8月29日(土) 晴れ
今年の夏は天候不順で雨が多くて晴れの日が少ない。残念な夏である。2004年の夏に似ている。。その年は結局、梅雨明けしないまま、秋になってしまったような気がする。雨ばかりの日々が続いて、休日、ずっと家にいると気が滅入ってしまいそうである。そんな訳で8月は毎週、ほぼ強制的に旅に出ることを自分に課した。
3年間を過ごしたこの町は日本全国、どこにでもありそうな何の変哲もない、一地方都市なのだが、離れてみて、自分がこの町を、この町の生活を、この町の人々を愛していた事に、今さらながら気がついたのであった。
東京から赴任した当初はとんでもない田舎に飛ばされたと思ったのが、3年間住んでみて、地方ならではの生活の豊かさ、便利さが理解できるようになり、それに慣れてしまったのであろう。それまで何の不自由を感じなかった東京での生活が退屈で窮屈極まりなく感じるようになってしまった。
ひとつの場所の生活しか知らない生き方も良いかもしれないが、比較できる場所を持つことのできる生き方もまた素晴らしいと思う。3年間東京を離れた結果、それまでの何が何でも東京が一番という考えを改めることになった。東京という所は10代、20代のうちは刺激に満ち溢れ、チャンスが限りなく多く、無限の好奇心を満たしてくれる日本で唯一無二の場所であり、10代、20代のインプットを求め、必要とする時期を過ごすに最も相応しいステージである。しかし、30代、40代になり、インプットよりアウトプットが多くなる頃には、極端に生活コストのかかるだけの場所でしかない。その年代になると、東京の高い生活コストに見合うだけのものを得ることは難しい。その年代に到るまで、長年、東京に住んでいると、大概のことは、もう既に身につけてしまっているのだ。そうなると、単にコストパフォーマンスの悪い場所でしかない。どこかで見切りをつけて、東京というステージから降りるのも賢い選択なのかもしれない。
今年の東京への引越しが、11回目の引越しであった。つまり11の町で暮らしてきたことになる。この後の人生、あと何回、引越し、転居をする事になるのであろうか。縁もゆかりも無い、名前もあまり聞いたことも無い、この町で暮らすことになるなんて、10年前は1%も想像がつかない事であった。10年後はどうであろう。同じように1%も想像がつかない、名前すら知らない町で暮らしているのであろうか。



この町は、今や少なくなった路面電車が未だ健在である。
県境を越え、浜名湖を見ながらドライブする。浜名湖、特に奥浜名湖の風景は美しい。去年までは思い立ったらすぐに行けた場所である。もっと心して一期一会の気持ちでこの美しい風景を目に焼き付けておくべきだった。

浜松市を北に行くと、静岡の山村らしい風景が広がる。山間に茶畑が広がる風景はここまで来ないと見ることができない。人によって好きな風景は違うと思うが、この風景は特に心に染み入るものがある。




良く整備された綺麗な杉並木の中をゆっくりと走る。昨年まで当たり前だった事が、こんなに贅沢で素晴らしい事だったのかと気がついた。


そして山が開けたところには、必ずと言っていいほど、時代に取り残されたような集落がある。

県道1号飯田富山佐久間線は何度もドライブした一番印象に残る道である。今日は一番好きな所だけを楽しみながらのドライブである。

佐久間の街並み。

素掘りのトンネル。


佐久間ダム。

日本一人口の少ない村だった旧富山村。


深い緑の色の水をたたえた天竜川。

日本一小さい自治体だった旧富山村の玄関口大嵐駅。日本一大きな自治体の東京都の玄関口東京駅のミニチュアをイメージしたデザインが素晴らしい。
それから天竜川に沿って県道1号線の終点の飯田まで行った。飯田では思い出の場所へ行き、その時の楽しかったひととき、ひとコマひとコマを思い出そうと努力したのだが、記憶の劣化は時間と共に進んでいた。僅か3年前の出来事であるのだが。
後は、快適な国道151号線で一気に帰った。
夜はK部長にうなぎをごちそうしてもらった。この町のうなぎの美味しさは日本一だと思う。
美味しいうなぎでお腹一杯になって心が満たされて、気が緩んだのか、帰りにパーキングの支払いをする際に、ミラーを擦ってしまった。車を返却する時にばれるかと緊張したが、ばれずに済んでほっと一安心。借りた車なのに申し訳ない事をしてしまった。次回からはもっと気をつけよう。今回はマツダレンタカーで借りたのにも関わらず、どういう訳か、トヨタのヴィッツであった。とにかく運転していて疲れる車であった。何でこの車が売れているのかよく理解できない。
本日の走行距離340km。
今年の夏は天候不順で雨が多くて晴れの日が少ない。残念な夏である。2004年の夏に似ている。。その年は結局、梅雨明けしないまま、秋になってしまったような気がする。雨ばかりの日々が続いて、休日、ずっと家にいると気が滅入ってしまいそうである。そんな訳で8月は毎週、ほぼ強制的に旅に出ることを自分に課した。
3年間を過ごしたこの町は日本全国、どこにでもありそうな何の変哲もない、一地方都市なのだが、離れてみて、自分がこの町を、この町の生活を、この町の人々を愛していた事に、今さらながら気がついたのであった。
東京から赴任した当初はとんでもない田舎に飛ばされたと思ったのが、3年間住んでみて、地方ならではの生活の豊かさ、便利さが理解できるようになり、それに慣れてしまったのであろう。それまで何の不自由を感じなかった東京での生活が退屈で窮屈極まりなく感じるようになってしまった。
ひとつの場所の生活しか知らない生き方も良いかもしれないが、比較できる場所を持つことのできる生き方もまた素晴らしいと思う。3年間東京を離れた結果、それまでの何が何でも東京が一番という考えを改めることになった。東京という所は10代、20代のうちは刺激に満ち溢れ、チャンスが限りなく多く、無限の好奇心を満たしてくれる日本で唯一無二の場所であり、10代、20代のインプットを求め、必要とする時期を過ごすに最も相応しいステージである。しかし、30代、40代になり、インプットよりアウトプットが多くなる頃には、極端に生活コストのかかるだけの場所でしかない。その年代になると、東京の高い生活コストに見合うだけのものを得ることは難しい。その年代に到るまで、長年、東京に住んでいると、大概のことは、もう既に身につけてしまっているのだ。そうなると、単にコストパフォーマンスの悪い場所でしかない。どこかで見切りをつけて、東京というステージから降りるのも賢い選択なのかもしれない。
今年の東京への引越しが、11回目の引越しであった。つまり11の町で暮らしてきたことになる。この後の人生、あと何回、引越し、転居をする事になるのであろうか。縁もゆかりも無い、名前もあまり聞いたことも無い、この町で暮らすことになるなんて、10年前は1%も想像がつかない事であった。10年後はどうであろう。同じように1%も想像がつかない、名前すら知らない町で暮らしているのであろうか。



この町は、今や少なくなった路面電車が未だ健在である。
県境を越え、浜名湖を見ながらドライブする。浜名湖、特に奥浜名湖の風景は美しい。去年までは思い立ったらすぐに行けた場所である。もっと心して一期一会の気持ちでこの美しい風景を目に焼き付けておくべきだった。

浜松市を北に行くと、静岡の山村らしい風景が広がる。山間に茶畑が広がる風景はここまで来ないと見ることができない。人によって好きな風景は違うと思うが、この風景は特に心に染み入るものがある。




良く整備された綺麗な杉並木の中をゆっくりと走る。昨年まで当たり前だった事が、こんなに贅沢で素晴らしい事だったのかと気がついた。


そして山が開けたところには、必ずと言っていいほど、時代に取り残されたような集落がある。

県道1号飯田富山佐久間線は何度もドライブした一番印象に残る道である。今日は一番好きな所だけを楽しみながらのドライブである。

佐久間の街並み。

素掘りのトンネル。


佐久間ダム。

日本一人口の少ない村だった旧富山村。


深い緑の色の水をたたえた天竜川。

日本一小さい自治体だった旧富山村の玄関口大嵐駅。日本一大きな自治体の東京都の玄関口東京駅のミニチュアをイメージしたデザインが素晴らしい。
それから天竜川に沿って県道1号線の終点の飯田まで行った。飯田では思い出の場所へ行き、その時の楽しかったひととき、ひとコマひとコマを思い出そうと努力したのだが、記憶の劣化は時間と共に進んでいた。僅か3年前の出来事であるのだが。
後は、快適な国道151号線で一気に帰った。
夜はK部長にうなぎをごちそうしてもらった。この町のうなぎの美味しさは日本一だと思う。
美味しいうなぎでお腹一杯になって心が満たされて、気が緩んだのか、帰りにパーキングの支払いをする際に、ミラーを擦ってしまった。車を返却する時にばれるかと緊張したが、ばれずに済んでほっと一安心。借りた車なのに申し訳ない事をしてしまった。次回からはもっと気をつけよう。今回はマツダレンタカーで借りたのにも関わらず、どういう訳か、トヨタのヴィッツであった。とにかく運転していて疲れる車であった。何でこの車が売れているのかよく理解できない。
本日の走行距離340km。