万事塞翁が馬 闘病記

日々を楽しく生きるため。できるだけ前向きな事を書いていきたい。

集合的無意識

2009-12-30 23:40:26 | Weblog

普段僕たちが認識している表層意識というのは

海の表面に出てる氷山に例えられる。

実際は海の深い所までその氷山は続いてて、

それが無意識。表層意識はほんの小さなものなんだ。

それでさらに他の人の表層意識も

海の深い所ではつながってる。

すべての意識が実はつながってる。

これがユングの集合的無意識です。

シンクロニシティもユングですよね。










魂を磨くの矛盾

2009-12-30 23:11:38 | Weblog
親と子の性格が似てるのは否めない。

それは親が子を育てるのだから、似てくるのは当たり前。

と思うかもしれないが、それだけだとは思えない。

やはり遺伝的資質は無視できない。

つまり「魂を磨く」というのが嘘だと思うのだ。

もし「魂を磨く」が正しいなら親と子で魂がまったく違うということ。

だからまったく違う性格をもってる方がむしろ当然なのだ。

だから「魂を磨く」は嘘。

魂の存在の否定。しかし輪廻は存在する。

という仏教の思想。これが真実に近い気がする。

仏教もたくさん流派があるみたいだから、

ちょっと調べてみよう。

恐怖

2009-12-29 21:49:06 | Weblog
恐怖はものすごく強い感情であると思う。

僕にとっての原動力の大部分を占めてる。

希望で動いた方が気分はいいけれど。

恐怖を覚え、どうなってるんだこの世界と

知的好奇心というかもう脅迫に近いんだが、

一応僕を動かすのは確かだ。

考え方と人柄

2009-12-28 19:14:37 | 人生哲学
その人が日々考えることがその人をつくっていく。

どんなことを考えてるか。

その考えてることに脳は特化していく。至極当然である。

だから僕はどのようなことを考えるべきか、迷ってる。

僕は何を目指すべきか。善い人になりたい。

善い人とは?それも現在捜索願いをだしてる。

そして世界観。これも迷宮入りしそうなところで必死に求めてる。

その人の世界観がその人に与える影響は計り知れないのだから。

人に勝つより自分に勝とう

2009-12-27 18:25:42 | Weblog
いくら人に勝っても、

結局自分の居所は変わらない。

自分の心こそが自分の居所。

人に勝とう勝とうとすればするほど、

自分の心は荒んでいく。

常に効率を重視し、

何かに追われているかのよう。

目を向けるべきは外側ではなく内側。

自分の居所を居心地の良いものにすることが

最も重要なことだ。

マルチビタミン&ミネラル

2009-12-26 17:37:56 | Weblog
間違いなく、気分の変調に良い影響を与えてくれてるんだが。

クローン病に悪いんだよ!!

ビタミンがお腹に刺激を与えすぎてて、

これ以上継続することができんのです。

マルチミネラルだけにシフトしてみよう。

ビタミンはエレンタールにもちゃんと入ってるんだけど。

量が少ないのかなー。要検討ですな。

すべては良くなる。

2009-12-25 21:57:26 | Weblog
生きていると悩みが尽きないものです。

むしろ悩み自体に精神を蝕まれていく気さえします。

あーあれは大丈夫かな?とか

あの人に嫌われたかな?とか

数え上げたらキリが無い。

そんな時に

使える言霊。

「すべては良くなる。」

「困ったことは起こらない。」

信じればその通りになるとは
よく聞く言葉ですよね。

悩みだしたらこの言葉を唱えるといいです。



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人間が発明できることなど一つもない。

2009-12-24 20:59:34 | Weblog
初めからこの世界に用意された知識を

人間が掘り起こしているに他ならない。

前書いたこれもそういう見方で僕は書いた。

リーマン予想


イメージして欲しい。人間には初めから畑が用意されてる。
ひろーい畑だ。

一箇所掘ってみることにしよう。

おっここには数学という標識がたっているな。
よし掘ろう。

するとどうだろう。

簡単な知識が掘り起こされた。
うむ、もっと掘ってみよう。
少し難しい知識が掘り起こされた。

という具合だ。

その畑にはあらゆるジャンルの標識がたってる。


僕は僕でなくても僕なのか?

2009-12-24 17:21:50 | Weblog
前の日記の答えですが。

時々こんな事をいってる人がいます。

死んだら何も無くなるよ。と。

これが正しいのなら、

あなたは虫や木々として生まれて、
その後死んで何も無くなる方が確率的にずっと高くないですか?

命は一回きりというならば、人間として存在できるのは
明らかに異様です。

だから命は一回きりではない。僕はそう考えます。
僕は命に執着してるわけではありません。
命があるからこそ苦しみもあるのですから。

1回きりで無いなら2回でしょうか。そんなことも無いと思います。

今日はこんぐらいで。また書きます。

リオデジャネイロで蝶が舞う

2009-12-21 22:26:22 | Weblog
リオデジャネイロで蝶が舞えば数週間後テキサスで竜巻が起こる。

なんて例えがあります。

何がいいたいのかというと。

ほんの些細な出来事の違いでも時間が経過すれば結果的には
大きな違いが生まれてくるのです。

もう一つ同じような例えをすると

普通のビリヤードのテーブルを果てしなく長くした物をイメージして
ください。

そこに玉を置いてキューでついて遠くに飛ばします。

そのキューの突き方がほんの僅かでも違ったとしたら、
はじめのうちは同じような軌道を通っているようにみえても
先にいくにつれてみるみる違いが現れてくるはずです。

同じことがこの世界でもいえます。

結局、僕が何をいいたいのかというと、

僕が存在できているのが異常なんです。

ホントおかしなぐらい異常な確率です。

もし何かが僅かでも違った僕は生まれてないはずです。

ここで僕が導き出した答えは、

今日はこんぐらいで。またすぐ書きます。