今回は近現代考古学。
別にね、縄文とか弥生とかだけが考古学じゃないんです。
(ついでに言うなら恐竜は考古学じゃないですから。多分あれは古生物学。)
過去のモノを用いて歴史を復元していく作業が考古学ですから、近現代の考古学というものもあるんです。
慶應義塾大学の地下には実は第2次世界大戦のときに作られた地下壕があります。
入ったことのない塾生がほとんどでしょうが、一般の人は結構入っているみたいです。
私も5年間いて、はじめてその地下壕に入ってきました。
内容が内容ですので、いつもの遺跡見学記より、ちょっと重苦しい内容の日記になることはご容赦ください。
第2次世界大戦時、学徒出陣ということで、多くの学生が戦地へと赴きました。もちろん慶應も例外ではありません。
学生のいなくなった校舎にかわりに入ってきたのが、海軍連合艦隊司令部でした。
大本営とかいうやつ。
そして、彼らは日吉の地下におよそ5000mにも及ぶ地下壕を建設したのだそうです。

入口はまむし谷を下りて行ったところ。塾高のテニスコート脇にある。
入口はいるとまず、すっごい急な坂道。かなり危ない。
内部はけっこう広い。

レイテ沖海戦や、大和出撃、硫黄島戦、沖縄戦といった戦争末期の数々の作戦、指令はこの日吉から出されていました。

ここが電信室。
ここでは、大和が沈没していくその様子や、神風特攻隊の人々が最後におくる信号を受け取っていたそうです。多くの学生が亡くなっていくその瞬間の音を聞いていなければならなかった、そういう職場。
司令官の部屋。

他の部屋と違って壁にも化粧がしてあってきれい。
ちなみに下の写真はコンセントの痕。電気が通っていたのだ。
地下壕はコンクリートの壁。

けっこう分厚い。
地下壕、実は日吉の寄宿舎とつながっています。

寄宿舎は現在もつかわれています。
慶應の寄宿舎は当時東洋随一といわれていました。
水洗トイレだったし、床暖房だったそうです。ローマ風呂といわれる大浴場つき。
この寄宿舎に大本営のお偉いさんたちは寝泊りしていたそうです。
私も知らなかったのだけれど、慶應にはチャペルがあります。

キリスト教の大学ではもちろんありません。キリスト教でもない大学にチャペルがあるのは慶應だけだとか。
戦時中はここも海軍がつかっていました。
ちなみにこのチャペルは今も普通にあります。チャペルといったら、鐘。当時、やはり鐘を供出するよう求められていたそうですが、どうにかこうにかして鐘を隠していたようです。現在このチャペルについていた鐘はYMCAの本部に展示されているそうです。
上原良司氏という、塾生がいました。
彼の書いた所感は非常に有名で、『きけわだつみのこえ』に収録されています。
上原氏は特攻隊員で1945年5月11日に戦死しました。

「栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。
権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。
真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。
空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。
こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。
明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。
言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で」
現在、地下壕は一部保存されていますが、場所によってはすでに横浜市によって破壊されてしまっています。
このような戦争遺跡を間近に見られる場所というのもそう多くはないでしょう。
ぜひともきちんと整備をして、勉強の場としてもっと一般に公開してもらいたいと思います。
・・・塾生にくらい、もうちょっと公開すりゃいいのに。