おせっちゃんの今日

平凡な主婦の平凡な日々のあれこれ帳です。
自分への応援歌でもあります。

換気扇

2016-12-09 14:37:38 | 雑記
加齢による体力の衰えでしょうか、根をつめて仕事をすると思わぬ筋肉が痛くなったりするようになっています。年末の大掃除も早めに始めて、毎日少しずつやって行くことにしました。大きな仕事、自分がやりたくない仕事から取り掛かっています。

昨日は、換気扇。ベタベタ汚れを覚悟して始めましたが、これが嬉しい想定外。汚れは軽いものでした。
老人二人、油べとべとになるようなお料理はほとんどないことが原因でしょう。

子どもがいて、食べ盛りの頃は、揚げ物がたびたび登場していましたし、野菜もいためものが多かったように思います。日頃さぼっている換気扇は大変なものでした。

プラスチックのかなり大きなタライがありました。これに湯を満たし、洗濯石鹸と酸素系漂白剤を溶かし、ばらした換気扇をしばらく漬け込みます。その後たわしなどでこすれば、割に簡単に取れることを新聞か何かで読み、実行していました。

若者と、老人の食事がこれほど違うのだと、あらためて思い知りました。2世代同居が、食の面からも難しいということが分かります。

舅姑は二人とも90を超え、95歳前後まで長生きをしました。最晩年まで山口から、東京に上京することを楽しみにやって来ていました。子どもたちは高校生、大学生でした。
舅姑に合わせて和食に、それも量を控えて出すのですが、子どもたちにはこれでは足りません。好物の鶏のから揚げなどを大皿に真ん中盛にして出していました。
「ご覧になるのも、喉太いかもしれませんが若い人用ですから無理に召し上がらないでください」と言葉を添えるのですが、途端にいや~な顔をするのが解りました。食べずに残すということの出来ない世代なのでした。

勢い、子どもたちには物足りない食事の日が続きました。1週間ばかりの滞在ののち、送り出すと、夫も物足りない日々だったのでしょうか、「さあ、今日はボリュームのあるものを食べに行こう!」と叫ぶのでした。

この両親の年齢に近づきつつあります。
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自筆

2016-12-08 15:54:36 | 雑記
毎年のことですが、年末が近づくと、区民センター関係では木目込みの干支づくり、パソコン教室では、カレンダー作りと年賀状作りに精を出します。カレンダーはやっとデザインが終わり、あとは印刷屋さんに出すのみで、年内には出来上がるようです。賀状はワードでデザインし、写真が美しく映えるように1枚10円奢ってインクジェット写真用のはがきにして、印刷。宛名書きも済ませました。

パソコン賀状でお茶を濁しますが、表書きと裏面の一言は自筆で書くことにしています。
書きながらつくづく「拙い字だなあ」とため息をつきます。パソコンが作ってくれた裏面はそれなりに美しいのです。拙い自筆で書くのは汚すようなものです。
でも、やはり自筆でと拘って汚しています。

大学を終え、就職しましたが、実家から自転車で通勤していました。ある日母が言いました。
「おせっちゃん、あんたは良い字を書くと思っていたけれど、乱雑な、拙い字になったねえ。どうして?」と。

さて、何故かな、と思うに、大学時代の筆記によるものだと思い当たります。その頃の大学は(地方大学だったから余計にだったかもしれません)まだ戦後で授業体系など整っていなくて、かなり貧弱な授業でした。

教授陣も整ってはなく、教科書も満足にはありませんでした。授業と言えば、教授や助教授の研究論文を中心としたものでした。今のように製本したものはありません。コピー機もありません。教授の読みあげる論文を、ひたすら筆記する授業でした。
ゆっくり読みあげてはくれるのですが、書きとるとなるとかなりなスピードです。一字一画丁寧に書いてはおれません。我流に省略した殴り書きになったものでした。
そんなことで、まあまあだった文字も、拙い、乱雑なものに変わってしまったのです。
今、ゆっくり丁寧に書こうとしてもペン先の方が勝手に動いてむちゃくちゃ文字になるのです。

大学の前期後期のテスト前にはこの筆記したノートが貴重になるのでした。授業をさぼったところは何も資料がないことになります。「ノート貸して貸して」の声が飛び交います。そのころまだ数少なかった女子学生は、比較的真面目でしたから、そのノートは引っ張りだこでした。どんどんまた貸しになって、明日はそのテストと言う日になっても本人のところにノートが帰ってこないということもあったのです。

おおらかな時代でした。何を学んだのかわからないような4年間でしたが、とにかく楽しい青春時代でした。
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忙しくて〇〇する暇がない

2016-12-07 14:04:18 | 雑記
気候の変化が激しい秋から冬です。11月に都内で積雪があったかと思うと、次は季節が後戻りをするような、汗ばむ日。とまた一転、気温急降下。定まりません。

この所為でしょうか、体調を崩していらっしゃる方が多いようです。私の周りでも一つ予定が中止になってしまいました。
区民センターの実技講習の教室で、1月に「うどん打ち」を予定しています。初めての試みですから、前もって委員を中心に、講師の方に来ていただいて、時期も時期だから「新そば打ち
」で、予行演習をしようということになっていました。

まず、委員の中心になる方が倒れてしまわれました。それだけでも痛手なのに、予行演習の前日、講師の方が倒れてしまわれました。講師の方ではピンチヒッターを出すわけにもいかず、急遽中止になってしまいました。


3日ほど前に、用事があって娘Maにメールを出しました。お決まりの言葉ですが、みんな元気か、とご機嫌伺いもしました。
それに対するMaの返事はこうです。


中3の娘は、模擬テスト、定期テストが3週間おきぐらいにあり、風邪などひいているヒマはありません。
というわけで、今年もインフルエンザの予防接種は受ける予定はありません。

風邪をひいているヒマはないので、元気です。

2度も同じ文言でいつものノー天気おばさんです。

婆さんは末っ子Mちゃんが入試の時インフルエンザにでもかかっては大変、予防注射だけはするように言おうかなとも思いましたが、言って主義を変えるような肝っ玉・ノー天気おばさんではありません。言うだけ無駄かな、自信をもって押し通す根性が予防の第一かなと言わないでおきました。

「病は気から」と言いますから、ひかない!!と思い込んで忙しくしていれば、「気」が防いでくれるのでしょうか。

無事を祈る。
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マラソン大会

2016-12-06 15:30:20 | 雑記
いつものように羽根木公園にウオーキングに行ったら、やけに人が多く、賑わっています。小学生とお母さんたちのようです。中に知り合いのお母さんがいらっしゃったので聞きますと、D小学校6年生のマラソン大会なのだそうです。1周630メートルを3周するのだそうです。
応援の頑張れ~の声もにぎにぎしく行われていました。

ああ、そういえば子供たちの頃もやっていたなあ、と思い出します。娘のMaは技術を伴う運動は苦手でしたので、1・2学期は通信簿で体育は良くて3でしたが、3学期はマラソンで好順位に入り成績を上げたものでした。今、マラソンに入れ込んでいる息子Kは気が小さく、心配性と言うのか、力に余裕があるのに「もしも最後力尽きてぶっ倒れたら格好が悪い」と、セーヴして走って終わるのでした。40歳近くになって、走ることに目覚めるとは思いもよらぬことでした。

私が中学生の時、やはり冬はマラソンでした。2時限と3時限の間は20分の休み時間がとってあり、その時間に学校を出て道路を3・4キロ走ったものです。まだ、車もあまり普及していなくて、道路を走ることにも危険はなかったのでしょう。

この中学校のマラソンで思い出す友があります。かなりひどい喘息を患っている人で、そのため1年休学を余儀なくされた人でした。青白い顔色をした人で、一つ年上ということもあったのでしょうが大人びた人でした。お父様が大学教授のお嬢様なんだってと一目置いていました。身体の調子が悪いときは見学で教室に残っていましたが、いい時は、大丈夫大丈夫とゆっくり仲間に加わっていました。
先生が気を使って大事になさるのを、当然のことと思いながらも、みんな少し嫉妬していました。
卒業以来会う機会もないまま消息も聞きませんが、どうしていらっしゃるやら。

Maのところの末っ子のMちゃんは小柄な子ですが、これが長距離に強いのです。選手に選ばれ走って優勝したとかで、親馬鹿さんが動画を送ってきたことがあります。

息子Kは今月17・18日には神宮24時間耐久レースと言うのに挑戦するようです。昨年も出場したのですが、ハンドラー(給水や食料補給などを助けてくれる人)無しでやって、その必要性を痛感したらしく、今年はお友達に頼んだのだそうです。脚が万全ではないようですが頑張れるでしょうか。24時間同じところをぐるぐるぐるぐる回っているのですから、応援はいつ行ってもできるのです。親馬鹿、やじうまで行ってみようかなと思っています。
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あれ~っ?? 

2016-12-05 15:02:47 | 雑記
一昨日の夜中のこと、いつものことながら、寝る前にお風呂に入ります。
あれ~っ??。バスタオルやら、下着やら、今朝洗濯したものが無い!!。
あっ、洗濯物を取り込むのを忘れた~!!慌てて2階のベランダに駆け上がろうと思ったところで、頭の中で電線がつながりました。

いやいや、確かに洗濯ものは取り込んだぞ。ベランダで、バスタオルを背伸びしながらピンチから外した感覚がこの手に残っています。それに続いて、あの時、もう雨戸も閉めてしまおうか、いやまだ早すぎるかな、でももうすぐにつるべ落としで暗くなるから、閉めておこうとガラガラ繰ったことを思い出しました。

え??では、なぜ入れた洗濯がない??おかしいな~。
ま、いいか。他にも替えの物も無いわけではなし、夜中に騒ぐことは止めよう、と思い直して入浴、就寝と進めたのでした。

最近の私の眠りのパターンで、2時半くらいにぽっかり目が覚めてしまいます。
次の眠りがなかなか来ないのが近ごろの私です。もう寝ることはあきらめて本でも読むか、と思った時です。また頭の電線がつながりました。
「あ、洗濯物取り込んで、雨戸を閉めたのだった。そのあと自分の寝室のカーテンも閉めに行って、そのことに心を奪われて、そのまま1階に降りてしまったのだ。洗濯物は2階の座敷に丸めたままだ~」。

解決しました。
それにしてもボケボケです。ことをするのに、一つ途中に他の用事を挟むと、元の用事は忘れてしまうのですね。まったく容量の小さな頭になっていることです。
こんなことなら笑い話ですむことだけれど、大きな失敗をしないように、よくよく神経を集中しなければと、言い聞かせたことでした。
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挨拶禁止

2016-12-03 16:13:43 | 雑記
今日もテレビを見ていてのこと。

あるマンションの総会で、女性がこんなことを言いました。
「子どもがいるんですけれど、知らない人から声をかけられた時には、逃げなさいと言い聞かせています。子どもは、声をかけられるとドキッとしてしまうと言うのです。だからマンション内では挨拶や声掛けは禁止にしてください」と。

そんなあ?!と反対意見が出るかと思ったら、男性が
「挨拶したら疑われ、ひどい顔で睨まれて、気分が悪かった。いっそこのマンションでは挨拶を禁止したらどうでしょう」との意見。

結局挨拶禁止を明文化したのだと。

確かに危険なことも起こり得る世の中ではあります。近くの小学校の校長先生も、私たち地域の住民にこうおっしゃいます。
「子どもたちには挨拶は大事なことと教えます。学期初めには挨拶週間を設けて、特に指導したりします。でも一方では、知らない人に声をかけられても、ついて行ったりしてはいけません。逃げなさいと教えなければならないのです」と嘆かれます。悲しい世の中です。

でも縁あって同じマンションに暮らして、挨拶禁止を明文化しなければならない人間関係って何なのでしょう。

例えば、マンションの自治会などでリクレーションの会をするなど、お互い顔見知りになる方法は取れないものでしょうか。でないと、あまりに寂しいことではありませんか。
こんな冷たい人間関係では、もし災害にあった時など、お互いに助け合い、避難生活をすることなどできないと思いますよね。

もっと暖かい、緊密な人間関係を作るように努力しないと、人間の暮らしではなくなるような気がしました。
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餅つきが消える?

2016-12-02 16:12:05 | 雑記
テレビをながら見していて、えっ?と信じられない思いで画面を見ました。
この日本から、餅つきが消えるかもしれないというのです。わけが分からない頭で解説を聞くと、ノロウイルスによる集団感染の恐れがあるので、多数の人がやる餅つき大会は中止した方がいいか?と言うのでした。疑問符付きながら、冗談でもなく伝えていました。

確かに、ノロウイルスは伝染力も強いし、やられた時の症状もかなり強力です。幼稚園などで、餅つきとは限らないのかもしれませんが、集団中毒が発生しているのは事実だということです。

餅つき大会で、多数の人がちぎったり丸めたりするのは不衛生ではないか、集団感染の源泉にならないか、と言うのがこの騒動の始まりのようです。
でもでもですよ~と私は思うのです。手洗いを厳重にしたらよいではないか、と思うのです。
ウイルスに限らず、身のまわりは、どれだけ気を付けても、バイ菌だらけなのが自然界ではないのでしょうか。衛生に気を付けなくてはいけないのは当然のことですが、そこまでヒステリックに楽しい、日本伝統の行事をすっぱり切り落とすというのはあまりに神経質ではありませんか。

田舎育ちの私は、少々異常なのかもしれませんが、食べ物を頂いていてころりと床に落とした時など、拾って平気で食べます。子どもたちを育てる時も、万事がこんなおおらかさでした。
戦後、米作り農家をしましたが、当時、ぬかるみの田んぼ仕事をした手を、農業用水路の小川の水で洗って、お結びをもって食べたものです。小川は今と違って澄み切った水で、めだかが泳いでいましたが。
そんな程度でも、特に病気などにはならなかったと思います。

このバイ菌だらけの世界で生きていくには、抵抗力をつけていくよりほかはないのではないでしょうか。清潔に清潔にと無菌状態にして暮らすのは、かえって、生きていく力を弱めるのではないかと思うのです。若い人が、コンビニのお結びは機械で握るからいいけれど、手で握ったものは食べられない、と言うのだそうです。ではお寿司も食べられないではないですか。


私が住んでいる地域には、伝統的な餅つきを伝承している三土代会という団体があります。農繁期の忙しいとき、近所の人が協力し合って素早く、大量に餅をつくことから始まったもののようです。一臼3分ほどでつきあげてしまうのです。
今では、いろいろなイベントに花を添えています。

我が家の子どもたちも通ったD小学校では、もう30年以上も年に一度三土代会に来ていただき、餅つき会をやるのです。子どもたちが楽しみにしている行事です。
必要以上な心配で、伝統をつぶさないようにしてほしいと私は思うのです。

三土代会の餅つきにご興味のある方はここをご覧ください。以前載せた記事です。
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千利休とその妻たち

2016-12-01 15:43:33 | 雑記
三浦綾子の「千利休とその妻たち 上下」を読んでいます。あとほんの少しで読了です。
小説ですから、どこまでが事実で、どこからが創作なのかはわかりませんが、すこ~しお茶をかじっている者には興味深く読めます。

茶の世界ではだれにも負けないと思うプライドは持ちながら、身分的には武者の下に見られる悔しさ。こんな屈折した心理が下敷きに描かれています。
茶の座には、武士の魂の刀を持ち込まさないことを理想とし、躙り口をしつらえていく工夫なども書かれています。

利休が切腹して果てなければいけなかった理由については、いろいろ考えられていますが、後半、秀吉に重用されながらも次第に怒りを買っていくあれこれも書かれています。

というような内容は全体を読んでいただくよりないのですが、次に面白いと感じた箇所を書いてみます。

利休が息子の世之介と座禅を組んでいる時、「面白い話を聞かせよう」と次のようなことを話します。
二人の僧が歩いている。風にはためく幡を見た。一人の僧が「動いているのは風だ」という。今一人は「違う、幡が動いているのだ」という。二人とも言い募って喧嘩になった。師が言った。「動いているのは風でもない、幡でもない、二人の心が動いているのだ」と。

世之介は、「わかるような、わからないような。面白いような、面白くないような」と思う。そして思う。目に見える世界ではなく、心の奥深い世界のことだと。茶の湯を修行するということは、こうした心の世界を極めねばならないか、と思う。

いわゆる禅問答なのでしょう。両手をパチンと合わせて、今鳴ったのは右手か左手かという問答はよく知られていますが、分らないことをただひたすらに考えることが自己を磨くことなのでしょうか。答えを出すより、考える道程こそが自己を深めることで、大事なことなのでしょうか。

またこんなことも書いてありました。「利休」という名は知らない人がいないほど広く知られていますがその意味するところは知らないというより、考えてみたこともありませんでした。
「利休」は「老古錐」。使い古して先端が鈍磨している錐(きり)のこと。もはや用に立つべくもない古錐。「利」は利発・鋭利の利。「休」はその利が鈍磨しているの意。
禅ではこの「利休」の境地を人間の究極の境地とみなしている。

はあ、そんな意味の名前だったのですね。さあ今夜は読み終えよう。
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ボロ家がまだあった

2016-11-30 13:54:34 | 雑記
半月ほど前、息子のKからこんなメールが届きました。

小倉に行ってきたよ!
なんとあのボロ家がまだあった。
30年前でも既にボロボロだったのに~

娘Maが中2から高3まで、息子Kが中1から高2まで北九州市小倉で過ごしました。夫の転勤に従ったのでした。その頃も単身赴任が常識のようになっていました。我が家が次の転勤の時は高校在学中、または大学受験にかかることが予想されて、一家で引っ越すと聞いたママたちからは「気が変なのではないの?!その時になって泣きを見ることになっても知らないわよ。子どもから恨まれるわよ」と脅かされたものでした。

「サラリーマンの子どもに生まれた宿命よ、我が家は家族そろって暮らすことを優先します。その時はその時のこと!」。親の一声と、それに対して反対意見も言わない子どもたちと、ノー天気に引っ越したのでした。

先に赴任した夫が見つけていた家が古い古い2軒長屋の日本家屋でした。街の中央からはかなり外れたところで、おまけに西隣は崩れた廃寺、不気味でした。暮らし始めて、まだあまり日にちが経たないころ、廃寺の土地から塀を乗り越えた泥棒に侵入されました。110番で駆け付けたお巡りさん。「まあ良かった良かった。正面衝突をすれば最悪のことも考えられる土地柄ですから」などと言われたのでした。

南に一段下がったところの家は、土地の世話好きのおばさんの住処らしく、ほとんど一日中、結婚の縁組のやり取りが聞こえてきていました。まだ仲人さんという人がいた時代でした。

子どもたちはボロ家からほど近い中学校に入学しました。転校生に対するいじめなどというものもなく、溶け込んでいきました。家庭訪問の先生は「北九州市は八幡製鉄(新日鉄)があって、昔から転入転出の人を受け入れることには慣れているのです。いじめなんてご心配はありません」とのことでした。

中心部には「うまかもんは旦過(たんが)たい」というピチピチのお魚を売る市場があり、美味しいお魚を堪能できました。

5年暮らした小倉から、東京に帰るとき、確かに二人の子供の足並みをそろえて学校を選ぶのに苦労はしましたが、これも泣くほどのこともなく、切り抜けました。

Kの学年が学年会をすると、幹事の女の子(もうおばさんですが)が電話をかけてきてくれました。それに出席したようです。その時、懐かしのボロ家を見に行ったのでしょう。

わが家の歴史の一コマです。
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テレビを見ていて

2016-11-29 13:52:00 | 雑記
ながら見の様にして、テレビのニュースショウを見ることが多いのです。少し硬いところで、ニュースの解説、国際情勢の噛み砕き、政治的なことも。あとは雑学を仕込むのもこの番組からです。

ところで、昨日の夕方から夜、今朝も、今お昼を挟んでの物も、全てがトップニュースで、伝えているのがASKAの覚醒剤取締法違反容疑による再逮捕に関することです。
人気のあった音楽コンビの一人ということですから、視聴者の関心を引くことかもしれません。でも、NHKを含むすべての局が、トップニュースで繰り返し繰り返し伝えるほどの重大ニュースでしょうか。取材する記者とカメラが家の前にひしめいているなどという図は、腹立たしいというより、もはや、罪を犯したというASKAの愚かさもさることながら、躍起になって取材して、もっともらしく解説を入れて報道するテレビ界そのもののくだらなさを見せつけられるようです。

確かに、覚せい剤の怖さは広く知らせなければならないことでしょう。でもここまで報道することは、かえって、興味を掻き立てるということはないのでしょうか。ネットでも簡単に買える・・・などとの報道は、買ってみようかの好奇心を引き起こしはしないでしょうか。

腹を立てながらも見ている私も私ですが。

ついでに言うならば、お隣の国の大統領の報道、これもくどくはありませんか。
確かに韓国は日本とは距離的にも近い国ですし、協力して国際情勢に対しなければならないこともある国です。その国の大本の大事です。それはよくわかっています。でもここまで、ほとんど同じような状況を、わが国で知らせなければいけないものでしょうか。
言い過ぎかもしれませんが、大統領のスキャンダルを面白がっているようなところがありはしませんか。
よほど新情勢が出てきたときの報道でいいのではありませんか。

テレビ局も、他局との一列並びではなく、局としての見識を持った報道はできませんか。
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