おせっちゃんの今日

平凡な主婦の平凡な日々のあれこれ帳です。
自分への応援歌でもあります。

郷土の大先輩・・・日野原 重明

2018-01-20 16:46:18 | 雑記
これも徹子の部屋で聞いたこと。

105歳の生涯を閉じた日野原さんは、山口県の大先輩です。
長い生涯には、劇的な事件もあったようです。
よど号事件の飛行機に乗り合わせていて、一度は死をも考えたとのこと。
オウム、サリン事件の時は、外来患者の診察を直ちにやめて、電車に乗り合わせた患者は全て引き受ける決断をなさった。
自分が歳を取っていかれることとともに、老後の生き方や、医療について考えられた。

徹子の部屋にはご次男のお嫁さんがゲストでした。

「介護するのは私でいいのでしょうか」と聞いたところ、血のつながりは関係ない。常に食事を一緒にするつながりこそが家族なのだと言われたとのこと。

常におっしゃることは「人生はkeep on goinng だ」だった。105歳でなくなったのだが、2020年まで予定を入れていらっしゃったとのこと。

「ありがとうと言う言葉で人生を締めくくりたい」と言うのもよく口になさる言葉だった。

最期になった療養も、非常に穏やかに過ごされた。「老いていくのは、初めての経験。それを観察することは楽しみ」とおっしゃっていた。

見事な大往生でいらっしゃいました。ここまで生きることだけでも難しいことと思いますが、最期まで現役の医者でまだ先も、生きて医者として人々の役に立とうと考えていらっしゃったのですね。

ご冥福をお祈りいたします。
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こんな事も聞こえて(?)きました。

2018-01-19 15:08:22 | 雑記
テレビのニュースショウで聞いたのか、新聞で読んだのか、不明になってしまいましたがこんなメモもありました。

他の力を借りて食料など物資を補給することなく、単独歩行で南極点を目指し、50日かかって成功した人がいるとのこと。
荻田泰永(40歳)


寒さと戦い、過酷な凍てついた氷の上を、ただ一人、話し、相談する人もなく、50日の単独歩行。やはり常人ではできないことです。尊敬します。それをしたとても、多分、いわゆるメリットはそれほどないと思います。ただ自分の満足、達成感、自信、などは計り知れないのでしょうが。

彼が言っているそうです。
「別の惑星に来たような気分。地球は大きいと改めて感じた」。

「必ず大きな一歩になると信じ、小さな一歩を積み重ねた。それを繰り返し南極点が結実した」と。


息子Kのお嫁さん・Miちゃんに感心させられました。

元日の午後には、息子一家が訪ねてきてくれて、皆でお屠蘇を祝うことになっています。
今年は私がドクターストップのかかっている身なのでMiちゃんに台所を手伝ってもらうことが多くなりました。気兼ねなく、物おじすることもなく、快く手伝ってくれます。
夕ご飯の豚肉の生姜焼き、サラダ、ホワイトシチューの献立を言っただけでどんどん進めてくれます。
「シチューの味はどうかしら。味見をして塩や胡椒を足してね」
「はい、少し塩気が足りないかな」
塩の箱から、手のひらに出したようでした。
「あら・・・」見るともなく見ていると、どうも、思ったより塩がさらさらしていたらしく、手のひらに多すぎる塩が出てしまったようです。私はそのままサラダに取り掛かっていました。それっきり忘れていました。

翌日の朝です。食器棚に定位置ではないところに小皿が移動していました。中には塩が小さじ一杯程度乗っていました。
はあ、Miちゃんは、出し過ぎた小さじ一杯の塩を捨てることなくお皿に保存したんだ。塩ですよ、砂糖ではありませんよ、私だったらきっと手を洗いながら流してしまっていたでしょう。
反省してしまいました。

もう、息子と結婚して25年近くにもなりますが、その間こうした細やかな行動に感心させられることが度々でした。ご実家の躾が質素で堅実なのだろうと頭が下がるのです。

いいお嫁さんです。
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炬燵猫に聞こえてきた話 2

2018-01-18 16:13:10 | 雑記
昨日に続いて

これも徹子の部屋。 ノーベル賞受賞の山中伸弥さんがゲストでした。偉ぶるところの微塵もない、爽やかな口ぶりで、研究テーマのIT細胞で、病に苦しむ人を救いたいと、研究の成果を話していらっしゃいました。そして話は、癌で亡くなられた平尾誠二さんに及びました。
「ぼくは山中先生を信じるって言ってくれ、最期まで見事に生きた人でした」と親友の死を悼んでいらっしゃいました。そして平尾誠二さんは、ラグビーの監督でも成果を上げた人だけれど、良く、選手を怒るときの心得を話していた、と話されました。

選手がやったことを叱る。その人格までを持ち出してはいけない。
他人と比較して叱ってはならない。
くどくど長く叱ってはならない。
叱った後は必ずフォローする。


これはラグビー指導者だけに当てはまる心得ではありませんね。母親が子供を叱るときも大事なことですよね。

娘のMaの子育ての頃、私の子だなあとつくづく見ておりました。これがかなり大声で厳しく叱るのです。いくら教えても理解しない時も、だんだん声が大きくなり、癇癪玉が破裂することも多いようでした。ただMaは、ひとしきり叱ると、かなり大きくなった子も抱きかかえて「可愛いね、お母さんだいすきだよ」とこちらが少々恥ずかしくなるほど、甘えさせるのです。
そして私に言いました。「私たち、こうして抱っこしてフォローしてもらったことあったかしら。怖いおばさんしか記憶がないけど」と言うのでした。

確かに私はフォローはしなかったかもしれません。落第母だったかもしれない。
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炬燵猫に聞こえてきた話

2018-01-17 14:00:33 | 雑記
坐骨神経痛で、やむを得ず寝正月を過ごしていると、テレビからいろいろな話題が聞こえてきます。今日からそれを書きます。

徹子の選んだ「松竹梅」

黒柳徹子が勝手に思いつきで選んだというおめでたい「松・竹・梅」がそろって出演。
松はTOKIOの松岡昌広。竹は大竹まこと。梅は梅沢冨美男。カードを引いては話のテーマを決めてめでたくにぎやかに話す形式になっていました。松岡昌広には「最近感動したこと」が当たりました。

いろいろ感動しますけれど、ごく最近では、渋谷の交差点で僕とすれ違う方向で、おばあさんが渡っていたんですよ。荷物もあって、よろよろっとこけそうになりました。おっ、これはいけないと駆け寄ろうとしたら、僕より先に、ちょっとヤンキー風の若いアベックが駆け寄り、やさしく支えて渡って行ったのですよ。当然のことかもしれませんが、妙に感動しました。人を見かけで判断してはいけないな、若い人もちゃんとやるべきことはやっているんだな。いい物を見ました。

私も似たような経験があります。やはり渋谷で何が原因だったのか、今に分からないのですが、人の流れの中を歩いていました。つまずいたわけではなく、押されたという意識もないのに、気が付いた時はすとんとしりもちをついていました。痛みより恥ずかしさが先にありましたが、運動能力が劣ってきていて素早くは立ち上がれません。若いペアが声をかけてくれました。「大丈夫ですか。手を貸しましょうか」女性が手を引っ張てくれ、男性が後ろから抱えるように立たせてくれました。

二度と「このごろの若い者は・・・」という言葉は使わないでいこうと思いました。


夏木マリ 徹子の部屋

「コンプレックスはありますよ~。私はコンプレックスを好きになることにしたのです」
続きの話を聞きますと、「努力はしましたよ。ダンスならダンスを徹底的に練習しました。コンプレックスを感じなくてもいいように、鍛えたのです。コンプレックスを感じていたダンスが大好きになりました」

私の欠点。出来そうにないことには、手を出さない。避けてしまう。世界が狭~くなるのですね。取り組んでいったら、案外自分に合っていることかもしれませんね。
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山本一力✖浅田次郎

2018-01-16 13:56:50 | 雑記
年末、坐骨神経痛に襲われ、どうしようもない痛みに整形外科に駆け込みました。病院のお正月休みが目の前。医者はとにかく神経ブロックで痛みを止める、あとは湿布と痛み止めの飲み薬を出すからどうにか凌ぎなさい、とのこと。大掃除はあきらめなさいよ、静かにしていなさい。29日午前中までやっているから、もう一度いらっしゃい。とのこと。

29日、激痛。もう一度神経ブロック。どうにか痛みは押さえられる。その間に最後の買い物とお節を作る。1日には息子一家がやって来る。薬でどうにかおさまっているところで、そろってお祝い。
息子一家が去って行ってから、薬切れ、痛みに襲われる。薬飲む。

こんな状況で、大部分の時間を炬燵猫、箱根駅伝観戦、でお正月は過ぎました。

そのネコの時間つぶしにこんな本を読みました。
浅田次郎の「すべての人生について」。10人の各界の人との対談です。最初が山本一力との対談。それによると、二人とも、莫大と思える借金返済に明け暮れた時期があったと。浅田はすでに返済し終り、山本は今まだその過程とのこと。
書くことの締め切り、返済の締め切り、山本は苦しんだ。
その時バイブルクラスで出会った言葉が助けてくれた。

「明日のことは明日自身が思い煩うであろう。今日の悩みは今日一日で十分である」

遠藤周作が紹介していた言葉で、トルコの格言

「明日やれることは、今日やるな」

そして、一番力づけて、励ましてくれた言葉。誰の言葉か不明だが

「明日は味方」。

読書につかれてちょっとテレビをつけたら、偶然、坂本九の「明日がある」が流れてきました。

♬明日がある、明日がある、明日があるさ♬



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行ってきました。満足。

2018-01-15 14:08:52 | 雑記
昨日、痛みをクスリでねじ伏せ、もしもの場合はもう一服盛るつもりで、バッグに忍ばせて出かけました。下北沢でらい太と会い、目指すは相模女子大学グリーンホール(大ホール)です。

日本フィルハーモニー交響楽団の相模原定期演奏会 第10回です。

プログラムをお見せします。



14:30開演に先立ち、指揮者の山田和樹のプレトークがありました。ほとんどの人がこれに集まっていたような大盛況でした。その解説によると本日の演奏曲の第一部バーンスタインはぐっと現在に近く1900年代の作曲家で、いわゆるクラシックと言われる曲と、ジャズを融合させた曲だとのこと。
小曾根真のピアノの曲(ラプソディ・イン・ブルー)の作曲家ガーシュウィンもその流れの人だとのこと。

指揮者も若いし、小曾根さんも若いし、溌剌とした曲が聞けると期待。

2部はラベル。最後のボレロはよく知られているように、同じリズム、同じメロディーの繰り返しでありながら、いかに聴かせるか、いかに盛り上げていくか、そのテクニックが聴きどころとのこと。

はい、確かに現代風で、若々しく、いつものクラシックとは異なりますが、聴き惚れました。
特にボレロはいつの間にか楽器の数が増え、曲は高まっていきます。最後、大きな打楽器の圧するような音が加わり、最高潮に盛り上がります。酔ったような気分で終わりました。

指揮者・山田 和樹とピアノの小曾根 真の写真を載せます。いずれもパンフレットからのスキャンです。お見苦しいところはご勘弁ください。



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娘に言い聞かしたこと

2018-01-13 16:43:40 | 雑記
娘のMaが小学4年生になった頃から、繰り返し次のようなことを言い聞かせました。

みんなで話し合っているとき、まあいいかと自分と少しは意見が違っても妥協できる時には強いて反対しなくてもいいけれど、どうしても自分と意見が合わず「いやだ」と思う時には、反対意見を押し通すことが大事よ。それは妥協出来ないという時にはあくまで反対する、相手を拒否することが大事、どうしてもいやなことは、あくまで拒否することが大事よ。と。

その時、私の頭の中には、Maが今から成長していく過程の中では、いわゆるセクハラにあうことがないともいえないだろう、その時、毅然として拒否することが大事だと思っていました。相手が目上の人であろうが、上役であろうが、蹴っ飛ばしてでも拒否する強さを持っていてほしいと思ったのです。
本人には、男の暴力について強いて言いませんでしたが、それは成長するにしたがって自分で理解していったと思います。母親の私が何を言わんとしているかは理解していったと思います。

幸いにも、そうした事態は彼女に起こらないうちに・・・起こらなかったと私は思っているのですが・・・。もしかしたらそういう目にあっても私の言い聞かせが役にたって撥ねつけたのかもしれませんが、茂ちゃんと結婚したのでした。

嫁ぎ先の山口に溶け込んで、子どもが学校に行く頃は、PTAの会長を受けておりましたけれど、「私は会議の時、少々のことは黙って聞いているのよ。でもこれはおかしいと思う時は強く反対を言い、そのわけを厳しく言い立てるのよ。時には恨まれることもあるけれどね」。
昔の私にそっくりになってきていました。

昨日夕食を食べながらテレビを聞いていましたら、セクハラ、パワハラにあった女の人が、怖くて拒否できず、ついて行ってしまった、など拒否の表明があやふやな例が多く上がっていました。私はこの点が、自分を守る姿勢が甘いと思って聞いていました。嫌なことは嫌と断然拒否する態度で断固撃退する姿勢が欲しいと思いました。
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あるべきところ

2018-01-12 14:09:55 | 雑記
昨日書いた千円札事件は、らい太の「銀行に行ってみるわ」でおしまいにし、超方向音痴の私をバス停までらい太は送ってくれました。その別れ際、「次は14日だね」と言います。
「え?14日?なんだったっけ??」全く記憶がありません。
「ほら、ずっと前から楽しみにチケット取った音楽会よ」
「ああ、14日だったね。すっかり忘れていた。カレンダーに予定を書くのも抜けていた。言ってくれてよかった」。
「チケット忘れないようにね」
「え?チケット。あなたが買ってくれて、持っているんじゃあない?」
「渡してない?そおお?家にあるかなあ」らい太もそこのところ自信がない。私は全く記憶がない。

翌朝メールが来た。
「チケット渡しているよ。代金ももらっているし」と。
らい太はさすが友の会の会員らしく家計簿などきちんと書いている人なのです。これは私の物忘れに違いない。
それから家事はそっちのけ。必死に探しました。私はそうした書類のようなものは、私の定席のおこたの上の四角いバスケットの中に立てておくのです。まずそこを丁寧に見る。ない。出かける時のハンドバッグ。この前らい太と会った時はどのバッグだったかしら?そんなに数多くのバッグは使わないし・・・あれこれをポケットまで調べる。ない。あとは念のため2階の寝室を。ない。いつも暮らしている居間の引き出しを確める。ない。

居間に続く広縁のあらゆる書類状のものを一枚一枚めくる。ないない。最後に、いくらなんでもここにはないと思う押し入れの小引き出し・・・ハンケチが目いっぱい詰め込んである・・・こには入るわけがない、あるわけがないと自分でも投げやりに見ると、あった~あ!!喜びと同時にどうしてこんなところに入れたんだろうと、自分の行動が解らない不気味さを思いました。

すぐにらい太にメール。
「あった!!!。とんでもない、あるべきではない所に入っていたよ。必死で探したよ。14日には確かに行きます。楽しみにしてます」

「あーよかった。あるべきところを守ることは絶対条件」

まったくまったく。

14日には日本フィルハーモニー交響楽団、指揮者山田和樹が楽しめます。神経痛もどうやら痛み止めを飲んでおけばおとなしくしていてくれるようですし、行ってきます。

らい太は山田和樹にお熱のようで(古い表現ですね)このチケットを頑張って取ったようでした。いい女正月が過ごせます。

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半分の千円札

2018-01-11 12:03:51 | 雑記
年末の押し詰まった27日夕方、らい太の誘いで高縄区民ホールに、東海大学付属 高輪台高等学校中等部の吹奏楽部定期演奏会を聴きに行きました。全国大会で、ずっと金賞を取るほど程度の高い中学生の演奏だということでした。

楽しめました。演奏ももちろんですが、若者が好きなことに打ち込み、真剣に取り組んでいる姿に、好感を持ち、惹きつけられました。その若さの爆発に感激でした。
らい太が言います。
「私たちがこの年代の時には、こうしたことできる社会状態ではなかったわよね。うらやましい」と。

演奏が終わって夕食を食べようということになり、ピザ屋さんに行きました。お店を出て割り勘の清算をしようということになり、らい太が財布からお札を出して数えようとしました。
「あれーっ」と大声。何々と見ると半分に切った千円札が挟まっていたのです。
「え、どこでこのお金は貰ったかわからない。これってわざとやったことよね。この千円札。どうしたらいいのかしら。どうなるのかしら」ばあさん二人が寒い道端で当惑したのでした。

帰宅してネットで調べてみました。日本銀行に行けばいいとのこと。普通の銀行でもできなくもないとのこと。
それに次のような規定があるということが書いてありました。

1、表・裏両面があること
2、紙幣の面積が3分の2以上残っている場合は、【全額】を引換えしてもらえる。
3、破損した紙幣の面積が5分の2以上、3分の2未満の場合は、【半額】を引換えしてもらえる。
4、破損した紙幣の面積が5分の2未満の場合は、お金としての価値は無いと判断され残念ながら交換不可能。

らい太のつかまされたものは、半分よりわずかに小さいものでしたから500円は戻ってくるようですね。切った犯人も500円引き換えられるのです。要するにらい太がマイナス500円、犯人がプラス500円、になるのです。
これが千円札だからまあいいかとあきらめられる500円の損失なのですが、一万円札でやられると家計に響きます。

こんな悪事もあるのですね。お釣りをもらった時など確めましょう。
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気に入ったコマーシャル

2018-01-10 15:34:47 | 雑記
年末年始、ドクターストップをかけられた私は、痛みと戦いながらおこたで引きこもっておりました。勢い、テレビをぼんやりと見ることで大半の時間をやり過ごす、まことに怠惰な生活でした。

そんな私の目に、こんなコマーシャルが繰り返し映し出されました。

台所の流しの前に立つお母さん。2歳・3歳の兄妹でしょうか、まつわりついております。
そこにかぶさったナレーション。

「家事なんていい、食事は手作りでなくていい、あんなに抱っこしてほしがっているんだもの」。

後ろ姿だったお母さんが、振り向いて、二人の子をぐっと抱きしめます。お母さんの優しい笑顔、二人のこのこの上ない満足そうな笑顔。

「毎日かあさん、ときどき出前館」とナレーションがかぶさります。

出前館というのは、出来上がった食事を配達してくれるお店でしょう。そのコマーシャルなのでしょうが、なにか嫌味がなく、見るたびに心が温まるような気がしました。

子育ての期間は、自分の時間はほとんどない状態でした。細切れの時間に、台所仕事、いっぱいいっぱいの時もありました。きっとそういう時は子どもに対する笑顔を失っていたのではないかと今思います。

そうなんですよね。私の子育ての時期にはまだ出前館のようなものはなかったと思いますが、ある今は、「ときどき出前館」で、気持ちを楽にするのも良いことかな、と思うのです。
笑顔で抱っこしてくれるお母さんが、手づくり食事より、必要な時もありますよね。

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