2010年3月4日(木)、5日(金)
九州へ出張に行く事になった。九州に行くのは1999年の3月以来なので実に11年ぶり2回目になる。
普通に航空券とホテルを別途手配して経費清算をしようと思っていたのだが、別件で近畿日本ツーリストに行った際に何気なく九州のコーナーを見てみると激安価格のツアーがあり、しかもこの種のツアーにしては珍しいことに一人申し込みが可能である。肝心の料金だが、スカイマーク利用で2泊の設定だと32,800円。木曜出発の土曜戻りなので最も安い価格帯ではあるのだが、それにしても、どうしてこんな価格で発売できるのか謎である。会社には領収書不要の新幹線で行ったことにして、旅行会社には9,000円の宿泊費という項目で領収書を発行してもらった。せっかく遠くの博多まで行くのにただ仕事して帰ってきました、では何だかもったいない気がするのでもう1泊して観光もしてみたい。それでも東京・博多間の新幹線料金が往復42,420円、宿泊費が9,000円の合計51,420円で経費清算をしたとして、実際は飛行機で往復して博多で2泊して32,800円で済むので18,620円も得したことになる。
午前中まで仕事をして、羽田空港に向かう。スカイマークに乗るのは初めてである。国内線なので大してマイルも貯まらないので安ければどこの航空会社でもいい。

掃除のしやすい革張りのシートはエアアジアを思い出す。ウィンドブレーカーのお姉さんはCAというよりも野球場のアルバイトの学生みたいである。もちろん飲み物のサービスなんてものは無い。しかし、安ければそんなサービスなんてどうでもいい。必要なら買えばいいのである。国際線も同様である。機内食なんて食べたい人だけ金を払って食べればいいのだ。コンビニ弁当で十分だからその分料金を安くして欲しいと思う人も多いであろう。酒を飲む人も然りである。無料だと飲まないと何だか損した気分になるので、精神衛生上、健康上、ともによろしくない。
しかし、スカイマークはJALと違って、びしっとスーツを着こなしたビジネスマン風の客がほとんどいない。明らかに客層が違う。学生・フリーター風、老人、主婦、外人(アジア・インド・中東系)ばかりのような気がする。スカイマークには申し訳ないのだが、なんだか機内が貧乏臭いというか、良く言えばカジュアルなのである。スーツを着ていると完全に浮いてしまう。しかし個人的には日本の空もついにここまで来たかと逆に嬉しくなった。世界の流れを見ても、もはや飛行機は金持ちだけの乗り物ではない。大衆的な安くて気軽に乗れる乗り物なのである。金持ちが乗り、良家の子女がサービスをする。いわば上流階級だけの世界。そんな時代はとっくに通り過ぎたのだ。JALはそんな過去の遺産から結局抜け出せないまま破綻してしまった。時代とともに変化し続けることがどんな業界でも必要不可欠な事である。スカイマークに乗っただけでこんなに考察ができるなんて素晴らしい。いつも通りにJALに乗っていたら何も考察することなく、何も気がつくことなく終わっていただろう。

JALに乗った時の格調高いCAのアナウンスもなければ、ありがたい操縦席からのご挨拶もない。そんなものはいらない。安全で安ければよろしい。
当然、何事もなく、無事に福岡空港に到着。

福岡空港は市街地から近い。どんな経緯でこんなに市街地の近くに空港が出来たのか分からないが、東京から遠ければ、逆に空港を市街地の近くに造ればトータルでの所要時間は短くて済むという発想が根底にあったのなら、福岡県民の優秀さには感服せざるを得ない。福岡と似たような地理条件の札幌や同規模の地方都市の仙台、広島、より小規模の地方都市ですら空港と市街地の距離はもっと遠い。
ホテルは中心部にほど近い祇園という場所にあった。激安ツアーで使われるホテルなので多少の心配はあったが、便利な場所にあって、新しくて清潔で十分な広さの部屋である。


ホテルに荷物を置いて、天神にあるリクルート社を訪問する。九州の人の特性を教えてもらう。地元意識が強い、九州独自の文化を大事に思っている、祭りの日は会社を休んでも行く、地縁・血縁を大事にする、保守的、九州出身であることに誇りを持っている、九州でも各県ごとにカラーがだいぶ違ってくる、九州を出る人はあまり多くない、九州を出る事=東京に出ること=日本一を目指す、天下を取るくらいの意気込みである。などなど、とても参考になるお話であった。なかなか一筋縄ではいかない土地柄のようである。さすが、明治維新を成し遂げ、現在の日本の基盤を創った人物を輩出した九州である。九州人はプライドが高そうだ。東京からのこのこやって来て九州は中央から遠く離れた田舎で遅れた土地という考えが少しでも頭の中にあると、彼らはそれを敏感に察知するに違いない。元々、そんな考えは毛頭ないのだが、明日の言動には十分に注意することにしよう。九州は食べ物が美味しい、人が優しくて親切、明治維新を成し遂げた優秀な九州人、現在でも多くの文化人、芸能人を輩出する独自の素晴らしい文化、ホークス最高!などなど、明日は、九州についての全ての事を褒め称えよう。
そんな事を頭に思い浮かべながら天神を後にして、明日の仕事場の下見に中洲へと移動。



明日の仕事場。会場で会社を判断されると困るので、上司を説得して、わざわざ高い金を払って中洲の新しい綺麗な会議室を用意しておいた。優秀な人材が多く集まるといいのだが。

しばらく、中洲を散策。やはり昼間よりも夜の街といった感じがする。天神の方が多くのビジネスマンで賑わっていた。

中洲の大洋映画劇場。その名前といい佇まいといい一目で気に入ってしまった。名画座だろうと思ったのだが、普通のロードショーの映画館であった。これで名画座だったら完璧なのだが、そううまく事は運ばない。やはり商業主義的である。二本立ての名画座は今や都内でも数少ない。客の回転が悪く、なかなか採算が取れないので商業主義的な考えの企業ではやっていけない。


外は雨が降っている。ホテルでのんびりした後は、広島の所長と合流して、飲みに行く。
夜の中洲は大勢の人々で賑わっている。



中洲名物の屋台。九州には本州にはないアジア的な空気がある。しかし、残念なことに屋台は年々、減少しているという。




北のススキノ、南の中洲と並び評されるだけあって、巨大な歓楽街である。北海道の中心、札幌市の人口は188万人、一方、九州の中心、福岡市の人口は145万人だが、歓楽街はその人口に不釣合いなほど巨大である。まるで、新宿歌舞伎町や池袋西口にいるような気がする。
広島の所長は同期入社で気心知れた仲である。元々は大阪の人なのだが、転勤で頑張っている。広島はあまり好きになれないらしく、福岡の方が好きならしい。それにしても福岡は欲望のみなぎる町である。広島の所長が九州を担当していた際に取引先とよく中洲で飲み歩いたそうだが、中洲の歓楽街の素晴らしさを称えると、地元の取引先の人は揃って「博多は大したことなか。やっぱ熊本ばい。熊本はすごかと。」「く、くまもとですか・・・。」「熊本に比べると博多はまだまだ子供の町ですたい。」「・・・。」
それ日以来、広島の所長はいつか熊本に行く日を夢見ているとの事である。熊本・・・。

楽園ビルって・・・。何これ珍百景に出てきそうである。

ここは歌舞伎町かと一瞬、錯覚してしまいそうだが、呼び込みのお兄さんの掛け声が博多弁なので、九州なんだなと実感する。

広島の所長の話では中国地方の中心、広島市は人口115万人の大都会なのだが、歓楽街はそれほど巨大ではないらしい。私も仕事で広島は何度か訪れた事があるのだが、同感である。もっとも広島は戦争の悲劇の土地なので歓楽街があるのは不謹慎とも言えるかもしれないが。一方、昨年の9月に旅行した東北地方の中心、仙台市は人口103万人広島市と同規模だが、歓楽街は東北らしく真面目で控え目な感じであった。3大都市圏以外で100万都市は札幌、仙台、広島、福岡だけなので、やはり、札幌と福岡の歓楽街の巨大さは群を抜いている。
今回、人口を調べてみて気づいたのが、小学生の社会の授業で習った当時、仙台市は100万都市に入っておらず、その代わりに北九州市が入っていたはずであるが、90万都市に陥落していた。また、大阪が2位から3位に転落して横浜が2位に台頭しており、当時はまだ存在していなかったさいたま市が9位にランクインしているが、両方とも首都圏、東京の一部と言ってもいい地域なので、いかに東京への一極集中が進んだという事がよく分かる。
都市の人口推移(上位12位まで)を調べてみるとなかなか興味深いデータであった。
1920年は東京、大阪、神戸、京都、名古屋、横浜、長崎、広島、金沢、仙台、鹿児島、札幌。(意外な都市、長崎、金沢、鹿児島がランクイン。)
1930年は大阪、東京、名古屋、神戸、京都、横浜、広島、福岡、長崎、仙台、札幌。(なんと大阪が東京を抜いて1位だった時期があるのだ。これは大発見であった。また、ここでようやく福岡が長崎を抜いてランクイン。九州の中心となる。)
1940年は東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸、広島、福岡、川崎、長崎、仙台、静岡。(東京が大合併をして一気に巨大都市になり2位以下を突き放す。また、現在に至る3大都市圏が形作られてそれにともない、横浜、川崎の人口が急増。なぜか静岡の人口が急増して札幌がランク外へ。)
1950年は東京、大阪、京都、名古屋、横浜、神戸、福岡、仙台、川崎、札幌、広島、熊本。(名古屋と広島の人口が急減している。戦争の影響だろうか。)
1970年は東京、大阪、横浜、名古屋、京都、神戸、北九州、札幌、川崎、福岡、仙台、広島。(合併により誕生した北九州が一時的に台頭。)
2010年は東京、横浜、大阪、名古屋、札幌、神戸、京都、福岡、川崎、さいたま、広島、仙台。(これから日本は人口減少時代を迎える。上位の顔ぶれは固定化する可能性が高い。)
安定して上位ランクに入っている都市もあれば、浮き沈みしてきた都市、沈んだまま浮き上がれなくなってしまった都市など悲喜こもごもである。将来はどの都市が台頭し、どの都市が衰退するのであろうか。予測できない部分が大きいが、間違いなく言えるのは東京は未来永劫に渡って繁栄を続けるはずである。そして、東京の繁栄が続き限り、東京首都圏の一部である、横浜、川崎、さいたま、千葉も安泰であろう。東京で生活の基盤を作って生きていくのも大変な苦労があるのだが、頑張り続ければ将来は報われる可能性が高いかもしれない。
地元の美味しい食べ物と酒を飲んだら、締めはやはり豚骨ラーメンを食べたい。豚骨ラーメンの店は多数あるのだが、東京で見かける店も多い。今日の店探しのテーマはここ博多でしかやっていない店、そして汚くて男しか入らなそうな油ぎとぎとの店である。
最近のラーメン屋はきれいになった。また、女性の一人客でも入りやすいような店も増えたので、昔ながらの、THE男のラーメン屋を探すのが難しい。
ようやく見つけた1軒。すでに中洲から離れて、祇園の近くまで来てしまった。

歓楽街から離れた場所にあるにも関わらず芸能人や野球選手の色紙がいっぱい飾られている。そのほとんどが、男らしい面々である。
中でも目を引くのが、巨人時代の松井。

極めつけは男清原。清原に一番似合うラーメンを選べと言われたら間違いなく豚骨ラーメンと答えるだろう。

油ぎとぎとの昔ながらの男の豚骨ラーメンといった味であった。さすが本場の味は本格的である。油を大量に補給したので明日の仕事もエンジン全開で最初から飛ばしていけそうである。

翌日、仕事も無事終え、みんなで居酒屋でもつ鍋や焼き鳥を食べ、酒を飲み、今日中に帰宅する上司と広島の所長を見送った後で、ひとり中洲を歩いていたら、前からひときわ目立つ美女を連れたインパクト十分なぼさぼさ頭の太った中年男性が歩いてきた。脳科学者の茂木健一郎氏であった。最近、氏の著作「クオリア立国論」を読んだばかりであるので、氏とすれ違ったのも奇遇である。プライベートをお楽しみのようなので声をかけるのは遠慮しておいた。しかし、なぜ、ここ中洲に茂木健一郎がいるのかが意外すぎてよく分からない。氏のする事だから脳にいい事をしているのに違いないが、それにしても連れ立って歩いてた若い美女は奥さんにしては若すぎるし(茂木健一郎氏は1962年生まれの47歳)、清楚で知的な感じであるのでホステスさんではないと思う。教え子か、仕事関係の人であろうか?本には書かれていないが、若くてきれいな女性と一緒においしい酒を飲むのはきっと脳にいい刺激を与えるのに違いない。もっとも、そんな素人でも分かるような事を学者がわざわざ本に書くまでもないであろう。いずれにしても茂木健一郎が誰と中洲で飲み歩いていようが興味がないので、とっととホテルに帰って寝る。
1,2日目終了。
九州へ出張に行く事になった。九州に行くのは1999年の3月以来なので実に11年ぶり2回目になる。
普通に航空券とホテルを別途手配して経費清算をしようと思っていたのだが、別件で近畿日本ツーリストに行った際に何気なく九州のコーナーを見てみると激安価格のツアーがあり、しかもこの種のツアーにしては珍しいことに一人申し込みが可能である。肝心の料金だが、スカイマーク利用で2泊の設定だと32,800円。木曜出発の土曜戻りなので最も安い価格帯ではあるのだが、それにしても、どうしてこんな価格で発売できるのか謎である。会社には領収書不要の新幹線で行ったことにして、旅行会社には9,000円の宿泊費という項目で領収書を発行してもらった。せっかく遠くの博多まで行くのにただ仕事して帰ってきました、では何だかもったいない気がするのでもう1泊して観光もしてみたい。それでも東京・博多間の新幹線料金が往復42,420円、宿泊費が9,000円の合計51,420円で経費清算をしたとして、実際は飛行機で往復して博多で2泊して32,800円で済むので18,620円も得したことになる。
午前中まで仕事をして、羽田空港に向かう。スカイマークに乗るのは初めてである。国内線なので大してマイルも貯まらないので安ければどこの航空会社でもいい。

掃除のしやすい革張りのシートはエアアジアを思い出す。ウィンドブレーカーのお姉さんはCAというよりも野球場のアルバイトの学生みたいである。もちろん飲み物のサービスなんてものは無い。しかし、安ければそんなサービスなんてどうでもいい。必要なら買えばいいのである。国際線も同様である。機内食なんて食べたい人だけ金を払って食べればいいのだ。コンビニ弁当で十分だからその分料金を安くして欲しいと思う人も多いであろう。酒を飲む人も然りである。無料だと飲まないと何だか損した気分になるので、精神衛生上、健康上、ともによろしくない。
しかし、スカイマークはJALと違って、びしっとスーツを着こなしたビジネスマン風の客がほとんどいない。明らかに客層が違う。学生・フリーター風、老人、主婦、外人(アジア・インド・中東系)ばかりのような気がする。スカイマークには申し訳ないのだが、なんだか機内が貧乏臭いというか、良く言えばカジュアルなのである。スーツを着ていると完全に浮いてしまう。しかし個人的には日本の空もついにここまで来たかと逆に嬉しくなった。世界の流れを見ても、もはや飛行機は金持ちだけの乗り物ではない。大衆的な安くて気軽に乗れる乗り物なのである。金持ちが乗り、良家の子女がサービスをする。いわば上流階級だけの世界。そんな時代はとっくに通り過ぎたのだ。JALはそんな過去の遺産から結局抜け出せないまま破綻してしまった。時代とともに変化し続けることがどんな業界でも必要不可欠な事である。スカイマークに乗っただけでこんなに考察ができるなんて素晴らしい。いつも通りにJALに乗っていたら何も考察することなく、何も気がつくことなく終わっていただろう。

JALに乗った時の格調高いCAのアナウンスもなければ、ありがたい操縦席からのご挨拶もない。そんなものはいらない。安全で安ければよろしい。
当然、何事もなく、無事に福岡空港に到着。

福岡空港は市街地から近い。どんな経緯でこんなに市街地の近くに空港が出来たのか分からないが、東京から遠ければ、逆に空港を市街地の近くに造ればトータルでの所要時間は短くて済むという発想が根底にあったのなら、福岡県民の優秀さには感服せざるを得ない。福岡と似たような地理条件の札幌や同規模の地方都市の仙台、広島、より小規模の地方都市ですら空港と市街地の距離はもっと遠い。
ホテルは中心部にほど近い祇園という場所にあった。激安ツアーで使われるホテルなので多少の心配はあったが、便利な場所にあって、新しくて清潔で十分な広さの部屋である。


ホテルに荷物を置いて、天神にあるリクルート社を訪問する。九州の人の特性を教えてもらう。地元意識が強い、九州独自の文化を大事に思っている、祭りの日は会社を休んでも行く、地縁・血縁を大事にする、保守的、九州出身であることに誇りを持っている、九州でも各県ごとにカラーがだいぶ違ってくる、九州を出る人はあまり多くない、九州を出る事=東京に出ること=日本一を目指す、天下を取るくらいの意気込みである。などなど、とても参考になるお話であった。なかなか一筋縄ではいかない土地柄のようである。さすが、明治維新を成し遂げ、現在の日本の基盤を創った人物を輩出した九州である。九州人はプライドが高そうだ。東京からのこのこやって来て九州は中央から遠く離れた田舎で遅れた土地という考えが少しでも頭の中にあると、彼らはそれを敏感に察知するに違いない。元々、そんな考えは毛頭ないのだが、明日の言動には十分に注意することにしよう。九州は食べ物が美味しい、人が優しくて親切、明治維新を成し遂げた優秀な九州人、現在でも多くの文化人、芸能人を輩出する独自の素晴らしい文化、ホークス最高!などなど、明日は、九州についての全ての事を褒め称えよう。
そんな事を頭に思い浮かべながら天神を後にして、明日の仕事場の下見に中洲へと移動。



明日の仕事場。会場で会社を判断されると困るので、上司を説得して、わざわざ高い金を払って中洲の新しい綺麗な会議室を用意しておいた。優秀な人材が多く集まるといいのだが。

しばらく、中洲を散策。やはり昼間よりも夜の街といった感じがする。天神の方が多くのビジネスマンで賑わっていた。

中洲の大洋映画劇場。その名前といい佇まいといい一目で気に入ってしまった。名画座だろうと思ったのだが、普通のロードショーの映画館であった。これで名画座だったら完璧なのだが、そううまく事は運ばない。やはり商業主義的である。二本立ての名画座は今や都内でも数少ない。客の回転が悪く、なかなか採算が取れないので商業主義的な考えの企業ではやっていけない。


外は雨が降っている。ホテルでのんびりした後は、広島の所長と合流して、飲みに行く。
夜の中洲は大勢の人々で賑わっている。



中洲名物の屋台。九州には本州にはないアジア的な空気がある。しかし、残念なことに屋台は年々、減少しているという。




北のススキノ、南の中洲と並び評されるだけあって、巨大な歓楽街である。北海道の中心、札幌市の人口は188万人、一方、九州の中心、福岡市の人口は145万人だが、歓楽街はその人口に不釣合いなほど巨大である。まるで、新宿歌舞伎町や池袋西口にいるような気がする。
広島の所長は同期入社で気心知れた仲である。元々は大阪の人なのだが、転勤で頑張っている。広島はあまり好きになれないらしく、福岡の方が好きならしい。それにしても福岡は欲望のみなぎる町である。広島の所長が九州を担当していた際に取引先とよく中洲で飲み歩いたそうだが、中洲の歓楽街の素晴らしさを称えると、地元の取引先の人は揃って「博多は大したことなか。やっぱ熊本ばい。熊本はすごかと。」「く、くまもとですか・・・。」「熊本に比べると博多はまだまだ子供の町ですたい。」「・・・。」
それ日以来、広島の所長はいつか熊本に行く日を夢見ているとの事である。熊本・・・。

楽園ビルって・・・。何これ珍百景に出てきそうである。

ここは歌舞伎町かと一瞬、錯覚してしまいそうだが、呼び込みのお兄さんの掛け声が博多弁なので、九州なんだなと実感する。

広島の所長の話では中国地方の中心、広島市は人口115万人の大都会なのだが、歓楽街はそれほど巨大ではないらしい。私も仕事で広島は何度か訪れた事があるのだが、同感である。もっとも広島は戦争の悲劇の土地なので歓楽街があるのは不謹慎とも言えるかもしれないが。一方、昨年の9月に旅行した東北地方の中心、仙台市は人口103万人広島市と同規模だが、歓楽街は東北らしく真面目で控え目な感じであった。3大都市圏以外で100万都市は札幌、仙台、広島、福岡だけなので、やはり、札幌と福岡の歓楽街の巨大さは群を抜いている。
今回、人口を調べてみて気づいたのが、小学生の社会の授業で習った当時、仙台市は100万都市に入っておらず、その代わりに北九州市が入っていたはずであるが、90万都市に陥落していた。また、大阪が2位から3位に転落して横浜が2位に台頭しており、当時はまだ存在していなかったさいたま市が9位にランクインしているが、両方とも首都圏、東京の一部と言ってもいい地域なので、いかに東京への一極集中が進んだという事がよく分かる。
都市の人口推移(上位12位まで)を調べてみるとなかなか興味深いデータであった。
1920年は東京、大阪、神戸、京都、名古屋、横浜、長崎、広島、金沢、仙台、鹿児島、札幌。(意外な都市、長崎、金沢、鹿児島がランクイン。)
1930年は大阪、東京、名古屋、神戸、京都、横浜、広島、福岡、長崎、仙台、札幌。(なんと大阪が東京を抜いて1位だった時期があるのだ。これは大発見であった。また、ここでようやく福岡が長崎を抜いてランクイン。九州の中心となる。)
1940年は東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸、広島、福岡、川崎、長崎、仙台、静岡。(東京が大合併をして一気に巨大都市になり2位以下を突き放す。また、現在に至る3大都市圏が形作られてそれにともない、横浜、川崎の人口が急増。なぜか静岡の人口が急増して札幌がランク外へ。)
1950年は東京、大阪、京都、名古屋、横浜、神戸、福岡、仙台、川崎、札幌、広島、熊本。(名古屋と広島の人口が急減している。戦争の影響だろうか。)
1970年は東京、大阪、横浜、名古屋、京都、神戸、北九州、札幌、川崎、福岡、仙台、広島。(合併により誕生した北九州が一時的に台頭。)
2010年は東京、横浜、大阪、名古屋、札幌、神戸、京都、福岡、川崎、さいたま、広島、仙台。(これから日本は人口減少時代を迎える。上位の顔ぶれは固定化する可能性が高い。)
安定して上位ランクに入っている都市もあれば、浮き沈みしてきた都市、沈んだまま浮き上がれなくなってしまった都市など悲喜こもごもである。将来はどの都市が台頭し、どの都市が衰退するのであろうか。予測できない部分が大きいが、間違いなく言えるのは東京は未来永劫に渡って繁栄を続けるはずである。そして、東京の繁栄が続き限り、東京首都圏の一部である、横浜、川崎、さいたま、千葉も安泰であろう。東京で生活の基盤を作って生きていくのも大変な苦労があるのだが、頑張り続ければ将来は報われる可能性が高いかもしれない。
地元の美味しい食べ物と酒を飲んだら、締めはやはり豚骨ラーメンを食べたい。豚骨ラーメンの店は多数あるのだが、東京で見かける店も多い。今日の店探しのテーマはここ博多でしかやっていない店、そして汚くて男しか入らなそうな油ぎとぎとの店である。
最近のラーメン屋はきれいになった。また、女性の一人客でも入りやすいような店も増えたので、昔ながらの、THE男のラーメン屋を探すのが難しい。
ようやく見つけた1軒。すでに中洲から離れて、祇園の近くまで来てしまった。

歓楽街から離れた場所にあるにも関わらず芸能人や野球選手の色紙がいっぱい飾られている。そのほとんどが、男らしい面々である。
中でも目を引くのが、巨人時代の松井。

極めつけは男清原。清原に一番似合うラーメンを選べと言われたら間違いなく豚骨ラーメンと答えるだろう。

油ぎとぎとの昔ながらの男の豚骨ラーメンといった味であった。さすが本場の味は本格的である。油を大量に補給したので明日の仕事もエンジン全開で最初から飛ばしていけそうである。

翌日、仕事も無事終え、みんなで居酒屋でもつ鍋や焼き鳥を食べ、酒を飲み、今日中に帰宅する上司と広島の所長を見送った後で、ひとり中洲を歩いていたら、前からひときわ目立つ美女を連れたインパクト十分なぼさぼさ頭の太った中年男性が歩いてきた。脳科学者の茂木健一郎氏であった。最近、氏の著作「クオリア立国論」を読んだばかりであるので、氏とすれ違ったのも奇遇である。プライベートをお楽しみのようなので声をかけるのは遠慮しておいた。しかし、なぜ、ここ中洲に茂木健一郎がいるのかが意外すぎてよく分からない。氏のする事だから脳にいい事をしているのに違いないが、それにしても連れ立って歩いてた若い美女は奥さんにしては若すぎるし(茂木健一郎氏は1962年生まれの47歳)、清楚で知的な感じであるのでホステスさんではないと思う。教え子か、仕事関係の人であろうか?本には書かれていないが、若くてきれいな女性と一緒においしい酒を飲むのはきっと脳にいい刺激を与えるのに違いない。もっとも、そんな素人でも分かるような事を学者がわざわざ本に書くまでもないであろう。いずれにしても茂木健一郎が誰と中洲で飲み歩いていようが興味がないので、とっととホテルに帰って寝る。
1,2日目終了。