南相馬市ふるさと回帰支援センター

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浦尻貝塚にて 語り部 安部あきこさんが語る    ~南相馬市ふるさと見聞録~ 

2012年10月17日 | 日誌
  10月の初旬、久しぶりに小高区へ足を運びました。6号線、以前ゲートがあった原町区大甕のセブンイレブンを過ぎると

 間もなく小高区。気に留めるほどの距離ではないのに、相変わらず身が引き締まる感覚は1年7ヵ月過ぎても無くなる事

 はありません。もっと本音を言うならば福島方面からは飯館村から、仙台方面からは亘のあたりからこの緊張感は始まっ

 ているのですが、そこへプラスαされるのは多分憤りややるせなさ、中原中也の「汚れつちまった悲しみに…」の世界に、

 二日酔いで起き上がれなくなるほどに、どっぷりと浸りたい気持ちを押えられなくなる衝動かもしれません。

 この日、語り部安部あきこさんに会う為に向ったのは小高区浦尻にある浦尻貝塚。

 貝塚とは昔の方が食べた貝が幾つかの層に重なったものですが、その中には動物の骨や土器、石器など古代の人の食

 文化を含む生活様式や信仰など縄文時代の様子などを現代に伝える重要なものです。

 
  

 小高区にある浦尻貝塚は太平洋を眼下に見渡せる緑豊かな高台にあります。高台周辺には幾つか小さな谷や川もあり、

 緑の森も広がる静かな跡地です。明治時代までは浦尻貝塚には井田川浦という陸地に入り込んだ東西1.8、南北1キロ

 メートルの大きな海が広がっていたそうです。(H9南相馬市教育委員会発行 浦尻貝塚より)9月頃からそこにある小高い

 跡地には色鮮やかな彼岸花が高台を埋め尽くすように咲き競いその勢いは貝塚の周辺にまで広がっていました。

 今年は彼岸花が咲くのが遅れその時期を待ちすぐてしまったかもしれません。それでもこの群生を目にすると、静かに

 この地域を見守ってくれているような神聖な空気を感じずにはいられません。

               

 安部さんはあの日、ここ浦尻貝塚で発掘作業中に地震に遭いました。そして間もなく、穏やかだった目の前の海が真っ黒

 な壁となって陸をめざし駆け寄るのを信じられない思いで見つめていたそうです。

 語り部 安部あきこさんがかたる震災の日のできごと。

 今、安部さんはふるさとの昔話とともにこの震災の教訓も後世に残す使命を感じ活動されています。
 
 お問合せは南相馬市ふるさと回帰支援センターまでお願いします。

              

      

                      
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