おせっちゃんの今日

平凡な主婦の平凡な日々のあれこれ帳です。
自分への応援歌でもあります。

ラン活

2016-07-23 13:57:55 | 雑記
10日ばかり前からでしょうか、テレビでランドセルのコマーシャルが頻繁に出てき始めたような気がします。ランドセルと言えば4月の入学式に備えて、早くてもお正月過ぎてのことと思っていましたら、ここ数年、年々早くなってきたようです。商魂たくましいなあ、と思っていたらこれには理由があると教えられました。

ランドセルを買う出資者に、じじバカばばバカの祖父祖母を狙うのだそうです。それにはお盆休みで帰省する夏休みが狙い目というのです。この説を何年か前に聞いた時、なるほどなあと苦笑いを覚えながら、納得したのでした。我が家では4月になって入学祝に心ばかり支出しましたが、買ってはやりませんでした。

皆さん、「ラン活」という言葉をご存じですか。私は先日、NHK(だったと思います)が、取り上げていたので初めて知りました。「ランドセル活動」の短縮語なのだそうです。世の中のランドセルに関する動きは、私を置き去りに、私から見るととてつもない動きになっているのですね。

ランドセルは、一年生になる子供とそれを求める親の単なる買い物ではないのだそうです。まずネットや、冊子でどのランドセルにするかを、じじばばを含め、兄弟を巻き込み、喧々囂々話し合うところから始まるのだそうです。およそ是か、と本人の好みをいれて決めてから、専門の展示場に繰り出すのだそうです。そこでまたすったもんだの話し合いの上、決めてスマホからメーカーに予約するのだそうです。

私などは、なんとまあ煩わしい、と思うのですが、そのラン活が家族の仲を緊密にし、家族全体の共通の思い出作りになるのだそうです。ランドセルを見るたび、その家族の大イベントを懐かしく話題にして楽しめ一致団結した家族になれるとのことです。

展示場には色とりどりの、それこそピンからキリまでが並んでいて、下見の家族でにぎわっている様子が映し出されていました。混雑していました。ランドセルの中には、オール手縫いの高級なものもあって、これは6・7万円するのだそうです。え?と思いますが、これがよく売れるのだそうです。

不景気だとか、生活が苦しいとか言いますけれど、日本は平和で豊かです。昔人間にはやや斜に見る気持ちがありますが、子どもたち、元気で幸せにねと祈ります。
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出来なくなること

2016-07-22 15:01:08 | 雑記
14日・木曜日にパソコン教室に行きました。2時間授業の切の良いときに、テータイムが設けられます。その日は、貰い物があったからと、Kさんが持って来て下さったゼリーが冷蔵庫で冷たく冷やされていました。

容器にはぴったり蓋がされています。つまんで強く持ち上げて蓋を開けようとするのですが、これが固くて開かないのです。苦戦していたら若い方が「開けましょう」とかばってくださいましたが、その方でもなかなかあかず、ちょっと時間を取ることになりました。

「あ~あ、ご迷惑おかけします。歳のせいでしょうかね、指先の力が弱ってきたのでしょうか。もたもた婆さんでごめんなさい」
「よくあることですよ~。ほかの食品でもそうですが、めったやたらに接着力の強いのがあるんですよ。とうとう業を煮やして、包丁の先でずぶりと切ってしまうこともありますよ」
「ある、ある」。異口同音です。
「皆さん、暖かいカバー感謝です。皆さんはまだお若いから切実ではないかとも思いますが、私の歳になると、本当に歳を取ってできなくなることが多いのですよ。あら?こんなことで来ていたのに、と思うことが困難になっていることを発見することが多くて・・・情けないのですが事実なんです。つい先だって初めて感じたことなのですが、足の爪を切るのが、苦しくて、難しくなってきたのです。身体が固くなるのでしょうか、爪切りが届きにくくなってきているのです」
「ああそれ感じますね」と私より7・8歳お若い方が。「亡くなった夫が病を得てから足の爪を切ってくれというようになっていたのですが、その時はそんなことと、自分でやりなさいと爪切りを渡したのです。今自分が不自由を感じ始めて、ああ悪かったと思うんですよ」。
「そうなんですね、私はまだそこまではいっていませんが、老眼で足先にピントが合いにくくて」とおっしゃる若い方。

もう何年か前の高校クラス会の時です。ある友人が「父が晩年言っていました。歳をとるということは、出来ていたことが、一つ一つ出来なくなって、その戸惑いをあきらめて、あきらめていくことなんだよ、と言っていましたが、この頃それを実感として感じ始めました」と近況報告でした。

なるべく明るく現実を受け止めていくべきなのでしょうね。そして、まだ出来ることに感謝して。
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伊豆文学散歩 2

2016-07-21 09:31:13 | 友人
区民センター・コミュニティー講座で伊豆文学散歩を取り上げたのは、初めてではありません。2008年3月27日に今回と同じ生田美秋先生に事前講義をしていただき、28日にしろばんばの舞台を訪ねる一日バス旅行をしたのでした。井上靖のご長女の浦城幾世さんが同行してくださってとても充実した一日になったのでした。

今回は井上靖だけではなく、伊豆にゆかりの作家を取り上げましたので、見学のコースは違いますが、井上靖関係は同じところを歩きました。
そこで感じたこと。

8年間の時の流れの中で、しろばんばの村は過疎化が進んでいました。「地球上で一番清らかな広場」と靖が詠った詩の石碑のある湯ヶ島小学校は、廃校になっていました。
「しろばんば」や「あすなろ物語」に出てくる家々も、先に来たときは、感動をもって懐かしく見ることができたのですが、今回は明らかに空き家になり、締め切られ、廃屋風になってしまっていました。
時代の流れですね。

バス車中講義で、もちろん「伊豆の踊子」も取り上げられました。
川端康成は2歳で父を亡くし、3歳で母を、10歳でただ一人の姉、16歳で残るただ一人の肉親祖父を失っている天涯の孤児でした。川端は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐えきれないで伊豆の旅に出たのでした。その道中で出会った踊り子一行に「いい人ね」「それはそう、いい人らしい」「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」と言われる。孤児根性という思いにとらわれていた川端にとってこの言葉が自らを浄化させてくれ癒してくれる言葉だったのです。
「伊豆の踊子」は浄化と癒しの物語で、踊り子一行と旅していくにつれ「私」の心はだんだんきれいになっていくのです。

「伊豆の踊子」の主人公、紺絣の着物に袴をはき、制帽をかぶり学生カバンを肩に掛けた一高生の「私」は、天城峠の私雨の中を朴歯の高下駄で駆け上り、峠の茶屋で雨宿りしていた踊り子に追いつく。

この私雨(わたしあめ・わたくしあめ)が今まで聞いたこともない、見たこともない言葉でした。帰宅してネットに教えを乞いました。

ある限られた地域だけに降るにわか雨。特に、下は晴れているのに山の上だけに降る雨。

だそうです。文学散歩からは外れますが、書いておきました。

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区民センター文学教室…伊豆文学散歩

2016-07-20 13:00:25 | 友人
区民センターの今月の講座は、「伊豆文学散歩」と題した文学教室でした。今年3月まで世田谷文学館の事業部長をなさっていて、定年後は富山県立高志(こし)の国文学館事業部長に就任なさり、任地と東京を往復なさっている生田美秋さんを講師に招きました。
お忙しい先生のこととて、伊豆往復のバス車内講義と、現地文学散歩の一日でした。

午後行った伊豆近代文学博物館は、伊豆出身の井上靖をはじめ、「伊豆の踊子」で有名な川端康成、若くして病死した梶井基次郎、湯ヶ島に滞在して「山ざくら」22首を残した若山牧水など、120名の貴重な資料が展示されているのですが、写真にはなりませんでした。

伊豆湯ヶ島散策から始まりました。初めは梶井基次郎の碑。川端康成にあてた書簡が刻まれていましたが、写真にはうまく映りません。かなり急な石段を息を切らして登ったところにひっそりと建っているのですが、今でも慕う人が訪れると言います。

次は湯本館。川端康成が「伊豆の踊子」をここで書いたことで有名です。今でも滞在した部屋は残っており、「川端さん」と名付けられていて、予約すれば宿泊できると言います。
若くして肋膜を患った梶井基次郎も伊豆で療養をしており、ここに滞在している川端康成を訪ねて「伊豆の踊子」の校正を手伝ったりしています。、酒と旅の歌人、若山牧水も滞在中に見た山ざくらを22首の和歌にしています。
写真を撮ってきました。



他に、落合楼、白壁荘などを見ながら気持ちの良い山道を散策。

次に行ったのは、井上靖の自伝的小説「しろばんば」「あすなろ物語」の舞台である天城湯ヶ島近辺の散策。
井上靖生家跡見学。今は空き地になって、しろばんばの一節が刻まれた石碑が建っています。湯ヶ島小学校の校庭へ。校門を入ってすぐ目につくのが、大きなあすなろの木。これを見上げて作品に「あすなろ」を付けたのか。校庭には石碑が。映りが良くありませんが、どうにか読めるでしょうか。



お昼は、浄蓮の滝近くでいただき、食後は滝見物。



午後は先に紹介しました、昭和の森会館・伊豆近代文学館をゆっくり見学。庭の一角に、井上靖旧邸をそっくり移築した建物が保存されていました。代々続く医家で名医の名が高かったとのこと。
靖は3歳の頃から実家の曽祖父の愛人であり、戸籍上では祖母となった、物語では「おぬい婆さん」の手で、土蔵の中で育てられるという変わった生活をしました。今は土蔵はありません。文学館の中に模型が展示されていました。



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日焼け

2016-07-16 14:20:54 | 雑記
先週、お茶のお稽古に行き、お点前を先生に指導していただいた時のことです。
「あら、Sさん(私のことです)どこか旅行にでも行っていらしたの。腕がひどくないですか。日に焼けていますよ~」と。

そう言われて見ると、確かに赤黒く日に焼けています。
「はい、ハワイに10日ばかり」と冗談話にしましたが、いつこんなに焼けたのだろう。若い人の言葉を使うならばやばい!!

できる限り毎日ウオーキングはしますが、陽射しが強くなってからはつば広帽子に、長袖のブラウスを羽織って日焼け対策はしているつもりでいました。薄手のブラウスでは足りなかったでしょうか。春先まだ日が弱いと油断したのがまずかったでしょうか。

子供の頃に記憶は飛びます。小学生の頃、当時は子どもは外で遊ぶもの、夏は午前中宿題などをやって、お昼を済ませると海に泳ぎに行って4時くらいまでは直射日光を浴びて遊んだものでした。我が家からは子どもの足で歩くと30分足らずで瀬戸内海でした。日本の貧しい時代でした。水着などというものはありませんでした。当時は貴重だったキャラコという木綿の生地で母が縫ってくれたズロース(と呼んでいました。下着のパンツのことです)1枚で遊んだものでした。

当然、夏休みの子どもと言えば、黒光りするほど真っ黒黒。焼けすぎてひと夏に2度ばかりは皮膚がはがれ落ちてきたものでした。
その頃は、日に当たって色を焼くのは健康法だと言われていました。夏の間に焼いておくのが、冬風邪をひかない秘訣だと言われていました。
2学期が始まると、学校で「黒んぼ大会」が開かれて、一番黒い子が表彰されるという時代でした。

長じて、中学生、高校生になると、田んぼの稲の草取りを手伝うようになります。これまた紫外線をたっぷり浴びての仕事です。お百姓さんは、手甲脚絆を身につけて、目だけ出して仕事をするようでしたが、素人農家の、子どもです。そんなうっとうしい支度は嫌だと皮膚をさらして働いたものです。

もともと色黒の遺伝子を持っていたうえに、こうした生活です。筋金入りの色黒になっていました。それから半世紀たってもその素地は残っているのでしょう。

それにしてもいつからこんなに紫外線が悪者に変ったのでしょう。
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オリンピック・パラリンピック開催地について

2016-07-15 15:24:57 | 雑記
前知事の政治とカネの問題辞任に伴う知事選挙が昨日告示されました。論戦が行われています。

候補者が取り上げる公約には、2020年のオリンピック・パラリンピックについての取り組みも大きな論点になっています。
引き受けたからには、成功させなければならないけれど、莫大な見積もりに膨れ上がっている費用を見直して、なるべくシンプルに、倹約予算で済ませるようにしたい、浮いた金額は福祉などに回したいというのが、大方の意見のようです。

当然のことです。候補者の意見を聞いていると、世界には引き受けて、施設を作ったものの、大会が終わるとそれを活用することもなく、維持していく費用に汲々している国もあるとのことです。
招致するために、裏でお金が不正に動くという、うわさもあります。
日本も、この度の招致、一時的に舞い上がった感も拭いえません。その後、不手際も次々起こり、国民の高揚した気分はすぼんでしまっているようにも感じます。
引き受けたからには、どうにか素晴らしい大会にしなければではありますが。

私は政治のことも、国際的な諸事情も、さっぱり解らない平々凡々の主婦婆さんですから、的外れの、お笑い意見かも知れないのですが、ふとこんなことを思いました。

大会を国や都市で回り持ちにしなくていいのではないか。例えばオリンピック発祥の地・ギリシァに、世界の国々から拠出したお金で施設を作り、その維持管理もそうしたお金で行い、大会は毎回同じ場所でというわけにはいかないのかな、と思ったのです。

高校野球のオリンピック版です。甲子園というのが目標になるように、ギリシァを4年に一度目指すというわけにはいかないのでしょうか。

最近の大会の、まるで国威を見せびらかすような、開会式はもっとシンプルになり、「より速く、より高く、より強く」。基本に戻った大会になりはしないでしょうか。
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ワードで作った夏のカード

2016-07-14 15:51:53 | 雑記
通っているパソコン教室で、ひと月に2回「マイプラン」と言う授業を取っています。これは学ぶものは各自自由で、テキストなどを見ながら自分で進めていき、分らないところを先生に質問するという形式なのです。

「時にはこんなの描いてみたらどうですか」という先生のお勧めもあって、ワードでキャラクターを描いていきました。図形を組み合わせていくのです。全部自分でデザインするのはとても無理で、テキストの型紙に合わせて描いていくのです。
それでも不器用な、美的センスのない私には難しく、先生を呼んでは質問し、助けてもらってやっと描き上げました。

出来上がった男の子と女の子を並べて、夏のカードにしました。暑中見舞いにはまだ早いかなと思いますが、お見せいたします。いかがでしょうか。



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幼児の情景

2016-07-13 15:13:22 | 雑記
関東地方からは離れていた梅雨前線が戻ってきたのか、今日は曇天。気温こそ昨日、一昨日よりは下がったものの湿度が高く、蒸し暑い。
午後は雨も降りだすという予報だから、その前にウオーキングは済ませようと、朝の家事を急いで済ませ、出かけました。今日は紫外線対策は不要のよう。

何周目だったか、周回路の途中の体育広場を通っていたら、そこで遊んでいた保育園児にぶっつかりそうになって、慌てて立ち止まることになりました。最近の保育園は、狭い敷地に園舎を建てるからか、運動はもっぱらこの公園を使うようです。先日来のあまりの暑さにお散歩お遊びの園児が少ないと思っていましたが、今日は涼しさに方々から繰り出してきています。

ぶっつかりそうになった女の子、まだおむつがとれたばかりかと思われるくらい。ちょっとびっくりしたような顔をしていましたが、「おはよう」と話しかける私の顔をじっと見つめます。なんと綺麗なおめめ。白目が青いほど澄み切っています。まだこの世の醜さ、悲しみなどを何も見ていない瞳でしょうか。

手に持った薄茶色のものを私の方に差出し、何か言おうとしますが、言葉はまだ出ないようです。「あら~、なにかしら?見せてくれるの」と言いますとうなずいて渡してくれました。セミの抜け殻です。「セミさんだねえ、良く見つけたわね。宝物ね。見せてくれてありがとう」。褒めてもらって満足したようです。「大事ね。保育園に持って帰るのね」と返したのでした。

女の子とお話ししていると、ほかの子も、このばあちゃんは遊んでくれるよ、とでも思ったのでしょうか、次の子も自慢げに手を差し出します。猫じゃらしの穂を持っています。「きれいね。ほらこうして振るとにゃんこちゃんが喜ぶんだけどな、ここにはにゃんこいないね」などと相手をしてやります。

何と可愛いこと。子どもってどうしてこんなにかわいいのでしょう。
バイバイと言って別れて、ウオーキングを続けましたが、なんだか足取り軽くになりました。
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自分を守る

2016-07-12 16:13:57 | 雑記
こんな場に書くべきことではないか、と躊躇しながら、それでも書こうと決心して書きます。
小さい声で、小さい文字で書いたとご理解くださいませ。

今日お茶のお稽古で渋谷まで出ました。お稽古も終わり、いつも一緒に稽古する仲間と二人駅まで歩いていたのです。え~~っと目が丸くなりました。若い女性がそれこそ海水浴にでも行ったように、ブラジャー(としか見えませんでした)と短パンで街中を歩いているのです。

こちらも少々はしたないのですが、思わずじろじろ見て次のような会話をしました。

声を潜めて「ねえ、見た?いくらなんでもひどくない?」
「海辺ではないんだよ。いくらなんでもはしたない」
「あれでは男性が可哀想。まるで挑発しているようなものではないの」
「襲われただの、性的いたずらをされただの自分は可哀想な被害者のように言うけれど、自分は自分で守らなければだよね」
「おしゃれ(というのでしょうか?)も限度節度というものがあるよね」

「女性が襲われて、最悪の場合は殺人事件になってしまう事件も多いけれど・・・」
「報道の仕方が襲った方ばかり悪者に仕立てるけれど、被害者の方も夜中に公園などを歩いていたリ」
「そりゃあ、襲う方が悪いには決まっているけれど、無防備に夜も遅く暗い夜道を歩く方も悪いよねえ」
「自分は自分が守らなければ」

婆さんとおばさんの会話でした。

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イチローの名言

2016-07-11 14:49:33 | 雑記
先日、朝日新聞一面の「折々のことば」にイチローの言葉が取り上げられていました。

「できなくてもしようがない」は終わってから思うことであって、途中でそれを思ったら絶対に達成できません。

解説の鷲田清一氏は次のように解説していました。
(略)。「壁」にぶち当たったことは山ほどあったはず、だが「壁」を限界でなく足がかりとして未知のゾーンに踏み込んでいった。そもそも「壁」というものはもっと先へと言う気持ちがなければ表れてこない。

イチローは野球の成績だけでなく、生きる姿勢や、態度が好きで、隠れファンですから、インターネットで調べてみました。イチローの金言・名言などと言う項目で、たくさん味のある言葉が出ていました。

「やってみて『ダメだ』と分かったことと、はじめから『ダメだ』と言われたことは違います」
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」。

先日、日米通算4257本安打を達成した時のインタビューで、「子供の頃毎日野球の練習をした。近所の人が、プロにでもなれると思っているのかと嘲笑した。大リーグに行くことを決めた時、目標はと聞かれ、首位打者になりたいと言ってまた嘲笑された。私は嘲笑されたことをかなえてきた」と言っていました。馬鹿にされた嘲笑も足掛かりにしていったのですね。

「壁」と言えばフィギアーの羽生選手も答えていました。大事なところで失敗して「悔しいです。まだまだ未熟です。前に壁が立ちはだかっています。でもぼくには壁はポジティヴなイメージです。先に進もうと思っているからこそのものですから」。

偉大な勝負師は分野は違っても進む道は似ているのでしょうか。
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