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Asianwalker

アジアの路地裏から

12月23日三ヶ根山スカイライン・知多半島一周5

2008年08月04日 | 日本
三ヶ根山スカイラインもいよいよ終了。廃墟と猫と摩訶不思議なトワイライトゾーンであった。こんなに楽しいところとは思わなかった。

スカイラインを出て少し下るとグリーンホテル三ヶ根に到着。この辺で唯一存続しているまともなホテルである。ここも人気がないので価格で勝負みたいなところがあって週末でも9000円とかそんな価格である。創業は1973年であるから今から34年前である。内装や設備は創業当時のままと思われる。個人的にこの時代の建物が大好きである。まだビルやホテルなど建築物が美しい時代であった。今は実用・機能一辺倒で建築美があまり感じられない。



かつては昭和天皇や美智子皇后、紀宮様もご宿泊された由緒あるホテルだったようである。当時の栄華を伝えるように写真がひっそりと飾られてあった。


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12月23日三ヶ根山スカイライン・知多半島一周4

2008年08月04日 | 日本
ほとんど車が通らない道をゆっくりと走る。やがて展望台と公園のある広場へ到着。



駐車場も20~30台分はある広大なスペースである。日曜にも関わらず、誰もいない。時期が悪いのであろうか。展望広場にはなぜか猫が沢山いる。



子猫も沢山いる。野良猫にも関わらず人によくなつく。





誰か心優しい人がえさを与えているのだろう。なにか食べ物をあげたいがあいにく何も手持ちがない。今日は12月下旬にも関わらず気温が16度もあり温かい。上着がいらないくらいである。そんな温かさのなか誰もいない広場で猫たちと一緒に海を眺める。



いつまでもここにいたい気分だが先を進まなくてはならない。車を進めると初めて営業している施設があった。かんぽの宿であった。ここでは採算を度外視している郵政事業でもないと存続できないのあろう。

その少し先に巨大な廃墟ホテルを発見。



三州園ホテルというこのあたりでは有名な廃墟ホテルである。



展望風呂が自慢のホテルであったが時代の流れには逆らえず廃業した。取り壊す資金もなく放置されたままである。廃墟ブームで侵入者が後を絶たないのであろう、立ち入り禁止と大きく掲げてある。2箇所ある入り口には監視カメラまで取り付けてある念の入れようだ。ここはぜひ侵入して見たかったが自重することとする。
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12月23日三ヶ根山スカイライン・知多半島一周3

2008年08月04日 | 日本
山の稜線に出て、あたりが開けたところで、70年代風の素敵なセンスの廃墟を発見。



中世ヨーロッパの城にアラブのドームがのっかている。キリスト教文化とイスラム教文化の融合だ。こんな発想ができるなんて日本人はなんてユニークな才能のある民族なんだろう。オーナーの思い入れが伝わってくるデザインだ。それとも無知から来る勘違いデザインであろうか。



内部はぐちゃぐちゃであるが、物とかはわりとそのまま放置されており、保管状況は良好である。







状態からして、おそらくオーナーは夜逃げしたのであろう。債務を踏み倒して。ここは1階が食堂、お土産屋、2階は宿泊所だったようである。





ここから眺める三河湾はいい眺めである。昔はさぞかし賑わったのであろう。このような奇抜なものはオープン当初はもの珍しさから人気が出るのだが、だんだんと飽きられ時代にマッチしなくなりいずれ衰退する。飽きのこないオーソドックスなものが長続きするものである。

この廃墟は建物のセンスといい、内部の時代を感じさせる調度品類といい、ぞくぞくするくらい素敵である。出来ることなら、ずっとこのままここにいたい。そのまま夜を迎えて一晩過ごしたいくらいであるが、残念ながら先を急がねばならない。
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12月23日三ヶ根山スカイライン・知多半島一周2

2008年08月04日 | 日本
前回はここから国道247号線を通り知多半島へ抜けたが、今回は三ヶ根山スカイラインを通るとこにする。以前から走りたかった道なのだが、有料道路なので敬遠していた。



入り口に到着。料金はたったの410円だった。12月だからであろうか、来年の卓上カレンダーを貰った。道はおおむね三河湾スカイラインと同じような感じであるが有料道路の為か交通量がほとんど無い。



ここは観光地としては旬が過ぎたのであろう。お寺、お土産屋やラブホテル、旅館、民宿などいろいろ観光施設があるが、ほとんど廃墟化している。





あまり褒められた趣味では無いのだが、実は廃墟マニアである。小さい頃から廃墟に侵入して探索するのが大好きだった。そこに放置してある年代ものの家具・家財道具や本・雑誌は確かにかつて人が存在し生活があった証である。そんなところで往年の人で賑わった頃を想像するのが楽しいのである。そして滅びゆくものの宿命とか、はかなさを感じるものであった。近年、秘かに廃墟ブームが起こりつつあり、廃墟写真集など出版され人気である。同好の士が増えるにつれて廃墟趣味も世間に認知されるといいのだが。
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12月23日三ヶ根山スカイライン・知多半島一周1

2008年08月04日 | 日本
12月23日 曇りのち晴れ

昨日は1日中雨だった。今日は朝から曇りであった。だんだん晴れてきたが時間がもう11時過ぎだ。どこか遠くへ行きたかったが、近場で我慢することにする。

半年前にドライブした三河湾スカイラインへ行ってみようと思う。ここからだと近いし走りがいのある道である。三河湾スカイラインは標高400mの尾根上を走る三河湾と奥三河の展望が素晴らしい18kmの観光道路。以前は有料道路であったが、近年無料開放されたようである。

自宅から40分で三河湾スカイラインの入り口に到着。ここはみかんの産地で有名な蒲郡である。ちょうど収穫真っ盛りの時期でもあり、道端でみかんが売られている。一袋100円と叩き売り状態である。スーパーで買ったら400円はするので一袋買う。車は三河湾スカイラインを快走する。





前回は走り屋が多く、こちらもムキになって猛追したが今回はそんな車もいないのでのんびりと景色を眺めながら走る。





左手に三河湾、渥美半島の海、右手は奥三河の山並みが見える。双方、自分にとって思い出のある風景である。



自然の豊かな三河も今や愛着のある土地となった。

ゆっくりと走り、山を下り国道23号線に合流。
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11月23、24日伊勢、尾鷲、熊野5

2008年07月31日 | 日本
熊野で長い間お付き合いしてきた国道42号線を離れ国道309号線に入る。道が狭くなり、トンネルも狭く素堀なので不気味である。三桁国道らしい山間部を細々とつなぐ道である。



北山川に沿って走りやがて国道169号線に合流。別名東熊野街道といい熊野と吉野を結ぶ古くからの街道である。近年世界遺産にも登録された熊野古道に通づる道でもある。熊野古道は昔の山を越える道なので重なる区間はほとんどない。近年熊野古道を歩くのが一部でブームになっているらしく古道の一部が遊歩道として整備されている。




道は北山川に沿って走る。川に沿って小さな集落が点在している。



しばらく上北山村を走り、やがて前方に高い山々が見えてくる。



降水量日本一とも言われる大台ケ原も近い。幸いなことに本日は晴天である。高い山々を3km以上もある新伯母峯トンネルで抜けると下り勾配が延々と続く。次に5kmくらいもあるトンネルのきつい下り勾配が延々と続く。トンネル内にループ線がある。ループ線を建設しなくてはならないほどの高低差なのである。このままだとフットブレーキが焼き付きそうなのでエンジンブレーキを使いながら、80kmオーバーでぐいぐい下って行く。

国道169号線は三桁国道ながら三重と奈良をつなぐ大変な建設費がかけられた主要国道である。勾配を下り終えたところが大迫ダム。ここから吉野川の上流に沿って道は進む。渓谷沿いに集落が続く日本の山村によくある光景であるが、吉野に近いだけあって古くからの文化の香りが漂ってきそうな風格のある山村が続く。吉野郡川上村この名前を覚えておこうと思う。





また、長いトンネルで山を抜け国道370号線に合流。ようやく熊野、吉野の山を抜けたようである。宇陀市を抜け、榛原町到着。ここまでくれば近鉄大阪線の沿線であり、大阪までは距離はあるが通勤圏ともいえなくもない。

榛原からは国道370号線が369号線となり、やがて国道25号線、通称名阪国道に入る。名阪国道は、一般国道25号の三重県亀山市~奈良県天理市間のバイパス道路である。西名阪自動車道と東名阪自動車道とを結ぶ自動車専用道路であり、名神高速道路と並んで関西と中京とを結ぶ幹線道路となっている。全長約73km。

全区間4車線だが、福住ICと天理東ICの間にΩカーブと呼ばれる急カーブ(最小曲率半径150m)があり、最高速度は全区間60km/h(雨天等の悪天候時は50km/h)に制限されている。また、通常の高速道路よりもインターチェンジの数が多い。交通量が多くトラックを中心とした事故が多発しているため、名阪国道は日本一事故の多い国道であるとも言われている。この道路は、過渡期の自動車専用道路であるため、構造上の規格を満たしていない部分が幾つかある。インターチェンジの加減速レーンはかなり短く、自動車専用道路の規格を満たしていない箇所が多い。SA/PAも存在するもののほとんどが一旦国道から降り、再流入するという形式をとっている。

そのSA/PAも含めて流入の際加減速余裕が全くないという、2006年現在の高速道路どころかいわゆる国道バイパスでもあり得ないほどの、ドライバーに緊迫した判断を迫る入口が、大阪・名古屋方面共に複数存在する。ことに、かつて高峰SA(名古屋方面)は加減速車線が全く無いうえに坂道かつカーブの途中にあるため、特に合流時には相当の注意を必要とするなど、本線への流入、流出時に危険が伴うことがあった。現在の高峰SAは、下り線のみ加減速車線を付加する工事が完了している。

最高速度は60km/hに制限されているが、両端に接続する高速自動車国道が80km/h制限であることもあって、走行車両全般に制限速度超過で運転しているのが実情である(100km/h以上を出す車も珍しくはない)。しかし、制限速度を忠実に守って走行している車もあり(いわゆる覆面パトカーも多い)、勾配が急な区間が多いため、大型車やトラックが低速で走行していることもあるので、追突事故が多発している。「20km/hで坂道を上るトラックに60km/hで追い越しをかけたら、 120km/hで走行する乗用車にパッシングを受ける」ことが日常茶飯事である。この為、一度事故が発生すると後続の渋滞の中で事故が多発することがあり、そのせいもあってか名阪国道は「日本一事故の多い国道」であるとも言われている。通行料金は無料。自動車専用道路なので、125cc以下の二輪車は通行禁止となっている。そんな悪名高い名阪国道であるが、常時100kmオーバーで快適に走行できた。国道(酷道)42号線、日本一事故の多い名阪国道と悪名高い道ばかり通ってきたが安全運転を心がけていれば何も怖がることは無いのである。しかし名阪国道は高速道路と同じようなものだから制限速度60kmは無理がある。誰も60kmで走ってはいないし、そんな速度で走ったらかえって危険である。早く制限速度を80kmにすべきだと思う。

名阪国道のおかげで一気に距離を稼げた。しかし亀山でおしまいである。ここからは国道1号線の亀山バイパスを走る。しばらくは70kmくらいで快適に走れたのだが四日市で国道23号線に合流する頃には昨日と同じく大型車に囲まれながらの渋滞にはまりのろのろと走り続ける。四日市のコンビナートの光景が気を滅入らせる。四日市の渋滞を抜けると流れもスムーズになり、国道1号線も渋滞することなく走れた。岡崎あたりで燃料計も一番下に来てしまい心配になったが、赤ランプがついたのは豊橋市内に入ってからだった。車の説明書では赤ランプがついてから30kmくらいは走れると書いてあるがあまり気持ちのいいものではない。最後にいつものスタンドで満タンにしたから帰った。価格表示通りのリッター146円であった。尾鷲で満タンにしなくて良かった。朝8時に尾鷲を出て午後3時に豊橋に到着。走行距離320km。

2日間の走行距離660km。
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11月23、24日伊勢、尾鷲、熊野4

2008年07月31日 | 日本
11月24日(土) 晴れ

朝食は久しぶりに日本の漁村の朝食を食べた。特に自家製のカマスの開きは開きとは思えない新鮮な焼き魚のようで美味しかった。こういう所で生活すると長生きできそうな気がする。朝食も食べ終えお世話になった民宿を出る。





港には漁船が沢山停泊している。熊野灘周辺は好漁場なのであろう。これからは尾鷲のような取り立てて観光地でもないが、海に近く魚のおいしいところはビジネスホテルではなく民宿に泊まるようにしたいと思える内容だった。

今日はこれから熊野の山道をひたすら走る予定である。途中にガソリンスタンドがあるかどうか不安だし、仮にあってもとてつもなく高いような気がする。とりあえず尾鷲でガソリンを入れたいが、不思議な事にここに限らず田舎のスタンドに価格表示がない場合が多い。事情に疎い他県ナンバーの車からはぼったくるというのが昔からよく聞く話である。国道沿いのスタンドは全て価格表示がない。一番大きくてまともそうなスタンドで10ℓだけ給油した。1ℓ155円だった。原油高とはいえ高い。過去最高記録である。いつも入れているところは146円である。豊橋市内のスタンドはどこも店頭に大きく価格が掲げてある。これが尾鷲の適正価格なのかぼったくり価格なのか何とも判断がつかないところであった。ガソリンメーターは半分ちょっと過ぎたくらいである。昨日は340km走った。今日もそれくらい走ると思うので豊橋までぎりぎりといった線であろうか。これから省燃費運転を心がけて行こう。

国道42号線は尾鷲市街を抜けるとすぐに山の中へと入る。しかしそんな山の中も長いトンネルの連続ですいすいと抜ける。交通量もほとんどなく80kmくらいでびゅんびゅん走れる。さすが二桁国道である。熊野市に入り道の駅熊野きのくにで休憩。



尾鷲と違い山間部なので気温が一気に下がり寒い。ここのあたりは日本でも有数の降水量の多いところで木がよく育つ。秋田の杉、青森のヒバ、熊野の檜。日本三大美林である。



山に植えてある檜の高さに驚く。雨の多さがここの木の高さを育むのであろう。まわりの山々は綺麗に植林され素晴らしい美林である。よく手入れがされていなければこうはいかないであろう。



まだまだ日本の林業も頑張っている。

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11月23、24日伊勢、尾鷲、熊野3

2008年07月31日 | 日本
山を下るとそこはもう鳥羽の中心街である。



海の先には島々が見えて、駅のまわりに旅館が建ち並んでいる。港には龍や竜宮城の形をした観光船が停泊している。鳥羽はこれで3度目だがいつ来ても変わらない光景である。日本三景の松島に似た光景である。このような光景の観光地は日本中に数多くありそうである。その後は鳥羽市内を抜け遠回りになるが海沿いに走るパールロードを走る。ここも以前は有料道路だったが近年無料となったようだ。太平洋を眼下に雄大な展望が開け快適走行が楽しめる。



半分くらい走ったところにある展望台を過ぎるとあとは山中を走るので海は見えなくなる。

山を下り、志摩スペイン村の前を通る。ここは7年前に仕事で来たことがある。開業当初はそれなりの賑わいをみせていたスペイン村だったが、7年前の当時より経営不振が伝えられていたが大丈夫であろうか。テーマパーク関連はディズニーランドの一人勝ちの様子である。

パールロード終点から鵜方の駅前を通り県道17号線浜島阿児線を走る。海がすぐ目の前にあり本当に穏やかで波一つない静かな海である。その後、国道260号線と合流。しばらく静かな湾内に沿って走る。これほど穏やかで波一つない静かな海は見たことが無い。まるで湖のようである。天候によって違うのであろうがリアス式海岸で湾内が深く切れ込んでいるのでそうなるのであろう。

国道260号線はやがて海沿いから離れ山道を進む。峠越えの後には小さな湾があり漁村がある。この繰り返しがしばらく続くと本格的な山越えとなり、トンネルが連続しハイペースで走る。さすが国道だけあって金を掛けて作ってある。しかしながら道行く車は少ない。

徐々に日が落ちてきたところで国道260号線は終了し紀伊長島で国道42号線に合流。浜松を始点とし渥美半島を縦断して伊良湖岬から海上国道(道は通っていないのでフェリー輸送となる)となり鳥羽から紀伊半島を一周して和歌山に至る非常に距離の長い国道である。 起伏の激しさと、紀伊半島の入り組んだ海岸の地形をそのまま道路が走ることから必然的にカーブが多く、それに起因する事故が数多く発生していることから、ドライバーからは俗に『酷道』『死にゴー線』(『国道』『42』の語呂合わせと掛けている)とも呼ばれている。もっとも、現在は道路の幅も広くなり、長いトンネルも増えたため、ずいぶん改善されている。かつての本来の死にゴー線の様子は、あちこちのトンネル出入り口(の海岸側)に残る旧道の残骸を見ればある程度は想像できる。そんな悪名高き国道42号線であるが渋滞もなく快適に走行できた。午後5時にようやく尾鷲に到着。民宿に着いた頃にはちょうど陽が暮れた頃だった。



本当に陽が暮れるのが早い季節である。 鳥たちも巣穴へ帰る時間である。

民宿は港の近くにあり眺めがいい。



1泊2食で7000円と格安であるが部屋は風呂もトイレもない簡易なものである。





夕食はたくさん魚が出てきてボリューム満点だった。特に刺身は地場のもので美味しかった。魚は移動すればするほど美味しさが損なわれるものだ。その土地で食べるのが一番である。夕食を食べ風呂に入るともうする事が無くなってしまった。尾鷲はいちおう市でありこの地域の中心なのだが人口の少なさと活気の無さはいかんともし難いところだ。夜の町へ出ても何もないので部屋でひとりぼーっとする。風呂もトイレもない狭い部屋は学生時代に住んでいた4畳半の下宿を思い出させる。古い建物の簡易な作りなので隣の会話も筒抜けであるし、下で食事を作っているのもにおいで伝わってくる。まるで学生時代にタイムスリップした気持ちである。そういえば当時、下宿の下の部屋に住んでいたK君は尾鷲の出身だった。北欧文学科に在籍していた文学青年だった。結局その下宿は1年で引っ越した。K君とはたまに学内で見かけることがあっても話を交わすこともなかった。今はどこでどうして過ごしているのであろうか。

夜はテレビを見るくらいしかすることがない。幸いなことに祝日なので連ドラの類ではなく一話完結のドラマをやっている。祇園の芸者の一代記のような内容で井上真央が主演していた。ドラマは見ないのでそれほど井上真央を知っているわけではなかったが、落ち着いた雰囲気で演技力もあり、何よりもそこらへんのアイドルと違って知性が感じられる。一気にファンになってしまった。彼女は今、旬なのかもしれないが息の長い女優さんになりそうな気がした。しかし、これも旅の危険な一面で旅先で出会った女性とその後、再会しても随分と印象が変わる事も多い。おそらく日常生活から離れてテンションが上がっているのであろう。平常心ではないので、何割か引いて判断しなければならない。

今日はよく走った。ほとんどが車の中であった。

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11月23、24日伊勢、尾鷲、熊野2

2008年07月31日 | 日本
伊勢より伊勢志摩スカイラインを走行する。



この道は山の山頂沿いを走る全長16.3kmのドライブウェイで伊勢湾・鳥羽湾を眼下に望む絶景ルートである。有料道路となっているが、インターネットで割引券を入手すれば1220円のところ980円で通行可能になる。有料道路はなるべく利用したくないが、こういうものがあれば利用したくなる。





ワインディングの登りが延々と続き、やがて朝熊山の展望台に到着。大きな休憩施設があり、大食堂もあるようだが今は廃業している様子だ。



みやげもの屋とうどん屋のみ細々と営業している。バブル崩壊以降、60・70年代に建設された観光・レジャー施設の廃墟化が進行している。観光地でよく見る光景である。







9月に行った熱海を思い出した。どんなに栄華を誇っても時代の変化についていけないものはやがて衰退する運命なのだ。どんな観光地にも旬が存在する。旬の間は大勢の人が来て賑やかだが、やがて飽きられ他の観光地へと人は移る。その旬の移り変わりの流れの中で生き残ることができたのが定番の観光地になるものだと思う。定番の観光地とは立地条件に胡坐をかくことなく細かい見えないところで努力しているものだ。

ホテルも新規オープン後、まもなくは旬であり価格設定も強気である。やがて他に新しいホテルが開業するとそちらへ人が移り価格を引き下げざるを得ない所もある。以前は高級ホテルだったが、その後客足が減り中級もしくはエコノミークラスとなったホテルの佇まいが好きである。元々が高級ホテルとして作られたためか、全体に気品が漂うようなホテルである。華やかだったであろう往年を思い浮かべながら古ぼけたロビーや客室で思いを巡らすのも旅の楽しみである。開業当初から高級ホテルであり続けるところは時代時代に合わせて相当なお金をかけてリノベーションしているものである。人間にも人それぞれ程度の差こそあれ旬というのがある。旬=ピーク。大概の人間はピークの時はこれからどんどんと良くなって行くとしか思えないが、ピークはピークであってそれがずっと平坦に継続するものではない。後は下り坂が待っているだけである。だいぶ後になってあの時が旬だったと分かるものである。最近は旬のサイクルが短くなった気がする。芸能人でもスポーツ選手でも何でも使い捨ての時代である。

旬の時代は過ぎ去ったとはいえ、ここは伊勢志摩スカイライン一番の絶景スポットである。広い駐車場に沢山の車が停まり大勢の観光客で賑わっている。鳥羽湾を見下ろすと以前行ったことのある日間賀島、篠島が見える。南側には神島が見え、その先には伊良湖岬が見える。伊良湖から渥美半島を北東へ40kmも行けば豊橋である。ここまで6時間近くも走り続けてきたが、伊勢湾をはさんで向かい合っているので直線距離だと近い。伊良湖・鳥羽間は伊勢湾フェリーが1時間で結んでいる。そのルートであれば鳥羽まで2時間程度で着くのであるが、そんな事はどうでもいい。この素晴らしい天気である。とにかく車で走り続けることができればそれだけで満足なのである。
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11月23、24日伊勢、尾鷲、熊野1

2008年07月30日 | 日本
11月23日(土) 晴れ

久々の連休を利用しての遠出を考えた。前回は北の方角の高山へ行ったので、今回は南の方向を考え、紀伊半島方面へ伊勢、尾鷲、熊野から奈良へ抜けてみようと計画。日帰りは無理なので尾鷲で1泊し新鮮な魚も食べてみたい。

朝8時に自宅を出発。国道1号線を名古屋へ向けて走るが、豊橋市内から早くも渋滞。3連休の初日なので交通量が多いのであろうか。このまま名古屋まで渋滞と予測して、途中から蒲郡方向へ国道23号線を通るルートへ変更。良く知っている道だからナビを使用せず走行したのが失敗だった。途中何度か迷いながら国道23号線に合流。国道1号線のバイパス的位置づけの国道23号線である。普段なら高架区間で快適に走れるのだが、結構流れが遅い。今日はどこへ行っても交通量が多そうだ。安城あたりでは完全に渋滞。名古屋に近づき4車線になってようやく流れるようになった。三重県との県境で休憩する。遠くの山並みはもう薄っすら雪化粧である。



三重県に入り桑名からまたのろのろ運転。四日市では完全に渋滞にはまる。



道行く車は大型車が多い。それもタンクローリーや危険物を積載した車が多い。四日市をのろのろ走っているとさすがに四日市喘息で悪名高い公害都市だけある。コンビナートが林立しており煙突から煙がもくもくと上がっているのをよく目にする。



これだけ化学工場ばかりだと住民も喘息になってしまうのも無理が無い。渋滞にはまるとそんな事ばかりが頭に浮かんでしまう。

そんな中、新入社員の頃を思い出した。入社後、総務部に配属されたので社長の近くにいたのだが、この社長がものすごいヘビースモーカー、というよりもチェーンスモーカーで1時間もすれば灰皿が一杯になってしまう。その都度社長室へ灰皿を交換しに行くのも自分の仕事だった。社長は四日市の出身だった。昔は喘息で苦しんだらしい。それにも関わらずたばこばかり吸って大丈夫かと心配したものであった。直属の上司も四日市出身だった。上司は喘息持ちでは無かった。四日市喘息の公害問題も落ち着き始めた頃に生まれた年代だったと思う。二人にはいい思い出しかない。二人とも今も元気に過しているのであろうか。

四日市・鈴鹿を抜けると車の流れもスムーズになり、津市内に入る。四日市・鈴鹿の影に隠れて地味な印象のある津だが、三重県の県庁所在地である。



歴史と誇りを感じさせる風格のある落ち着いた街並みである。津、松阪を抜けるとあたり一面広大な田園地帯となり、ようやく車も80km程度で快適に走れる。やがて赤福の看板ばかり目立つ伊勢市内に入ると観光客で混雑する。



名物の赤福が販売停止の今、何がお土産として売れるのであろうか。伊勢で豊橋から延々とお付き合いしてきた国道23号線もここで終了。始点から終点まで走ったことになる。
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11月18日天竜スーパー林道3

2008年07月29日 | 日本
そのまま道を進むとやがて下り坂になる。段々高度が下がって紅葉も綺麗になってきた。



その一方で杉を伐採したあとが地滑りを起こしていて不気味である。





見ているとそのまま奈落の底に落ちそうな気がする。こんな誰もいない場所で落っこちたら助けもこないし、発見された頃には白骨化しているであろう。それよりも発見すらされない可能性の方が高い。

やがて山住神社が見えてくると売店があり、参拝客の姿も見える。



ようやく人の営みが感じられほっとする。今日は神事があるようで神主さんがうやうやしく儀式を執り行っている。



夏に来た時はここから一気に水窪市街まで下って行ったが、天竜スーパー林道はこの先水窪ダムまで続く。気合を入れてもうちょっと頑張ろうと思ったが、この先道路決壊の為当分通行止めとなっているので断念。



冬期(12月28日から4月15日)は通行止めとなるので今年はもう復旧させる気はないのであろう。

その後、佐久間、浦川を通り東栄温泉で疲れを癒す。源泉かけ流しのお湯は塩の味がしてその効果か体が温まった。保温効果も高いようでしばらく体が温かかった。それよりも山から地上に降りてきて気温が温かく感じたのであろう。それでも8度と12月中旬なみの寒さである。
その後は国道151号線を南下して無事帰宅。

本日の走行距離240km。
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11月18日天竜スーパー林道2

2008年07月29日 | 日本
眼下に見える川は気田川である。



川の周りに耕地が広がり人家が見える。夏に来た時は渓谷沿いの狭い集落に見えたがここから見ると開けて見える。人の営みの全くない山のてっぺんから見るとまるで天上界から見下ろしている気分になる。

肝心の紅葉だが、杉林が大部分を占めているのでごくわずか、あっても終わりかけの感じであった。場所が悪かったか。

やがて天竜の森に到着。



よく整備された公園でキャンプ場もある。



木々も伐採してあるので展望も開けている。天気が良ければ遠く北アルプスを一望できる。



またここの高度は1300m前後もある。夏は涼しくて快適である。以前、ここへ来た時にはすぐ上を飛行機がものすごい爆音で飛んでいた。はっきりとどの航空会社か分かるくらいである。普段の生活で見るはるか上空を飛行する飛行機は音もなく静かに飛んでいるが、これだけ高度の高い場所から見るとものすごい大迫力である。今日は雲があり飛行機は見えない。なにより寒いので早々に退散する。

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11月18日天竜スーパー林道1

2008年07月29日 | 日本
11月18日 曇り

2007年の夏は始まりが遅く終わりがいつになるのかというくらい暑さが延々と続いた。その分、秋が短くというか無い感じであった。11月12日ごろから急に寒くなり一気に冬が来た感じになってしまった。一年で一番過ごしやすい秋はどこに行ってしまったのか。紅葉も遅くなりそうである。12月に入ってからという予測もあるくらいだ。それならば標高の高いところへ行けば紅葉が見られるのではと思いお気に入りの天竜スーパー林道へ行くことにした。

朝、8時に自宅を出る。国道1号線から天竜川を越えて県道343号線を走る。対岸の国道152号線は浜松市内を抜けるのでやたらと信号が多いのと渋滞するので時間が掛かるが、この道は川の土手に作られており、信号も渋滞も無くすいすい走る。また、土手を走るので天竜川の景色も良く見え快適な走行である。二俣で国道362号線に合流。ここからは今年の7月30日に通ったのと同じルートである。前回は真夏の暑さだが、今日は真冬の寒さだ。外気温は8度くらいしかなく、天気も曇って寒々しい。前回は気田川の渓谷に沿って走る県道389号線を走ったが、今回は尾根沿いを伝って走る天竜スーパー林道を走る。



この二つのルートは山のてっぺんを走るのと川沿いを走る違いはあるが、ほぼ平行して走るルートである。山と谷なので標高差は1000m以上はありそうだ。道路は杉林の中を九十九折で高度を一気に上がり展望の開けたところで天竜スーパー林道に合流。



山のてっぺんなので気温が一気に下がり3度しかない。周りの風景も寒々しい。なにより人気が無いのと通行が全くないのが不気味だ。林道入り口の標識には公道とは規格が異なり落石、スリップ等危険ですので利用される方は次の事を承諾厳守の上ご利用下さいと書いてある。



もし事故があっても責任は取らないので自己責任でご利用下さいという責任回避である。人気のない道をひたすら進んでいく。



途中、再度確認の為か、林道での事故については一切責任をとりませんと看板がある。



だったら最初から作らないか一年中通行止めにしておけばいいと思うのだが。これではあまりにも無責任すぎる。やがて山のてっぺんに来たのか展望が一気に開ける。



下は大パノラマなのだがあまりの高さに恐怖を感じる。それにしても風が強い。雨もパラパラとわずかながら降ってきた。変わりやすい山の天候である。

パラグライダーの滑走台があるが、こんな高いところから滑走して無事に地上に降りれるのであろうか。



普通はもっと高度の低いところで着地点が平地もしくはなだらかな高原や海岸でするものではないのだろうか。
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10月20、21日木曽路・御岳・高山(4)

2008年07月16日 | 日本
10月21日(日) 快晴

朝は名物の宮川朝市を見に行く。近郊の農家の人が農産物を売りに来ていたり、名産物やおみやげなど様々な物を売っている。しかし、特に買いたいものもないので、コンピニでおにぎりを買って朝食にする。









朝8時に出発。今日は国道41号線を通り、最短距離で帰ろうと思う。時間があれば途中の下呂温泉にも寄ってみたい。国道41号線は名古屋から富山に至る道だが、国道19号と違って交通量も少なく大型車両も少なく走行しやすい。信号待ちもほとんどなく80km以上でびゅんびゅん走れる。国道19号線が木曽高速なら国道41号線は飛騨高速であろう。そんな訳で早くも9時には下呂に着いてしまう。温泉に入るには早すぎる時間である。下呂温泉は今年の1月にも来たので今回は見送りとする。そのまま国道41号線を南下。道は飛騨川と高山本線に寄り添って延々と続く。観光バスとよくすれ違う。高山へ向かうのであろう。





平野が開け美濃加茂市に入ると市街地となり交通量が多くなり。渋滞気味になる。美濃加茂市からは国道248号線で多治見、瀬戸を経由して国道155号線で豊田へと至る。ここまで来れば何度も来たことがあるので勝手知ったるものだ。豊田から岡崎を通り豊橋に着いたのは午後1時だった。高山から約5時間。行きは7時間かかったのでルート次第でだいぶ所要時間が変わってくるものである。

今回は高山の観光以上に飛騨のきれいな自然を眺めながら走るドライブが楽しい旅行となった。

2日間の走行距離500km
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10月20、21日木曽路・御岳・高山(3)

2008年07月16日 | 日本
高山に到着、ホテルαー1高山にチェックインする。改装記念お試しキャンペーンということで1泊4500円と格安である。ホテルαー1は以前、日本一周旅行をした際に何度も宿泊した。当時は時間は十分るのだが、旅行資金がないので、夜行列車での狭い座席での車中泊や寝袋ひとつで駅舎で寝る、蚊に刺されながら公園で野宿など、苦しく長い夜を過ごす事が多かった。たまにホテルに宿泊するのが最高の贅沢であった。ホテルαー1は交通の要衝ではあるが、特に観光地でもない地方都市に立地している事が多く、安くて清潔だったのでよく利用したものである。また、宿泊を重ねると現金キャシュバックがあるのも魅力であった。宿泊券が貼り付けてあるホテルαー1パスポートを見ると、①三次②米子③三次④岩国⑤小郡⑥能登和倉⑦丸亀⑧丸亀⑨第2松江⑩三島となっている。同じ町に連泊はしていないはずなので、三次は広島の中心に位置する町なので中国地方旅行の拠点。丸亀は四国1周の拠点だったと記憶している。その他の場所も明確に記憶に残っている。しかし、10番目の三島の記憶が全く無い。当時自宅のあった神奈川県に近い三島に宿泊したか謎である。三島からなら十分自宅に帰ってくるのが可能なはずである。10年以上前のことなので記憶が欠落していても仕方がないが、それだけ三島が記憶に残らなかった町なのかもしれない。ちなみに三島の名誉の為に言うとこの町は古くから門前町として栄えまた伊豆への入口として多くの人の往来のあった由緒ある町である。そういう歴史があるので三島の人たちは旅人、外部の人間に優しく開放的で知識・見聞も豊富とのことである。



高山であるが、小京都として名高いだけあり、古い町並みは京都に似ている。また、町の中心を流れる宮川の風景も鴨川の風景に似ている。また、日中の人だかりや外国人観光客の多さも中々のものである。ミシュランのガイドブック日本版では3つ星の必見に挙げられるだけのことはある。しかし、小京都なのである。規模が格段に小さいし、古い町並みも通りが2本だけなので10分もあれば通り過ぎてしまう。観光には半日もあれば十分だと思う。また、観光に関係は無いが何故だか町の規模の割には銭湯が多い。1時間歩いて4件も発見してしまった。探せばまだありそうな感じだ。高山の人は銭湯好きなのか、外国人観光客を相手にしているのか。温泉でもないのにこのへんは謎である。



















山間の盆地の町で古い町並み、そこかしこに綺麗な水が流れ生活に結びついている感じは京都より中国の麗江に似ていると思った。後で調べてみると高山市と麗江市は姉妹都市条約を締結していた。



















夜は昼間の人だかりが嘘のようにひっそりしている。しかも、山間部なので寒い。飛騨牛の鉄板焼きを食べた後に夜の街をぶらぶらするが、あまり賑わっている様子はない。その後、名物の高山ラーメンを食べながら野球中継を見るが巨人は中日に負けて日本シリーズ出場を逃してしまった。別に巨人ファンではないが何だか悔しくなってしまった。
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