みんなの党も支持率を伸ばすにつれていわれなきバッシングを受けることが多くなりました。
これは他党が非常に脅威に感じていることのあらわれです。
例えば、みんなの党は外国人参政権を推進しようとしている。とかの誹謗中傷もあります。実際には反対しているのに。
(17日開催の「同法案に反対する一万人大会」に渡辺代表が参加しはっきりと反対演説をしています。)
若林議員の代理投票問題に関する4/2の浅尾氏のツイッター発言に対しての岩上氏による反論&小沢支持者と思われる人々によるバッシングがありましたが、これなど浅尾氏の意図と違う方向に無理やりもっていって叩くという異様なやり方をしています。
この件について下の記事は私の考えに最も近いものでした。
浅尾慶一郎議員のTwitter「炎上」について:本質論と手続き論
また、この論争に対して私は以下のツイートをしました。
「小沢氏の問題との対比は政治家としての姿勢を問うているのだと思うのだけど。iwakamiyasumi 氏はそれを別の問題として攻撃しているだけ。まさに批判のための批判。」
「若林氏と小沢氏のどっちが悪いとかなんて見る立場によって変わるのはあたりまえ。私はiwakamiyasumi 氏がどうにかしてみんなの党を攻撃したいとしか見えません。」
「あの論争の答えは国民が選挙で示すことでしょうね。それが民主主義。しかし国民が小沢NOを突きつけても岩上氏は国民が間違っていると言うんだろうな。」
「ナチス独裁も民主的プロセスにて成立したものだ。検察を一方的言い分で批判しておいてかたや政治においては疑問を追求する立場を批判しまくる。支持者にとってはダブルスタンダードが当たり前なんだな。岩上氏など見ていると小沢&民主擁護者の異様を感じる。そのうち全権委任法をと言いかねない。」
さてこの記事の主眼はそのことについてではありません。
その論争の中で「党議拘束でがんじがらめになっている日本で,本会議の投票にどこまで意味があるのか分からない」という発言がありました。
それに対して河野太郎氏は「その通り。なんでも党議拘束していることがまず問題です。」と発言されています。
そこで私は思いついたことがあります。
選挙区と比例代表とでは当選議員の性格は違うのではないか?
基本的には比例代表制とは個人ではなく政党を選ぶ制度でしょう。
(衆議院と参議院では比例代表制についての違いがありますので全く同列に論ずることはできませんが、一応基本的な考えとして以下のように考えています。)
そう考えますと政党に対して投票しているのにも関わらず比例代表議員の個々の考えによって賛成と反対に分かれることがあってはおかしいですね。
比例代表については党ごとに投票行動が一致していなければおかしいから、党議拘束は当然必要ということになります。
党議拘束がある以上、単一の投票行動となりますので複数の議員が必要である根拠がありません。
つまり議決権の数が必要ではあるけれども議員自体の数は必要ではありません。
であれば、本来の比例当選人数に相当する議決権の数を党代表に与えればよいだけではないでしょうか。
このように考えますと、比例代表の主旨を残した上で比例議員を0とすることが可能ではないかと私は思うのですがいかがでしょうか?
これは他党が非常に脅威に感じていることのあらわれです。
例えば、みんなの党は外国人参政権を推進しようとしている。とかの誹謗中傷もあります。実際には反対しているのに。
(17日開催の「同法案に反対する一万人大会」に渡辺代表が参加しはっきりと反対演説をしています。)
若林議員の代理投票問題に関する4/2の浅尾氏のツイッター発言に対しての岩上氏による反論&小沢支持者と思われる人々によるバッシングがありましたが、これなど浅尾氏の意図と違う方向に無理やりもっていって叩くという異様なやり方をしています。
この件について下の記事は私の考えに最も近いものでした。
浅尾慶一郎議員のTwitter「炎上」について:本質論と手続き論
また、この論争に対して私は以下のツイートをしました。
「小沢氏の問題との対比は政治家としての姿勢を問うているのだと思うのだけど。iwakamiyasumi 氏はそれを別の問題として攻撃しているだけ。まさに批判のための批判。」
「若林氏と小沢氏のどっちが悪いとかなんて見る立場によって変わるのはあたりまえ。私はiwakamiyasumi 氏がどうにかしてみんなの党を攻撃したいとしか見えません。」
「あの論争の答えは国民が選挙で示すことでしょうね。それが民主主義。しかし国民が小沢NOを突きつけても岩上氏は国民が間違っていると言うんだろうな。」
「ナチス独裁も民主的プロセスにて成立したものだ。検察を一方的言い分で批判しておいてかたや政治においては疑問を追求する立場を批判しまくる。支持者にとってはダブルスタンダードが当たり前なんだな。岩上氏など見ていると小沢&民主擁護者の異様を感じる。そのうち全権委任法をと言いかねない。」
さてこの記事の主眼はそのことについてではありません。
その論争の中で「党議拘束でがんじがらめになっている日本で,本会議の投票にどこまで意味があるのか分からない」という発言がありました。
それに対して河野太郎氏は「その通り。なんでも党議拘束していることがまず問題です。」と発言されています。
そこで私は思いついたことがあります。
選挙区と比例代表とでは当選議員の性格は違うのではないか?
基本的には比例代表制とは個人ではなく政党を選ぶ制度でしょう。
(衆議院と参議院では比例代表制についての違いがありますので全く同列に論ずることはできませんが、一応基本的な考えとして以下のように考えています。)
そう考えますと政党に対して投票しているのにも関わらず比例代表議員の個々の考えによって賛成と反対に分かれることがあってはおかしいですね。
比例代表については党ごとに投票行動が一致していなければおかしいから、党議拘束は当然必要ということになります。
党議拘束がある以上、単一の投票行動となりますので複数の議員が必要である根拠がありません。
つまり議決権の数が必要ではあるけれども議員自体の数は必要ではありません。
であれば、本来の比例当選人数に相当する議決権の数を党代表に与えればよいだけではないでしょうか。
このように考えますと、比例代表の主旨を残した上で比例議員を0とすることが可能ではないかと私は思うのですがいかがでしょうか?