派手な電車にびっくり!
JR東福寺で降りる。
泉涌寺の門をくぐりぬけていいものか、迷って通りがかりの人に聞く。そのまま門を通り抜けて泉涌寺参道を歩く。
赤い鳥居橋が見える。そして、大きな大師像。「子護弘法大師」と呼ばれている。拝観料を払うこともなく、なんとなく境内に入っている感じがする。
すぐに本堂。本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
体内仏として熊野権現より授かった、天照大神の御作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)。本尊は秘仏。同じ姿の御前立像が立っている。受付の人に聞く。御開帳については、ホームページを見てくださいとのこと。秋には見れるかもしれない。西国三十三所札所 第15番。
縁起について、ホームページから。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。
不思議に思われてその方へ慕い行かれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが、これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、またそのときに一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えられました。この時に老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると、「自分は熊野の権現で、永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消されました。
大師は熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじまりです。弘法大師御作のこの観世音菩薩像は秘仏として大切にまつられ、一千二百年の長きにわたって衆生を利益し続けておられます。
またこ の時に大師が、観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぶために錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出しました。大師はこの清涼なる清水を観音御利生の水として崇められ「五智水」と名付けられました。爾来今日に到るまでこんこんと湧き出し、私たちに深き恵みの水をお与え下さっています。
帰り道、戒光寺の前を通ると、10mのお釈迦さまをご自由に拝んでください、という看板が目に入る。仏像の大きさに惹かれ、靴を脱いで本堂に上がる。座ってみると、なんと魅力的なお顔とそのお姿。今日の幸せ。しばらく座って、見つめる。
写真と文 泉涌寺 ホームページより
本尊・釈迦如来立像(重文)は一丈六尺を越え(約5.4m)総高約10mの大像で、運慶湛慶父子の合作である。本像を始め光背・台座も同時代のもので、蒔絵彩色も良く残り、宋風の類稀な鎌倉時代彫像である。「身代わり丈六さん」の名で庶民の篤い信仰をうけている。開山曇照津師像は鎌倉期の祖師像。重要文化財。
戒光寺は、鎌倉時代安貞2年(1228)宋から帰朝した浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に創建し、後堀河天皇の勅願所となった。その後一条戻り橋の東に移り、更に三条川東を経て、正保二年(1645)現地に移され再興された。