おせっちゃんの今日

平凡な主婦の平凡な日々のあれこれ帳です。
自分への応援歌でもあります。

金毘羅様

2017-01-23 15:38:17 | 雑記
テレビ番組の好みが合わないことの多い我が夫婦ですが、土曜日夜7時半から、NHKの「ぶらタモリ」は揃って見ます。21日は金毘羅様でした。

子どもがまだ幼稚園の年少さんとその下くらいの頃だったと思います。訪れたことがあります。夫は幸か不幸か運動音痴です。多くのサラリーマンが休暇にはゴルフに出かけますが、夫は出かけません。「高い会員権を手に入れて一日二日つぶして行くことを思えば、家族旅行ができるよ」と我が家ではよく小さな旅をしました。日本の景気も右肩上がりで、そんな贅沢ができたのでした。

金毘羅様と言えば、我が家では一つ覚えのように話題になる思い出があります。
「重かったよ~。まだあの頃は私も若かったんだねえ」とここまで言うと
「はいはい、おいらを背負って登ったというのでしょ。耳タコだよ。いいですよ。おばさんがしなびた婆さんになった時には、行きたいところに背負って行ってあげるから」。

これが、ほとんど同じ言葉で繰り返されて、笑で終わるのです。

この話にセットになって話される思い出話もあります。
宇高連絡船で四国へ渡ったのだと思いますが、甲板に出ると、若い男性4人でマージャンをしていたのです。我が家ではそんな小さい時から、家族マージャンをして遊んでいました。子どもたちもパイを扱うことが少しはできていたのです。
お兄ちゃんたちのゲームをのぞき込んでいたKが、甲高い声で言い放ちました。
「パパ、どうしてチュン(中)泣かないの?」
お兄ちゃんは、大きな手を狙っていたようでした。あわてて
「ぼく、黙ってて!!」。
きっと上がれなかったのではないかと、気の毒に思うのです。

金毘羅様を目指して、ローカル線に乗っていました。同席した人が
「ぼく何処から来たの?」
ちょっと困ったような顔をしたK。「旅館」。
「そう。今からどこへ行くの?」
「旅館」。

そう、確かに2泊三日の旅でした。
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水道代

2017-01-21 15:07:48 | 雑記
お正月・元日午後、に息子一家が訪ねてくるのが恒例です。ほんの簡単なものですが、私手作りのお節を祝い、お嫁さんのMiちゃんと台所の片づけをし、次の夕食の準備をしていました。

夫は夕食前のお風呂に入っていました。台所とは壁を隔てた浴室です。水音が聞こえてきます。

Miちゃんが少し顔をしかめて言いました。
「お父さんも、じゃ~じゃ~派ですね。シャワー出しっぱなしですね」
「そうなの。ちょっとひと手間なのに、止めることをしないのよね」
「まあ、Kさんが単身赴任から帰ってきたら、水道料が5割増しなんですよ。いくら言っても聞いてくれません」
「ごめんなさいね。躾ができていなくて。こんなこと、親子で似てしまうのですかね。私も厳しく言うのですよ。湯水のごとく使うといって、水や湯は只みたいに思うかもしれないけれど、都会では水道代が電気やガスより高いくらいなのよ。水道をたくさん使うということは下水量もそのまま高くなることなのよ!と怒るんですけれどね。80年も身についたことは今更直りませんね」
「節水も大事なことなんですけどね」
「お風呂のシャワーもそうですが、困るのが、台所の蛇口や洗面所の蛇口。最大に出して周り中跳ね散らかしてしまうのよ。水の無駄だけでなく、後始末の主婦の手間も大変」。
「Kさんもそうですヨ~」。

堅実なMiちゃんは、気になって仕方ないようです。
じいじ、K、気を付けてください。女二人怒っているのですよ。
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文明の利器

2017-01-20 15:00:14 | 雑記
先日、オーストラリアからのスキーを目的にした観光客がスキー場でコースを外れて行方不明になったというニュースが流れました。
日本のスキー場のパウダースノーが良いと、季節が逆のオーストラリアから多くのスキー客が訪れているのだそうです。観光客が増えることは、いいことだけれども、決められたコースを外れて危険地帯に入り込んで、捜索隊を出す大騒ぎを引き起こすのははた迷惑な話だなあ、と思いながらも、翌日無事全員助かったという報に接したときはホッとしたことでした。

木の根方に雪洞を掘って一晩明かしたということでしたが、捜索隊に見つけてもらうのに一役買ったのが、いわゆるスマホだったようです。遠く故郷の友人に遭難している旨を知らせ、現在位置を掴んだとか。

持ってるだけの携帯電話。ガラ型。ほとんど使ったことのない私には、この仕組みが分かったようなわからないような。いずれにせよ、文明の利器で家族4人が助かったのです。
ふ~ん。私がこの遭難者だったら、きっと使いこなせなくて、命を落とすのだろうなと、苦笑いをしたことでした。

今日午後、お花のお稽古に出かけました。今日は若先生はお茶の方のお仕事でお出かけ、大先生が見てくださいました。もう少しで88歳、米寿を迎えられる先生です。

このオーストラリア人の話が出て、仕組みはわからないけれど、便利なものねえ、とばあさん二人感心しあったことでした。
大先生が続きに感心したと言えば・・・と次のような話をされました。先の日曜日、お茶のお家元の初稽古に行くのにタクシーに乗ったのです。時間が迫っていました。「急いでね。間に合うかしら」と言ったら、運転手が「どこそこが交通渋滞しているようですから、どこそこの方から行きましょう。大丈夫ですよ」と言ってくれたの。便利ねえ、交通事情まで分かるのね!目的地までの道も詳しく分かるらしいし・・・。

大感激していらっしゃいました。

文明の利器ですね。若い人にはあって当たり前のもので感激もないかもしれませんが、化石人間にはありがたくてありがたくて・・・。
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初詣・・・ベビーカーおことわり

2017-01-19 16:03:45 | 雑記
お正月三が日を過ごしたと思っているうちにも、日にちは飛ぶように過ぎて、もう明日からは下旬になります。ブログで取り上げるには、時期はずれになってしまいましたが、やはり書いておこうかと思います。

朝のワイドショーで取り上げていた話題です。(いつものことで、主婦仕事の合間のながら見です)

詳しい場所も覚えていないのですが、あるお宮さんで「境内でのベビーカーはご遠慮ください」という立札が立ったのだそうです。
当然のように、幼い子供連れの若い世代からは、不満の声が起こりました。
電車の中のベビーカーなどでも、邪魔にされるケースもあり、子供連れはどうすればいいのよ、と声は大きくなったのだそうです。

神社側には言い分もあるのだそうです。初めから、ベビーカーを締め出したわけではないのだそうです。
一昨年だかには、ベビーカーを押した人たちは、優先的に別の入り口を設けて、危険がないように導いたのだそうです。

そうすると、人間みんなが善人ではないのでしょうか。十分歩ける子ども(甚だしい場合は小学生かとも思われる子供)を無理やりベビーカーに乗せて優先通路を付き添いだと言って大人数で通るグループが続出し始めたのだそうです。
これにも、当然のように非難の声が上がりました。優先にするのはけしからんという声です。

こんな経緯があって、そのうえで、優先通路は無しにしました。そうすると危険な混雑が起こったのです。ベビーカーを押す人にも、それを押しのけて先を急ぐ人にも危険は迫ります。
事故が起こっては・・・というので選択した苦渋の案が、今年はベビーカーおことわりだったのです。

皆さんどうお考えになりますか。

おせっちゃんの考えたこと

私は伝統的なことは尊重する方です。だから、除夜の鐘を止めようか、とか、昼間に撞くというようなことは反対なのです。
でも、なにか流行のように12時の時報とともにみんながみんな繰り出すようなことにはやや疑問を感じます。元日の朝になって、きちんと身じまいをしてお参りするのも身が引き締まるでしょうし、三が日過ぎてでもいいではありませんか。特に幼い子供を寒い夜中に連れ出さなくても・・・と思うのです。子どもは寝る時間です。神様はいち早くお参りした人だけの願い事を聞き届ける狭量な方ではないと思います。他人を押しのけいらいらしながら、不平不満でするお参りは神様は受け付けてくださらないような気がします。

ちなみに私は、14日になって、どんど焼きが行われるお宮さんに、松飾りなどを焼き上げていただくように持って行き、ゆっくり丁寧に拝んでまいりました。
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ヒールのある靴

2017-01-18 12:26:45 | 雑記
兄の葬儀を終えた翌日、いつものようにウオーキングをしました。
足がだるいのです。周回路を5周するのですが、回るごとにやめたいと思うほどのだるさを感じます。それでも頑固者で決めたことはやりとげようと、回りました。
終わってからスーパーにより、銀行により、郵便局により、自宅を目指すのですが、だるさは増すばかり。最後は一歩一歩引きずる思いで帰宅しました。

これはいったい何なんだろう。特に足を使ったわけでもないし・・・。昨日葬儀に出たとはいえ、これはただ座っているだけ、精神的にも、お歳に不足な人を送ったわけではなく、時には親族の親睦会のようになった時もある会だったし・・・。脚が疲れるはずはないのだけれどなあ、疑問を抱きながら家にたどりつきました。

玄関で、運動靴を脱ぎながら、はっと気が付きました。
ああ、そうなんだ。昨日は黒の喪服を着て、久しぶりにそのスーツのスカートがミディー丈で、踵のある靴を履いたのだった。原因はこれだ!

いつの頃からでしょうか、スカートをはかなくなり、パンツならこれでいいわと靴を踵無しのスニーカーにしてしまっていました。初めの頃はウオーキングそのままに、スニーカーで通しましたが、あまりな婆さんが、スニーカーでもと思い、ペタンコのスニーカー風黒靴にしたのでした。
パンツルックも、ペタンコ靴も時代の流れで容認されてきていたのです。

人間、やすきにつきますね。楽な靴に慣れ、踵のある靴は下駄箱の隅に追いやられるばかりです。

それがミディー丈のスカートです。場所がフォーマルな場所です。スニーカーまがいの黒靴では、短足がスカートの下からちょろりと見えるばかりでなんとも変な格好です。これではいけないと、埃をかぶっていた靴を引っ張り出し、一日履いていたのです。
脛の筋肉が、退化していたのですね。弱ってしまっていたのですね。その脛が悲鳴を上げていたのです。

がっかりしました。老いを痛感しました。反省しました。わが身体ながら笑ってしまいました。そうして原因が解って安心した自分をも発見しました。
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あれ~っ、パソコンが変!

2017-01-17 14:38:16 | 雑記
もう一週間ほど前のことです。パソコンが今まで経験したことのない状態に。慌てました。

めったに起こらないことかもしれませんが、万一の時のご参考にいきさつを書いてみます。

その日は亡くなった長兄の葬儀に藤沢まで出かけなければならない日でした。朝の気忙しい時でしたが、もし他の兄妹から連絡が入っていてはいけないと、パソコンを立ち上げたのです。
何だか動きや、画面が変なのです。
まず普通なら、ちょっと待っていると「ようこそ画面」が出てくるはずなのに、その日は今まで出たこともない「サインインをしろ」という画面が出てきたのです。パスワードなど覚えていませんが、調べて打ち込むと無事通過。ただし、壁紙に自分の撮った白鳥の写真が出てくるはずなのに、ただ少し光った鼠色が一面に。

あれれれれ?と思いながら、アウトルックを起動してみると、背景が真っ黒、それに白抜きの文字が出てきたのです。どうにか読み取りはできるのですが、読みにくいことおびただしい。読まなければならないメールは入っていないようなので、不具合を気にしながら、電源を落として出かけました。

夕方遅くに帰宅。今朝の不具合は何かの間違いで、もう直っているかな、という希望的観測は否定されました。メールのアウトルック、インターネット・エクスプローラ、ワード・エクセル、みんな真っ黒背景です。

パソコンの基本は少しは分かって使っているのですが、こうした不具合に対処は全くできないおせっちゃんです。仕方なくメーカーのNECに電話で相談しました。やっとつながって始めに受け付けてくれたまだ若そうな声の女の子は、いろいろ症状をきいてくれましたが、「私の専門範疇ではない。こちらに電話しなおすように」と、投げられてしまいました。

次に受けてくれた男性は、言うとおりに操作してみてくれと、言ってくれました。次々とだされる指示に遅れじと操作するだけでいっぱいいっぱい、細かいところはあまり覚えていないのですが、次のような指示でした。

スタートボタンをクリック⇒左下付近の歯車印・「設定」をクリック⇒Winndowsの設定画面の個人用設定をクリック⇒プレビュー画面の右側から消えてしまった壁紙の画面をえらぶ、

とそのあたりまでしか覚えていないのですが、ほとんど同じ動作を2・3度試みているとあるときパ~っと反転して通常の画面に帰りました。
誠に頼りないご報告で申し訳ありませんが、そんな箇所に原因があるようです。

パソコンがこんな変な状態になると、私のような知識のないものは、「ウイルスにやられたか」「変なところを触ってますます敵の罠にはまってしまうのではないか」と不安になってしまいます。
NECの相談員さんに、直った後で「で、こうなった原因は何ですか?今触ったあたりは、私は全く触っていませんけれど」と質問したのですが、「何かの拍子にたまたまこうなることもあるのです」と詳しいことは答えてくれませんでした。

次のパソコン教室で、先生に話しましたところ、「そうなんです、まさに何かの拍子になるのです。強いて言えばその頃かなり大規模なアップデイトが行われましたので、それが引き金になっているかもしれません。アップデイトで設定が変わってしまうことはよくあることなのです」とおっしゃっていました。

真っ黒なパソコン画面の前で、慌てたおせっちゃんでした。

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おせっちゃんの折々のことば

2017-01-16 13:59:38 | 雑記
先日来、「折々のことば」を題材にしてブログを書きましたが、さて、私が作文するなら・・・と考えました。
強く心に残っている言葉があります。高校のクラスメート、Sさんの言った言葉です。

「子どもがいるから生きられるわ」。

彼女のご主人は、朝の通勤電車の中で脳出血に見舞われ、病院に運ばれたのですが、意識を取り戻さないまま亡くなったのです。
その時、彼女のお子さんは3人。一番下の子どもは春から幼稚園という幼さでした。
クラスメートの何人かが、お葬式も済んで少し落ち着かれたかと思われる頃、励ましに訪ねたのでした。いきのの電車の中でも、あまりに早い、急な亡くなりかたよね。彼女今からどうして暮らしていくのだろうね。幼い子供を抱えてでは、お勤めもままならないだろうし・・・と心配したのでした。

大方のものが、「子どもがいなければ、働いてどうにか生きていけるだろうけれど」と思っていました。

そんな私たちに発した言葉が、上の言葉だったのです。ハッと胸を打たれました。

その後彼女は強く生きました。住んでいるところが郊外の団地でした。若い世代の住人が多く、子どももまだ多い時代でした。その頃、子どもたちにはピアノを学ばせるというのが一つの流行のようなものでした。
子どもの親は、超一流の教師につけて世界を目指すほどの教育は望まず、子どもの教養としてのお稽古事ほどを望んでいる人が多かったのでした。
Sさんは、ピアノを専門的に学んだ人ではありませんでしたが、自分が好きで、打ち込んで練習した人でした。安い月謝で団地の会館で教えるというと、結構生徒が集まったのです。

始めは同情から通わせた親もあったかもしれません。でも彼女の真剣な教え方と、人柄でしょうか、上手く続いて、生徒は増えていったのです。
私は時々便りで励ましておりましたが、何年かたった時には、立派なプログラムが送られてきました。発表会を開けるようになったとの報告でした。
結局この仕事で三人の子どもたちを立派に育て上げたのです。

昨年、クラス会が開かれました。高校卒業以来初めて彼女が出席してくれました。
耳が遠くなっていましたが、元気で、みんなから拍手で歓迎されたのです。

子どもとともに生きたのです。素晴らしい母の力です。
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中学生・高校生の心に響いた言葉

2017-01-14 14:36:19 | 雑記
「折々のことば」にならった作文、「私の折々のことばコンテスト2016」(朝日新聞社主催・朝日中高生新聞共催)の入賞の言葉が1月6日の紙上に発表されていました。中学生、高校生の心に響いた言葉は、高齢者の私にも響きました。

🔴 「ハーフ」じゃない「ダブル」だ・・・最優秀賞・・・ガリタ 慧さん(中学1年生)

ぼくの父はコスタリカ人だ。つまりぼくは「ハーフ」だ。英語でそのまま言えば「半分」だ。だから父はこの言葉を嫌う。「ハーフじゃない、ダブルだ!」
僕が日本人✖1/2なのではなく、日本人+コスタリカ人なのだと自信を持たせたいのだと思う。
(おせっちゃんが勝手に解説文を縮めています)

🔴 三流になりなさい・・・朝日新聞社賞・・・砂沢 彩音さん(高校1年生)

不登校指導教室の先生の言葉。
辛い時は涙を、身体を動かして汗を。そして三つめの「流」は、受け流す、聞き流すと自分なりに解釈し、三流になれた。

🔴 「微力」だけど「無力」じゃない・・・Z会賞・・・新水 竜一さん(高校1年生)

植林体験事業でベトナムに行ったときの他の参加者が言った言葉

数百本の苗木を植えても何ら世界は変わらないのでは、と思っていたら、聞こえてきた。もやもやがすっと消えた。

🔴 Dは「だめ」のDじゃなくて「大丈夫」のDだよ。…栄光ゼミナール賞…秋山 歩花(中学1年生)

いとこのかけてくれた言葉
中学受験前、志望校の合格判定は「D」。いとこのお兄ちゃんの言葉を支えに勉強を頑張り、合格できた。

🔴 大きくなったねえ・・・朝日中高生新聞賞・・・犬塚 杏子さん(中学2年生)

周りの大人の人たちの言葉
ほとんど身長は伸びていないのに、少し会わないだけで、こう言われる。でも、私を見守ってくれている暖かい言葉。

その他、いくつかの入賞の作文の発表もありますが割愛します。
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適材適所

2017-01-13 14:44:25 | 雑記
朝日新聞朝刊には、天声人語のすぐ上に「折々のことば」と言うコーナーがあります。いろいろな人のふと言った言葉を、哲学者の鷲田清一氏が解説しています。
こんな歳になっても人生の折々に感じたことが浅いのか、解説の内容が、今一つ読み切れない私ですが、新聞を読むときには目を通すコラムです。

1月6日は、奈良の宮大工西岡常一さんの「力は釣り合いが崩れると、弱いところへ弱いところへと集中しますからな」という言葉が取り上げられていました。

「木の癖を読む、木の育った方位に使う」ことで、一つとして同じではない木を一つ一つ適材適所で使っているから、飛鳥時代の建物が強靭なのだと、奈良の宮大工はいう。木には強いのもあれば弱いのもある。割った形もそれぞれ違うし、右に左に曲がる癖もある。それを削って真っ直ぐに見せるのは、きれいかも知れないが後で必ず無理がくるという。

木についての言葉だけれど、これは一人ひとり個性のある人間の使い方にも当てはまることだと心に響きました。それぞれの強さ、弱さ、明るさ、暗さ、無口か饒舌か、頭の回転が速いか遅いか、人懐っこいか、恥ずかしがりか、・・・それぞれの個性があります。
それを適材適所に使い、その人の持っている潜在能力をより伸ばすようにすることこそ、若者や、子どもの育成に大事なことなのでしょう。

2014年11月に湖東・湖南に紅葉を愛でに行きました。そのツアーの行程の中で、穴太衆の積み上げた石垣の街を歩きました。築城などでその技術を高く評価されたプロフェッショナルな集団でしたが、今も一軒その技術を伝えて、石垣の修理などをしているのだと聞きました。

その現在の石工が言っているそうです。
「石の声を聞いて、石の行きたいところへ置いてやるのです」。

宮大工と言うところは同じでしょう。
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兄が逝きました

2017-01-12 15:58:19 | 雑記
8人兄弟姉妹の一番上の兄が7日、94歳で亡くなりました。歳に不足はないと思うものの、やはり寂しくなりました。

兄は戦後の貧しい時代に就職しました。日本全体が貧しかったとはいうものの、安い給料の中から、私たち弟妹のために、仕送りもしなければならない、長男としての役割も果たしてくれていたのだと思います。告別式の焼香をしながら、ありがとうを言ったことでした。

兄は、結婚し、二人の男の子に恵まれ、次第に落ち着いてきた世の中で、幸せな家庭を築いていきました。葬儀を取り仕切る長男、それを助ける次男、その連れ合い、孫たち、みんなが、父親・祖父を尊敬している言動がそこここに見られ、いい家庭だったのだなあと心が温まる思いをいたしました。

そんな幸せな家庭を病魔が襲いました。義姉が難病に侵されたのです。治療の方法がなく、次第に弱っていく妻を、10年間、最後の1年半ばかりは病院に入れましたが、出来る限界まで自分で介護し続けました。兄が共倒れになるのではないかと心配もしたくらい、愛情深くできる限りの介護を続ける姿には頭の下がる思いをしました。

義姉が亡くなって12年にもなりましょうか、一人で暮らしました。勿論子どもたちもたびたび訪問して助けはしましたが、一人で自立して暮らしました。
最後の半年ばかりは、子どもたちも心配し、本人ももう限界と感じたのか施設に入りましたが、その施設でも、エレベーターには乗らない、スロープを歩くことにしていると、最後まで自分に厳しく生きていました。

告別式の会場には、遺品が展示してありましたが、船拍の設計、造船が衰えてからは石油プラントの設計などを専門にしていましたが、いかにも設計やさんと言った几帳面な小さな字がびっしりの書類が残されていました。中に韓国歴史の本が一冊。これは何?と聞きますと、息子が言うには「おやじは、身体がいうことをききにくくなってから、時間つぶしはテレビになってしまっていました。韓流ドラマにはまりました。でもただ観るだけにとどまらないのがおやじでした。こうした本で、ドラマの背景になっている韓国の歴史を学ぼうとしていたのです」と。
向学心も失わず意欲的でした。

お骨揚げの時、係の人が「ビックリするほど、骨のしっかりした方でした。お骨がしっかりと形を保っていて、嵩もあります。お骨壺も最大のものにいたしました」とのことでした。
一人暮らしをしながらも、食べ物などきちんとしていたのでしょうし、心して運動もしていたのでしょう。立派でした。

ご冥福をお祈りいたします。
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