る中に十一時近くなったので、喫驚(びっくり)して彼の夫人は帰って行ったが、夫れと入れ違いに入って来たのは阿里である。室中に入るとイキナリ自分の耳の傍に口を寄せて、
「先生あの女は悪者だぜ」と囁くのである。



  六五 流石に阿里式

 突然(だしぬけ)に阿里少年が織山夫人と名乗る彼の夫人を指して悪者だと云う自分には鳥渡其意味が解らなかった。
「何故だい阿里」斯う自分が問返すと、夫れに対する阿里の返事はまた奇抜である。
「だって、彼の女が今帰りしなに、悪人と顔を見合せて笑って行ったぜ、だから屹度悪者だ、先生油断が出来ないぜ」と、ませた事を云う。阿里が悪人と云うのは蘭田を指すのである事は前にも記して置いたが其蘭田と顔を見合して笑ったが為めに悪者だと云う断定は、流石に阿里式だと思ったが、考えて見ると、蘭田と知り合だとすれば縦しんば彼の夫人が糟場夫人で無い迄も、阿里の云う通り決して油断が出来ぬ。
「阿里よく気がついた、夫れでこそお前は立派な日本の紳士だ」と賞(ほめ)てやると、阿里は夫れ見た事かと云わぬ許りに得意になって、両手を振乍ら階下(した)に降りて行った。其後で自分は、何の気無しに彼の名刺を取上げて見ると、嘘か誠か知らぬが、立派に芝公園廿一号地三と其裏に印刷してあった。芝の公園廿一号地と云えば、慥か何国かの公使館下の笠森稲荷の近所である、「よしッ真偽を一つ試して見よう」と斯う思ったが、其中に姫が帰邸(かえら)れたので残念乍ら外に出る訳にも往かず、随って、夫れを確める事も出来なんだ。
 それから二日過ると日曜が来た、いかな姫でも日曜一日だけは自分の気儘に任せる、乃(そこ)で自分は昼飯がすむと匆々(そこそこ)芝公園に行った。而して廿一号地に入って三番地と質(たず)ねると、織山夫人の邸は直に知れた。矢張自分が最初想像した様に笠森稲荷の森に沿うた、瓦堀を廻らした古い西洋館で、門柱には織山と書いた表札が出て居る、織山とある表札が比較的新しい処を見ると、例の糟場夫人の奥の手たる、出鱈目の姓名(なまえ)であるかも知れぬ。
 斯う思ったので自分は、幸い其附近に在合す、小さな洋食屋に入って不味い一品料理を喰べつつ、他乍ら織山家の様子を聞くと、亭主と云うのは頗るお饒舌(しゃべり)な奴で、油紙に火でも放(つ)いた様にペラペラと饒舌るのであった。
「へえ、織山さんの事なら能く存じて居りますよ、手前どもで此に店を開いたのは八年前ですから」と前置して、それから織山と云うのは其家に同居して居る藤枝嬢の姓氏(みょうじ)で真実(ほんとう)は糟場礼子と云う寡婦(ごけさん)の家である事や、其寡婦が能く旅行する事や、其家に蘭田と云う人相の悪い男が来て時折泊まって行く事、乃至(ないし)は先日新聞で変死を伝えられた、古里村工学士のチョイチョイ訪ねて来た事など、残らず其の知ってるだけを打(ぶ)ちまけるのであった。自分にとっては実に意外である、蘭田が此様家に寝泊まするのは不思議は無いとして、古里村が出入して居たとは実に意外である。自分は何だか狐にでも魅(つま)まれた様な気がして、茫然(ぼんやり)して居ると、其処へ突然(ひょっこり)入って来たのは梶浦大尉いである。大尉は此近所まで来た序(ついで)に昼飯を喰べに入って来たのだそうだ。自分は此大尉との偶然の会合に勇気を得て、今迄此店の亭主に聞いた処を物語ると、大尉は遠から知ってると云わぬ許りの顔色で。
「じゃ君はそれを知らなかったんですか、僕は遠から―古里村と其糟場夫人と三人で、一緒に飯を喰(たべ)た事さえあるんですもの、勿論古里村が其夫人と交際するのは迷惑な風でしたが、何か弱い尻でも押えられて居たと見えて、強いて避ける事も出来なかった様でしたがね、勿論それは僕が満洲に行く前の事でしたが」と云うのである。さァこれで自分には何が何やら益々見当が附かなくなって来た。古里村が糟場と呼ぶ怪しき婦人を知ってるのも不思議なら、夫れに弱点を握られて居るらしかったと云うのも尚更不思議不思議死んだ古里村の総てが不思議づくめになって来た。

  六六 織山藤枝嬢

 自分は此の死んだ古里村の周囲を取巻いて居る不思議な謎を釈く可く少からず頭を悩ましたが、素より然う急に解ろう筈は無い、乃で梶浦大尉に相談すると、大尉にも勿論見当が附かないが、兎も角も織山婦人と名乗る、彼の糟場礼子に接近(ちかづ)くのが殊の真相を探るに尤も近道だろうと云う意見であった、自分も夫れに対しては別に異存が無かったから、取敢えず其の意見に従う事にして、其日は其儘大尉と別れを告げて玻璃島家に帰った。而して翌日から自分は頻りに外出の口実を見付ようと焦ったが、姫は何の彼のと云って自分を外に出すまいとする、しょう事なしに邸に引籠って居たが、漸くそれから四五日すると、玻璃島家に出入の弁護士が、小児がジフテリヤにかかったらしいから、自分に往診して呉れる様にとの電話であった。それでヤッと自分は籠の中から出る事が出来た、弁護士は菊川と云う古い大学出の法学士で加之(おまけ)に其本宅は芝の神谷町(かみやちょう)にある。往診を済まして帰りに糟場夫人を訪うには実にお誂え向きになって居る、乃で其日の午後に菊川家に往診する事になたが、来て診察(み)るとジフテリヤには相違無いが極めて軽微な初期症状であったから、家人(うちのもの)に其手当やら薬の処方などを教えて、匆々(そうそう)に其家を辞して糟場夫人、否織山烈子夫人を訪ねた。
 すると折よく夫人は在宅とあって早速応接間に通されたが、奥には四五人来客があるらしく、却々夫人は急に出て来ない、黙って耳を聳(そばだ)てて居ると気の故かして、奥の来客の中には蘭田の声も雑って居る気の故かして、奥の来客の中には蘭田の声も雑って居る様な気もする。然う云えば自分が先刻邸を出る時蘭田の姿が見えない様であったから、尚も其声が蘭田であるや否やを確め様と思って居ると、其処に二十(はたち)位と見える、髪を女優巻に結んだ、色の白い眼鼻立ちの揃った、小柄な女が茶を持って来た、自分は先日梶浦大尉から聞いて居たので、直に此女(これ)が織山藤枝と云う女なる事が解った。自分は藤枝嬢に依って運ばれた茶を啜り乍ら、尚も耳を澄まして居ると、其中に奥の間の話がバッタリと止んで、客が皆々帰る様子であったから、密(そっ)と扉(ドア)の鍵穴から覗いて見ると、何人(いずれ)も皆見知らぬ顔ばかり、蘭田らしい者は一人も居無い、では自分の気の迷いかしらと、再び素の椅子に戻って居ると其処へ今度は召使らしい女中が入って来て、夫人の居間に案内するのであった。
 夫人の居間と云うのは取付の階段を上り尽した東向の一室で、奇麗な奥床しき装飾を施された、小ぢんまりとした室だ。座が定まるとまたしても話は糊谷老人に関した事だ、而して彼の女は飽までも糊谷老人の死を尋常の死でないと信じて居るのである。
「ねえ太刀原さん、真実(ほんとう)の事をお話して下さいませんか、決して貴郎(あなた)の御迷惑になる様な事をしませんから屹度老人は病気で死んだのでは無いでしょう」と飽迄自分に迫るのである。自分はこれに対して、余程「それは私に聞くより蘭田に聞くが近道だ」と云って遣ろうかと思ったが、併し蘭田が果して此家に出入して居るにもしろ、夫人とは何ういう関係で老人の病状を秘して居るのかも知れぬと思ったから、咄嗟(とっさ)の間に之れは何処までも事実を否認するに如ずと考えた。
「いや決して其様ことはありません真実の事を話すにも話さんにも、老人の病気の心臓麻痺だった事は私許りで無く、北川と云う船医も認めた処でしたから」
「然うですか、貴方が然う仰ゃれば然う信ずる外は御座いませんが、妾は何うも夫れが敵の為めに…夫れは夫れとして、左様なら貴方のお頼まれなすった手紙の届け先きだけでも伺う訳には参りますまいか」此容子では、縦しんば自分がいくら饒舌るまいとしても何処までも、夫人の方では聞かずに置く気遣いは無い、自分は実に飛んだ破目に陥ったものである。



  六七 ええ口惜しい

 乃で自分は一層の事何も彼も打ちまけて了おうかとも考えて見たが、併しまた考えなおして見れば、此前夫人が自分を訪ねて来た時に、蜂部の名を老人の口から聞いたのみだと云うた様に覚えて居る。夫れに今実際の事を打明ける段になれば前に自分が嘘を云うた事になる。自分は如何なる場合に於ても、他人から虚言家(うそつき)だと思われる事が何より心苦しい、で如ず蜂部の仮名(かりのな)を此の夫人に知らしてやろうと考えた、然うすれば蜂部に対する義理も立てば、自分も亦虚言家にもならずに済むと考えたからである。斯う思案して居る中にも、頻りに夫人が自分に迫るのであった。
「ねえ後生ですから、妾は一生恩に着ますから、而して決してご迷惑はお掛けしませんからせめて其姓名(なまえ)だけでも聞かして下さいますまいか夫れが出来んと仰ゃるなら其頭字だけでも…」
「さァ夫れ程お望みなら」と自分は、漸く夫人の熱心に動かされた体で、
「では申しましょう、だが決して私の名は出して下さいますまいね」と故意(わざ)と駄目を押した。
「ええ神に誓って」と夫人は椅子を自分の方にグイと進めて「而して其届け先の姓名は?」と自分の顔を見つめた。
「さァ夫れを申した処で御参考になるか何うか」と勿体をつけて「其手紙を受取る可き人は浜塚忠二と云う人でした」
「えッ、えッ、あの浜塚忠二に淀岸…いや糊谷老人が…」
 自分の言の終らぬ中に、浜塚の名を聞くと等しく夫人は颯(さっ)と顔色を変えて斯う叫んだ。蜂部と云う者を知ってるかと聞くと、知らぬと答えた夫人が、蜂部の仮名を聞くなり斯う喫驚(びっくり)するとは鳥渡(ちょっと)変だが、或は蜂部の仮名だけを知って居て、其本名を知らぬのかも知れぬ。と斯う思うて自分は猶も夫人の容子を見て居ると、夫人は「浜塚浜塚」と二三度口の中で繰返した後に「ああ可愛そうに、じゃ老人は敵を信用して死んだんだ」と独語(ひとりごと)したが、やがて自分に向って。
「お蔭で見当がつきました、それで甚だ最初のお約束に反(そむ)く様で御座いますが、若しや其内容を御存じではありますまいか」自分は夫に対しては、返答える限りでないと思ったが、併し其容子が万更老人の敵でも無い様に思われたから。
「夫れは知りません、私は唯届ける事だけを頼まれたのですから…だが前後の様子から推して、其手紙の内容は友情を以て書かれたという事だけは事実だろうと察せられました」自分は斯う云うより外は無かった知らぬものは何処迄も知らぬに相違無いのだから、但し友情云々の一事だけは、夫人の気を惹いて見る為めの方便であったと云う事を読者に白状して置く。すると果して此の一言に、夫人の顔色は益(ますます)青ざめ、眼は釣り上り、唇までブルブルと震えて来た、而して片手で卓子(テーブル)の隅を摑み、片手で其胸を掻きむしり乍ら、
「ええ口惜しい、何故せめて一二週間前に此の事を知らなかったろう、然うと知れば別に為様(しよう)もあったのに…今となってはもう駄目だ」と殆ど絶望したかの様である。自分は何と云って夫れを慰むべきかを知らなんだから、暫時は呆気にとられて居るが、其中に夫人の様子が段々沈着いて来たので、
「夫人よ、何うして其様に喫驚なさるのです、而して浜塚と云うのは何者です」と、故意(わざ)と斯う質ねた。すると夫人は寂しい、ヒステリー的に笑いを洩らして、
「ホホホ老人って為方(しかた)の無いものです、自分の秘密を最も恐るべき敵に打明けるなんて…其手紙が他の者に宛てあるならば、それこそ世界を驚かす様な事実が発表せられるんですのに」と、後は絶望的に太息(といき)を吐くのであって、して見れば当時自分が想像した如く、彼の(かの)手紙は余程重要なものに相違無い。



  六八 嬉しい返事

 自分はそれから間も無く、夫人の許を辞して玻璃島家に帰ったが、問題はこれで日増に面白くなって来た様なものである。而して疑問の老人糊谷も、何うやら此分ならば近く解りそうに思われる様な気がし出して来た。処で今日までに得た、糊谷老人に関する知識を羅列(ならべ)ると概して左の五点に帰着する。
(一)織山烈子と名乗る糟場夫人が驚きの余りに発した不用意の言に拠りて、糊谷老人の本名は淀岸と云うらしき事。
(二)蜂部も糟場夫人も、等しく糊谷老人が非常な財産家だと云う処を見れば、其莫大な財産は何処かに隠されてあるに違い無い事。
(三)織山と名乗る糟場夫人と、糊谷老人とは何等か其間に深い関係があり、而して其関係は単に敵仇の関係ばかりで無い事。
(四)糟場夫人は糊谷老人の死因を疑い、且つ其の隠してある莫大な財産の在場所を知ろうとしてる事。
(五)糊谷老人が最後に手紙を遣った点から考えれば、蜂部は糟場夫人の云う如く、糊谷老人の為めに恐るべき敵で無かった事。
 これだけは辛うじて判ったが、其れ以上は、例えば糊谷老人と蜂部親子と何ういう関係があるかと云う事や、また老人が蜂部に遣った手紙の中に如何(どん)な秘密が記されてあるかと云う事、乃至は夫れを知りたがる糟場夫人は、糊谷老人と何ういう関係があるあkと云う様な諸点は、依然として深い秘密の戸張の中に包まれ、自分をして容易に疑(うかが)い知る事を得せしめなんだ。
 併しそれでも自分は却々落胆する様な事が無かった、何故かなれば古今の歴史を通じて、如何に秘密とせられてあった事でも、遂ぞ知れずに仕舞った秘密は今迄無いからである而して何でも此の秘密を知ろうとするには気永くかからねばならぬと考えたから、夫れから暇さえあれば、せっせと蜂部の家を訪問する事にした。一つは斯うして我愛の女神に接近する機会の多くなり行くに随い、彼の女の愛を死んだ古里村に代って自分に傾かせる事が出来る様に思われたのと、も一つは糊谷老人の秘密を探るには、其友人たる蜂部に近よるの外は無いと思った為めである事は云う迄も無い。すると果せるかな、斯うして度々自分が蜂部家を訪れる中に、日増しに蜂部とも親しくなって来れば、瑠璃子とも親しくなる、近頃では三人で一緒に他に夕飯を食いに行く事など敢て珍しくなくなって来た。唯困った事には、斯う親しくなって来ても、蜂部は依然として糊谷老人の秘密に対して警戒を解かぬ事と、それから瑠璃子が古里村を失うた悲しみの為に、日増にやつれて行く事である。自分は殊に瑠璃子の斯様(かよう)な容態を見ては、全く気が気で無かったのである。で自分は一日蜂部に向って、
「今の中に何うとかしないと、令嬢の健康上取かえしのつかぬ事が出来ぬと云えぬ」と注意すると、
「然うです私も然う思ってるんですが」と、蜂部も自分の言(ことば)に同意らしく、
「此間から何処か旅行でもしたら気が変って宜かろうと勧めてるんですが、何うも瑠璃子が私の云う事を聞きませんで…一ツ貴方から勧めて下さいますまいか」と云うのであった。素より我が愛の女神の為めである斯様事なら誠に以てお易い御用だと云わねばならぬ。乃で自分は瑠璃子の室に行って勧めて見たが、最初は却々諾(うむ)と云わなんだが、あまり自分が熱心に勧めるので、終(おしまい)には「貴方も御一緒に入らっしゃるなら」と云う、自分にとっては此上も無い嬉しい返辞を与えて呉れた。自分にとっては全く予期せなんだ処で、何だか夢でも見て居る様な気がしてならなかった。而して其転地先についても、自分が決めた処ならば異議が無いと云うのである。愈以て耐(たま)らない。自分は此時はまるで有頂天であった。其処へ蜂部も来る、五分間許の後には今より一週間の後に上総(かずさ)の一の宮に行くと相談が三人の間に成立った。

  六九 始めての笑顔

 斯くて自分等三人の間に、一週間後に一の宮行きの相談が成立ったが困った事には自分は主人持ちである玻璃島家の抱医師である、旅行でもする事になれば一々主人たる初音姫の許可を得ねばならぬ、処が姫は却々旅行を許す処でなく、自分が日曜の外出)そとで)するのでさえ、種々(いろいろ)な理由の下に反対する、だから今度の旅行の如きは、平常(いつも)の様に願った処で許す気遣いは無いのだが、自分にしては最早今日では玻璃島家の抱医師たる事が苦痛で堪えられぬのであるから、若し愚図愚図云った場合には、それを機会(しお)に玻璃島家を飛び出す考えで其決心の下に斯くは瑠璃子親子と約束を結んだのだ。
 勿論別に資産とても無い自分には玻璃島家を出れば、差詰困る事位は知らぬで無いが、それよりは尚更瑠璃子の健康の方が大切だ、奉職口は捜せば何れ見つかるに相違無いが、一度失えば瑠璃子は永久に自分の手に戻らぬと考えたからである。而して三人は夫れから夫れと、転地先の一の宮に就て打語らうのであったが、やがて気が附くと何時の間にか座を外したのか、蜂部の姿が見えぬ、余り広からぬ室内には、自分と瑠璃子が差向いとなって居るのだ、愈以て自分は有頂天にならざるを得ない、自分にとっては斯様嬉しい事は生れて初めてだ。而してこれが自分一人嬉しいかと思うと然うでは無い、日頃のふさぎ加減と違って瑠璃子も如何にも嬉しそうである、之は古里村が死んでから殆ど初めての笑顔だと云って宜い。それから一二時間と云うものは、瑠璃子と自分とは水入らずで楽く話合ったが、単に其話振り計りで無く顔は勿論、靴も袴(スカート)も皆純白に活々(いきいき)して、日頃の瑠璃子とは丸で生れ変った様だ、自分の胸の中の嬉しさは宜しく読者に察して頂度(いただきた)い。
 自分等は斯うして互に夢中で語り合って居た、打捨(うっちゃ)って置いたら或は一日一晩位語り明したかも知れぬが其中に自分をして愕然我に帰らしめたのは、何かの拍子に自分の耳を貫いた、一種妙な口笛である。敢て高いとは云われぬ―寧ろ低い口笛であるが、夫れが妙に自分に対して嫌な感じを与えた。
「おお、彼(あ)の口笛は!」
 愕然として自分が斯う云うと、瑠璃子も訝しそうに眉を顰めて、
「あれは屹度父です、此頃は犬も居ないのに…」
「では犬を呼ぶ為めじゃ無いんですね」と自分。
「ええ」と瑠璃子は頷いて、「今日許りで無く、時々父が妙な口笛を吹くんですよ」と云うて居る処へ蜂部が入って来た。
「お父様じゃ無くって口笛を吹いたのは」と瑠璃子が聞くと。
「ウム己(おれ)だ」と蜂部は澄ました顔で、
「作(そう)助(庭男)が何処に行ったと思って呼んだんだ」
「だって庭男を呼ぶに口笛は可笑(おかしい)じゃありませんか」瑠璃子の質問や急所を射たと見えて、蜂部はギックリした様子であったが、忽ち声高に笑い出して、
「ハハハハ妙に気にしたもんだね、だが庭男などと云うものは犬も同様じゃ無いか」と、とうとう誤魔化して了った。併し瑠璃子はそれで誤魔化されたかも知れぬが、自分は決して誤魔化されなかった。何となれば此の厭な口笛は、古里村が死んだ翌日古里村荘で蜂部が吹いて居たのを聞いた許りでなく、今日も其日と同じく蜂部は矢張大きなジャム壺を持ってるのだ、此点から推しても自分は慥に夫(か)の口笛と此ジャム壺とには、必ずや何等かの、蜂部の秘密を含んで居るものに相違無いと睨んだ、して其秘密は一緒に旅行して居る中に、屹度発見してやろうと決心した。
 併し今となって考えれば、自分が此秘密を知ろうとしたのが、一生の大失敗であった。

  七〇 御大名の姫君

 蜂部の秘密を知ろうとした許りで自分が如何なる大失敗を醸したか、夫れは何れ回を追うて記す事として兎も角も此の日は三人の間に旅行の約束が出来たので、自分は殆ど半ば夢心地で玻璃島家(やしき)に帰った。
 否明確に云えば、嬉しさに夢中であったのは邸に帰る途中迄で、玻璃島家の門を潜る時に既に厭な気持になって居た。何故かなれば例え自分の要求が容れられない場合には邸を出ると決心して居ても、夫れ迄話を運ぶ―言い換えれば姫に会って先ず第一に旅行の許可を願わねばならぬと云うのが、自分にとっては何より苦痛であったからだ。斯う思えば恋の旨酒(うまざけ)に酔うた自分も、つい酔いから醒める。とは云え瑠璃子の健康の事を思えば、決して其様事を云って居られる場合で無いから、自分は帰る匆々姫の室を訪れて此の話を切り出した。すると果して姫は却々オイそれと聞き入れて呉れぬ。傍に居た渥美女史を顧みて、
「ねえ渥美さん、何うして妾は斯う太刀原さんに嫌われるんでしょうね妾は何と云って宜いか解らないから貴女から太刀原さんに御返辞して頂戴」と、日頃の元気にも似ず悄然として斯う云うのである。これには流石の渥美女史も頗る困ったらしく、
「太刀原さんが姫様(ひいさま)を嫌うなんて、其様なことがあるもんですか」と今度は自分に向い、
「ねえ太刀原さん、姫様が斯様に仰ゃるんですから、何とか今度の御旅行を見合して頂けないでしょうか、それに姫様の御身体も全然御本復と云うではなし…」
 自分も此の姫が凋(しお)れ切った有様を見ては、其心中を察せぬでは無いが、併し我が愛の女神の為めには更えられぬ。
「はい今申した様な思由(わけ)で…主人持つ身が、何故勝手に他人と約束したと仰ゃられると、私はお暇を頂いて其約束を果す外はないのですから」と思い切ってきっぱり答えた。すると姫は、
「あれ彼の通りなんですもの、太刀原さんは屹度邸がお厭になって、彼様(ああ)仰ゃるのだわ、渥美さん、妾何うしたら宜いでしょう」と、殆ど泣き出さぬ許りの自烈様(じれよう)、これが本年(ことし)二十四歳の伯爵家の御主人で居らせられるのだ。渥美女史としては益(ますます)弱る一方である、併し流石年齢(とし)の効(こう)だけに一方が主人であって見れば、夫れを慰める為めには先ず自分を慰めて引止める外は無いと思ったか、
「ねえ太刀原さん、では斯うしましょう、姫様も彼様仰ゃるのですし、また貴方もお邸を無理にお出にならなければならぬと云う事もありますまいから、甚だ差出がましい様で御座いますが、妾が姫様から一週間暇を頂いて差上げますから、それが過たら屹度帰っていらっしゃると云う約束をなすって頂けますまいか、ね、姫様それなら宜しゅう御座いましょう」
「ええ、一週間で御帰邸(おかえり)になるなら…だって先刻(さっき)の様に旅行だから幾日かかるか解らないなどと仰ゃるんだもの…」
「いいえ其様事は決して御座いません、妾から能(よ)く太刀原さんにお願いしますから」と、渥美女史は姫を慰めて置いて、
「お聞きの通りですから太刀原さん何卒(どうぞ)妾に免じて、一週間で御不承なすって頂けますまいか」斯う事をわけて云われて見ると、如何な自分でも夫れでも、強情を張通す訳にも往かぬ。
「いや解りました、最初から然う仰ゃられると何も私も彼様(あんな)事を申すのでは無かったのです、厭にさえなれば一週間は扨(さて)置き、一晩でも帰邸る私ですから」
「それ御覧なさい姫様、太刀原様が彼様仰ゃるじゃありませんか」
「ええ解ったわ、左様(それ)なら妾安心だけれども…では渥美さん、貴女から太刀原さんに成可く早く旅行がお厭になる様にお願いしてね」何処迄も御大名の姫君である。自分は渥美女史と顔を見合して、只菅(ひたすら)苦笑するの外は無かった。



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