まーにゃのお部屋

花々の移り変わりと暮らしの中の出会いを書いて行きます。

浜石岳の②

2009-04-09 | 思い出の山々
記憶から消えていた浜石岳の景色をhanasakuokaさんが
見せて下さいました。
『海も印象的です 浜石岳』クリックしてご覧下さい。

hanasakuokaさんのブログ名は『山に魅せられて』 です。
私のブックマークからでもいかれます。

分かり難いかもしれませんので、要約すると
hanasakuさんの友人のKさんが。ある山で大事な登山手帳を
落としたのが、事の起こりです。
後日手帳を拾ったTさんからKさんへ手紙を添えて手帳が送られて、
きました。喜んだKさんとTさんの文通が十五年続き

今回の劇的な出会いが有ったというお話です。

その素晴らしい浜石岳に昔登ったことがあった まーにゃは
関係も無いのに山を愛する者同士の友情に打たれ 
リンクさせていただいたのです。


浜石岳

2009-04-07 | 思い出の山々
1994年2月20日高崎から静岡の山へバスの長旅でした。
海を見たい、富士が美しく見える山へ行きたいという、群馬県人の
願望に付き合ったのです。15年も前のことゆえ詳しくは憶えていませんが
ブックマークの『山に魅せられて』hanasakuokaさんのブログに
浜石岳を見つけ聞いた事がある山だと残したアルバムを開き
見つけました。

富士山を背にし、喜び溢れた笑顔の面々、真ん中で横を向いて
いるのがまーにゃです。


横顔では人違いされそうなので、正面を。

  
何故こんな写真を載せるのか??でしょう?
 hanasakuさんのブログで Kさんと恩人のTさんが
15年振りに初めて出会う劇的な話が載っていて、山を愛する
人の心に打たれたのです。

事の次第はクリックしてお読み下さい



山の思い出-⑦

2009-02-25 | 思い出の山々
浅間隠山(アサマガクシヤマ)

浅間山・鼻曲がり・角落が目の前にあるはずなのに
この山があって、見えなから、浅間隠山と言うそうです。
16年前 同好会の仲間と行きました。  


小学校の遠足にもなると言うが、どの山もそう簡単には遊ばせて
くれません。二度上げコースで頂上へ



頂上までは鼻歌交じりで、案内の90分をきって着く、

今は噴火の予想があり、不気味ですが、当時は穏やかな
裾を引いた山は美しく思い出されます。


戻りはワラビ平コースへ
いきなり急な下りだが、ガスが立ちこめ見通しが悪く
恐怖心が湧かない、朝が軽かったせいか 足に力が入らない
半べそで転ぶ、転ぶ、横の樹に掴まると、それがグニャーとなり
ぶら下がり、引き上げてもらい立とうとするとザラザラの土で尻餅
笹の根に足を取られ前転び、股裂きまで、パターン幾つ??
後ろのS氏付き合いよろしく スッテン、スッテン、やってます。

次は岩場、垂直の壁を鎖で下りている、キャーどうしよう
置いて行かれそうで、踏み出しは勇気がいる、鎖にしがみ付かない!
踵で突っ張る~とアドバイスが飛ぶ、終わりは足が届かない
飛ぶんだ~~ヤッ

今度は崖っぷちの丸太橋 こんな時に限ってガスが切れて
深い沢が見える


先頭グループが道がありませ~ん こんな時は沢を下りるそうで
安心した途端苔がつるつる・・・・・野草が一杯、蕗・ウド・山椒・
やがてワラビ平到着  待っていたバスで”はまゆう荘”へ

温泉・食事・カラオケ・で帰路に着く。

次の日は脇腹・腕まで痛み、まだまだ鍛え足り無いと
ファイト・ファイト

写真はまさこちゃんの談話室 様からいただきました。

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ツルバキア
歩きと・麻雀のお仲間 Kさんの形見の花



川沿いを歩く以前、週1回  ご近所のオバサン8人が三本の川
善福寺川・玉川上水・神田川・を基準に歩いていました。

そのグループのリーダーがKさんでした。Kさんだけが二廻り若く
動きの鈍い年配どもを纏め、お世話下さいました。

10時集合、今日は何処へ行きたい??と相談して多数決で出発
新宿御苑までとか、馬事公苑、とかへ。
着いた先でのお昼はKさんお薦めの美味しいお店へ其れが
楽しみで、雨が降っても歩きました。5年ほどで、私は抜けましたが
Kさんが亡くなられてからの今も続いているようです。

Kさんは麻雀が大好きで、乳がんと分かって歩きを抜けられてから
我が家でする小雀を何よりの楽しみに、歩くのがだいぎになって
からは、タクシーで来られ、疲れるとソファーで休みながら
楽しんでおられました。
ツルバキアは午後3時ごろから夜も 上品な香りを振り撒きます。
今晩も匂ってお届け出来ないのが残念です。

初め切花を頂き、次に根分けして持って来て下さいました。
50代の若さで駆け抜けて行ってしまったK様
ツルバキアは毎年咲き、貴女を偲んでいます。 


山の思い出ー⑥

2009-02-21 | 思い出の山々
レンゲツツジを見に湯の丸山へ H8年の事でした。



小雨降る車窓が突然炎を上げて、燃える山の景色に変わる。
10万株と言われるレンゲツツジは圧巻



ワーワー歓声に包まれる。よく見ると凄い人人、車,車
人込みを避けて烏帽子岳組みと、湯の丸組みに分かれ
足元をスパッツで固め、私は湯の丸組みへ



テンペンカケタカとホトトギスが忙しくなく鳴く、(托卵をする鳥)です。
近くで鶯が近寄らないで、あっちへ行ってと叫ぶ。
ホトトギスは鶯の巣へ卵を産み鶯の卵を蹴落とし、鶯に育てさせるのです、その雛は大きくなると鶯の雛を巣から蹴落としてしまうと言う
  酷い残酷。  プンプン

麓のイワカガミは咲き終わり、茎が赤くなっているが、頂上では
満開、踏まないよう気をつける。峰ヤナギ綿毛がフワフワ飛ぶのを始めて見る。ツマトリソウ・ゴゼンタチバナ・白山チドリ・ノギラン・シャジク草
大葉ギボシ・コケモモ・アヤメ・ヤエムグラ・スズラン・がんこうらん・
ミヤマハンショウズル・ヤマオダマキ・20種の花との出会いがあり
又行きたい山になりました。



下りで、雲の上の八ヶ岳・蓼科・が大きく見えました。

あれから13年花の名前を読んでも半分も思い出せない情けなさ。
ブログに載せる事は貴重です。
写真が無くて 旅ネットから添付しました。
                                13年前の事

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体操をしながら、クマザサの白が綺麗で見惚れます


この中に思い掛けない発見がありました。


大きな猫ちゃんがねんねしています。
太って、毛の艶も良く、飼いねこのようでも、
この寒空に如何したのかしら??


カメラを向けてもじっと寝ています。

山の思い出-⑤

2009-02-05 | 思い出の山々
8年前の    H13年2月  2泊3日の旅
群馬ハイキングに参加して、神津島天上山の砂漠を歩いてきました。



H7年東京へ戻ってからも、お付き合いを続けていた。
海無し県ですから冬場には大島・三浦半島・伊豆方面へ東京を
通過する時は拾ってもらい参加していた。

竹芝桟橋で待ち合わせ、懐かしい面々と再会を喜び合う。
船室の1画を割り当てられて横になる。出航は21時
東京湾内は静かだったが、湾を出る当たりから、うねりが酷くなる

上陸前に朝食を取って置くよう指示されるが、食べれなかった。

9時下船マイクロバスで宿へ道の両側に椿が咲き大島と感じが
似ている。
海の色は先週見たオホーツクと違ってキラキラと明るい、
一休みして、車で登山口へ参加は60人

年齢の幅も広く、途中までの人も居た。
1時間の急登で山頂台地の一角に着く、
窪地・砂地・砂漠・溶岩ゴロゴロ・した所、変化に富んだ道を
上がったり、下ったり。

モッコク・赤いつげ・ヤマグルマ・シャリンバイ・ベンケイソウ・
ウラジロ・シキビ・



トップの写真が表砂漠、らくだの気分で歩く、

見晴台は300度の展望、 
富士山・利島・大島・新島・櫛が峰・三宅島・御蔵・全部見える

新東京100景選定 天上山と書かれていた。



不動池は一滴の水も無く天上山の三角点を撫ぜて暗い沢沿いの
下り、スミレ・花の終わったエンレイソウ・ショウジョウバカマ・
ウメバチ・メジロの声を聞きながら、1時間下る。
膝がブルブルもう限界かなと思った時に迎えのバスがきて、
温泉に向かう、海中を掘った露天風呂は内風呂で温まってから
道路の下の通路を駆け抜け飛び込む。



沈む夕日を眺め


宿の炬燵でおしゃべり三昧。

次の日は流人の墓・海岸へ、ウミスズメ(箱ふぐ科)を拾って
孫へのお土産にする。

帰りの船は甲板で島々を間近で確認しながら風に吹かれる。


 
伊豆半島の大室山がオレンジ色・丹沢大山・鋸山のギザギザ・
地上では見えない風景にうっとり。

夕食は船の食堂へ皆カレーだが、うどんにしてカレールーを
貰った。    丁度日没で山の端にストントと真っ赤な太陽が
落ち、赤い残照を眺めてから、船室に戻り一眠りしているうちに
竹芝桟橋に着き、タラップを歩いて下船

バスに向かう皆を送り、一人浜松町から電車へ

                               予約投稿しました。         

登山の思い出-④ 

2009-01-30 | 思い出の山々

 大菩薩峠へ    13年前の 1996年10月の事
長男家族と山の紅葉に染まりたいと出かけた。

雷岩はひびだらけ、落雷の残骸か?

秩父多摩国立公園 標高 1897㍍

枯葉が私のように キリキリ舞 
長い長い下り まーだーーーを思い出す。

原稿無しの写真のみ、記憶は霧の彼方に霞んでしまいました。

 


山の思い出-③

2009-01-28 | 思い出の山々
憧れの北岳に会いに、夜叉人峠へ         
                      H12-11-3・・日帰り


朝5時出発、10分遅れたら車を置く処が無かった。ラッキー

誘っても断られると思った 主がのり気 長男一家
Mちゃん10歳 H君8歳 の6人で出発

真っ暗な5時・・・甲州街道→調布→中央道→やがて東の空が
白みかけるとアッ富士山とH君が叫ぶ 正面に 左に 右に
山並みの上にちょっと顔を出したり、まるで かくれんぼうを
するように、招いてくれるかのように

6時初狩サービスエリア着、朝食を済ませ甲府昭和で
高速を下りる。
秩父連峰・南アルプス・鳳凰三山のオペリスクがそそり立って
白峰三山はうっすら雪化粧・甲斐駒はひときわ白く、鋭くみえる。

葦安村に入って千メートルの高度さをジグザグコースで稼ぐ。

登山口は1350m もう車が溢れ手前の道路脇に何台も止められている、ドンドン上がっていくと、バス停の横に隙間があり
何とか止められた。

主は登山は無理なので甲府行きのバスを調べると、行ったばかり
でも、すれ違わなかったので、・・・・・と何とバスが下りてくる
大急ぎで乗り、手を振って帰って行った。

登山口で杖を選び出発 ゴロ石の急登、直ぐはーはー
ゆっくり歩くと慣れてくる、
唐松林の中を行くと、5本松見事な巨木が地上で5つに別れている
その生命力に圧倒される。ケンケンキジかな?ピューの声もする

先頭の息子とH君は全然見えない、わき道に7㎝の霜柱が
気温10度爽やかな風が峠はもう直ぐと教えてくれる。



夜叉人峠1370m
早くみたい気持ちを抑えて正面に見える所まで進んで
パット目を開ける 凄い!!威風堂々 デーンと
右から北岳・バットレスは見えない左に長く尾根が流れ
間ノ岳・農鳥岳・がごつごつした2つの峰を寄せている。
 


暫く飽かず眺め
先の杖立峠まで1時間20分かけて行っても眺めは同じと聞き
戻って高谷山へ、落ち葉を踏んでの歩きは気持ち良く
甲斐駒まで遮るもの無しのパノラマを目に焼きつけ、峠に戻り、
サンドウイッチを広げ、幸せ味に酔う

下りは私のペースに合わせてくれての山行、申し訳ない。
帰路岩園荘でお風呂に入り 帰宅は5時だった。



山の思い出-②

2009-01-15 | 思い出の山々
平成13年、今から8年前の1月7日穏やかな正月のことです。

高崎で入っていた山のサークルが景信山の山頂で
餅つきをするから、皆が会いたいと言っているよ とお誘いを
頂き、長男一家と次男一家を誘って総勢9人で行って来ました。




出発は8時 運転は長男、助手席に次男
中の席は両側の嫁に挟まれたまーにゃ
後部席に4人の孫がぎゅう詰めで、キャーキャー大喜び スタート

一番下のミーちゃん車に弱いとタオルを咥えていたが、
大ハシャギするうち、大丈夫そうで良かった。

中央道→八王子の町を抜けると両側が畑、霜で真っ白 水溜りは
凍っている。小仏峠のバス停を過ぎ少し行った所に車を止める

お昼のお餅が楽しみで、軽い荷物で登り始める、
道が凍っていないか心配したが乾いていて心配ないようだ。

葉を落とした木々、鳥の囀り、春を迎える為に力を蓄えている
ように感じる。15分も歩くと暑くてセーターを脱ぎ皆身軽になって
元気一杯。
ゆるい巻き道、キツイ近道、孫達は近道をドンドン先に
行ってしまう。木の根が剥きだしになっていて気をつけないと
躓きそうになる。下りて来る人のもいて人気の山だと分かる。


滑るぞーー皆慎重に

尾崎喜八の山の絵本にも、大好きな山で、何度もきていると
書いてあり、1時間の道程と書いてあった、

4人の孫は、5年、4年、3年、2年生のミーちゃん
アレッ  後ろで抱っこかな??

そのミーちゃんが今年成人式 を迎え大学の
アメラグのマネージャー、 馬子にも衣装、見違えた。  
年をとるはずだと実感



富士山がまじかにマダラな姿をみせ、丹沢の山々がうっすらと、

コゲラが数羽忙しそうに、木から木へ飛び回っている。

お腹が空いて、おにぎりを食べると言うのを宥めて
高崎からの仲間を待つ、 

茶屋が2軒あって上の店に聞くと
餅つきの予約を受けていると言うので、臼の近くに席を作って
待つ事1時間、馬飛びをしたり、ちっともじっとしていない。

やがて、リーダーの旗を先頭に続々と集まり何と70名参加との事
懐かしい面々と6年ぶりの再会を喜び合う。


チェリーさんの写真を頂く。

大根をおろす人・黄な粉・あんこの用意も出来て、蒸しあがった
ご飯が臼に入れられ、手馴れた人がコトン コトンとこね、景気の良い
音がしてくる、 こうゆうときは何の役にも立たず 申し訳ない。

手際よく一口大に千切ってくれて、先ず黄な粉で・おろしで・
美味しー!



何処からか おしたしとか、白菜漬け、たくわん、ご馳走になる。

食べながら歩き、話しながら食べ 大福は留守番に おみやげ。

キノコ汁で満腹、残ったお餅はビニール袋に入れて伸し餅に
お片づけやっと出番と手伝うが大根おろしが大量に残り、穴を掘って
捨てるというので、茶屋で天ぷらを売っていたので、添えてあげて
と渡す。皆にお別れの挨拶をして下山。

こんなに登ったのかと驚くほど下る。
Hー君ふざけて駆け下りる、ハラハラするがバネが利いているからか、転ばないまるで猿のよう。

帰りの高速スムースに流れ、2時には帰宅、お留守番の
アグネスが纏わりついて、大喜び連れて行かれたら良いのにね~

怪我も無くて良かった、又行きましょう~ね

チェリー様から霜柱草を撮りに行ってきましたと写真が届き



昔の資料から、纏めました。



No-2

2009-01-11 | 思い出の山々
3日目は朝一番のロープウエー 宿の親爺さんと私達だけ

見える山々を指して、仙丈ケ岳、駒ケ岳、霧が峰、南八岳教えて
下さる、H君覚えたてで、感激している。
山で採れたのかセロリをどっさり下さる。

街に下って久し振りのコーヒー、町営のお風呂でサッパリして
霧が峰へ、名残のキスゲがチラホラ、ヤナギランがそろそろ

 
ヤナギラン       シモツケ
車はゆっくり下り,八島湿原に立ち寄る、少しだけ見て
と言うが、花一杯 トリアシショウマ・オトギリソウ・クガイソウ・
イブキトラノオ、35種をメモして、花に酔う


八島湿原の木道

蓼科山が霞み、手前は白樺湖

さーお蕎麦を食べよ~~と諏訪湖の岸辺の店へ、
さすが名物だけあって、美味しい 足りないと言うのを
納得させ帰路に付き、病院へ直行
看護婦さんの冷たい視線に登山スタイルの5人小さくなって
平謝り、順調な回復にホットする。

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家の窓辺が花盛り、一人で見ているのが勿体無くて


12月25日


 半月で満開になりました。  1月10日

左からセロジネ・シクラメン ・ ブーゲンビリア・ポインセチア



温室が無くなって窓際に置けるだけになりました。


山の思い出-①

2009-01-08 | 思い出の山々
北横岳のご来光と山頂からの眺め フォトサークルの
チェリー様からの写真を見て、
 懐かしく アルバムを繰り 旅日記を読みました。



あの時は何も見えなかったけれど、この景色が広がっていたのだ。



北横岳山頂2477m、13年前の家族です。


長男と孫の2人と私。・・・嫁が写す。

旅日記としてブログに保存したくなりました。
長くなりますので、どうぞ斜め読みにして下さい。

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平成8年8月3・4・5日の思い出

この2ヶ月身辺慌ただしく、諦めていた山行きだけに『行って来いよ』の一言は嬉しかった。手術後で動けない主人を病院に任せてまで行こうとする自分に後ろめたさはあったが、
此れを逃してはもう行かれないだろうと思う気持ちの方が強く、決心した。それなのに出発の3日前、急に後頭部が痺れ、頭痛、吐き気まで、やはり行くなと言うことかと悔しく思いながら医者へ、風邪の引きかけだと薬をもらう。
徐々に回復の兆しあり、此れなら大丈夫とサンドウイッチ・オレンジ冷凍
きゅうり・バナナ等など用意。

平成8年8月3日5時半 車はルシーダ・後ろの席には
2年生の孫 H君が横になり、真ん中に私と4年生の Mちゃん
背を倒して寝る体制、私は嬉しくてそれどころではない、
嫁が本を買いプランを練ってくれていた。

麦草峠に向かう、渋滞も無く7時半に着きお弁当だけ
持って足元を固め歩き出す、いきなりオオシラビソ・
コメツガの大木・苔むした倒木・ひんやりした風に
樹木の香がむせ返る、



右上の緑色はヒカリゴケですが、バカチョンカメラで
勉強不足を痛感

スキップしたくなる気持ちを
網目のような木の根が遮る。 必要な物だけ持ってと
注意したのに、めんどくさいと重いリュックを背負った
息子はもうハーハーして、我々と足並みが揃う。

白駒池に着く、釣りをしている人、家族ずれが多い
池を半周して、高見岩へ向かう、急な登りもクリアー

サンドウイッチ多めに持ってきた積りが全部無くなる
高見岩子屋展望台は巨岩のオブジェ,霧が出てきて
私は荷物番、H君短い足で良く附いて行く。

下りてきてMさん前に来た事があると言う、良く聞いてみると
合宿できていたらしい。池に向かって緩やかな道で下る。

車へ、メルヘン街道から蓼科高原ピラタナス駐車場へ向かう、

山は水不足と聞いて、ポリタンクへ水を汲みロープウエーで
ピラタナス山頂駅2230mへ 2時到着、重いリュックを
皆が背負って20分縞枯山荘着 8畳16人用個室がある
と言うので決める。

目の前が縞枯山 枯れた樹が横並びに立っている

百年周期でこの縞が変わるという、未だに謎の現象だそう、

Mさんと私は子屋の廻りで遊び3人は縞枯山へ向かう
直登できつく、展望台まで行ってきたと言う。

夜は真っ暗になるから、早々と蒲団を敷き明日の支度をする。

夕食はヒレカツ・こごみの胡麻和え・お茶はご飯茶碗で
お皿は重ねないで、箸袋で拭う水不足の工夫だ。

太陽発電の灯りが点いた屋内トイレで助かる。
しりとりが、尻切れトンボになって眠りにつく。
夜中雷と土砂降り屋根からの貯水槽へ沢山貯まったであろう。
 朝食ハムエッグ、サラダ。

坪庭から北横岳に向かう、坪庭は波打つ溶岩の隙間にコメツガ
シャクナゲ、ガンコウラン、などが生え自然の石庭だ。
山の登りはゴゼンタチバナ、アキノキリン、圧巻は光苔
急登で頂上、13度と寒い。ある物全部着込む、霧の晴れるのを待ってヒュッテに戻り七つ池へ

神秘的で天女が舞い降りてきそう、ワタスゲが揺らめき
思わず感嘆の声が漏れる。

山は神 姿を写す、鏡は池と言う、神に導かれ、生かされている
我が身は幸せ、でも病の床に伏す妹、何を神に感謝しろと

言うのか?回復を願って祈る。

三つ岳に向かって下るが分岐を見落としたらしく戻るがない、

三つ岳止めて同じ道を4回歩き疲れがドット、下りが終わる
と言う所で前の男性が杖の先が滑ってか前かがみに転び
デングリガエシ皆如何する事も出来ず、気の毒そうに見るだけ
気の緩みは怖いとつくづく思う。

11時昼には早いので、五辻に向かうが笹原の気持ちの良い道は
僅かで、濡れた木道、倒木、ゴロ石と水溜り、眺めも無し
我慢の歩きの末やっと明るい場所に着きお弁当にする。
25分で着く筈が無いので、山荘に戻る。


右端の方はネパールのシェルパさん、 働きに来ている。

一休みして息子達は三つ岳が諦めきれず、雨池からのコースで
向かう3人は山荘の本でさっき見たのはハタザオと分かる。

息子達は2時間ほどで、戻ってきて、険しくて、怖くて、あと少しで
引き返したという。賢明だと思う。

夜中星が大きく瞬き手が届きそうに見える。本を車に置いて来て
シリウスカナ???誰も分からない

3日目はNo2 花一杯の八潮湿原に続きます。