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Heaven or Hell

公正と自由の探求。努力が報われる社会を夢想するひとりごと。

Beatles 『LET IT BE』 の意味-私的な日本語訳

2005-10-13 02:14:23 | 宗教観
前回のエントリーの「御旨のままに」という言葉で思いだしたのだが、

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be.

いうまでもなくBeatlesの最も有名な曲の一つである。

この最後の『let it be』の部分についてはいろんな人がさまざまに訳されていて、
「あるがままに」とか「なすがままに」とかの意味で日本語訳されているものが多いようである。
その部分だけを日本語にすると、それももちろん間違いではない。

この詞については、『Mother Mary』のワードにも表わされているとおり、
“キリスト教が心の全ての原点である”世界の詞であるのに、
“それ”が無い普通の日本人にとっては、感じ取るものが全く違うように思う。
言葉の上での意味が、もしも、わかったとしても、その奥にあるものが感じられないのではないか。

“それ”にもとづいて日本語に置き換えると、

私が苦悩にあるさなか
聖母マリア様がご出現され、
叡智の言葉を授けてくださいます。
「神様の御旨のままにゆだねなさい。」

とするのがもっとも素直な日本語訳だと思う。

ただし、言葉だけ日本語訳したとしても、やはり“それ”が無い普通の日本人にとっては、
共感レベルとしての理解は難しいのではないだろうか。

さらに『let it be』には「あるがままに」「なすがままに」といった「無為的」な意味のものだけではなく、
そこに「神の有為」を感じる。

上の詞でいえば、

あなたが苦悩にあることも、神様の御心に沿うものなのです。その神様の御心を受け入れて、
「神様の御旨のままにゆだねなさい。」=『let it be』

となる。

日本人の宗教にはご利益は欠かせない?

2005-10-10 02:27:32 | 宗教観
前回のエントリーで公明党を例に出したが、そういえば、だいぶ前になるが日蓮正宗(創価学会かもしれない)と思われる方に、強力な勧誘を受けたことがある(折伏?)。
そのとき、その方の説得を通して、一般的な日本人の宗教観はこうみなされているのか、というものを感じた。

たしか「私は不治の病気が、信仰によって治った。だからあなたもこの教えを信じなさい。
(あなたも幸福になりたいでしょうから)信仰すれば、必ず幸福になれます。」
というようなものだったと思う。

それに対し、自分の宗教観とだいぶ違うとかんじたので、(自身は宗教活動はしない不信心者ではあるが自分なりの宗教観はある。)その違いを答えた。

私の信じる神は、(この世でのことについては)神を信じることによるメリットのようなものは無く、信仰する人間や正しく生きた人間がそれに応じて良く報われるとは限りません。信仰にかかわらず不幸になるかもしれません。すべては「御旨のままに」です。
幸福を求めるために信じているわけではないのです。
そう答えると、その方は勧誘をあきらめたようだ。

日本にはいろんな神様がいる。商売の神。長寿の神。安産の神。学問の神。交通安全の神。等々・・
どの神様も、ご利益をうたっている。日本人の宗教にはご利益は欠かせないのか?
ご利益があるからこそ信仰するというのであれば、神様もずいぶん軽くみられているもんだ。