読了。素晴らしかった。
この作者さんの本を読むのは三冊目。「六番目の小夜子」「夜のピクニック」ときてこの本だったんですが、今のところその全てにハズレがない。凄い作者さんだ。
以下、幾分ネタバレの感想です。
読み始めは主人公:峰子の回顧録だと単純に思っていました。夢のようにふわふわしていて、とりとめない。(この感想を書いてて気がつきましたが、この“ふわふわ”という読後感はそのまま蒲公英の種にも重なるイメージですね。でも本当に、素直にふわふわした話だという感想が、読書中の私の感想でした)
しかしラストまで読み終えたとき、一転してその宙に浮いたような感じが一気に抜け、堅い地を意識させて、常野物語という副題の意味に気づかされます。
回顧録には間違いない。ただ、その回顧録を公開するという行為自体が常野の「誰にでも出来る行為」であるところの、「しまい」「響かせる」行為であるのです。そして、主人公の少女時代に聡子と交わした約束や、各登場人物の想い等に重なり、読者へのメッセージとなる。
現代に生きる我々は、聡子のように生きれているのか?
受け継いだ想いを、裏切らずに生きていれるのだろうか?
読者は響かされることによって、その問いに直面することになります。
このラスト数ページによる転換が効果的だった。そしてほんとうに素晴らしかった。槙村での生活の幸せさが美しく描写されていたからこそ、私の心に響いてきた(本読んでて泣いたのは多分数ヶ月ぶりです)。
この本はオススメです。機会があれば、是非読まれてください。
んで、以下盛大にネタバレの感想です。
と思ったけどやめました。どうしても、本の内容以外の、現在の社会情勢や過去の戦争に対しての個人的な意見が混じってしまう。それは無粋ですから。
ですから一点だけ、老人と化したの峰子に対しての感想だけを。
私にとっては終戦時の峰子は後悔の只中にいると感じました。一つは聡子との、村のために尽くすという約束を守れていないこと。一つは廣隆の気持ちに、応じることも断ることも無く正面から答えずに逃げたこと。
また、草紙が一つを除いて全て焼けてしまったということは、峰子が「しまい」「響かせる」受け継いだものは、この物語に書かれていることだけだったという気がするのです。戦死した子供たちや、亡くなった夫からは、受け継ぎ損なってしまった。家族から「しまう」ことが無かった。だからこそ、残った娘に投げ掛ける、慰めに足る「響かせる」言葉を持っていない。
そしてやがて最後の一冊の草紙さえも、焼け落ちて失ってしまうほど、峰子の心は力を失ってしまうのではないか、と感じました。
しかしそれではあまりにも悲しすぎる。彼女が最後に心にしまっていた記憶がこれほど読者に響くように、全てが失われかけて価値など無くしたように見えても、受け継がれ美しく再生していくものがあると思いたい。
仏がなくなったと嘆いているのは仏を信じる心の裏返しだったように、価値がなくなったと思い始めている今でもどこかで常野が旅していると信じられることは、彼女が再び連綿と続く素晴らしい生の流れを感じられる可能性があるからなのだと思いたいです。
それを実現するために「みんな一緒に作っていく」なんて言ったら、やっぱり本の感想から外れちゃうんでしょうけれど(注:私は別に作中の時代やそれ以前の時代がみんなで一緒に作っていたとかいないとか思っていません。ひとくくりにして画一的に語れることじゃないと思う)。
ああ、やっぱり余計な言葉が出ちゃいそうなので……この辺で。
でも本当にいい本だったと思います。うん。
この作者さんの本を読むのは三冊目。「六番目の小夜子」「夜のピクニック」ときてこの本だったんですが、今のところその全てにハズレがない。凄い作者さんだ。
以下、幾分ネタバレの感想です。
読み始めは主人公:峰子の回顧録だと単純に思っていました。夢のようにふわふわしていて、とりとめない。(この感想を書いてて気がつきましたが、この“ふわふわ”という読後感はそのまま蒲公英の種にも重なるイメージですね。でも本当に、素直にふわふわした話だという感想が、読書中の私の感想でした)
しかしラストまで読み終えたとき、一転してその宙に浮いたような感じが一気に抜け、堅い地を意識させて、常野物語という副題の意味に気づかされます。
回顧録には間違いない。ただ、その回顧録を公開するという行為自体が常野の「誰にでも出来る行為」であるところの、「しまい」「響かせる」行為であるのです。そして、主人公の少女時代に聡子と交わした約束や、各登場人物の想い等に重なり、読者へのメッセージとなる。
現代に生きる我々は、聡子のように生きれているのか?
受け継いだ想いを、裏切らずに生きていれるのだろうか?
読者は響かされることによって、その問いに直面することになります。
このラスト数ページによる転換が効果的だった。そしてほんとうに素晴らしかった。槙村での生活の幸せさが美しく描写されていたからこそ、私の心に響いてきた(本読んでて泣いたのは多分数ヶ月ぶりです)。
この本はオススメです。機会があれば、是非読まれてください。
んで、以下盛大にネタバレの感想です。
と思ったけどやめました。どうしても、本の内容以外の、現在の社会情勢や過去の戦争に対しての個人的な意見が混じってしまう。それは無粋ですから。
ですから一点だけ、老人と化したの峰子に対しての感想だけを。
私にとっては終戦時の峰子は後悔の只中にいると感じました。一つは聡子との、村のために尽くすという約束を守れていないこと。一つは廣隆の気持ちに、応じることも断ることも無く正面から答えずに逃げたこと。
また、草紙が一つを除いて全て焼けてしまったということは、峰子が「しまい」「響かせる」受け継いだものは、この物語に書かれていることだけだったという気がするのです。戦死した子供たちや、亡くなった夫からは、受け継ぎ損なってしまった。家族から「しまう」ことが無かった。だからこそ、残った娘に投げ掛ける、慰めに足る「響かせる」言葉を持っていない。
そしてやがて最後の一冊の草紙さえも、焼け落ちて失ってしまうほど、峰子の心は力を失ってしまうのではないか、と感じました。
しかしそれではあまりにも悲しすぎる。彼女が最後に心にしまっていた記憶がこれほど読者に響くように、全てが失われかけて価値など無くしたように見えても、受け継がれ美しく再生していくものがあると思いたい。
仏がなくなったと嘆いているのは仏を信じる心の裏返しだったように、価値がなくなったと思い始めている今でもどこかで常野が旅していると信じられることは、彼女が再び連綿と続く素晴らしい生の流れを感じられる可能性があるからなのだと思いたいです。
それを実現するために「みんな一緒に作っていく」なんて言ったら、やっぱり本の感想から外れちゃうんでしょうけれど(注:私は別に作中の時代やそれ以前の時代がみんなで一緒に作っていたとかいないとか思っていません。ひとくくりにして画一的に語れることじゃないと思う)。
ああ、やっぱり余計な言葉が出ちゃいそうなので……この辺で。
でも本当にいい本だったと思います。うん。