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Trick or Treat!

学生時代の色々。

大日野原遺跡の現説

2010年08月15日 21時30分28秒 | 考古学
久々に日記。
ただいま夏休み中です。
夏休み中ですが、親知らずを引っこ抜いたため、特に楽しいこともありません。
顔がお化け屋敷のお化けそっくりなため外出自粛中。

楽しい思い出として、先週は大日野原遺跡の現説に行ってきました。
今年はついに炉も出たそうで、ようやく調査区内の状況も見えるようになってきたようです。
今年の整理作業と来年の調査が非常に楽しみです。



調査に行ってきます

2009年08月02日 18時38分24秒 | 考古学
さて、昨年も参加した相模原での調査。
大日野原遺跡。
明日から行ってきます。
縄文中期です。
今年は住居を一軒掘る模様。
どうせなら、前期末だったらいいのにと思いますが・・・。
贅沢は言ってられない。
そう、贅沢を言っちゃいけない。
屋根のあるところで眠れるだけでも幸せと思わなくては!!!
シャワーを浴びられるだけでも幸せなんだ。
とりあえず、頑張ってきます。





八丈島にいってきました。

2008年08月11日 00時30分38秒 | 考古学
資料調査のため、八丈島に行ってました。
えぇ、八丈島行きの飛行機はANAしかありません。
ちっ・・・JALで安くしてもらうつもりだったのにさ。


でも、羽田でパイロットみたいなシャツを着たすっごいイケメンなお兄さんに帽子を拾ってもらえたので、ANAで結果オーライだったと思います。

1時間で羽田から着くわけですがもう別世界。

ハイビスカスなんて咲いちゃってます。

八丈島では自転車を借りてまわっていたわけですが、感想としては「もう2度とやるまい」まさにこの一言。

死ぬかと思った。
八丈島は山が2つくっついている島。坂がないわけないんだよ・・・。

延々、登り続けました。
坂道を登っている最中、頭の中ではエンドレスで映画クライマーズハイの「下りるために登るんだよ」という言葉が回っていました。
そう思わなきゃやってらんない。
でも、途中の景色が素晴らしかったです。


玉垣


ゴルフ場から見える海


海の水、こんなに透明。さすが、ダイビングが盛んなだけある。


神社


目的地である倉輪遺跡周辺。

遺跡周辺は、異様なまでに急な坂道。
なんと、ここで1時間も迷ってしまった。
多分、半径1キロもない範囲で迷っていた。
あんまりウロウロしていたため、憐れんだおじさんが「どこに行きたいの」と声をかけてくれました。
「スイカ食べていきな」と、スイカを分けてもらいました。
端っこまで甘いおいしいスイカでした。
正直日射病でぶっ倒れかけていたので本当にありがたかったです。

この遺跡、ホテルの敷地内にあるのですが、10年くらい前にホテルは潰れ、荒れ放題。現在立ち入り禁止。

教育委員会の人に聞いても管理人はわからないと言われ、諦めていたのですが、現地をウロウロしていたら、管理人さんに会えました。
ホテルの社長さんの知り合いで、もともとの土地の持ち主さんが現在は管理しているらしく、中に入れてもらえました。らっきー。


これまでも含めて、女1人の調査は正直、それなりに危ない目やら嫌な目にもあうのですが、いいこともそれなりにある。
調査中、夜中に電話してご迷惑をおかけした数名の方々、ごめんなさい。電話に出てくださった方々には本当に感謝しております。おかげで本当に助かりました。そのうち説明とお礼をいたします。

八丈島はかなりおおらかな島で、小さな島だけあって隣町の人のことまで結構知っている。自転車にもかぎをつける必要はないし。
夜の星もきれいだし。
水も湧水でおいしい。
温泉も多い。今回は日射病で倒れかけていたため、体温をさらに上げる気になれず断念。

今回いけなかったところも多いので、また行きたいなーと思います・・・が、1人よりは2人以上がいいなと思う。
次は車で回りたいとも思う。

ちなみに、チャリで回った結果、ハンドルを握っていた手の甲だけ日焼けするという恥ずかしい結末を迎えました。







日吉台地下壕

2008年06月26日 00時22分19秒 | 考古学
今回は近現代考古学。
別にね、縄文とか弥生とかだけが考古学じゃないんです。
(ついでに言うなら恐竜は考古学じゃないですから。多分あれは古生物学。)
過去のモノを用いて歴史を復元していく作業が考古学ですから、近現代の考古学というものもあるんです。

慶應義塾大学の地下には実は第2次世界大戦のときに作られた地下壕があります。
入ったことのない塾生がほとんどでしょうが、一般の人は結構入っているみたいです。
私も5年間いて、はじめてその地下壕に入ってきました。
内容が内容ですので、いつもの遺跡見学記より、ちょっと重苦しい内容の日記になることはご容赦ください。

第2次世界大戦時、学徒出陣ということで、多くの学生が戦地へと赴きました。もちろん慶應も例外ではありません。
学生のいなくなった校舎にかわりに入ってきたのが、海軍連合艦隊司令部でした。
大本営とかいうやつ。
そして、彼らは日吉の地下におよそ5000mにも及ぶ地下壕を建設したのだそうです。


入口はまむし谷を下りて行ったところ。塾高のテニスコート脇にある。

入口はいるとまず、すっごい急な坂道。かなり危ない。


内部はけっこう広い。

レイテ沖海戦や、大和出撃、硫黄島戦、沖縄戦といった戦争末期の数々の作戦、指令はこの日吉から出されていました。



ここが電信室。
ここでは、大和が沈没していくその様子や、神風特攻隊の人々が最後におくる信号を受け取っていたそうです。多くの学生が亡くなっていくその瞬間の音を聞いていなければならなかった、そういう職場。


司令官の部屋。

他の部屋と違って壁にも化粧がしてあってきれい。
ちなみに下の写真はコンセントの痕。電気が通っていたのだ。


地下壕はコンクリートの壁。

けっこう分厚い。

地下壕、実は日吉の寄宿舎とつながっています。

寄宿舎は現在もつかわれています。
慶應の寄宿舎は当時東洋随一といわれていました。
水洗トイレだったし、床暖房だったそうです。ローマ風呂といわれる大浴場つき。
この寄宿舎に大本営のお偉いさんたちは寝泊りしていたそうです。

私も知らなかったのだけれど、慶應にはチャペルがあります。

キリスト教の大学ではもちろんありません。キリスト教でもない大学にチャペルがあるのは慶應だけだとか。
戦時中はここも海軍がつかっていました。
ちなみにこのチャペルは今も普通にあります。チャペルといったら、鐘。当時、やはり鐘を供出するよう求められていたそうですが、どうにかこうにかして鐘を隠していたようです。現在このチャペルについていた鐘はYMCAの本部に展示されているそうです。


上原良司氏という、塾生がいました。
彼の書いた所感は非常に有名で、『きけわだつみのこえ』に収録されています。
上原氏は特攻隊員で1945年5月11日に戦死しました。

「栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で」

現在、地下壕は一部保存されていますが、場所によってはすでに横浜市によって破壊されてしまっています。
このような戦争遺跡を間近に見られる場所というのもそう多くはないでしょう。
ぜひともきちんと整備をして、勉強の場としてもっと一般に公開してもらいたいと思います。
・・・塾生にくらい、もうちょっと公開すりゃいいのに。

現実逃避

2007年12月01日 00時16分37秒 | 考古学
うわ・・・あさって発表だよ。
まさか9月からほとんど進んでないとは言えない・・・けど進んでない

現実逃避で北京に行ったときの写真を見ていてふと気づく。
私、おもいっきり着替え中の写真があった
よく見ると洗濯物まで干しっぱなし。
この写真がCD-Rになって一緒に行った人たち全員に配られていた事実に今頃気づく。あぁぁぁ
まぁいっか。
しかし、よく見なくとも中国で撮った写真はやば過ぎて人様には見せられないなと
その分楽しかったけど。

そういえば、一昨日、山下町にある山下居留地遺跡に行ってきました。
幕末~明治くらいの遺跡のようです。
近代遺跡を見るのは初めてだったのでとてもめずらしかった。
犬の骨が出てました。首輪も残っていてビックリ。
結構、大きな犬っぽいですけど、何犬なのかなぁ。

層の断面を見たら、瓦礫の層がありました。
なんでも関東大震災のときの瓦礫らしいです。
さらにそのもう少し下にも瓦礫の層。
こちらは幕末頃の大火によってできた瓦礫層。
というと、つまり関内の下は瓦礫の層。こんなにゆるそうな地盤の上に高層ビル。
あの町の地震対策は大丈夫なのだろうか?

近代の遺跡は文献資料も豊富だし、確認調査くらいなもんかなーと思ってましたが、とんでもない。
住居の構造やら使われている建築材、その産地などなど考えなきゃいけないことが山ほどあるみたいです。しかも意外と文献資料だけでは分からないらしい。
勉強したら面白そうです。



発掘はっくつ

2007年11月20日 22時22分18秒 | 考古学
今日から、三田祭期間です。
学校お休み
実は、温泉に行こうと思ってました。
だって温泉にはもってこいの季節じゃん?
しかも平日に行けるから安いじゃん?
すいてるし。

でも無理でした

今日から日吉の発掘調査がまた始まったのでそちらに行くことにしました
塾高のまん前。
高校生の視線が結構痛かった。
塾高生は美術の授業中でした。
寒い中、奴等もご苦労なことだ。
そしたら、美術の先生がすっごい若い女の先生でした。
塾高には男しかいないと思ってた・・・。
「マンツーマンで教えてもらっているあの子は、今ドキドキしてるのかなー」なんて思いながら土嚢袋を運んでました。

しかし、冬の発掘は本当辛い。寒い。
動くから汗はかくけど、気温が低いからすぐゾクッとくるんだ。
今年は風邪ひかないように気をつけよう。

むーん、現場に行ってたから卒論書けませんでしたとか言い訳しないですむようにがんばらなくては。

そうだ、この前とった自分の歯型のスケッチ・・・まだ未完成だった。
あれも終わらせなくては・・・。



戸ノ内貝塚

2007年09月23日 22時42分04秒 | 考古学
早稲田が掘ってる戸ノ内貝塚の現地説明会に行ってきました。
千葉の京成臼井駅からすぐかなーとか思ってたら全然違いました。
めちゃ遠かったです。
民考の先輩が車だったおかげで助かりました。感謝感謝。
印旛沼が目の前です。
縄文時代晩期(?)の住居と古墳の周溝が出てました。
去年は土偶やら耳飾やらも出てたらしいです。

高橋先生にパプアニューギニアではまだ呪いが生きていて、うっかりタバコも落とせないという話を聞きました。
なんでも、その人のものを何でもいいから手に入れて、それを使って呪い殺すんだそうです。びっくり。

帰りも乗っけてもらいましたが、また今日も気がついたら寝てました。
申し訳ない限り・・・。
目が覚めたら手賀沼でした。
印旛沼と手賀沼ってセットで覚えてたものだから、近くにあるものと思ってましたが、けっこう離れていた気がします。
寝てたからそう感じたのかもしれませんが。
ところで、沼と湖ってどう違うんでしょう?

大辞林
池:地面にできたくぼみに水のたまったところ。普通、湖沼より小さいものをいう。
沼:一般に、水深5メートル以内の水域。水草が茂り、透明度が低い。湖との区別は明確でない。
湖:周囲を陸地で囲まれたくぼ地で水をたたえた所。池や沼よりも大きく、沿岸植物が生育できない深い湖盆(5メートル以上)をもつもの。


広辞苑第四版
湖と沼:四方陸地に囲まれて、海とは直接連絡のない静止した水塊。湖沼学では比較的深いものを湖、比較的浅いものを沼という。
池:地を掘って水をためた所。自然の土地のくぼみに水のたまった所。


三省堂 新明解 国語辞典 第三版
沼:水が自然にたまった、どろの深い所。
池:川の水を引いたりして、養魚・灌漑(カンガイ)・上水などにあてるくぼ地。
広義では、沼とほとんど同義。湖よりは小さく、沼よりは水が澄んでいるものを指すことが多い。景観を増すために、庭の一部に水をたたえた所。
湖:回りを陸に囲まれて水をたたえた所(池・沼より大きくて、深い)。

全然分かりません。





とりあえず、一段落・・・?

2007年09月14日 00時27分12秒 | 考古学
立科での中間発表会も終わり一段落・・・したのだろうか?
そりゃぁもう、けちょんけちょんでしたよ。
なんてったって小手先研究だそうですから
なんとなく、さっき現代考古学事典のプロセス考古学を読んでたときに、立科で頂いたコメントの中にあった「恣意性」うんぬんっていうのは、私の今回の発表はプロセス考古学的で、さらに私が私の恣意性を無視していたということだったのかなぁとも思いました。
うーん、わからん。わからんことが問題なのか。
何にせよ、勉強不足を大量に指摘されたので頑張って勉強します。

でも、発表中一番焦ったのは、立科は時間厳守で行われるため発表時間をオーバーしないようストップウォッチがわりに携帯を使ってたら、発表中にその携帯が思いっきり鳴ったことね
さすがにアレにはまじでビビッた。一応マナーモードにしてたけどバイブも結構うるさい。
発表者は向かい合って座ってるもんだから目立つ目立つ。
一体、何のメールかと思えばメディアからで複写依頼してたものが届いたとのこと。本当は立科前に欲しかったのに。よりによって発表中に届くなんて。

立科寒かったです。しかもずっと雨でした
でも、その帰りに寄った山梨の明野はすっごい天気が良かったです。さすが日本で一番晴の日が多い明野
明野では十三菩提だけじゃなく草創期の微隆起線文やら爪形文やらの土器の拓本をとらせてくださいました。とらせてくださったSさん、連れてってくださったTさんに感謝です。

最近、mixiに知らない人の足あとがいっぱいついてる気がします。
何人かの日記を読んだ所どうやら、あしあとつけまくると月30万円稼げる方法があるらしいです。
それって、誰かを騙して金を巻き上げてるのでは??違うのかな??
で、そのノウハウを3万円でもらえるらしいです。無料でもらえる場所もあるらしいですが。
こんな怪しい話なので、無料どころか3万円払ったらノウハウがもらえると言う話も怪しいことこの上ない。無料というやつも何かの罠ではあるまいか??
・・・が、確かに30万は魅力的な話ではありませんか。
きっとこういう甘い言葉に踊らされて人は道を踏み外すんだろうなーと思いました。
やっぱり堅実な道が一番よね。




福島での日々まとめ

2007年08月29日 23時30分39秒 | 考古学
得たこと学んだこと。

①掃除は真ん中から削って遺構とそうでない所を分かるようにすることである(・・・今更)
②レベルは先に水平をとって、それを保ちながら高さをあわせていく。逆にしちゃダメ(さらに今更)
③デジカメのデータはとったその日にパソコンに入れて整理すべき。失ってから気づいても後の祭り(どうしようもなく今更)

おまけ
手を傷めたかなーと思ってたらやっぱり痛めたようです。
病院いかなきゃ。
④怪我は怪我したときにちゃんと治しておかないとクセになるらしい(もはや常識?)


発掘中は汗を随分かきました。
おかげで老廃物がいっぱい出たらしく、妙に肌がすべすべ。
⑤すべすべな肌。
でも自慢できず。
現場の男性陣は私よりずっと長く調査に参加しているので相当すべすべでしょう。
だから自慢できず。

お世話になりました。

福島での日々その8

2007年08月28日 20時18分03秒 | 考古学
今日はまほろんで資料を見せてもらいました。大木6ー☆
一日がかりで、しかも「残業するからそれまでいいよ」というお言葉に甘えてセンター閉まった後も居座らせてもらいました。
ありがたい…。おかげでなんとか見終わった。
どうか、今日の努力が立科での発表につながりますように。
そういえば、まほろんの方が「井手上野原遺跡でまたすごい発見があったね」と言うので土偶の頭が出たかと思いましたが、違いました。石棒が立った状態で出たとのこと。
「誰かに聞いたかと思ってたー」
…聞いてません。
むーん、見たかったぞ。


福島での日々その7

2007年08月27日 17時54分57秒 | 考古学
今日で現場を去り、郡山に移動。郡山の文化財センターで複式炉について色々教えて頂きました。
残念ながら前期末の土器はなーかーったぁ。
W大の先輩に『それじゃ論文にならんよー』とご指摘を頂きました。
うぉ…頑張ります!
あれ、腕がはれてる・・・?
どうやら現場で蜂だか虻だかに刺されたらしいです。
痛いよ・・・。
地元の新聞記事
さりげなく写ったりして。