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犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

僕は僕の恥を書く。

2005-03-11 17:32:04 | 映画
今日から1日1本、映画鑑賞することを自分に課した。
本当は、映画は3日に1本くらいが望ましい。
作品のイメージが浸食しあわないよう、間を空けたほうがいいと思うのだ。
でも、そんなことしてたらいろいろ見られずに死んでしまうから、1日1本ということにした。
それでも年間365本、10年で3650本である。まだまだ追っつかない。

しかし、あるネットコミュニケーションで失敗したことや、明日までが締め切りの仕事を気に病み、時間はあったけど見る気になれなかった。初日からダメなやつである。
夜は気分がささくれてくるし、夕食のしたくがあるし、妻の邪魔になるから見ることはできない(作品によっては一緒に見ることもあるよ)。

作品は
『イージー・ライダー』を考えていた。
これもソフトを買って、かれこれ4年は経っていると思う。
エポックメイキングな作品だと聞かされているので適当に見るわけにはいかないから、なかなか手がつけられないでいたのだ。
『イージー・ライダー』をまだ見ていないなんて、僕としては恥である。
他の人が見てないことにとやかくいうつもりはない。しかし、自分が見ていないのは許せない。

挿入歌『ボーン・トゥ・ビー・ワイルド』は、テレビでバイクが登場する場面で飽きるほど聞かされるが、肝心の映画を見ていないのだ。
よぼよぼジジイになってからこの作品見たって、何か意味があるとは思えないしな。
でも、僕は40近いから、すでに時機を失している。

早く見ないとDVDも腐っちゃう。


追記 見ました。

パクリ企画『私が観た映画』

2005-03-07 15:24:58 | 映画
この方のブログに触発され(というかマネして)、僕が観た映画をリストアップしてみた。
しかし、すべてをさらけ出してしまうと、「あの映画観てないの?」などと嘲笑されかねない。
僕はいちおうデザイン関係の仕事をやってる端くれということはこのブログに書いてしまっているし、「デザイナーなら必須(必見)」という作品は明文化されてなくとも確かに存在するわけで、それらを押さえていないということは恥であり…。

はい、つべこべ言わずにアップします。

※劇場、ビデオ(DVD含む)、テレビ放映を問わず、僕が全編通して観た映画のなかから"一部""無作為に"選出。

こちらがリストです。

僕は映画を大事に見たい。適当に流してみるのではなく、気を入れて鑑賞したいのだ。だから、気分が不安定な時は観ないし、予備知識の入っていない初回の鑑賞を重要視している。
しかしその気持ちが強迫観念に近くなり、大事に観ようと思う作品ほど、観る機会を逸してしまっている。
例えば、007シリーズの最高傑作と言われる『ロシアより愛をこめて』などは、観たいと思ってから既に20数年、ソフトを購入してから10年近く経っているが、どうしても観ることができない。こうなってくると一生観られないんじゃないかと不安に思う。

アキラのミリキ

2005-03-01 09:46:55 | 映画
発作的に、小林旭の自伝『熱き心に』という本を買った。
この前は彼にやや批判的な目を向けたけれど、
気になる存在ではあるのだ。
3年ほど前から『小林旭読本』とか、これも自伝の『さすらい』を立ち読みしていたが、もともと裕次郎派の僕は購入するまでには至らなかった。

しかし、今回はそういう風向きだったのだろう。
射すくめるように
”ヤクザみたいな目”をこちらに向けた近影のポートレイトが表紙を飾っている(右の写真は、若き日の輝くアキラ)。
先日書いた、僕の嫌いなアキラの顔だ。
それでも、その本をカートに入れる手は止まらなかった。

口述筆記のような文体で書かれていて、老境に入ったスーパースターが人生を振り返る、といった趣である。
おそらくゴーストライターがいるだろうし、脚色が加えられてもいるだろうから、話半分に読みはじめたのだが、その孤高の男の単純明快な語り口に、僕は
ぐいぐい引き込まれていった。
アキラに限らず往年のスターの逸話は、破天荒だけども面白い。
裕次郎しかり、勝新太郎しかり…。
豪放磊落だけれど、同席していたら眉をひそめるような、かなり傍若無人なふるまいも多々あり、関係者は苦労が絶えなかったろうとは思うが、男としては、分別くさく嘲笑しながらも憧れに似た感情を殺せないのである。

※ネタばれあり
地方ロケに行った際に車で撮影現場に向かっていると、村中の人に待ち伏せされて取り囲まれ、興奮して
暴徒と化した彼らに新車をおシャカにされたとか。さらにそこから救出してくれた警官についていって警察署に行けば、なんと彼らも同じ穴のムジナで、山のように積まれたサイン帳にサインしろと要求され、何時間も解放してくれなかったとか…。
あるいは、自分が演じた映画の主人公よろしくヤクザに拉致されて、倉庫に
監禁され、窮地に陥っている時にいきなり笑いはじめて、ヤクザをたじろがせたとか…。そして彼は、機転をきかせてそのピンチをなんとかきり抜けたという。その時は”小林旭”という大看板がなければ殺されていただろうということである。

文字で書くと、なんとも荒唐無稽だけれども、あり得る話として身を乗り出して聞いてしまう。あの時代のスターには、そんなオーラがあるのだ。
理屈ではなく、行動を起こしながら天賦の感性で
バリバリとはぎ取ってものにした、生き残るために不可欠な胆力とか、あらゆる能力を備え持っている。
アキラの場合は、映画の役柄の影響なのか、そういったことに加えて、どことなく
孤独感めいたものがつきまとう。そこが彼の魅力なのだろうか。
いまの彼の瞳にはかつての輝きがないと失望していたが、この本を読んでその気持ちが多少なりとも緩んだ気はする。僕は情にほだされて本質を見失うのは嫌いだが、何となく懐柔させられた感じである。
読んでいてなんとなく感じていたが、彼の血液型は僕と同じ
AB型だという。些細なことだけど、そんなことからも親しみを感じたのかもしれない。

ところで、チョウ・ユンファがアキラに似ていることはこの間書いた。
それ以外にも、吉川晃司、中村獅童、劇団ひとりも
”アキラ系”だなあ、と思う。
劇団ひとりは「チョウ・ユンファに似ている」と言われるそうだから、その系統であるのは間違いない。
くだらないけど(コアなファンにはまた叱られるかもしれないけど)、誰かに言いたかったのです。

地に降りた”渡り鳥”

2005-02-14 10:03:14 | 映画
ほんとうに唐突だけれども、僕は”小林旭”の顔に失望した。

昭和40年代生まれの僕は、言うまでもなく彼の黄金期は知らない。
ただ、いろいろな書籍、テレビ、そして彼自身の映画から、「国民的な大スター」だったことはうかがい知ることができる。
それは現代のスターのように、すぐ隣にいてくれるものではない。ファンに媚びることをしない。唯一無二、有無を言わさない文字通り”星”のような存在だったに違いない。

彗星のように現れ、一夜にしてスーパースターになった石原裕次郎に対し(僕は本当はもともと裕次郎派)、アキラは大部屋俳優からのスタート。先輩俳優からいじめを受けたとも聞く。
だが、徐々に頭角をあらわしはじめ、人気にかげりの見えた裕次郎や、赤木圭一郎の死の間げきを縫って、日活のトップスターに躍り出る。

彼の映画は裕次郎作品にくらべても荒唐無稽。日本が舞台なのに背中に
ギターを背負い、馬に乗り、銃を撃つ…。無国籍アクションと呼ばれた。
ストーリーも単純明快。その土地の悪党を”渡り鳥”のアキラが叩きのめし、弱きを助ける、というもの。
浅丘ルリ子(驚くほど可愛かった)を中心とした女優との、結ばれることのないロマンスもお定まりである。
今の感覚からすれば、「くだらない」とか「笑える」などということになるのかもしれないが、僕はその単純な物語の中に、現代では失われた多くの大切なことがちりばめられていると思う。
それは、正義感や思いやり、人を敬う心である。
文字で書くとなんだかこそばゆい感じだが、アキラのキザなセリフと表情、キレのいいアクションと頭の
てっぺんから抜けるような歌声で味つけすれば、すんなりと受け入れることができるのだ。

当時のファンは、心底からの憧れを持ってアキラを仰ぎ見たに違いない。
ハリウッドでも活躍している香港の映画監督ジョン・ウーも、不遇な少年時代、アキラの映画に勇気づけられて育ったと聞く。彼の作品『男たちの挽歌』で一躍スターダムにのしあがったチョウ・ユンファは、小林旭に
似ていたことからキャスティングされたのだそうだ。

小林旭は、まさにヒーローだった。

僕の感覚からすれば、事業で失敗して破産したり、昭和40年代に実録ヤクザ映画に出演したことは、彼のそんなイメージを崩すまでにはいたらない。もちろん、アキラの変化をリアルタイムで感じたファンにとっては辛い時期だったかもしれないが、彼の歴史を逆方向にたどっていく作業をしている僕にとってはあまりとるに足らないことである。それどころか、実録ヤクザ映画の傑作『仁義なき戦い』の続編に出演したアキラは、スタイリッシュななかに貫禄と余裕を見せて菅原文太をも圧倒し、新しい魅力を発揮していたように思う。
トラクターのCMソングを歌ったこともご愛嬌。子どもの人気を獲得(ちょうど僕の世代)した。『熱き心に』などをヒットさせ、スターの王道を示したことも記憶に新しい。

しかし僕は、現在のアキラの見て失望を禁じ得なかった。
その目に、その表情に、
ヒーローの面影がなかったからである。
小林旭という個人に、映画の中の虚像を重ねあわせて偶像化するのは、ファンのエゴかもしれない。
でも、彼の目は、地上に降りて世俗の垢に染まった堕天使のようだった。
多くのファンに、正義と希望を教えた人のものとは思えなかったのである。

菅原文太にしてもそうだが、小林旭も年老いたヤクザのようにも見える。
映画業界は比喩的にも実際的にも、ヤクザな業界だそうである。とくに東映は極道社会との結びつきを取り沙汰されてもいる。そんな世界にどっぷり浸かったが故なのか…。
任侠ヤクザ映画の大スター、高倉健はこんな趣旨のことを言ったそうである。
「ヤクザを演じているからといって、世間に『やっぱりあいつは…』と思われるようではいけない。きちんとした一人の人間であらねばならない」
少なくとも僕には、高倉健という人物はヤクザに見えない。
僕は今、CS放送などで若き日のアキラを見るたび、いいしれない喪失感を覚える。それは、
殺伐として無機質な現代社会に対する虚無感との、同調によるものなのかもしれない。

女の頬を張る。

2005-02-12 19:28:41 | 映画
ネタばれ注意

1994年版『ゲッタウェイ』を、CS放送で見た。
先日のリメイクの話とつながる部分もあるが、記事の趣旨はそれだけではない。
念のため作品の解説をするが、興味のない人や、未見で極度にネタばれを嫌う人はとばしてもらってもいい。

『ゲッタウェイ』は70年代初頭、サム・ペキンパー監督、スティーヴ・マックィーン、アリ・マックグロウ主演で制作されたバイオレンスアクション作品。
クインシー・ジョーンズの乾いた音楽も、いい効果をあげている(ハーモニカはトゥーツ・シールマンスだそうだが、N.Y.で彼のライブを見るはずだった。しかし、以前書いたようにテロで渡航中止となり、叶わなかった)。

新しい『ゲッタウェイ』はアレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガー主演。監督は『カクテル』(懐かしい!僕の青春期の映画)『13デイズ』のロジャー・ドナルドソン。
ジェームズ・ウッズや、『レザボア・ドッグス』などでおなじみのマイケル・マドセン、僕としては”いい人”の印象が強いデビッド・モース(『ザ・ロック』『コンタクト』)が悪役で出ている。
この作品、あまりいい評価がなかったと記憶している。
(著しく鮮度の落ちた話題なのはそのため。封切りには行かず、11年目にしてやっと見る機会を得た)
ほとんどオリジナルの忠実な焼き直しであり、新味がまったくない。リメイクした意図をつかみかねる。しかも、キャストがいちいち良くない。
アレック・ボールドウィンにスティーヴ・マックィーンを越える力量がないことは明白だとしても、テキサススタイルがしっくりこない悪役ジェームズ・ウッズは、芸達者ぶりも不発。マイケル・マドセンも、アル・レッティエリ(『ゴッド・ファーザー』でも強烈な印象を残した)にはかなわない。
獣医のハロルドや、置き引き犯人といった小さな役にいたるまで、オリジナルのほうが格段に良い。名優リチャード・ファンズワースも登場するが、これとて前作の役者のほうが適役。彼では上品すぎる。
個人的には、アリ・マックグロウよりもキム・ベイシンガーのほうが女性としては魅力を感じるが、若いマックグロウの可憐さのほうが、この作品には似つかわしい。私生活でも恋愛関係(後に結婚)にあったマックィーンとの息もピッタリ。

本題はここから。
この新旧2作品を見くらべて、印象に残ったシーンがひとつだけある。
主人公のドク・マッコイが妻を叩く場面である。
アリ・マックグロウは勝ち気ではあるが、どこか少女のような弱々しさを感じさせる。マックィーンに頬を平手打ちされても、涙を流し、逆らうことはしない。
ところが、キム・ベイシンガーはアレック・ボールドウィンを叩き返す。
しかも二回も…。
今回は夫が叩かれたまま場面が終わる。
時代の違いか…。男優のキャラクターの違いか…?
叩き返されるマックィーンは想像もできない。
逆に叩きっぱなしのボールドウィンでも、違和感は残るだろう。
ここで叩かれてしまったことが、作品に別の味を加味し、唯一、新旧の差異を感じとれるきっかけになったと言えるかもしれない。

追加情報 これを書いてから知ったのだが、アレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガーは93年に結婚しているそうだ。そうして見ると、また違った印象を残すかもしれない。

ハリウッド・リメイク

2005-02-07 13:44:16 | 映画
またまた映画の話。
チラッと聞いただけだし、詳しいことは知らないのだけど、秋元康原作の新作映画が、すでにハリウッドリメイクされることが決まっているという。
清水崇監督のホラー、『呪怨』のハリウッドリメイク『The Juon 呪怨』(原題『The Gredge』)が全米の興行収入で1位を記録したというニュースも聞いた。
(僕個人としては、ジャパニーズホラーは生理的に受けつけない。怖すぎるんです…!)

しかし、こういったハリウッドの傾向を喜んでばかりいてもいいのだろうか?

確かに、商売としてはマーケットも爆発的に広がる。日本の映画業界にくらべると、権利者としては実入りも格段に違うだろう。
映画の聖地、ハリウッドで映画を撮ることは名誉であることにも違いない。
僕がその立場でも、きっとホイホイ言って渡米するだろうことも、間違いない。

でも、リメイクというのは、一度作品を物しているのだ。
作家が心血を注いで仕上げた映画が、すでに存在しているということだ。
それをハリウッドだか何だか知らないが(知ってるけれど…)、
「もう一回作れ」とは何ごとだ?
作品を「否定されている」とまでは言わなくても、ダメだしをされていることに等しい。

なぜ、そんな横暴を、高飛車な物言いを許さなくてはいけない?
(アメリカらしいな…)

『Shall we ダンス?』の周防監督も、清水監督も、秋元康も、本当なら、
「オレの作品に文句でもあるのか!」
と、ケツをまくってほしかった…。
とくに清水監督の場合、またふたたび自分で監督したのだろう?しかも日本ロケで…。
「出来上がった作品があるから、それを見ろ!!」
とオファーを蹴ってもらいたかった。

でも、いろいろな権利関係とかしがらみで、そうもいかないんだろうな。
作家本人としても、好奇心とか、日本で少ない予算で撮ったことによって心遺りな部分とか、あるのかもしれない。それに、仕事の幅も可能性も、限りなく広がってくるから、無理もないだろうけれど…。

ところで、清水崇監督の名前は崇(たかし)なのだけど、その作品からして、どうしても
(たたり)と読んでしまうんですよ。
ご本人、ご親族含め、大変申し訳ない。

『映画がつまらない』その2

2005-02-04 09:39:54 | 映画
先日の続きで、ハリウッド映画についてお話しします。
推敲を重ねて何度か書き直したのですが、なかなかうまく表現できません。
でも、とりあえず掲載してみます。何か意見をいただけるとありがたいです。

最近の俳優って(または、スターって)、小さくまとまりすぎていると思いませんか?
想像するに俳優稼業というのは、極論すれば誰かの”フリ”をするっていうことだから、どうしてもエネルギーの
ベクトルが内側へと向かうもののはずです。内省的で私的な作業だと思います。それに加えて演技は、(誤解を恐れず言うならば)「ごっこ遊び」の極限のかたち、と言えなくもない。つきつめて考えると、かなり滑稽な、子どもっぽい行為です。だから本来、カッコいいものであるはずがない。
それを”カッコいいもの”たらしめているのは、俳優自身のパーソナリティを源泉として放たれる存在感だと思います。いわゆる「オーラ」というものですね。

いまの俳優にはそのオーラが足りない。
確かに1950年代から60年代に比べ、メソッド派が台頭した70年代を経て、演技的な進歩は見られるようには思います。でも、俳優という職業の枠のなかに閉じ込められてしまっていて、いまひとつ輝かない。演技にのめり込むあまり(あるいは中途半端なセレブ気分でやっているので)、オーラが生まれてきません。演技の優劣というのは、ひとつのファクターにすぎず、俳優の価値を決めてしまうものではないと思います。演技力は重要なものですが、目的になってしまうと方向を誤ってしまいます。

例えば、確かにトム・ハンクスは巧い。演技的に高い評価を受けています。
しかし、おそらく技巧的に劣るであろうクラーク・ゲーブルの隣に並んだとしたら、どうなるでしょうか?
まあ、まったく
スタイルの違うふたりですし、各人の価値観によるとは思うのですが、少なくとも僕が想像するに、トム・ハンクスは子どものように見えてしまうのではないでしょうか。
映画作品そのものや、演技自体は複雑になっているにもかかわらず、子どもっぽく見えてしまう…。
昔の映画や登場人物は、いま見るとものすごく単純なことも多いのに、なぜか”大人”を感じます。
これは時代、つまり時間の重みによって醸成されたものかもしれない。「旧き良き時代」などと言って、過去は美しく感じられますからね。すでに
伝説になっているものにはかなわない…。スターの在り方も変わってきた。でも、それだけでもない気もします。
大人という表現が適切でないとしたら、”身幅の大きさ”とか”人生”とか、その俳優のバックボーンが佇まいに表れている、という感じなのです。くり返しになりますが、やはりこれは”オーラ”なのでしょうね。

ブラッド・ピットやジョニー・デップにもオーラがあり、カッコいいのは確かです。
でも、どこか違うんだなあ…。
ちょっと話がそれますが、レオナルド・ディカプリオは、女性には特別の感情を抱かせる俳優なのかもしれませんが、男性(少なくとも僕)には大半の役柄が彼に合っていないように見えます。彼が演じてきた役は、カリスマ性やオーラ(スター性)を必要とするものが多いようですが、本来の彼の魅力はそこにはないと思うのです。たいへんに演技的な実力があり、最初に注目を集めた『ギルバート・グレイプ』のような繊細な役柄こそが、彼の神髄を表しているのではないでしょうか。だから、演技者としてのディカプリオにとって、アイドル的な人気は、ある意味不幸ではないかとも思うのです(記事の趣旨からすると矛盾を含んでいるかもしれませんが)。

ともかく、彼らの世代のスターは、ケーリー・グラントとか、もっと新しいところではスティーヴ・マックィーンなどのような、存在としての底知れない奥深さを感じさせてはくれません。
その人が現れると、画面が引き締まり、心地よい緊張感が生まれる、とか、憧れや生きる指標として仰ぎ見る、いったことがありません。
これは観客側の変化であり、成熟した結果
虚構の世界に人生を見いだすことがなくなったせいでしょうか。それとも、単に冷めてしまっているのでしょうか。
僕がフケて、時代についていけなくなったから、というだけだとは思えないのですが…?

『映画がつまらない』その1

2005-02-03 09:39:54 | 映画
近頃、映画を見ない。
日本映画はもともとあまり見ないのだけれど、アメリカ映画は(主にテレビでだが)子どもの頃からよく見ていた。
実生活での人生経験の貧弱な僕は、人格形成のかなりの部分をハリウッド製の映画から
吸収 していると言ってもいいほど、アメリカ映画は重要な位置を占めていた。
ところが、この数年、惹かれる作品がほとんどない。

(かといって、アメリカ以外の国の映画にはなかなか触手が伸びない。フェリーニなどのイタリアの名作や、そのほかヨーロッパやアジアの芸術性の高い作品も見てみたいとは思うが、精神力の弱い僕は、疲弊することを恐れてなかなか手をつけられずにいる。フランス映画にいたっては、その言語の響きが、どうも生理的に耳に障ってしまうような始末だ)

僕の感受性が
枯渇 してきた、なんていうこともあるかもしれないし、精神的不安定もその原因だとは思う。アメリカという”国”に対する失望もある。しかし、それだけではない。

これには、
CGの隆盛 が一因としてあるかもしれない。
今、コンピュータグラフィックスは
過渡期 であり、まだまだ映画づくりの本質としての役割を果たしていない。極論すれば、”CGを使いたいがための映画作り”になってしまっている。
「今まで表現できなかった、『こんなこと、あんなこと…』が可能になったから、やろう」
という、映画職人が実験段階ではしゃいでいる状態なのではないだろうか。
作品中でCG部分は浮いてしまっている。
激しい
バッシング を覚悟するけれども、『スター・ウォーズ/エピソード1』を見た時、「これはCGアニメーション映画か?」と思ったほどだった。その前に公開された『特別編』でのリニューアルシーンの違和感が、さらに顕著になってしまったのである。
『スター・ウォーズ/エピソード1』からすでに数年がたち、CGの技術はさらに進歩している。
しかし、違和感は拭い去れない。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』や、予告しか見ていないけれど、『アイ,ロボット』とか『スパイダーマン2』などの画づくりも、僕の許容範囲から外れてしまう。

これは個人的な意見だけれども、CGを中心に作られた映画は、
に何ものをも残さない。

確かに映画創成期から、いまではSFXと称される特撮技術は重用されてきた。
しかし、CGの多用は
安直 な印象を否めない。
もちろん莫大な費用を要するそうだし、手間もかかるだろうが、そういう問題ではない。
映画界が築いてきた
歴史や知性、情熱を踏襲することなく、別の場所からまったく新しい血を注ぎ込んでいるような気がする。
もちろんどんな分野でも新しい血は必要だが、あまりにも早急な措置は、致命的な
拒絶反応 を引き起こすような予感がしてならないのだ。

そうは言っても、最近の
ジェリー・ブラッカイマー のような、そういった映画技術を駆使した大作を作り、芸術などではなくイベント的(あるいはアトラクション的)な概念で映画を捉え、今、そこにいる観客にストレートにぶつけていく、そして確実に稼いでくれる製作者が、やはり投資家には気に入られるのだろう。

しかし、僕を映画から遠のかせている最大の要因のひとつは、魅力的な
俳優の不在 である。

この件については、もう少し推敲してから…。
昨日の朝から、えっちらおっちら書いていたのだが、なかなかうまくまとめられないので。

『私が観た映画(の一部)リスト』1

2004-12-09 15:10:03 | 映画

●『悪魔のいけにえ』トビー・フーパー監督
●『悪名』勝新太郎、田宮二郎主演
●『雨に唄えば』ジーン・ケリー主演
●『アメリカン・グラフィティ』ジョージ・ル-カス監督
●『アルカトラズからの脱出』ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演
●『アンタッチャブル』ブライアン・デ・パルマ監督


●『イエロー・サブマリン』ザ・ビートルズ
●『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』ハリソン・フォード主演
●『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』


●『裏窓』アルフレッド・ヒッチコック監督、ジェームズ・スチュアート主演


●『エクソシスト』ウィリアム・フリードキン監督


●『狼たちの午後』シドニー・ルメット監督、アル・バチーノ主演
●『俺は待ってるぜ』石原裕次郎主演


●『カクテル』トム・クルーズ主演
●『カサブランカ』ハンフリー・ボガート、イングリット・バーグマン主演
●『華氏911』マイケル・ムーア監督
●『風と共に去りぬ』デヴィッド・O・セルズニック製作、ヴィヴィアン・リー主演


●『キャノンボール』ハル・ニーダム監督、バート・レイノルズほか


●『くたばれ!ハリウッド』ロバート・エヴァンズ
●『くまのプーさん』ディズニー
●『グランブルー』リュック・ベッソン監督


●『ゲッタウェイ』サム・ペキンパー監督、スティーヴ・マックィーン主演


●『荒野の用心棒』セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演
●『ゴッドファーザー』フランシス・フォード・コッポラ監督
●『ゴッドファーザーPART2』
●『ゴッドファーザーPART3』
●『コンタクト』ジョディ・フォスター主演



『私が観た映画(の一部)リスト』2

2004-12-09 15:09:00 | 映画

●『ザ・ロック』ニコラス・ケイジ、ショーン・コネリー主演


●『地獄の黙示録』フランシス・フォード・コッポラ監督
●『シャイニング』スタンリー・キューブリック監督
●『12人の怒れる男』シドニー・ルメット監督
●『JFK』オリバー・ストーン監督
●『ジョーズ』スティーブン・スピルバーグ監督
●『白雪姫』ディズニー
●『仁義なき戦い』深作欣二監督
●『仁義なき戦い/完結編』
●『仁義なき戦い/代理戦争』
●『仁義なき戦い/頂上作戦』
●『仁義なき戦い/広島死闘篇』


●『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』ジョージ・ルーカス監督
●『スター・ウォーズ(エピソード4)』
●『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(帰還)』ジョージ・ルーカス
●『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』


●『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』アル・パチーノ主演


●『卒業』マイク・ニコルズ監督、ダスティン・ホフマン主演


●『ダーティ・ハリー』ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演
●『ダーティ・ハリー2』クリント・イーストウッド主演
●『ダーティ・ハリー3』
●『ダーティ・ハリー4』クリント・イーストウッド監督、主演
●『ダーティ・ハリー5』
●『ターミネーター』ジェームス・キャメロン監督
●『ターミネーター2』アーノルド・シュワルツェネッガー主演
●『大脱走』ジョン・スタージェス監督
●『大統領の陰謀』アラン・J・パクラ監督、ロバート・レッドフォード主演
●『太陽がいっぱい』ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演
●『タクシードライバー』マーチン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演
●『007/ドクター・ノオ』ショーン・コネリー主演
●『007/ゴールドフィンガー』
●『007/サンダーボール作戦』
●『007/007は二度死ぬ』
●『007/女王陛下の007』ジョージ・レーゼンビー主演
●『007/死ぬのは奴らだ』ロジャー・ムーア主演
●『007/黄金銃を持つ男』
●『007/私を愛したスパイ』
●『007/ムーンレイカー』
●『007/ユア・アイズ・オンリー』
●『007/オクトパシー』
●『007/美しき獲物たち』
●『007/リビング・デイライツ』ティモシー・ダルトン主演
●『007/消されたライセンス』
●『007/ゴールデン・アイ』ピアース・ブロスナン主演
●『007/トゥモローネバーダイ』
●『タワーリング・インフェルノ』ポール・ニューマン、スティーヴ・マックィーン主演


●『トイストーリー』ピクサー
●『トイストーリー2』ピクサー
●『となりのトトロ』スタジオ・ジブリ

『私が観た映画(の一部)リスト』3

2004-12-09 15:08:00 | 映画

●『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』ティム・バートン監督


●『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック監督


●『バートン・フィンク』ジョエル・コーエン監督
●『薔薇の名前』ショーン・コネリー主演
●『巴里のアメリカ人』ジーン・ケリー主演
●『パルプ・フィクション』クエンティン・タランティーノ監督
●『ハンニバル』リドリー・スコット監督


●『ヒート』マイケル・マン監督
●『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!(ハード・デイズ・ナイト)』リチャード・レスター監督
●『羊たちの沈黙』ジョナサン・デミ監督


●『ファインディングニモ』ピクサー
●『ファンタジア』ディズニー
●『プリティウーマン』ジュリア・ロバーツ主演
●『ブリット』スティーヴ・マックィーン主演
●『ブルー・ハワイ』エルヴィス・プレスリー主演
●『ブレードランナー』リドリー・スコット監督
●『冬の華』高倉健主演


●『北北西に進路を取れ』アルフレッド・ヒッチコック監督、ケーリー・グラント主演


●『マンハッタン無宿』ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演
●『マーズ・アタック!』ティム・バートン監督
●『真夜中のカーボーイ』ジョン・シュレンジャー監督


●『モンスターズインク』ピクサー


●『許されざる者』クリント・イーストウッド監督、主演


●『リバー・ランズ・スルー・イット』ロバート・レッドフォード監督、ブラッド・ピット主演


●『レイダース/失われた聖櫃(アーク)』スティーブン・スピルバーク監督
●『レインマン』バリー・レビンソン監督
●『レザボア・ドッグス』クエンティン・タランティーノ監督
●『恋愛小説家』ジャック・ニコルソン主演


●『ローマの休日』オードリー・ヘップバーン主演
●『ロング・グッドバイ』ロバート・アルトマン監督、エリオット・グールド主演


●『ワイルドバンチ』サム・ペキンパー監督

※中グロ(・)の有無など、表記上の間違いはご容赦を。