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Asianwalker

アジアの路地裏から

2010年2月20日~22日ソウル4

2010年03月14日 | 韓国
2月22日(月)


今日は、日本に帰るだけである。11時にガイドさんが迎えにきてくれる。

金浦空港まで渋滞もなくスムーズに車は進み、チェックインを済ませてガイドさんと別れる。

金浦空港の免税店は申し訳程度にある感じだが、ここでもO君はたくさん買い物をしている。本当に免税店が好きな人である。









JAL8832便は13:00に出発。

羽田空港には14:55に到着。


ここでO君とお別れ。O君にとって今回の韓国旅行は結構自信になったらしく、次はタイに行きたいと言うが、即座に無理だと思うよと答える。


こんな昼間に羽田空港から帰るのは滅多に無い事である。いつも深夜ばかりである。











深夜は道も空いており、池袋まで30分もかからずに到着するのだが、都心に近づくにつれて渋滞してきた。








モノレールに乗ったほうが良かったかも?






しかし、結局、40分ほどで池袋に到着。多少、渋滞してもバスの方が、モノレール+JR+地下鉄よりも断然早い。



家に帰って、韓国で買ったおみやげを広げてみる。


カップ麺。





レトルトのカレーやぶっかけご飯用の具材。





レトルトの鮑スープやチゲスープ。





都羅山駅の入場券。






臨津閣で買った北朝鮮の焼酎。ラベルに漢字で平壌と書いてある。





臨津閣で買った北朝鮮の紙幣。これは将来、北朝鮮に行った時の為に忘れずにとっておきたい。








でも、生きているうちに北朝鮮に行く機会があるのだろうか?もし仮にあったとしても、体制が変ってしまってこの紙幣は使えないと思う。


およそ2年半ぶりの韓国であったが、何度行ってもいい国である。今度はソウルを素通りして日本人が行かないような田舎へ一人旅をしてみたいと思った。


3日目終了。

おわり。
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2010年2月20日~22日ソウル3

2010年03月13日 | 韓国
その後は、再度、臨津閣に戻り、プルコギの昼食。ツアー料金に含まれているのであまり期待していなかったが、とてもおいしかった。






昼食後は臨津閣で45分程の自由時間。


昭和の日本を感じさせるような遊園地。









臨津閣の高台に展示されている蒸気機関車と石碑。












臨津江にかかる京義線の鉄橋。手前に見える木造の橋は「自由の橋」。自由の橋から先は民間人統制区域で、民間人は軍の許可なしに立ち入ることが出来ない。民間人統制区域内は田んぼになっている。






臨津江にかかる京義線の鉄橋。2002年に新設された。ちょうど列車が通過したところである。












自由の橋には平和への願いを込められた短冊が沢山つるされている。












現在の鉄橋の右側には、旧線の橋脚が残っている。






朝鮮戦争で銃撃をうけた蒸気機関車。年月とともに風化してきており、もはや芸術的な美しさの域に達している。
























最後にもう一度、臨津閣の高台から全体を見渡してみる。











バスに戻る。後はソウルに帰るだけである。バスの車内でガイドさんが元々は一つだった国家が南北に分断された悲劇を切々と解説してくれる。韓国人はもちろん国家が統一される事を望んでいるのだが、南北ではあまりにも経済格差がありすぎて、統一後の経済的な負担が国民に相当のしかかってくるらしい。韓国人の本音のところでは、表向きは統一を望んではいるが、統一したら自らの経済的な負担が気になってしまうようなニュアンスが感じられた。






14時にロッテホテルに到着。解散。このツアーはとても勉強になった。料金も安いのでソウルに行った際はぜひ参加する事を推奨したい。






O君はロッテ百貨店の免税店で買い物をしたいというので、ひとりで明洞をぶらつく。
















































買い物を終えたO君と一緒にホテルに戻る。O君はあかすりやエステとかマッサージをしてみたいそうだが、興味がないので、ひとりで行ってもらう。

せっかくソウルに来たので、観光コースではない、日本人が来ないような街に行ってみようと思う。

地下鉄に乗って、適当なところで降りる。日本人街と化した明洞とは違った普段着のソウルがそこにはあった。


















ホテルに戻ると、満足げなO君が待っていた。夕食に行こうとすると、ハンバーガーが食べたいと言う。やはり予想通りこの言葉が出た。しかし、そんなわがままを許す訳にはいかない。そんなものは日本に帰ってから食べるようにと言う。ビビンバくらいなら食べれそうだと言うので、少々もの足りないが、ビビンバを食べに行くことにする。


ビビンバと言えば、全州中央会館である。ホテルからは道路を挟んですぐ向かい側にあった。

全州中央会館は全州石焼きビビンバの有名店。韓国で全州(チョンジュ)といえば食文化の町として有名だが、中でも"全州ビビンバ"は全州グルメの代表メニューであるだけでなく、韓国伝統グルメを代表する人気メニューである。何種類ものナムルやお肉など20種類以上の食材が入った、まさに"ビビンバの中のビビンバ"であるが、その器はもともと石焼きではなかったらしい。そこに"全州石焼きビビンバ"という新しい料理を考案、超有名になったのが全州中央会館である。だからこの店のビビンバメニューは当然全部石焼きとなっている。

年季の入った店構え&木造の店内。さすが創業50年の歴史を感じる老舗である。店のあちこちにテレビや雑誌で紹介された記事が貼ってあったり、料理大会などでもらった賞状なども飾ってあったりと超有名店ぶりを発揮している。ここの客はやっぱり日本人率高い。壁には日本語で書かれたメニューが張ってあって日本語も問題なく通じる。






まずはこちらの人気メニューから。大豆もやしの混ぜご飯から始まったと言われる人気の伝統ビビンバを全州中央会館の創業者が韓国で初めてアレンジし、完成させたのが"全州石焼ビビンバ"。まず最後までアツアツのまま食べられるように器を石鍋にチェンジ。ちなみにこれは消化も助ける効果があるらしい。そして牛肉やキキョウ、ワラビ、キノコ、銀杏、セリ、春菊など30種類以上の食材を入れ、よりバランスの取れたヘルシー料理に仕上げたものとなっている。つまりこの石鍋1杯に5大食品群の栄養がすべて入った、まさに栄養満点の料理である。

ビビンバの味付けのポイントとなるのが"コチュジャン(唐辛子味噌)。この赤い味噌がまんべんなくご飯に絡まってこそビビンバを美味しく食べられるコツである。そのコチュジャンだが、ここ中央会館では2年間熟成させた自家製コチュジャン(韓国特製味噌)を使用している。2度炒めて長時間煮込んだ牛足骨スープを入れ、さらにお肉やいろんな食材を入れた中央会館オリジナルコチュジャンである。だからこちらの全州石焼ビビンバははじめから味付けがしてある。テーブルの上に置いてあるコチュジャンは一度入れずに食べてみて、味付けが足りないかな?と思った時にだけ入れたほうがいい。

ビビンバ9,000ウォン。






ビビンバを注文すると一緒についてくるサービスのおかずは4種類ほどである。全州の食堂といえばおかずがテーブルいっぱいに並ぶというイメージがある。内容はキムチとイカの塩辛を基本で、季節によって少しずつ変わるらしい。ちなみにここの塩辛はお土産に買って帰る人も多いほど人気であり、確かにキムチとともに美味しかった。また肉を注文するとサンチュ(韓国レタス)やサムジャン(包み味噌)の他に、3種ほどのおかずが付く。カルビを頼んだので、豪華バージョンである。






よ~くかき混ぜて完成。ビビンバは〆の一品というイメージが強いのだが、これだけで十分なほどにボリューム満点でおいしい。ここのビビンバを食べたら今まで日本で食べていたビビンバは何だったのか?という疑問が生じて来るほどのおいしさである。さすが9,000ウォンもするだけの価値はある。






骨付きカルビも頼む。なんと44,000ウォンもする!しかし、さすがにおいしい。最高級の韓牛を使用しているのだろう。






かなりのボリュームであったがおいしく頂いた。食と格闘した感じがする。






満腹になってホテルに戻る。南山タワーが綺麗である。








2日目終了。
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2010年2月20日~22日ソウル2

2010年03月11日 | 韓国
2月21日(日)


今日は朝から半日観光ツアーに参加でするので早起きして部屋を出る。O君は朝は何も食べたくないというが、せっかく韓国に来たからにはそれらしいものを食べてもらわないと困る。無理やり朝食に連れて行く。


朝の明洞はひっそりと静まり返っている。韓国では朝食を出す店は少ないので探すのが困難である。





でも、ここ神仙ソルロルタンは24時間営業である。


私はふつうにソルロルタンを頼む。7,000ウォン。





O君は餃子ソルロルタン。8,000ウォン。





さすがに有名店だけあって値段は高いが今まで食べたソルロルタンの中ではもっとも美味しかった。食欲のなかったO君もこれは美味しかったと喜んでくれた。



本日参加するのは中央高速観光主催のDMZ(非武装地帯 )ツアー。北朝鮮との国境にある非武装地帯と第3トンネルとトラ展望台を見てまわる半日ツアーである。料金は昼食付きで52,000ウォンであった。DMZエリアはツアーでしか行く事ができない。個人で行くのは無理なエリアである。本当は板門店ツアーに参加したかったのだが、残念なことに日曜と月曜は催行していない。


DMZ(非武装地帯)は、南北朝鮮戦争の休戦時に決められた休戦ラインの南北2km内のエリア。通常、一般人は立ち入りができない為、入るには厳重なチェックが行われる。臨津閣(イムジンガク)では臨津江(イムジンガン)を挟んで民間人が立ち入り出来なくなっている様を見ることができ、戦争が終わってないのを実感できる。また、南侵用の第三トンネルでも、危機感が肌で感じられる。半日ツアーなので、板門店(パンムンジョム)に比べて気軽に行けるのが嬉しい。



北緯38度線付近の軍事境界線を挟んで対峙する韓国と北朝鮮。この2カ国は朝鮮戦争の休戦協定から半世紀以上たった今でも準戦時体制下にある。この2カ国の軍事境界線に沿って南北2km以内の地域がDMZ(非武装中立地帯)となっており、民間人は勿論、軍人も立ち入ることは出来ず、その地域には無数の地雷が設置されている。さらに韓国側はその南側に民間人統制区域が設けられており、民間人は許可なしに立ち入ることは出来ない。



30人ほどの日本人観光客を乗せてバスは8時にロッテホテルを出発。北朝鮮との国境に向かう。日本語堪能なガイドさんは真剣に、また、ときおりユーモアを交えながら、国家が南北に分断した経緯を説明してくれる。


1時間10分ほどで早くもDMZエリアの臨津閣に到着。












お土産屋と食堂と遊園地と駐車場しかないのどかなところである。









DMZエリアの説明と施設の入場券売り場であろうか?ハングル表記しかないので全く理解できない。















展望台からはDMZエリアが見渡せる。鉄柵と有刺鉄線の先は田んぼが広がりのどかな感じである。緊張感はあまりない。






それからさらに先へとバスは進む。統一大橋で検問(身元確認)があり、軍人がパスポートのチェックをする。ガイドさんから、職業軍人と徴兵された軍人の見分け方、また入隊何年目かの見分け方を教えてもらった。パスポートチェックに来た軍人は入隊3年未満で徴兵された軍人であった。






南侵第3トンネル(DMZ映像館、展示館)を見学する。南侵第3トンネル(チェ3(サム)タングル)はかつて北朝鮮が極秘で掘った韓国に攻め入るためのトンネルの一つである。現在までに既に4つのトンネルが発見されている。この第3トンネルは長さ1635m、幅2m、高さ2mでソウルから52kmの地点に位置する。


第3トンネルの本坑は地下73mのところに位置するため、地上から降りるためのトロッコが運転されている。トロッコはかなりの急勾配を降り、約5分程度で第3トンネル本坑に到着する。トンネル内は完全撮影禁止。荷物は全て入口で預けなければらない。トンネルは245m歩くことが出来、北朝鮮との軍事境界線の地点でトンネルはコンクリートで塞がれている。



ここはとても興味深く見ることができた。トンネルは高さ2mとの解説であるが、身長170cm程度の人でも頭をぶつけそうになるので、実際はとても低くて狭い。しかし、よくもこんなトンネルを掘ったものだと驚嘆する。












トロッコ乗り場の前のモニュメント。モニュメントは、2つに分離された朝鮮半島の南北(球の片側は韓国、もう一方は北朝鮮を示している)を国民の手で再統一しようという願いをこめたものである。






次の目的地は都羅展望台である。韓国の最北端の展望台である都羅展望台(トラジョンマンデ)。北朝鮮の様子を間近に眺めることが出来る。なお、建物内および床に明記された写真撮影規制線内は写真撮影厳禁である。建物の上部には黄色い文字で「分断の終わり・統一の始まり」というスローガンが書かれている。












展望台の様子。500ウォン玉を入れると望遠鏡を使用することが出来る。なお、この写真の撮影場所の足元には「撮影規制線」が書かれ、これ以上前で写真撮影をすることは出来ない。憲兵や監視カメラで常時監視している。









続いて、都羅山駅に行く。将来の北朝鮮との国境駅化を視野に入れて大規模な駅となっている。


京義(キョンウィ)線はかつてはソウルから北朝鮮の新義州(シニジュ)を結ぶ路線であったが、朝鮮戦争により線路が分断され、現在はソウル~都羅山(トラサン) 間55.7kmを結ぶ路線となっている。現在終点の都羅山駅は民間人統制区域内にあり、手続きを行った者は同駅からはDMZ内の観光ツアーに参加することが出来る。現在、都羅山まで行く列車は1日3.5往復運転されている。但し、乗客は一旦一駅手前の臨津江(イムジンガン)駅で全員強制下車させられ、DMZツアーに参加する場合は同駅で手続きをしなければならない。












北朝鮮方面へのイミグレーション、荷物検査のスペースも既に完成している。上の看板には「出境」の文字。






南北鉄道締結後のユーラシア大陸横断鉄道の路線図。統一後はヨーロッパまで一本の線路で結ばれることとなる。2006年のドイツワールドカップの際は韓国からドイツまでの臨時列車を走らせる計画があったが、幻に終わってしまった。






駅舎内部には南北の統一を願う様々な絵が掲げられている(写真は、DMZが取り壊され、KORAILの機関車が北朝鮮の客車を牽引して平壌方面に向かう様子を描いた絵)。










入場券を買いホームに出る。





ちょうど、列車が発車したところであった。












駅構内はとても広い。






都羅山駅の北朝鮮・開城方面の様子。既に線路自体は北朝鮮まで繋がっており、2006年5月25日には軍事境界線を跨いで試運転が行われる予定だったが、実現しなかった。その後も試運転は行われていない。








ソウルまで56km。平壌まで205km。いつの日かこの鉄道に乗って北朝鮮に行ってみたい。















駅の外も軍人が警戒にあたっており、ピリピリしたムードである。




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2010年2月20日~22日ソウル1

2010年03月09日 | 韓国
2月20日(土)


O君と一緒にソウルに行くことになった。特にソウルに行きたいわけではないのだが、O君が韓国に行った事が無いのでどうしても行ってみたいというので、いわばお付き合いである。二人で行くならツアーの方が安いので各旅行会社の安いツアーを比較した結果、旅行料金が最も安かったNOEツアーに決めた。NOEツアーとは何とも渋い旅行会社であるが、航空券とホテルの組み合わせだけであるので、別に大手旅行会社である必要は無いし、最も安い料金で提供できるということは韓国に強い会社なのであろう。肝心の旅行代金だが、2月20日から2泊3日で29,800円からと驚きの安さであったが、2泊3日と短い日程であるので、多少旅行代金が上がっても、飛行機の便とホテルの立地にはこだわりたい。飛行機は羽田発午前便指定にして、ホテルは明洞スタンダードが満室だったので、仕方なくスーペリアとグレードを上げた結果、旅行料金は43,800円となった。それでも、格安航空券を買うのと同じくらいの値段である。韓国ツアーにしては驚くほどに安い。



2泊3日でソウルに行くので、国内旅行に行く感覚である。小さなリュック一つで家を出る。ソウルは寒いだろうから防寒対策だけは抜かりなくしておく。


羽田空港だが、新しい国際線のターミナル工事が急ピッチで進んでいる。モノレールの高架と駅も建設中である。新しい国際線ターミナルは第1ターミナルの対面側、以前、羽田東急ホテルがあった場所に今年の10月にオープンする。羽田空港の国際線の拡大により、これからはわざわざ遠くて不便な成田空港まで行くことも少なくなると期待したい。


まもなく、その役目を終える現国際線ターミナルでO君と合流。この仮設小屋のような建物は元々、台湾の航空会社2社のみが使用していたのだが、今や、ソウル(金浦、仁川)、香港、北京、上海の4都市、7航空会社、合計19便が利用しているので、完全にキャパシティがオーバーしてしまっている。狭い建物の中はチェックインを待つ人々の群れで混沌としている。長いこと並び、チェックインを無事終え、搭乗開始。


JAL8831便は10:25に羽田空港を出発。ソウル到着は都心に近い金浦空港で便利である。12:50に到着。





今年は40数年ぶりの大寒波に襲われたソウルであるが、今日は暖かい。送迎のバスに乗り込む。





漢江に沿って車は進む。








漢江の中洲に国会議事堂や高層建築が見える。ソウルのマンハッタンこと汝矣島である。








橋を渡り、汝矣島に入る。韓国の国会議事堂を正面から見る。





再び橋を渡ればソウルの中心部も近い。





川沿いはジョギングコースとして整備されている。






ソウルの中心部に到着後、ロッテ免税店に連れて行かれるが、はっきり言って時間の無駄である。仕方が無いので地下の食料品売り場に行き食料品を買う。日程が限られたツアーでは時間をお金で買っているようなものであるので、時間を無駄にしたくない。


ロッテホテルで降りるお客さんを降ろして、我々が滞在するパシフィックホテルにチェックイン。韓国は国がホテルの等級を厳しく管理しており、特1級、特2級、1級~3級と5段階にランク付けされている。ちなみにここは1級である。入口には星が5つもついている。普通に泊ると1泊170,000ウォンもするらしい。今まで韓国で星のついたホテルに泊ったことは無い。いつも利用するのは星なしの25,000~30,000ウォン程度のモーテルか旅人宿である。ホテルの正面にはソウル一の繁華街、明洞が目の前に見える。ロケーションは抜群である。しかし、部屋は狭いうえに老朽化が隠せない。日本の地方都市の古いシティホテルに毛が生えた程度のものである。これで国家が認めた1級ホテルとは恐れ入る。しかし、どうせ帰って寝るだけであるので、ソウルのホテルは場所が良くて安ければそれだけでいい。ホテルをグレードアップしてもあまり大きなメリットはないと思う。















ホテルに荷物を置いて、ソウル市内の探索開始。お腹が減ったので、まずは何か食べに行きたい。O君は食べ物の好き嫌いが激しい。食べられるモノの許容範囲が狭い。ついでに言うとホテルも高級で清潔なところでないと無理である。汚い安宿に泊るのは無理な体質である。女性と一緒に旅行する時と同じくらいの気遣いをしなければならない。しかし、今回はホテルは一応、高級なところを取ったので、食に関しては存分に韓国を堪能してもらおうと考えている。おそらく早い段階で韓国料理にギブアップしてマックに行きたいやら、日本料理や洋食を食べたいと言い出すと思うのだが、今回は食べ物の好き嫌いやわがままは許さないことにする。


そんな訳で、まずは韓国と言えば犬肉料理であるので、犬肉を食べに行こうと思う。本当の事を言うと絶対に食べないはずだから、雉だか軍鶏だか鴨だか忘れたが、かなり弾力があって噛み応えのある食感の鶏の肉を食べさせてくれる店があり、健康にいいのでソウルに来た時は必ず食べに行く店だと言って連れて行く。ちなみに私は大の犬嫌いだが、O君は愛犬家である。

そんな訳で地下鉄を乗り継いで向かった先は光化門・世宗文化会館近くの裏路地にある「ボドゥナムチッ」である。場所はバックパッカーの間で有名な大元旅館のすぐとなりである。

しかし、残念なことに今日はお休みであった。それとも新鮮でおいしい犬肉が仕入れられなかったのであろうか。明日の日曜は休みのはずなので、いずれにせよ今回は犬肉料理は食べられない。犬肉料理に関しては様々な世論があるが、韓国の伝統的な食文化である。韓国の人々には諸外国の圧力に負けずに、伝統的な食文化を守り続けて欲しいと願っている。日本の伝統的な食文化である鯨の二の舞にならぬよう、韓国の犬肉文化を応援したい。韓国の皆さんには恥じることなく、堂々と犬肉を食べてもらいたい。犬肉を食する事に関して何も恥じることはない。韓国の立派な文化であり、諸外国の人々は、韓国の文化を批判するだけではなくその文化を尊重すべきである。


仕方が無いので、その辺の適当な焼肉屋に入る。





ステーキとカルビの薄切りという珍しい組み合わせのメニューを頼む。37,000ウォン。この店のおばさんは日本語がとても流暢である。






韓国の店にしては珍しくたれを使わずに塩で食べる。よほど肉質に自信がないとこういう食べ方では出せない。





適当に選んで入った店にしてはレベルが高い。O君も韓国は料理がうまい。大丈夫そうだと言う。しかし、このような料理は普通に日本でも食べられる。残念である。何とかして犬肉を食べさせてあげたかった。



お腹がいっぱいになったところで、近くの景福宮を見に行く。














もうすでに17時を過ぎているので、中には入れない。





















遠くに見えるのは昌徳宮。






後は、O君のお付き合いで新羅免税店に行ったり、夜の明洞や南大門市場をぶらついてホテルに戻る。






夜になるとさすがに冷える。O君は寒いので外に出たくないというので、ひとりでラーメンを食べに行き、その後、しばらく夜の街を散策してからホテルに戻る。O君はNHKのオリンピック中継に夢中である。せっかく、韓国に来たのにホテルの部屋にこもってテレビを見ているなんて時間の使い方がもったいないと思うが、考え方は人それぞれである。


1日目終了。

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韓国旅行18

2008年07月28日 | 韓国
11月5日(ソウル→水原)

4日目 帰国

ソウルへ戻る。KTXが開通してから駅が新しくなった。近未来的なデザインの駅である。



最近、世界中でよく目にする没個性的な建築物である。植民地時代に日本が建設した東京駅のミニチュア版といった感じの旧ソウル駅はその隣でひっそりと佇んでいる。取り壊されなくてよかったと思う。今となっては、立派な文化遺産である。



昨日は殆ど賑わいの無かった、南大門市場で買い物をする。今日は活気溢れるいつもの南大門市場である。



ソウルには明洞、東大門市場、梨泰院と買い物する所はたくさんあるが、一番好きな場所だ。今回は通勤用のバッグを買うのが目的だ。韓国は革製品が安い。目的のバッグだが、昨夜行った梨泰院にはあったのだが、価格が予算オーバーだったので諦めた。南大門ならもっと安く買えるだろうと期待する。この後はもう帰るだけなので持金も残り少ない。提示価格からだいぶ値切ってもまだ足りないので財布の中を見せると、帰りの電車賃を除いた金額にまでまけてくれた。そのあたりはさすが情に厚い韓国人だ。しかし、ウォン高がここまで進むとあまり買い物をする気にもならない。毎年、多くの日本人観光客が韓国を訪れるが、その人数が今年はとうとう43年ぶりに韓国人が日本を訪れる数と逆転したそうである。韓国と日本の人口比を考えるとなかなか驚異的な出来事である。ビザも不要になり、高かった日本の物価も韓国と今やさほど変わりは無い。

地下鉄に乗って金浦空港まで行く。40分くらいひたすら地下鉄に乗るので退屈だし疲れる。でも安い。2000ウォンである。金浦空港からは今年開通した仁川空港へのアクセス鉄道に乗車。





ここからあと30分かかる。高速道路と並走してやがて空港に到着。バスに抜かれたりあまり速くはないが、将来はソウル駅まで直通する計画なので完成したら、非常に便利になるであろう。

久しぶりに見る仁川空港は相変わらず広くて明るくて綺麗である。



大きな電光掲示板を見ると世界各地へフライトの行き先が多い。日本から直接アクセスできない都市も多い。日本からの乗り継ぎ客も多いようで、日本語の表示にも切り替わる。



日本からの旅客の取り込みにも熱心である。

早く着いたので飛行機を眺めながら時間を潰す。大韓航空の青い機体がずらりと並んでいる。



昔から機体のデザインが変わっていないような気がする。その間、JALは何回かデザインが新しくなった。

すっかり日も沈んで真っ暗になり、JL984便は定刻通り出発。韓国を後にする。セントレアの税関検査では荷物を開けられて調べられた。いつもはスルーで通過なのに今日は厳重に検査している。しかし何も引っかかるものが出てこない。税関職員にご苦労さんと言い税関を後にする。最近はコピー商品の取り締まりが厳しいのであろうか。以前は自分が使用する分くらいは大目に見てもらえたが、どんどん世知辛い世の中になっていく。

5年振りの韓国だったが、5年の月日を感じた部分として、KTX開通、空港アクセス鉄道の開通、ソウルの新しい駅舎、物価上昇などがあった。しかし、田舎に行くと時間の止まったような感じである。5年前が昨年のように感じる。どの国でも都会と田舎では時の流れの早さ、発展のスピードが違うようである。しかし、韓国人の人情と食べ物のおいしさは変わっていない。韓国の好きなところ、変わって欲しくないところは変わっていない。それがある限りまた韓国に来たいと思う。

おわり
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韓国旅行17

2008年07月27日 | 韓国
11月5日(ソウル→水原)

4日目 水原

今日で最終日。世界遺産の水原まで足を伸してみようと思う。ソウルから地下鉄がそのまま直行するので便利だが、全ての駅に停車するので時間がかかる。40kmの距離なのに1時間もかかってしまう。



水原は京畿道の道庁所在地で人口50万。近年はソウルのベットタウンとして開発が進み、町は人と車であふれている。



また、世界遺産の町としても有名で華城という古い城壁が現存している。水原は李氏朝鮮時代漢城(現在のソウル)から遷都する計画だったが、城壁が完成したところで遷都を計画した皇帝が死去してしまい、遷都自体が中止になってしまった。いわば、今のソウルになりそこねた町なのである。

駅前の観光案内所でパンフレットをもらい説明を受ける。日本人観光客も多いのであろう、日本語が上手である。バスに乗って八達門の前で下車、ここから華城内を歩いて観光する。







華城の周りはぐるりと一周すると3時間くらいかかるらしい。とりあえず一直線に歩く。現在は華城内も普通の市街となっている。途中に華城行宮(皇帝の住居であり執務を行う宮殿のようなところ)があり、中へ入る。





再建したての新築といった感じで歴史の重みも価値もなにもない建築物である。元の建物は日本軍が徹底的に破壊したと書いてあった。



何が何でも日本軍のせいにしないと気が済まないようである。本当は朝鮮戦争の時に破壊されたのではないかと疑いたくもなる。月曜の朝だけあって観光客も誰もいない。さほど広くもない華城行宮内を見てまわる。






中でドラマのロケをやっているようだ。



主演らしき男優がリハーサルをしているが、目前で見ても芸能人特有の一種のオーラのようなものが全く感じられない。



東京の街中で芸能人を見たことが何度かあるがみんなそれぞれ何らかのオーラのようなものを持っていたと思う。しかし、名前も知らない韓国の男優だからそう感じてしまうのかもしれない。他にすることもないのでしばらく一人でじっと見ていたら撮影の邪魔になるのかスタッフに追い出されてしまった。また、奥の建物には少し前に日本でも流行したドラマチャングムの誓いのセットが丁寧に日本語解説付きで飾ってある。しかし残念ながら、一度も見たことがないので何の感慨もない。ここでロケをしたのであろうか。韓国ドラマが好きな人にはたまらない場所かもしれない。



北門路をさらに歩いて長安門に出る。城壁の上を歩く。日本では目にすることのできない光景だ。紅葉も綺麗である。









この門はソウルの南大門よりも規模が大きい。ここが事実上華城の正門になる。朝鮮戦争の時に門楼が焼失したが、その後、完全に復元されたようである。そこから華城の城壁に沿って歩く。



何から何まで完全に中国の城壁都市のミニュチュア版コピーのような感じである。ここまで完璧なコピーだと韓国にいる気がしない。まるで中国にいるみたいだ。違うのは城壁の中は古い町並みではなくビルが建ち並ぶ近代的な町並みであるところと漢字ではなくハングル文字が溢れているところである。駅まで1時間くらいかけてゆっくり歩く。紅葉がきれいだ。駅の周りの商店街は中国人が多いのであろうか、何故か漢字を良く見かける。また、中華料理店も多い。韓国が誇る世界遺産水原は中国文化のコピーであった。

お腹も減りちょうどお昼どきなので水原名物のカルビを食べる。壷の中から出てきたカルビはさすがに美味しかったが、量が多すぎて最後は飽きてしまった。少し歩き疲れたのとお腹がいっぱいになったこともあってかソウルに戻る列車の中で熟睡した。
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韓国旅行16

2008年07月27日 | 韓国
11月4日(束草→春川→ソウル)

3日目 ソウルへ

京春線はソウル-春川間90kmの路線。ソウルから比較的近く、沿線にはきれいな川や湖が多く週末ともなれば大勢の行楽客で賑わう。日曜で混雑している為か、午前中の切符しか取れなかった。列車は南春川を出るとしばらく田園風景が続き、やがて山間部に入り、川に寄り添って走る。南春川を出発した時はがらがらだった車内もすぐに満員になりやがて席に座れない人たちで通路までいっぱいになった。大学生のサークルの集団、OL風の女性達が多い感じである。みんな楽しそうだ。

韓国人は隣国の民族だが、明らかに日本人と異なる顔立ちの人がほとんどだ。日本人は多種多様な顔のパターンがあるのに対し、韓国人はいわゆる韓国人顔というか、顔のパターンが少ない。みんな似たような顔だちをしている。日本人のルーツは元々住んでいた縄文人、大陸から渡ってきた弥生人などいろいろな種族が混ざり合っているのに対し、韓国人のルーツはひとつの種族なのであろうか。日本人と韓国人同士であれば何となく、日本人と韓国人の見分けが付く。実際、日本人観光客の多い場所に行くと日本人は日本語で話しかけられる事が多い。だが、自分の場合、昔から日本語で話しかけられることより、韓国語で話しかけられることの方が多かったような気がする。道を聞かれたり、地下鉄で乗り換えを聞かれる事も度々あった。そんな訳で韓国語でアンニヨンハセヨ(こんにちは)の次に覚えた言葉はチョヌンイルボンスミダ(私は日本人です)だった。元々、昔から韓国人に間違われることが多く、南大門市場のお土産屋のおじさんは大体日本人は一目ですぐ分かるがあなたは韓国人だと思ったと言われたことがあったし、学生時代、授業で一緒だった中国人留学生はしばらく韓国からの留学生だと勘違いしていたらしい。また、ラオスからタイに抜ける国境ではAre you from South Korea?と聞かれ、ネパールの食堂のおじさんにキムチあるから食べていきなさいと言われたりそんなのばかりである。

予定では1時間54分でソウル清涼里駅に着くはずだが、そこはやはり韓国。10分遅れて到着。



ソウルは相変わらずエネルギッシュな町である。





以前、ソウルの定宿だった鍾路の安宿の丁寧な日本語を話すおばあさんも健在である。いつまでもお元気でいて欲しいと思う。明洞は相変わらずにぎやかで日本語の洪水で溢れかえっている。






しかし、南大門市場は日曜のせいか閉まっている店が多く人通りも少ない。いつもはこんなはずではないのだが・・・。明日、再度訪れようと思う。


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韓国旅行15

2008年07月25日 | 韓国
11月4日(束草→春川→ソウル)

3日目 春川

あまりにも朝早く着きすぎてしまったので、町をぶらぶらする。市場は日曜は休みなのだろうか。食事もとれない。ソウル行きの列車は11:50発なのであと3時間もある。とりあえず春川駅を目指して歩く。



明洞から西へ真っ直ぐ歩けばいいのだが、駅と市街地の間に広大な韓国軍の基地があり、それを避けるようにぐるっと迂回しなければいけない。



途中、教会から賛美歌の歌声が聞こえる。



日曜の朝らしい光景だ。韓国は教会が多い。どんな田舎町でもかなりの確立で教会を見かける。高校の時、キリスト教の授業で韓国のキリスト教信者率は10%、日本は1%と教わった記憶がある。アジアの中でそれほどキリスト教信者が多いのも珍しい。キリスト教の国はフィリピンほか僅かしかないと思う。逆に韓国では神社仏閣の類はあまり見かけない。日本軍による占領、朝鮮戦争度重なる戦争で破壊されてしまったのであろうか。




40分くらい歩いてようやく到着。こんな所に本当に駅があるのだろうかと疑うほど町外れの何もない所である。目の前は基地のフェンスしか見えない。



冬のソナタの最初の頃のシーンで仲のいい仲間同士でキャンプに行く時の集合場所だった三角屋根の駅舎の春川駅だが、駅舎も線路も跡形も無くなっていた。



わずかに残った春川駅の駅名標識がここに駅があったことを物語っているくらいである。



手元の切符を再度確認するとナムチュンソンヨク(南春川駅)と書いてあった。たまたま通りかかった散歩中のおじさんによると春川・南春川間は休止中とのことであった。

気を取り直して、またしばらく歩いて基地をぐるりと回り明洞へ戻る。



かなり歩いてお腹もすいたので名物のダッカルビでも食べたいが、まだ開店前なのかダッカルビ横丁は静まり返っていた。時間も迫ってきたのでタクシーで南春川駅まで行くが思いのほか遠く、12、3分もかかってしまった。南春川駅は確かに存在し列車もきちんと待っていてくれた。





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韓国旅行14

2008年07月25日 | 韓国
11月4日(束草→春川→ソウル)

3日目 春川

春川市は江原道の道庁所在地で人口18万。水に囲まれた静かな町で周りには湖が多く湖畔の町と呼ばれている。また、ダッカルビ(鳥と野菜を甘辛く炒めたもの)が名物である。

この静かな何の変哲もない田舎町にある時期を境に日本人観光客が大挙して押し寄せることになった。それは韓流ブームの火付け役、冬のソナタの舞台となった町だからである。



今から3年ほど前だったか、冬のソナタが大ブームになり、ヨン様フィーバーが社会現象になったのも既に懐かしい出来事である。NHKでもBS放送で大好評だったので異例ともいえるNHK第一放送で土曜の夜に再放送をしたほどである。あまりの盛り上がりに普段ドラマを見ないのに、これは見なければいけないと気合を入れて見ることにした。しかし、第1話目は日本の古い学園ものドラマみたいな内容で退屈でつまらなかった。第2話目からおもしろくなるのだろうと期待したが、相変わらず退屈な展開だった。もう見るのをやめようと思ったが社会現象でもあるし、もうそろそろおもしろくなるだろうと信じて第3話目を見たが、途中で寝てしまった。それからはもう見るのをやめた。もしかしたら第4話あたりから突然盛り上がってきたのかもしれない。



そんなわけで冬のソナタ、韓流ブームなんて一部のおばさん達だけが勝手に盛り上がっているだけだ!とバカにしていたのだが、後日、自分の母親がはまっていたのが判明した。というオチがついてしまった・・・。

ブームは過ぎ去ったとはいえ、春川の町中がペ・ヨンジュン、チェ・ジウだらけである。



ドラマの内容は分からないが、撮影場所の案内やストーリーの説明を見ていると、運命の出会い・初恋の思い出・大切な友達との思い出・永遠の別れ・再び始まる恋など、二度と戻らない青春の思い出、そんな内容が説明してある。自分にはもう決してやって来ることの無い過ぎ去ってしまった青春の再来をドラマに投影して見たのであろうか。


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韓国旅行13

2008年07月24日 | 韓国
11月4日(束草→春川→ソウル)

3日目 束草-春川

3日目は束草から江原道の道庁所在地の春川までバスで移動後、ソウルまで鉄道で移動する予定である。

束草から春川へのバスは1日19便。高速道路はなく、途中ソラク山をはじめとする山岳地帯の峠越えがあるので直線距離にすると90kmの距離であるが所要4時間を要するとガイドブックには書いてある。90kmを4時間。平均時速22km。しかし、90kmは直線距離なのでそんな計算は成り立たない。バスの平均速度を遅く見積もっても45kmとすれば4時間走ると180km。直線距離の2倍の道程である。相当な山越え、峠越えの連続の悪路が予想される。春川に到着する時間は遅くとも午前中でなければならない。そういう訳で束草6:30分発の始発バスに乗ることにする。さすがに朝早いだけあってか乗客も学生らしい女の子とOLらしき若い女性、あとは正体不明のおっさんだけである。出発前に運転手に春川の繁華街に行きたいと話をする。運転手からお菓子をもらった。バスの運転手からお菓子をもらった事など初めてである。長旅になりそうなので食料は必須である。韓国人の親切が本当にありがたく思う。

バスは束草の市内を抜け、山道をどんどん上っていく。いよいよ峠越えかと思った矢先、料金所がありその後長いトンネルを走る。抜けるまで10分くらいかかったような気がするほど長い長いトンネルであった。その後は湖や川沿いを走った記憶があるが寝てしまった。



どれくらい寝たであろうか。やがて運転手に起こされ目が覚めた。春川に到着したようである。運転手がタクシーを止めて乗せてくれた。多分、繁華街へと言ってくれたのであろう。韓国人はとっても親切だが、田舎に行くともっと親切にしてくれる。ちなみに韓国では運転手とは言わない。手では失礼と言うことらしい。運転手の事を運転技士と言う。

タクシーは5分ほど走って停まった。この辺が春川で一番の繁華街、明洞のようである。しかし、誰も人がいない。



市場も日曜の為か、まだ開いていないようである。



時計をみるとまだ8:30分であった。束草から2時間で着いたようである。どうやらガイドブックが古いようである。あのやたらと長いトンネルが開通して一気に所要時間が短縮されたようである。

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韓国旅行12

2008年07月23日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 束草

灯台の下の海岸沿いの道は刺身団地という名の一帯で魚料理の店が建ち並んでいる。生け簀に多くの種類の魚が泳いでいてそこから網ですくって刺身にしてくれるスタイルだ。イシダイ、ヒラメ、ブリ、カニ、イカ、カワハギ、フグ、ホタテなどどれも新鮮で美味しそうなものばかりである。







せっかく韓国の北の果てまで来たからには新鮮な刺身を食べたいがどの店もヒラメ一匹捌いて30000ウォンと統一価格であり、ディスカウントの余地も無い。さっきまで泳いでいたヒラメの刺身に沢山のお通しがついて最後は鍋にしてくれるのだから高いのも当然だがそれにしても高い。観光地価格か。そもそも、一人だからそんなに沢山食べられないし、刺身定食のようなもので十分であるが、定食にはしてくれないようである。

以前、釜山のチャガルチ市場で刺身定食を食べたが、12000ウォンだった。一人ではそれでもう十分だった。釜山は日本人観光客が多いのであろう、日本語メニューもあった。韓国人は大食いだから、定食では量が少ないのであろうか。定食は合理的なシステムだと思うが、アジアでは日本以外ではあまり見かけないような気がする。どの国でも単品料理とごはんの組み合わせが多いような気がする。

結局、宿の近くで海鮮鍋を食べることにした。



思いのほか具沢山で16000ウォン。味も辛くなくあっさりしていておいしい。



禁酒していたはずだがビール1瓶空けてしまった。


束草は韓国の北の果てだが、海沿いにあるので夜でもそんなに寒くない。夜の束草の町をぶらぶらする。観光客が多いからか江陵より活気があるような気がする。街角でプロの歌手なのか分からないがステージで歌を歌っているが、あまり立ち止まる人もいない。



夜10時もすぎると町を歩く人もめっきり少なくなり静かになった。 ソウルや釜山と違って夜は早いようである。
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韓国旅行11

2008年07月23日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 束草

バスは束草のバスターミナルに到着。



束草市は韓国で最も北朝鮮に近い都市で人口は10万。韓国の防衛線はソウルに重点が置かれている為、北朝鮮軍が攻めてきた場合、一日と持たずに陥落するだろうと噂される軍事緊張の高まる町である。また、北緯38度線の北に位置し、朝鮮戦争までは北朝鮮領であった。戦後、北朝鮮から移住した人たちがたくさん住み始めたので北朝鮮の食べ物や方言がこの町にはたくさん溢れている。近年では韓国最大のリゾート地であるソラク山(雪岳山)やきれいなビーチを有する事から観光開発が進む町でもある。

バスターミナルの周りは韓国の町らしく安宿街となっている。束草は町中に宿泊施設が非常に多い。チープなモーテルから、民宿、リゾート感溢れる外観の観光ホテルなど様々である。但し、高級ホテルはあまり無さそうである。



これで需給バランスが取れているのだろうかと心配になるが、きっと夏は大勢の観光客で賑わうのであろう。しかし、今はオフシーズンである。ここは強気に出ることにして、何件かのモーテルと交渉した結果、20000ウォンで宿泊することができた。これは5年前の慶州の旅人宿の25000ウォンを抜いて韓国での宿泊最安値となった。モーテルはやや狭いながらもなかなか小奇麗なところであるし交渉もうまくいったので満足である。





しかし、せっかくの最安値も今はウォン高なので円に換算するとそんなに安い訳ではない。円:ウォン=1:10のレートが体に染み付いており、なかなか現在のレートで換算することができない。タイの円:バーツ=3:1と同じである。ウォンもバーツもユーロも対円でのレートの上昇に歯止めがかからない。変わらないのは対ドルと元くらいである。原油の価格上昇にも歯止めがかからず、航空券も燃料サーチャージが取られかなり割り増しになった。近いうちに海外旅行へなかなか行けない状況になるのは必死であろう。

もう時間も午後4時に近い。日が暮れないうちに観光をしようと思う。



港の風景は北の最果ての港町といった寂寥感はなく幾分か陽気な印象を受ける。



ここ束草は観光産業で賑わっており、人の往来が多く華やかさがある。11月の晩秋の時期でも観光客でなかなかの賑わいである。灯台に上がって束草の町を眼下に見る。





西にはソラク山が見え、東には日本海が延々と続く。



風光明媚な町である。北の方角を見るが北朝鮮嶺まではさすがにここから見えないようだ。昔、ソウルの北、北朝鮮国境に近いオドゥサン展望台から北朝鮮領を眺めたことがあったが、残念ながら雨であまり見えなかった。いつか北朝鮮に安全に旅行できる日が来ることがあるのだろうか。
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韓国旅行10

2008年07月22日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 江陵

6時間に渡る列車の旅もいよいよ終了。日本と違ってやはり韓国の鉄道である。20分の遅れで終点の江陵に到着。乗客は長いホームを駅舎に向かい歩く。駅や駅前広場の閑散とした感じは根室や稚内、網走に雰囲気が似ている。最果ての感漂う終着駅である。







江陵市は江原道の沿岸地域の中心都市で人口24万人。駅から市街中心までは歩いて約20分と遠い。市街中心に近づくにつれ段々と賑やかになってくる。



しかし、韓国の町らしく市場しか楽しそうな場所はなさそうであるので、とりあえず中央市場に行ってみることにする。





韓国ではあまりスーパーは見かけないような気がする。スーパーより市場が人気があるようだ。韓国ではいつまでも市場が健在であって欲しい。特に食料に関しては市場でこだわりをもって新鮮で良いものを買う文化は素晴らしいと思う。ここの市場は海が近いだけあって海産物がとても豊富だ。また、韓国でも北に位置するので釜山あたりでは見かけない魚が多い。なかでもタラの干したものとタラを巨大化したような魚がおもしろい。







見た目はグロテスクだが鍋物にしたらおいしそうである。





時間もちょうどいいし、お腹もすいてきたので昼食とする。市場の食事はどこでも安くておいしいのだが、ビビンバとかチゲなどの定番メニューばかりで魚介類がないのが残念である。結局、もつ雑炊を食べたがこれでもかというほどもつが入っており、味付けも淡白なのでぜんぶ食べ切れなかった。店のおばさんたちの会話の中でイルボン(日本人)と何度も聞こえるがそんなに日本人が珍しいのだろうか?

食事を終えてバスターミナルまでタクシーで移動するが、これがまた町外れで遠く15分もかかってしまった。



駅-市街地中心-バスターミナルと町が構成されているようだ。旅行者には都合が悪い。バスターミナルは駅と対照的で活気があり、たくさんのバスと人で賑わっている。



列車はソウルまで7時間、一日7本。それに対し高速バスは3時間、15分おきである。勝敗は明らかである。束草行き高速バスは海岸線に沿った国道を走り、約1時間後に束草に到着。国道沿いは警戒中の兵士が多く、北朝鮮との国境に近い緊張感が漂う。写真撮影も自重した。
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韓国旅行9

2008年07月22日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 安東-江陵

列車は山を下り平野部に入ったところで、日本海に面した町、東海に到着。韓国では日本海のことを東海という。しかし、世界地図などの国際表記は日本海(Sea of Japan)であるので韓国政府は東海へと表記を変更するように関係先の国際機関へ何度も要請しているが、各国の理解は全くといっていいほど得られていない。韓国の主張は古来より国際的に東海の名で呼ばれ表記されていたのが、日本の植民地政策により日本海へと変更されたのでこれを元に戻すべきだとの主張である。しかし、残念なことに国際的な研究の結果、植民地時代以前、江戸時代よりはるか昔から国際的に日本海と認識されていたようである。仮に韓国の主張通り日本海を東海としたところで、韓国から見て東にある海なので東海であり、世界的にみて東海ではどこの海だか分からない。地理的に見ると日本海に最も長く海岸線を有しているのは日本である。それ以上に国際世論は韓国内の政治の問題、国威発揚といったものを海の呼称変更を通して国際世論の場に持ち込む韓国政府の姿勢を疑問視しているようである。日本では殆ど報道もされていないし関心もないが、韓国では国民の重大な関心を寄せ連日のように報道されているらしい。

東海は工業の町で海岸線に大規模なコンビナートが沢山見える。どうりで貨物列車ばかりが多かったわけである。東海を過ぎると日本海の海岸線に沿って列車は走る。海は穏やかで青く透明度が高くとてもきれいだ。日本で見る晩秋の日本海の厳しい荒波の向こう側にこんなに穏やかな海があることに驚く。とても同じ海とは思えない。まるで太平洋のような雰囲気である。







ただ、明らかに異なるのは北朝鮮との国境が近いためか海岸沿いに有刺鉄線が延々と張られ自由に出入りできないようになっている。また、所々に監視所が建てられライフル銃を持った兵士が警戒に当たっている。





そんな緊張感の漂う海岸線と対照的に入り江には綺麗なビーチがあり、海を眺めている観光客が沢山いる。シーズンにはきっとより多くの人々で賑わうことであろう。そのようなビーチが点在し、海沿いにはモーテルや民宿が沢山ある。駅がある度にどんどん乗客が下車していく。



途中の正東津という駅は目の前がもう海岸になっていて、多くの映画・ドラマ・PVの舞台として使われとても有名なのだそうだ。確かに絵になる風景である。




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韓国旅行8

2008年07月19日 | 韓国
11月3日(大邱→束草)

2日目 安東-江陵

列車は勾配をゆっくりと上り人家もなにも無い山岳地帯に入る。





このあたりまでくると大邱から通しで乗ってきた乗客もおらず、車内も空いてきた。後ろの席の人がみかんをくれた。韓国人の親切がうれしい。



高度が上がって樹木の種類が変わってくる。まるで北海道にきたみたいである。



紅葉も鮮やかである。



太白駅を過ぎるとスイッチバックの連続になる。進行方向がそのたびに変わる。日本ならそんな非効率な事はせずトンネルで一気にパスするであろう。眼下にはこれから通る線路が見える。日本では滅多にお目にかかれない貴重な風景を堪能する。






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