父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月26日

2004-12-26 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
26日 (金) 晴れ 暑し

  ビナロナン出発 ー ウルダネダ ー ヴィラシス着  

敵状はウルダネダ(ビナロナン南方10K)からずっと西南
方に11D、21Dがゐて、友軍主力の南方進出に
妨害のおそれがあるのでビナロナンに主力の集結が終
るまで一部の兵力を以ってウルダネダ方向の敵を衝く
のださうだ。ISA、8SAは砲兵隊集結が終る
までビナロナンに待機と昨夜言ってゐた。三中隊は早く
も今日の昼頃迄は出発しないと言ふので今朝はのんび
りして中隊命令により貨車一を使用して西方道路へ
遺棄貨車を見つけに行ったが急に出発の命令を貰っ
て慌てて引き返す。貨車は一台も使用に耐へるものはな
し。ビナロナン西方は戦斗もなかったらしく住民
もゐるし、友軍の歩兵なぞゐない。
出発準備を完了したのは十時頃。3/ISAはウルダネダに
向ひ前進の命令を受ける。昨夜おそく中隊stは
到着。堀の貨車が故障でダモルティスに残して来たと。
弾丸受領に今朝早く指揮車でダモルティスに向ひ行
ってしまったのでR本及びI本から貨車を借り
て出発する。野重八の一ヶ大隊が先に行ってゐる。
約8Kmの所にあるがウルダネダ。此処に入る
手前に橋梁があって完全に爆破されてゐる。
工兵が作った水面スレスレの小さな橋を渡って
進むのだが水面が低いために急な傾斜を降りて
又登らねばならぬ。車輌が通過するのに一車両*○通
過しやうとしては皆途中でスリップしてしまひ、上から
ワイアーで引張ったり何かしてあげるのでどても時間がかゝ
り、此の附近一帯に車輌がつかへてゐる。ISA 8SAは
通行の優先権を与へられて先に行ったが大砲の通
過には苦労する。二車輌で牽引しなければ通過
出来ない。十加*は割合にかるく上ったらしいが十五○は
やはり重いのだ。此処でもう二時頃になってしまひ暑
さは暑し、腹は減るし、喉は乾くし、フラフラしてしまった。
此処を通過した所に製氷会社があって氷を
貰ったので喉の乾きをウルホスコトが出来た。尚前進
して南下する。ヴィラシスに向かひ前進。途中で第一分隊
牽引車の油圧が上らぬのを発見し停って調べると
油濾過機のナットがゆるんで全部油が洩ってしまっ
た。すぐに直して油を補給する。此の暇をみて兵に
昼食を喰べさせる。此の時前からR本の車が来て関
中佐が乗ってゐられるのに会ふ。第一線は15榴の来るの
を非常に待ってゐるから早く行ってやれと言はれる。約10分
で故障がなほり前進する。前から中隊長が呼びに
来る。もうすぐ先で放列を布くのだと言ふ。道路から右に
入って畑の中の並木に沿って放列を敷く。16時に射撃
準備完了。放列は木陰なので上空からはよく遮蔽され
又前方は500m位の所に森林があり遮蔽されてゐ
るので全くいゝ陣地だ。16時射撃開始の予定だった
がΔとの通信連絡が間に合はす17時頃になる。
放列はVillasis北方のSanNicolas附近、Δハアグノ河
の堤防で歩兵の第一線の後方100m、出来は対岸にゐ
るのでΔの前方5-600m、16時58分第一発発
射。これで、先に急いで来た甲斐があった。諸元*決定は
図上でやったらしく、最初の数発は中隊長○○を握
り得ず。其の后やっと6000米から逐次に射距離を引いて
4200で始めて弾をつかむ。弾をつかんでからは自由自
在に射向を操縦し、必中弾を浴びせ敵の心臓を寒から
しめる。我が歩兵の喜びやうは予想以上で山砲や十加
では到底出来ない威力を発揮して歩兵突激の機運
を作ってやる。十九時歩兵は○○、アグノ川を渡河する。
Δにも敵軍がどんどん来たさうだが我が射弾がよく命
中するのでΔの○隊は喜んで大騒ぎをしてゐる。放列で
は全く敵状がみえないので電話で状況を聞くだけだ。
射撃正面が広すぎて、架尾移動を何回やったか知
れない。69発を撃って19時半頃射撃を終了。最
初の戦斗に3/ISAは○常に有効に歩兵に協力して殆ど
15榴がアグノ河渡河をさせてやったやうに歩兵に
喜ばれた。先づ緒戦は大成功。放列は散弾
は全然来ないし、演習よりも面白い。15榴の弾着
の音が気持ちゐい。大きい音がして放列迄聞へる。
敵も始めてこんな大きい弾丸に見舞はれてさぞ驚
いた事だらう。
今夜はそのまゝ露営、右側方は軍歩兵がゐ
ないので危険だと言ふので二分隊の火砲を右側方
の予備陣地に夕方から進入させて敵襲に備へ
警戒を最重ににして露営する。各部隊毎に蚊帳を
張って寝る。蚊帳を張る程蚊はいない。満州の夏
よりいくらいゝか知れない。青天井の星を眺めて寝る。

図挿入

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昭和16年12月25日

2004-12-25 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
25日(木)晴れ 暑し

     ビナロナン宿営

起床五時。出発は六時三十分。戦砲隊は中隊
長の指揮でキャレプワンに向かひ本部
に追及。朝の中は涼しいので少し速度を増
す。南下するに従い、道路の両側に馬の屍が
棄ててある。クサって臭気鼻をツク。砲兵隊は野
重八が一ヶ大隊我々の先に行ってゐる。昨夜
出発したのだ。経路はダルモティスから左折
ロザリオ、--キャレプワンーーアゴットーー
シソンーーボゴナレーーポゾルビオ・を経て
ビナロンレに至る。途中ロザリオの手前の吊橋
が破壊されたのを修理してあり、最徐行。
キヤプワレの吊橋も同じく応急修理の橋で
火砲を外して○○で通過する。此処で野重八
に追いつく。シーソレ、ギブナン附近は激戦
が行はれたらしく、土民兵の死体が道端に
数多コロがってゐる。皆土民兵ばかりで○○たる
米人は一人も死んでゐない。土民兵こそ可哀想だ。
土民は全部逃げてしまってゐて一人も居ない。ビナ
ロナレに近くなってやっと土民を見るやうになった。
空の民家には水牛、豚。鶏等が主人を失って
日本兵に驚いて飛び廻ってゐる。道路はNatio-
nal Roadでアスファルトの立派なものだ。自動
車専用道路らしい。カレプワレの所の国道は
新道は橋を破壊されてしまってやむなく○道を
通ったので吊橋が危険だったのだ。シーソレ
附近で野重八を追ひこす。8SAは牽引車が
全部ガソリン機関なので過熱してしまって早く
走れないやうだ。道路がいゝので全く自動車
部隊はいゝ。それに土が乾いてゐて火砲も
決してもぐらぬ。途中、約一時間毎に小休止
して行進、休止の度に附近の空いた民家へ行
って兵たちは何か探して来る。フィリッピンの土人
はなかなか生活程度が高いらしく、どんな家に
もミシンがある。もう前の部隊が盛に暴れた*
あとだ。
ビナロナムに着いたのは三時頃、此処に□司令
部があり、ISA本部、I本部等もゐる。今夜は此
処に宿営と決る。第一線はまだ南方らしい。
ビナロナンは此の附近ではなかなか大きな町らし
い。住民は土民が僅かきりゐない。町の中の
空いた民家に宿営する。豚や鶏が澤山ゐる
ので飯のお菜には不自由しない。民家へ入ると食
物が澤山ある。砂糖は実に澤山ある。
自動車が澤山棄ててあり先に行った部隊が
皆徴発してしまふ。ISAでも乗用車や貨車を徴
発して使用しなければ積載品が多すぎて仕様が
ない。もうおそいので使えるやうな車は置いてない。
今日指揮小隊でフォードの乗用車を拾った。まだ
使へる。中隊長車とする。
夜崎山中尉が話に来る。民家の庭でローソクの灯
で日記を書き12時頃寝る。民家には座ブトン位
の大きさのフトンが澤山あるのでそれを敷いて寝る。
昨夜寝られなかったので今夜はぐっすりと寝る。
今日、ビナロナンの歩兵□司令部に米人将校の捕虜
がゐて、取り調べを受けてゐた。米人を見たのは始めて
だ。

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昭和16年12月24日

2004-12-24 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
今日はクリスマス
そんなことは戦争中の日本の軍隊には関係ないか

さあ上陸だ



24日(水) 晴れ 風 海は至っておだやか

戦砲隊 指揮小隊上陸

今日こそは上陸出来なくてはと考へてゐると、朝
船を岸に近く移動させる。昨日はアトラス丸が移動し
で撃たれた所。真直ぐに岸に向かふと浅瀬がある
のでぐるっと遠廻りをする。岸へ2000米位の所。
各船が皆廻って来る。十時過ぎから上陸開始
になる。午后から大発が3台来たので非常にハカドル。
始めに中隊長と作業の兵20名が小発で先発、次に
牽引車を積んで僕*が行く。岸は遠浅でなく、水際の
五米位まで艇が行く。まだ何の設備もないので
自分で上陸せねばならぬ。牽引車は簡単に舟から上
がったが次に第一分隊の火砲は三尺位の水中に落して
しまって上げるのに苦労する。あと○○に上陸したが途
中から桟橋が出来て桟橋の着くやうになり楽
になる。戦砲隊の半分、指揮*小隊の大部が上った頃
大発三台を一台にヘラサレてしまってまたハカドラナクナル。
もう真暗になり、今夜どうしても三中隊全部上げてしま
ひたいので僕が旭光丸の独工の中隊長山本中尉
の○に舟を増して貰へるやうに連絡に行く。生憎留
守。大野中イ、クボ田少イ等に会ふ。再び陸へ帰って
九時頃。今夜は十二時頃迄一台で作業して段列貨
車四を残して全部上げてしまふ。上陸地点はサン
トマスではなくてダモルティスの○。北方二粁位の所。
今夜は○○の両側に露営。今日上ったのは
野重一ではR本部の一部。I本部の指揮班、及
三中隊の大○、○隊は一門の大砲が上がったヾけ。
他はまだ全仝上らぬさうだ。こんなにおそくなっても
三中隊が一番早いと言ふので安心した。
今日の上陸には中隊長はまるで兵隊のやうにシャツ一枚
サル又一つになって例の如く口ウルサク立ち廻ってゐる。
一人で分隊長も小隊長も兼ねてゐる。
陸にはヤシと甘藷が澤さんある。暑くて喉が乾く
ので甘藷をボリボリ噛んだり、ヤシの汁を吸ったり
する。ヤシの汁は酒のやうな味がして、あまりウマクない。
土民の家が澤さんあるが皆荒らされてしまって支那兵
略奪の跡のやう。日本兵もやはり盗むんだなと考
へた。而し土民が一人もゐない。空の家なので仕方が
ないかもしれない。船員達が澤さん降りて来て民
家からめぼしいものを取って持って帰る所を警備
の将校に叱られて没収されゐた。船員もなか
なかあくどい。
宿舎は土民の家で床が五六尺も高く、はしごで
上る。明日はうちと工本だけ出発するのださうだ。
十二時過ぎに寝たがなかなかねられない。

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「日本兵も盗むんだな」「船員もなかなかあくどい」には
考えさせられる

昭和16年12月23日

2004-12-23 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
今日こそ上陸か



23日(火) 晴れ 暑し

昨夜南下したと思ったら船はやはり元の所にゐる。
昨日の上陸で無理したゝめに大発、小発に故障
続出で、今日も上陸出来るかどうか分らぬ。昨夜
大発のエンヂンの故障をみて呉れと言はれたが腹
痛で出来なかった。
今日は午前中船は南下する。サントマス附近まで南下
した。今朝は夜明けと同時に敵機の爆撃があったが
損害なし。敵は朝方きり攻撃して来ないやうだ。
サントスはダモルテス近いでアトラス丸は
岸に近く寄る為に海が浅いので迂回した所
を砲撃されたのだ。三発船倉に命中したとか言った
が平気で動いて行った。4TKが積んであるとか。
午后発効艇がなほって山砲の貨車を積んで上陸
して行く。中隊長は一緒に行って偵察する。帰って来
ての話によると此処は簡単に上陸できるとか。今日
もうおそいのでうちの上陸は間に合はないが山砲は
夜迄かかっても貨車十一両全部揚げてしまふと
言ってゐる。大発一つで往復してゐるのでずいぶん
時間がかゝる。
今日は海はとてもおだやかで絶好の上陸日和だ。
我々砲兵が上陸しないで先に行った歩兵はどうし
でゐるか。砲兵が行かなかったら前進出来ないだらう。
昨日の三時のニュースに我々の上陸の事を報じてゐ
た。既にルソン島南北より上陸せる部隊と呼応
して○方面に陸軍の大部隊が上陸に成功したと。
今夜七時のニュースではアメリカの陸軍省の発表で
フィリッピンの我々の上陸の事を報じてゐる。フィリッピン
の某地点に二十二日未明日本軍の○○(原文も○○)隻よりなる大
船団が現われ上陸した。アメリカ軍と目下激戦中だと。
激戦中だなんて、一寸も抵抗しないくせに出タラメ
を言ってゐる。殆ど抵抗などしないのだ。今日なぞは
海はおだやかだし、何処で戦争してゐるのだと言ひた
い程平穏な上陸だ。
今日は朝は飯を食べず。腹がすっかり下り切れない
ので下剤を貰って呑む。昼頃に大体下痢し切っ
たやうだ。昼飯はオカユ、夕飯は普通の飯を少し
喰う。上陸までに元気をつけなければと心配して
ゐたが明日になりさうなので大丈夫だ。

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上陸は また明日に
アメリカ軍も見えず

昭和16年12月22日

2004-12-22 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
いよいよ上陸か



22日 (月)晴れ 小雨あり

   フィリッピンリンガエン湾 敵前上陸

朝一時半頃から眼がさめてしまふ。独工が舟艇を
下ろす準備をしたり、船員達のデリツクの操作*でウル
サクて寝られない。その中で木村大尉の声が交じって
ウルサイコト。木村大尉は輸送指揮官でもありも
しないのに一人で早くから起きて世話をやき、飛び
廻ってゐる。一番先に上陸する歩兵や山砲がまだ
寝てゐるのに自分だけ起きて余計な世話をや
いてゐる。他隊の将校が笑ってゐる。バカハシナナキア
ナホラナイ。
歩兵、山砲は三時に起きて四時頃舟艇に乗る。
甲板へ出てみると、薄暗の中にかすかにフィリッピンの
陣地が黒くみえる。まだ、彼等は我々が来たのを知
らないのか、静かである。二、三回砲声らしいものを聞い
たが何方が撃ったのか分らぬ。
歩兵は、将校迄重い背嚢を負って、鉄帽を被って
出かけて行った。中隊長○○中尉は今迄何回か
敵前上陸の経験があるらしく落ちついてゐる。
五時半を期して一斉に上陸したはずだが舟
が六時になっても七時になっても帰って来ない。
中隊長木村大尉はうちなんかはずっとおそ
いのに兵隊を早く起してしまふ。何や彼やとウルサク
て仕様ない。少しも落ちついてじっとしてゐられないのだ。
七時頃明くなって来たが陸の方では銃声一つしな
い。敵は全然ゐないのではないかと思はれる。漸く明
るくなって来た頃、敵機が二、三機現はれる。前から
飛んでゐた海軍機は、ずっと上空にゐて敵機を追
はぬ。空中戦をやらぬ。輸送船に搭載してある
高射砲と高射機関銃が敵機に向かって火をはい
たが敵機は水際近くを海面すれすれに飛んで
逃げ廻り、大発、小発に地上掃射*を浴びせる。
高射砲は敵機の附近で破裂して黒煙をあげるの
だが、距離があまりに近いためか命中しない。機関
銃は曳光弾で花火のやうに火を吹いて敵機を追
ったが遂に撃墜出来ず逃げられてしまった。船上で
は全員甲板上に出て此の空陸の戦の見物。木村
大尉が声をからして甲板へ出てはいかんと言った所で
此の痛快な光景を見ずにゐられるものか。実に
手に汗を握る場面であった。約三十分位で終ってしま
ひ、あと敵機は来ない。ノモンハンで見た空中戦は
ずっと距離が遠かったが今朝は1000米位の距リ
で高度も20から200米附近。なかなか面白かった。
歩兵、山砲は無事上陸したらしい。艇は七時半頃帰
って来たが、あと山砲の自動車は浜まで行ったが
水が深くて上陸出来ずとて又引返してしまふ。桟橋
を作らねば上がれないのだ。貨車が上がれないのに我々
重砲や、牽引車が上がれるわけがない。結局、建築隊
が桟橋の工事をするのを待って上る事になる。我々は今日
の午后になったら上がれるかも知れない。今正午、まだ山砲
の貨車が一つも上陸してない。
敵機が今朝来て帰ってからはさっぱり姿をみせぬ。
敵前上陸とは言へ、陣には殆ど敵がゐないらしく銃声は
一寸も聞えぬ。ずい分静かな敵前上陸だ。
今日は結局我々は上陸出来ず。浜辺は波が荒
くて遠浅でとても貨車のぞは上がれないと。歩兵でさへ
も胸位の深い所へ飛び込んで上陸したさうだ。発動
艇は上陸の際無理をして壊したものや、波を被って沈んだ
のや澤山あるさうだ。
夜になって舟は移動するとか言って動き出した。もっと南
の方へ行くとか。
夜になって腹が痛くなる。下痢し始めた。とても胃が痛い。
苦しくて仕様ない。昨日下痢してまだ完全になほらぬ中
に、上陸して元気がつくやう、今日の昼、夕食に普通のか
たい飯を食べたのでそれが悪かったらしい。一晩中腹
痛で唸る。

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明日こそ 上陸だ!
腹痛は大丈夫なのか...