6月13日は、84 回目の母のお誕生日。
毎年、母の希望で花巻の大沢温泉に2泊3日で出かけている。
たまには違う旅館やホテルも良かろうと
「志戸平温泉」や「渡り温泉」に浮気するも、やはり大沢温泉が落ち着くのだという。
それも、ホテル形式の「山水閣で」はなく、
離れの木造 「菊水館 ・竹の5」というお部屋の拘りようだ。
なぜ「竹の5」 限定かというと、
「お風呂に1番近く、お部屋が2間続きでゆったり、真下には川が見える」
コレだけの理由なのです・・・(^^;)
まぁ、当人が喜んでくれれば私は何でも良いのですが。
ここで、大沢温泉の時めぐりを少し・・・
古くは、平安時代初期に征夷大将軍・坂上田村麻呂が
入浴したと伝わる歴史ある温泉です。 また、
南部藩主、第40代・利綱公 は慶応3年(1867)に
大沢温泉に湯治した折、家臣と共に和歌などを詠み、
その風光の素晴らしさを愛でました。
" 雨ニモマケズ " で知られる 「宮沢賢治」 は、
少年の頃、 信仰心の厚い父に連れられ
花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉に幾度となく訪れています。
(明治34年 仏教会講習会)
後年、花巻農学校の教師時代には
生徒たちを引き連れて湯浴みに来ていました。
続いて、
芸術家 「高村光太郎」 もゆかりがあります。
昭和20年、空襲で東京のアトリエを焼失した光太郎は
賢治の父を頼って花巻に疎開しました。
以後7年間、花巻を愛し大沢温泉を
「本当の温泉の味がする」 と言って喜ばれました。
私達が2泊した「竹の間 5 」はこちら。
お部屋は、8畳と6畳の2間続きで二人には広いです。
L型に広縁があり、真下には渓流豊沢川と四季折々の山の風景を眺める事ができます。
お部屋から茅葺屋根の「梅の間」が見える。( 築160年 )
(夜)
チョット外に出てみましょう。 なんだか今にも雨が降り出しそう・・・
左下の水車は、大正期に花巻市大迫で使っていたものを
平成にこちらに移築、杵や碾き臼もあります。
左下、 混浴 の 「大沢の湯」
私のお部屋から川向に位置しているので丸見え!
2日間で、ご婦人の入浴はお一人だけでした。
正面は「菊水館・自炊部」です。 ↓
お布団を持ち込み、1~3ヶ月 湯治 に来る方もいますよ。
No.2 に続く ⇒
すばらしいね・・。
日本人の感性をそのまま宿に表現したみたい。
なんか、映画かドラマの舞台になりそう。
お母様がご希望されるのがよくわかります。
喜んでいただけて すばらしい親孝行ですね。
築160年の茅葺屋根の「梅の間」は、趣がありますね。
私も一ヶ月ほど、当時に行きたいものです。
わざわざ日当たりの悪いお勝手に近い所の部屋で椅子の生活です
我が家が一番落ち着きます
親孝行されますね、したいときには親は無し。私は後者でした。
行きたいですね~本物の温泉宿ですね♪
ゆかりのある趣きのある温泉ですね。
茅葺屋根がなんともいえません。(#^.^#)
鄙びた昭和の匂いがします。
素敵な宿ですね。
宮沢賢治と高村光太郎が繋がりが有ったとは!まったく知りませんでした。
光太郎は晩年、岩手で一人過ごしましたね。
混浴風呂、丸見えって言うのが、、、、何とも(#^.^#)
勇気のある女性ですね~
いつもコメントありがとうございます。
笑顔で84才を迎えることが出来て嬉しいです。
母は好き嫌いが激しく、お肉類を一切受け付けないの。
予約時にお願いしてありますが板さん、大変だと思うわ・・・
お遍路はきつくありませんか?
大沢温泉の自炊部はとても人気があるんですよ。
自炊が面倒な方は食堂が完備されてて、天ぷらがとっても美味しいの。
価格もリーズナブル。
以前、喜美さんちの玄関の様子をギャラリーで拝見いたしましたが
純和風で落ち着いた感じですね。
私の実家も二間続きの和室に床の間・鶴と松の透かし彫りの欄間と純和風です。
モダンな家もイイですが、一部屋は畳の匂いのする落ち着いたお部屋がいいですね~
今年も無事にお誕生日が迎えられて嬉しいです。
母ったら、温泉から家に帰った途端に「蕨採りに行こう」と言い出しビックリでした。
足が不自由なので山に行ったところで少ししか歩けないのに、それでも山に行きたいのね。^^
結局、根負けして行って来ましたよ~
収穫は蕨7束だけ。 ご近所さんに全部お裾分けです。