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人生に乾杯!

旧燈明寺

2021-11-07 | 南山城古寺探訪

旧境内に建つ収蔵庫には、千手観音立像、十一面観音立像、馬頭観音立像、不空羂索観音立像(伝・如意輪観音)、聖観音立像が安置されていた。現光寺と同じく、11/3,6,7の公開。

三目の並び方を初めて知った。同じ鎌倉時代作の仏像でも、全然違う姿だった。


現光寺

2021-11-07 | 南山城古寺探訪

11/3,6,7のみ秘仏公開の現光寺に行く。加茂駅から歩いて15分。

現光寺は、海住山寺からみて南東約3km、木津川市加茂町大字北にある小さな寺院で、海住山寺が管理している。詳しい由緒は明らかではない。鎌倉時代の十一面観音坐像を本尊としているので、中世には存在していた寺院。近世初期には衰退していたようだが、江戸時代に再興された。

本尊は、木造十一面観音坐像(像高74.0cm、国指定重要文化財)。十一面観音の立像は飛鳥時代から存在するが、座像は珍しいそうだ。

金箔がきれいに残っている。本堂でなく、収蔵庫に収められている。収蔵庫といっても、大きなものでなく、壁は桐。大きな桐のタンスのなかに大切にしまわれている、といった感じがする。


海住山寺

2021-11-07 | 南山城古寺探訪

海住山寺に行く。Wikipediaによると、海住山寺という寺号の由来については、『明本抄』「良算聞書」に以下のようにある。まず、「海」とは、観音の衆生を救済しようという誓願が海のように広大であることを意味し、のような観音の誓願に安するという意味があるとする。また、インドの仏教では観音の住処は南方海中の補陀洛(ポータラカ山)にあるとされ、当寺を海に住する山である補陀洛山になぞらえる意味もあるという。

木津川アートが開催されているので、加茂駅から恭仁宮跡までシャトルバスに乗ることができた。

恭仁宮が読めなかった。くにのみや、と読む。

一本道だから迷うことはないよ、とバスの運転手さんに言われる。

ここからが聞きし(読みし)に勝る急阪。根性で上る。

山門到着。この一瞬がたまらなくうれしい。

五重塔(国宝) - 鎌倉時代の建保2年(1214年)建立。裳階付、高さ(基壇上面 - 相輪上端)17.7m、初重一辺2.74m。貞慶の在世中に建立が開始されたとみられ、貞慶の一周忌の建保2年(1214年)に完成。法隆寺、室生寺、醍醐寺に次ぐ、古い五重塔とのこと。開扉中。

本堂。二つの十一面観音立像を拝観する。一つは 本堂に安置されている像高189cmの十一面観音。一木彫りを実感。「自然出現の尊像」と言われているように、霊木の観念から生まれたのではないか、と丸山尚一が言っているが、初めて一木彫りを納得した気分。もうひとつは、壇像風の十一面観音。46cm。目が美しい。

本坊の庭園。


浄瑠璃寺

2021-10-11 | 南山城古寺探訪

浄瑠璃寺。

京都府木津川市加茂町西小札場にある真言律宗の寺院。山号は小田原山、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。

本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺の通称がある。

池を中心とした浄土式庭園(仏教の浄土思想の影響を大きく受けたものであり、平等院鳳凰堂に代表されるように、極楽浄土の世界を再現しようとしたため金堂や仏堂をはじめとした寺院建築物の前に園池が広がる形をとっており、寝殿造形庭園、書院造庭園とともに、自然風景式庭園に分類される庭園形式)と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構。

本堂に入る。9体の阿弥陀如来坐像(2体は修理中)が横一列にずらり。新薬師寺は、メリーゴーランドようだった。まるで動きが一瞬止まったような動き。こちらは、ハーモニカのようだ。音はないが。でも横一列の幅の力。

9体の阿弥陀如来像のうち、中尊は他の8体より像高が大きい。岩船寺の阿弥陀如来とは違うお顔だ。もちろん、9体の阿弥陀如来もすべてお顔が違う。

 浄瑠璃寺 パンフレットより

阿弥陀如来像を9体安置するのは、『観無量寿経』に説く「九品往生」の考えに基づくもの。九品とは、仏教用語。極楽浄土(ごくらくじょうど)に生まれるのに、この世で生活した仕方によって9種類の生まれ方があることをいう。『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に説かれ、非の打ちどころがない善人は臨終のとき、仏が迎えにきて即座に極楽に往生)できるのを上品上生(じょうぼんじょうしょう)という。以下、上品中(ちゅう)生、上品下(げ)生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生と続き、最後の下品下生は、極悪非道の行為を繰り返した者が、臨終のとき、念仏を唱えたことによって往生できることをいう。この思想に従って、阿弥陀仏にも九つの印相(手に結ぶ印の形)があるという考えが一般化し、鎌倉中期以降、とくに九品の阿弥陀仏の造像が行われた。また、仏が迎えにくるとき、それに座る蓮台も違うと考え、九品の蓮台があるとさえいうようになった。(日本大百科全書より)

大きさと数は、訴える力が強い。

池の東岸には薬師如来を安置する和様の三重塔、西岸には阿弥陀如来を安置する本堂(九体阿弥陀堂)が位置する。薬師如来は東方浄瑠璃世界に住み、現世の苦しみを除く仏であり、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主である。薬師如来を東、阿弥陀如来を西に安置することにはこうした意味があり、三重塔のある東岸は「此岸」(しがん、現世)、池をはさんだ西岸は阿弥陀如来のいる「彼岸」であるという見かたもできる。Wikipediaより

 


岩船寺から浄瑠璃寺まで 石仏の道

2021-10-11 | 南山城古寺探訪

岩船寺から浄瑠璃寺まで歩く。お寺の人に、一願不動に行く道は通行止めなので、三体地蔵摩崖仏の前を通る道を教えられた。誰もいないので、深呼吸をして、歩き始める。

蛇に出会った。そっと後ろにさがる、と聞いたことがあったような気がしたが、一目散に前に走った。身体全体がとげとげしくなった。怖い!

ミロクの辻

急に目の前が広がる。

という看板があるのに、眠り仏が見当たらない。ふと地面をみると、あった。。。

浄瑠璃寺に向かう。

ここまでの道、急いだり、ゆっくり眺めたりしながら、およそ40分くらい。浄瑠璃寺に到着。