(ほとんど)シネマ日記

できるだけたくさん映画を見たいという希望をこめて

パッション

2004-05-25 11:40:51 | 映画は行
英語の”The Passion”とは、熱情ではなく「キリストの受難」という意味ですね。
ユダ(ルカ・リオネッロ)の密告によって捕らえられたイエス(ジム・カヴィーゼル)は時の支配者ローマ総督の元で裁判にかけられる。総督ピラト(ホリスト・ナーモウ・ショボウ)は信者の暴動を恐れ、何とか無罪で放免しようとするが、ユダヤの祭司たちの圧力によってイエスは死罪になる。鞭打ちの刑を受けて、さらに十字架を背負い、母マリア(マヤ・モルゲステルン)の目の前で、イエスは手足に釘を打たれて貼り付けにされる。それでもなお、イエスは神に加虐者たちの許しを請うのだった。
映画を観ていてずっと感じていたことは、何のためにこの映画は作られたか、ということです。製作に関わったほとんどの人はキリスト教徒でしょうから、まさかお金儲けのためではないでしょう。これが2000年前に実際に起ったであろう事は誰でも知っています。場面場面によく知られているイエスの言葉が散りばめられています。たしかに、それは心を打つ教えを持っています。しかし、その教えを示すために、残酷な場面を映像化して見せる必要があるのでしょうか。教えを伝えるのに聖書だけでは不十分なのでしょうか。きっと、大いなる熱情に動かされてこの映画は製作されたのだと思うのですが、残酷さゆえに、僕はあまり好きになれませんでした。

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