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アンナ・カヴァン『氷』改訳22

2006-11-29 13:23:20 | Weblog
                         第14章

 頭痛がして,あらゆることが私の内部で混乱していた.私には日が明ける前に,町を出なければならないということだけは,分かっていた.私は考えることが出来なかった.一瞬の迷いが次の現実を失うことになるのだった.狭い小道を通って,高い家々の間の道一杯を占めて,車はすさまじい勢いで私をひき殺そうと走ってきた.私は,指の関節から血を流しながら,ドアからドアへとよろめいた.ドアには鍵がかかっていた.轢かれかかった瞬間に,ドアを体当たりして破り,中へ入った.制服に身を包み,堂々とした容貌をした総督が,彼の大きな黒い車に乗って通り過ぎて行った.少女が彼と一緒だった.彼女の髪は,雪の上の木陰のように,ちらちら光っていた.彼らは一緒に雪の中を,白い毛皮の絨毯のような下をドライブしていたのだった.それは部屋のように広く,雪の吹き溜まりのように深く,ルビーで縁取られたようだった.

 凍りついた火が輝いているようなオーロラの下で,彼らは,氷山の間を歩いていた.極寒の猛吹雪が吹雪いて,辺りは真っ白だったが,北極星の下で,彼の骨白色の額と氷柱のような眼と,彼女の氷花がつき霜で覆われたようになっている銀色の髪が見えた.氷山の中で雷鳴が轟いた.彼は北極熊と戦い,手で絞め殺した.彼女をタフにするために,すばらしくよく切れるナイフで皮をはぎとることを教えた.それが終わると,彼女は暖をとるためにその中に入った.巨大な獣の皮は彼ら二人を多い,長く白い毛の先には血がこびりついていた.雪のように白い毛皮が彼ら二人の姿が隠し,獣の分厚い皮の先から血が滴り落ち.雪を赤く染めた.

 彼女が夢見るような眼をして,松明の明かりに照らされて立っていた.私は彼女を見た.彼女が欲しかった.彼女を連れ去りたかった.しかし,別の人が彼女を所有していた.彼女の白い少女のような体が,くすぶる松明の煙の中を.彼の膝の間に倒れこんだ.私は彼女を捜しに外に出た.略奪者が町を略奪していた.私はいたるところ探し回ったが,彼女を見つけることはできなかった.瓦礫の中で彼女に躓いた.彼女の頭は曲がっていた.大気は煙と誇りに満ちていたが,それを通して彼女の白い肌が汚らしい瓦礫の上に見えた.血は最初は白い肌の上で赤かったが次第に黒ずんでいった.髪が引っ張られているために彼女の頭は横向きに捩れ,ほっそりした首は折れていた.子供時代に受けつづけた迫害のために,彼女にとって,迫害を運命として受け入れることは容易だった.私が何をしようとしまいと,彼女に降りかかる運命は変わらなかったであろう.彼女をそこに放置しておくのもひとつのやり方ではある.彼女をあの男にゆだねるのも,また別のひとつのやり方である.しかし,そのいずれも私にはできない選択だった.

 彼が到着する前に,彼女のところへ行かねばならなかった.しかしそれは困難極まりないことだった.交通手段が存在しないために,賄賂を使ってなんとかするしか方法はなかった.あるいはもっと悪い方法であるが,騙すしかなかった.氷は海を渡って,いろんな島へと,地図上で確認したわけではないが,特にこの島へと向かってきているところを想像した.私たちがいろんな方向から彼女に近づきつつあった時,彼女は島の中心にいるだろうと思っていた.彼女が取り囲まれているのを知らなかった.私はある方向から彼女に近づき,彼は別の方向から近づき,そして氷がまた別の方向から彼女に近づいていたのだった.私が最初に彼女に到達する可能性はほとんどないように思われた.1マイルごとに,近づくのが遅くなり,困難になっていった.彼は,その気になりさえすれば,飛行機を使って,たった2,3時間で到達することができただろう.私は,彼が例の重要な会議に今なお出席していて,さらに他の軍事上の重要な懸案が彼を引きとどめてくれるのを願うことができるだけだった.しかし,私は楽観的にはなれなかった.

 頭の負傷や顔の切り傷は直り始めていたが,正常に戻りつつあるとは思えなかった.頭痛はまだ四六時中続いたし,恐ろしい幻覚に悩まされた.それは,爆発する災厄のために世界は暴力的な死に向かい,宇宙が破滅する幻覚だった.私は処刑されに行くようなものだった.私自身の死が重大事だったけれども,私は生きていたし,仕事をしていたし,世界で起こることを見ていた.私は年老い,知性を失い,そして体力が落ちるのを恐れた.私は,彼女にもう一度会いたいという脅迫的な衝動に駆られていた.彼女のところに最初に到達するのは,私でなければならなかった.

 私は非常に長い距離を旅行しなければならなかった.私はあからさまに国境を横切る危険を侵すことができなかったので,二日かけて,徒歩で,荒れ果てた地域を通過しなければならなかった.身を守るものも,食物も水もなしにであった.その後で,ヘリコプターであるところまで連れて行ってもらえるチャンスに恵まれた.そのヘリコプターの側面には,等身大の裸の女性が天然色で描かれていた.戦争の真っ最中のポップアートだった.それを描いた人は処分された.私は同乗するチャンスを失うつもりはなかった.幸運が続くはずがなかったから.狂気のようになって,私は射殺された死骸を探した.絵の具の塗られた顔が私に向かって瓦礫の間でにたにた笑っていた.頬にはピンクの丸い輪が描かれ,黒い眼は描かれた人形のように澄み切っていた.

 戦争中の田舎で,私は戦争から遠ざかっていようと努力した.トラックに満杯になって乗っている軍隊や労働者が,騒いでいたけれども,それを除けば,私がやって来た町は静かだった.どんよりした曇った日に,どんよりした灰色の町で,弱々しい女性たちが汚い洗物を平たい石のうえに無気力にたたきつけていた.私は疲れきっていて,元気をなくし始めていた.ある種の輸送がなければ,私の旅は終わることができなかった.ここでは元気づけてくれるようなものは何もなかった.私が通行人を見ると,彼らは眼をそらした.彼らは外国人に対して疑い深かった.私は,疲れた表情をし,着古した,破れた,泥まみれのゲリラの服装をしていたので,彼らは私を見ると不安になった.私は話のできる誰かを探そうとしたが,そのような人は見つからなかった.私はガソリンスタンドのオーナーに話しかけ,お金を渡して,テレスコープつきで外国製の新品のライフルを手に入れたいといったら,彼は警察を呼ぶぞと私を脅した.

 たそがれ時に雨が降り始め,夜になるにしたがって,雨足は強くなった.禁止令が公布されていて,家からは明かりが見えず,通りには人影はなかった.私は危険を覚悟して野宿したが,気をつける元気すらなかった.遠くでサイレンが鳴り響き,すさまじい音がした.それが一定時間続きその後銃声がするといったことを繰り返しながら,それが次第に近づいてきた.雨が一面に降りしきり,道路は川のようになっていた.アーチが上を覆っている道路に非難し,震えていた.何をすべきかを考えることすらできずに,気持ち悪くて,頭は麻痺していた.私は絶望てきになり,自暴自棄になっていた.

 大きな軍の車が音を立てて疾走してきて,道路の反対側に止まった.鋼鉄のヘルメットを被り,オーバーコートと長靴に身を包んで,がっしりした運転手が降りてきて,家に入っていった.緩慢な砲撃はまだ続いていた.静かにしている必要はなかった.私は,捨て鉢になって,花崗岩の丸石を持ち上げ,それを一階の窓めがけて投げつけ,手を中へいれ,窓を押し上げ,窓敷居の上へと体を押し込んだ.足が床に着く前に,部屋のドアが開き,車に乗っていた人と顔が合った.突然大きな爆発音が起こり,すべてのものが揺れ動き,暗い部屋は激しい炎に包まれ,頬骨や眼球が熱くなった.男は負傷し,倒れ,血がほとばしり,暗い川のように流れた.私は負傷者の服をはがし,私のぼろぼろの衣服を着せた.幸運なことに,われわれは大体同じ背格好だった.私は急いで壊れた部屋に行って,家具を投げ飛ばし,鏡を壊し,引き出しを開き,絵をナイフで引き裂き,略奪者がそれらを壊し,家の主人に撃ち殺されたように見せかけた.私が被るには金属製のヘルメットは重すぎたので,それを手に持ち,制服を着て外に出たて,軍の車に乗り込み,去った.私は制服から血を完全には拭うことは出来なかったが,毛皮で縁取られたコートには汚れこびりついたので,分からなかった.
(第14章続く)