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人生に乾杯!

金沢城公園

2024-12-27 | 庭園

金沢城公園を目指す。これは、尾山神社の神門。

金沢城には、天守閣がない。天守閣のない城には、もともとなかった城と、何らかの理由で失なわれてしまってその後再建されなかった城があることを知った。金沢城は後者。お城と言えば、天守閣という思い込みを頭の中で訂正する。

今回の目的は、玉泉院丸庭園を見ること。玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形だった。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする。立体的というと、野村家の庭も上段の池と下段の池があった。。。

 

 


武家屋敷跡 加賀藩千二百石 野村家

2024-12-27 | 庭園

鈴木大拙館から長町にある野村家に向かう。長町には大野庄用水という水路が流れており、「一の橋」から「八の橋」まで橋がある。「一の橋」から「四の橋」あたりが土塀の残る長町武家屋敷跡で、野村家は長町三の橋の袂に位置している。

石垣に「薦掛け」。薦(こも)とは藁で編んだ筵のことで、雪から土塀を守るために設置されるもの。

「野村家」は戦国大名・前田利家の家臣だった尾張出身の野村伝兵衛信貞が初代。家督は十一代にわたり、明治4年の廃藩に至った由緒深い家柄。
武家制度の解体で、あたりの多くは、菜園となったが、門、土塀などは従来のままの姿を残している。しかし、大正初期の窮乏で、さらに土地は分割され、現在の住宅地に変貌した。

あらっ、灯籠も「薦掛け」?

野村家当主の野村伝兵衛信貞が「末森城の合戦」で着用していたと伝えられている甲冑。

現在の屋敷(主屋)は、大正時代の近代和風建築。

総檜づくりの格天井の上段の間は、豪商・久保彦兵衛によって大聖寺藩主を迎えていた上段の間・謁見の間(江戸時代後期建築)を移築したもの。

山口梅園による牡丹の襖絵。

縁側/ぬれ縁から眺める池泉鑑賞式庭園。てんこもりのお庭。

庭園内には12基の大きさやデザインが違う灯籠が配置されているそうだ。灯籠も、雪や雨の凍結、氷解により石が割れるのを防ぐ為、薦掛けされている。初めてみる光景。蓑笠をかぶったお地蔵さんみたい。

長さ約3mの桜御影石でできた大架け橋。庭園自体が立体的で、落差約2mの落水。落水を境に、上部が「上段の池」、下部を「下段の池」と呼ばれる。

 

2階から見た庭。

 

 


成巽閣(せいそんかく)

2024-12-27 | 庭園

兼六園に隣接している成巽閣は、文久3年(1863年)に加賀藩13代藩主・前田斉泰が母・真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として建てた歴史的建造物。歴史博物館として一般公開されている。

初めて見る「雪吊」の美しさに、気分が盛り上がる。

「雪吊」づくし。

御殿の中に入る。障子の腰板に描かれた細やかな絵。鮎、亀、蝶。蝶や亀の数が障子1枚ごとに増えていく。写真不可なのが残念。

つくしの縁庭園。

 

 

2階から見た主庭「飛鶴庭」。

赤門。兼六園への通用門として用いられていた。


兼六園

2024-12-25 | 庭園

兼六園は、17世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された「大名庭園」を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園。岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の1つに数えられる。園名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した。雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩。

兼六園を訪れたのは、20年以上前。不思議なくらい、何も覚えていない。雪吊を知らなかった。金沢は雪国なのだ。。。

随身坂料金所から兼六園へ。

12月初旬まで、もみじを堪能しきったので、冬のこの光景が、少し寂しく感じる。でも、堂々とした松は圧巻。

根上がりの松。40本以上の根が土から盛り上がったように見える松。松の根は地表近くに成長するという性質を用いて、盛り土をしてその上に松を植え、 後で土を取り除いて根上にしたと言われている。約2メートル、松の根が地上部分にせり出している。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像。富山県高岡で造られた日本最古の銅像で、身長は5.5メートル。西南戦争で戦死した郷土軍人を祀るために、明治13(1880)年に建てられた。

可憐なピンクの花の木。

真弓。

氷の花!

並べられた11枚の石が、雁の列が飛んでいく様に見えることから名付けられた。昭和44年から、石の保護のために通行が禁止されているが、昔はこの橋を渡ると長生きすると言われていたそうだ。

底にある石がとてもきれい。

霞ヶ池 兼六園の中心部にある、約5800平方メートルの池。園内で一番大きい池。池の中には蓬莱島という亀の形をした島が浮かんでいる。

虎石 虎がほえている姿に見えることから名付けられた石。龍石・獅子巌とともに兼六園三名石。

枯れた松の葉の絨毯。味わい深い。

これは山査子の実! サンザシ、という言葉からは、失われた時を求めて、を思い浮かべる。白い花とその香り。その花からは想像しがたい、ぷっくりとした赤い実。

時雨亭跡。

瓢池(ひさごいけ) 瓢箪の形をした池。中州にあるのは、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったと言われる「海石塔」と枝垂桜。

赤い実。

 

 


北野天満宮

2024-12-07 | 庭園

「史跡御土居のもみじ苑」に行く。「史跡御土居のもみじ苑」には、豊臣秀吉が、洛中洛外の境界、水防のために築いた土塁「御土居」の一部が残っている。境内の西側一帯は、長らく自然林で、自生のものと後に植林されたものを含めて、約350本の紅葉を有する。

総面積約500坪の桧皮葺屋根を戴く本殿。菅公をまつる御殿と拝殿が石の間という廊下でつながり、本殿の西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備えた特色ある構造になっている。「八棟造」または「権現造」と称される。