
これも、お休みの間の残念なニュースでした。
当事者達(保護者)は、己の車で我が子を轢いた時点で
最大の罰を受けたと、同じでしょう。
これを、今現在チャイルドシートをつけたがらない
自己中心的な“親”への戒めとして残しましょう。
お金(チャイルドシートを買うだけの)は稼げるけれど、
亡くした命は取り戻せません。
自分(親)の好みで良い(ハイクラスの)車に乗る事よりも
大事な家族の命を守る事を第一に考えられないのなら
この事故の当事者家族と同じ様な目に遭うかもしれません。
何が大切か、今一度お考え下さい。
最後に、亡くなった小さな命のご冥福を心よりお祈りします。





少し前のSF小説に出てきたような“近未来の意思の無い人間”や、“機会の意思に呑み込まれて機械に操られる人間”の姿に、着々と近づきつつあるのかもしれませんね。
人間が機械化により進歩して戦争がなくなるのではなく、機械化により理性が減少して利己主義が目立つようでは、より良い世界をと願って研究を続けた過去のあらゆる技術者の願いも無駄だったと言う事でしょうか。
一人ひとりの自覚が、必要ですね。
機械は人間の体力、知力を補い、強化するものであるはずが、逆に人間の本来持っているべき力を弱体化させているかもしれません。車、コンピュータなど最たるものです。使う側が心して制御しないと、ただ人間の劣化を招くのみかもしれません。
そうかもしれませんね。
ただ現代人の人間としての母性・父性の著しい低下には、それこそ事故の影響ばかりか、機械化が進んだツケでの脳の影響まで考えてしまいます。
影響がないとは考えられない程、近年の大人の抑制力のなさが目立ちすぎます。
ネット世界の隅っこにあるブログから発信したところで、どのくらいこの意識(提言?)が浸透してくれるのかはわかりませんが。
悔やんでも悔やみきれないであろう、親の気持ちを考えると、運命の皮肉を痛感します。こうした事件を契機に、意識としての変化が社会に浸透するのがベストですね...。
案外、こうした事件を契機に人間の意識って変わるものでしょうし、亡くなった子を悼む意味合いからも気運が高まってくれれば...。