テニスのメモ帖

テニス好きが嵩じて、いままでのコーチ経験から書き綴ったものです。少しでも役立てばと願っております。

第402号

2015-07-15 13:04:25 | 日記
◇◆テニスのメモ帖◇◆ 第402号 平成27年7月15日
 <女子テニス ウインブルドン大会>

  今年のウインブルドンは面白いです。世界ランキング20位のガルビネ・ムグルー
 サ21歳(182cm 73kg)スペイン。高速サービスで全仏2年連続8強入り
 で特長はサービスのポイント獲得率が高いことです。

  試合後の談話で「これまで猛牛のように沢山の練習を積んできた」とあり、ある大
 会でシャラポラと対戦し6-1/5-7/1-6で敗戦し、このような試合を経験す
 ることも大事であり、もっとメンタルを向上させなければとのコメントでした。

  今回の女子シングルスでは、このムグルーサが決勝ではNo.1のセリーナ・ウイ
 リアムズと対戦することになりました。最近の成績は拮抗していますが、勢いだけで
 優勝出来るほど簡単なものではないと思われます。

  確かに結果は、セリーナ・ウイリアムズが6-4/6-4でムグルーサを破り6回
 目の優勝となりました。スコア的にも内容的は拮抗していると思われますが、最近の
 傾向として試合の進捗が男子と変わりなくなり面白さも半減しそうです。

  身勝手な判断ではないかと思いますが、フィジカル面での違いが勝敗を決めるのは
 些か寂しいものです、今回もその点の際立ち方は半端じゃないです。サービスキープ
 が主体でしたが、試合を見ていてラリーの少なさに疑問を感じます。

  サービスのポイント獲得率が高いのも体格が立派になれば当然とは思いますが、そ
 れに終始する内容が増えれば観衆の離脱にも影響するのではないかと心配です。男子
 と同じ様にラリーへの争いに持ち込むべきでしょう。

  その打開策としては、試合展開の変更ではないかと思われます。今回の場合でも素
 早いものはなく、サービスを打ち込めば殆どポイント獲得率は高くなるので、次での
 素早い展開が期待できない状態です。

  不安面として、試合の展開がサービス主体となれば、いよいよストロークへの関心
 も薄くなることが心配です。男子と違ってサービス&ボレーの展開になることはない
 と思われますが、今後については注目してしたいです。

  正直もっとラリー戦に持ち込むことを考えないと、身長が他を圧倒する選手が優先
 されるスタイルになるのは避けたい思いが強いです。やはり自分のポジショニングを
 考えながら相手に対応する方法を考慮すべきと思われます。

  現状のセリーナを考えるとき、4大大会の成績が30程度あるのも問題と言えば問
 題でしょう。しかし、女子でありながら180キロ近いサービスを叩き込まれては、
 これに対抗するのは普通の技術では困難な状態ではないでしょうか。

  これらに加えて、セリーナのコートマナーも疑問です。彼女のポイントを獲得する
 たびの咆哮に近い態度は嫌味を感じます。彼女の気持ちも分からぬではないですが、
 やや一方的なその行為はチャンピオンとして冷静に行動して欲しいです。

  その度に思い出すのが、試合中どのような場面でも表情一つ変えなかったクリス・
 エバート。別称でアイス・ドール(氷の人形)とも言われていました。選手を引退し
 てからのコメントを聞くとチャンピオンの立場を認識して居たのを感じました。


  

<後輩のテニスについて> 

  最近の後輩選手の練習を見ていて気づくのは、どこまで懸命に練習しようとしてい
 るのか首を傾げる感じが強いです。福田先生の過去の戦評等を読んでいると、余計に
 その真剣さに疑問符が残ってしまいます。

  今の部活は学業との兼ね合いがあり、練習の内容は極めて希薄ではないかという感
 じを受けます。勿論、在学中に法文学部卒業ではなく、テニス部卒業と皮肉られた先
 輩の後を引き継ぐ必要はありませんが、寂しくないかと言う気持ちがあります。

  先日、後輩たちが阪神地区へ遠征し試合で頑張ったようですが、その成績は完敗で
 した。その成績を見て暗澹たる思いでしたが、私の気持は相手としての選択疑問もあ
 り、自己判断があまりにも雑だなとも感じました。

  勿論、試合による技術面やメンタル面の獲得がなければ意味はありません。そのた
 めにも練習に対する心構えが試合に反映されなければいけません。福田先生は練習の
 内容を「馬鹿馬鹿しいと思われる練習」と喝破しています。

  先述のムグルーサも、セリーナ・ウイリアムズに初めて勝利したとき表現されたの
 がその試合内容ではなく、彼女が語った「これまで猛牛のように沢山の練習を積んで
 きた」
と言うことでした。練習が自分をその場に居させてくれた感謝でしょうか

  ただ、残念ですが今の後輩には練習に対してそこまでの執念は無いようです。勿論
 学生として学業は疎かに出来ません。しかしそれは周知のことであり、テニス部に所
 属する以上は双方に対し懸命に頑張って欲しいのです。

  学業を主体とし、その間に流れる時間をテニス練習に添えて、それが試合で表面化
 して成績を挙げられるなら言うことはないのです。一時は練習が半端じゃないからサ
 ークル活動でのテニスを楽しみたい時代もありました。

  私の卒業後はこのブログでも紹介しました。当時当地の女子高コーチとして担当し
 以後は数校の高校や大学を担当しました。私立は、高校でも大学でも学業より運動競
 技への関心は高く選手も優遇されています。

  反面、競技の成績が主体となるためコーチのプレッシャーは大変です。確かにコー
 チから考えると、中学や高校から優秀な選手が来れば、学校の立場は良くなりますか
 ら選手探しに終始するのも頷ける面があります。

  しかし、大学となれば過酷な入学試験がありますから。私立のように若干の余裕は
 なく中途半端な結果とならざるを得ないのです。それだけに優秀な人材を獲得する道
 は決して優しいものではないのです。

  このような周辺の環境は厳しいものがありますが、真摯に立ち向かって欲しいのは
 両立の完成・達成です。その苦しさの中でへばっても立ち上がり目標貫徹の気持ちを
 成就させて欲しいのです。

  余分になりますが、先日数年振りに部コートを訪ねました。オムニコートが2面新
 設され周辺の部活の環境整備がなされていましたが、近づいて見てクレーコートの周
 辺に雑草が勢いを増していた現状は寂しかった思いです。

  いまでも変わらないと思いますが、競技者にとって競技する場所は「道場」ではな
 いでしょうか?コートへ入る前に頭を下げる選手がどれほどいるのでしょう。自分を
 育ててくれる道場に雑草を育ててはいけません。

  スポーツ選手の大切なものは、フィジカル面やテクニカル面ではないと思います。
 今後更に強調されるのはメンタル面と思われます。これらは個人個人の問題です。立
 派な指導者に指導を受けても自分の問題と受け止めなければ成長はないです。



  ◎ 発行者 : 遠藤 侖允 (えんどう みちまさ)     
  ◎ メール : yaendou@po4.oninet.ne.jp 


第401号

2015-07-01 15:34:06 | 日記
◇◆テニスのメモ帖◇◆ 第401号 平成27年7月1日
 <テニス評論についての今昔>

  最近のテニス評論は、昭和30年代とは大きく異なっています。先ず、その違
 いはテニス雑誌発刊が
あります。当時は諸先輩が新聞紙上のコラム欄での評論が
 多く見られました。それを金科玉条として受け入れていました。

  
ただ、現状でも雑誌としての独自性は無く、選手の連続写真を扱うことで雑誌
 を手にする選手は、その具体性に惹かれると思われますが、緒先輩の評論と比較
 してテクニカル面の記事が多く、メンタル面の少なさに差を感じます。

  テクニカル面では個人差があまりなく
、逆にメンタル面ではコート上の動作と
 して気に入らないのが
、錦織の余裕が無くなった時ラケットをコートに打ち付け
 る行為、奈良くるみのガッツポーズに現れています。

  このメモ帖でも再三に亘って述べていますが、競技相手を尊重していたらこの
 ような態度は取れないのが常識ではないでしょうか。
諸先輩のアドバイスでは、
 その度に注意の勧告がありました。

  先述のゼスチャーでも相手は不愉快ではないかと思います。勝負の世界では相
 手が居るから今の自分が居るのです。精一杯戦うことで二人の存在を明確なもの
 にするのです。決して忘れてはならないのではないでしょうか

  福田先生のテニス一途の想い・・・ 当時の毎日庭球の総評から

 

   先生はいつでも記者席に座って試合に見入っていたようです。息子のように
 若い記者にも丁寧に挨拶し邪魔に
ならないように、ひっそりとゲームを見入って
 いたそうです。殆どの試合に参加されていたとか・・・。

  
大正11年当時早稲田大学の学生だった福田先生は、クオータファイナルで慶
 応大の原田武一氏と当たり、5セットの試合を行いこの強敵を破り、日本選手権
 の第1回優勝者となったのです。

  
この活躍は、当時「合理性が力に勝った」ことを実証したものとして長くテニ
 ス史に記憶されたのです。その理由は、慶応のウエスターンに対して早稲田のイ
 ースタンの対決と言われていたからです。

  
福田先生が日本のテニス界に残した功績は戦績ではなかったのです。それは日
 本人として初めてイースタン
グリップを身に付けたことです。当時は軟式テニス
 出身者が多く創始時代は例外なくウエスターングリップだったのです。

  新しいグリップに慣れるには、ともかく古いテニスを一応自分のものにした選
 手にとって決して容易ではないのです。
福田先生はこの難事業に敢然と挑戦し骨
 を削る苦心の結果西欧流のテニスを身につけたのです。

  その後毎日新聞社へ入りテニス記者生活を始め、高校生の大会にいたるまで大
 小の試合を克明に見続け冷静で筋の通った批判を書き続けたのです。これは以下
 の戦評を読んで頂ければお分かりでしょう。

  新聞に掲載された文章を添削無くそのまま掲載しております。点線内が当時の
 ものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <毎日庭球 総評>

  学生がエイトに残ったのは3名だった。例え技術で負けても体力的には負けな
 いと言う気概が感じられなかった。これまで幾度かは相手のプレーを見ていると
 してはあまりにも無策である。研究が足りない内容のある好試合は一つとしてな
 かった。それに引き換え少年組の活躍は見事だった。


  フォアはチャンピオンを作ると言われている。サーブはスライスをやらないと
 いけないし左利きとして右コートの右側と左コートの左側へ入れる練磨が必要で
 ある。
また、順クロスが打てなくては相手コートの空きを作ることが出来ない。

  素質は持っているが素質だけで大選手にもデ杯選手にもなれない。それには馬
 鹿馬鹿しいと思われるほどの努力と練磨がいる。テニス一筋にわき目も振らず一
 日一日と精進してこそ素材が生きてくる。馬鹿馬鹿しいと思われる
練習をしても
 らいたい。そして特徴を伸ばし欠点を是正して欲しい。


 <全国高校庭球 総評>

  プレーの内容は一年ごとに進歩していると言って差し支えない。女子すらひと
 ころ見られた下手打ちのサーブはなくなぅた。また、ロブの打ち合いをただ打ち
 続けると言う空虚なものも無くなった。

  技術的にはバックは一般に上手いがフォアが弱いのではないかと思われる。ダ
 ブルスでは4人がネットに付くのはまだまだで、女子の雁行陣は折角研究練磨さ
 れたい。特にダブルスでスマッシュを正確に決めた選手はいなかったようだ。昨
 年に比べるとプレーヤーの資質が少し落ちたように思える。


  技術の向上と共にコートマナーをしっかり身に付けて欲しい。特にコート交代
 でもないのに汗を拭くなどは止めて欲しい。試合開始のトスもジャンケン等でト
 スを決める予備的なことは不要である。いずれかの選手がラケットを回せば済む
 ことである。


  優勝戦で惜敗した高校は5度の勝利点を逃し、見た目では不運の一語に尽きる
 が5度の中にある何かが足りないのではないか。もしリードした時点での積極性
 があったならと思われる。特にダブルスはチームワークである。一人巧くてもパ
 ートナーが拙くては勝利はつかめない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   さて、昭和30年ごろに月刊誌の記憶はないです。ただ昭和35年にフタバ
 ヤラケット社が発行した、
テニスゼミナールと言う6ページほどの小冊子があり
 ました。これは毎月運動具店に行って入手した記憶があります。

  その中に
関学OBの鵜原氏のコメントがあります。早慶テニスについてです。

  厚い握りで攻めの慶応と薄いグリップの早稲田の守り。この相対的なプレーの
 特異性を持つテニスにあっては、常に相反する性格のテニスが生まれて相手を破
 る。この絶え間ない進歩が遂げられている。
慶応・早稲田の二つの潮が渦を巻い
 て前進に前進を重ね世界的なテニスへの曙光が見出されると信ずる


  日本のテニス界の傾向は大選手は名コーチとみなしてきた。個人競技であるテ
 ニスでは長ずるにしたがって個性も強くなる。彼等の自説はいずれも卓越してい
 るが自主性が強く相対的な第3者眼がない
コーチ専用のグループが必要である。

  錦織の敗戦についての松岡氏の大げさな表現に、評論家は冷静に判断する必要
 があるとの思いから、諸先輩の評論を掲載したものです。いずれも納得出来るも
 のを感じています。忘れてはならないことではないでしょうか?

  

<テニス・佐藤次郎氏の自殺について> 

  理由は不明ですが、平成27年度のウインブルドン大会を迎えて、地方紙の中
 で佐藤氏の自殺時の遺書が発見されたという記事内容でした。因縁を感じたのは
 佐藤氏の自殺時期が26歳、今年錦織が25歳であることでしょうか
 

  佐藤氏は戦前ウインブルドンで4強となるなど、国際的に活躍しながら193
 4年4月欧州への遠征途上で投身自殺したのです。当時26歳でした。それから
 80年が経過します。

  そのときの遺書が日本テニス協会のファイルから発見されたとのことです。今
 年、錦織がウインブルドンでベスト4に再チャレンジしますが25歳の彼の活躍
 で佐藤氏の思いを遂げて欲しいものです。

 
 当時、心身の不調に悩みながら国の名誉に係るデ杯への欠場が許されず、遺書
 には「とてもテニスが出来ません」と訴え、期待に応える成績が上げられないこ
 とを、死を以って国へ謝罪するするとした悲痛な内容でした。

 
 1932年~33年でのウインブルドンで2年連続でベスト4に進出しました
 33年には世界ランキング3位に輝いたのです。当時のデ杯は4大大会以上の重
 みがあり、この中で期待された成績を挙げられなく34年には代表辞退の意向だ
 ったのですが、再度選出され結果的には死への旅立ちとなりました。


  遺書は、慢性の胃腸病のため物事に集中できないと精神的苦痛を明かしテニス
 が出来ないと訴えたものです。自身については「この醜態さ、何と日本帝国に対
 して謝ってよいか分かりません。その罪死以上だと思います」と責め「私は死以
 上のことは出来ません。生前お世話になった同胞各位に礼を述べ、卑怯の罪を許
 されんことを請う、では、さようなら」と結んでいます。


  佐藤氏はテニスについて「庭球は人を生かす戦争だ」という持論を語っていま
 した。「当時の観客は(佐藤氏の試合を通して)生死をかけた闘いを見ているこ
 とに気づかなかった。(今となっては)探り得ない佐藤氏の心は(5度の準決勝
 敗退を)天皇と日本国民を失望させ耐え難い屈辱とみなした」と述べています。


  プレースタイル[編集]

  粘り強いフットワークを最大の持ち味とし、フランス人選手アンリ・コシェ
 プレースタイルからも大きな影響を受けました。佐藤氏はフォアハンド・ストロ
 ークを早いタイミングで打ち、両足でジャンプすることもありました。また鋭い
 ボレーをベースラインから打つこともあり、攻撃のタイミングを見計らう試合巧
 者でした。いかつい容姿にライバル選手から
ブルドッグ佐藤と呼ばれた。

  佐藤氏は小学校に入ると間もなく、兄とテニスを始めました。小さい板をけず
 ってラケットがわりにし、自分の家の庭で一人の時は家の壁を相手に練習をして
 いました。

  学校にはラケットがあり、3,4年生のころは兄と二人きりで、放課後だれも
 いなくなるまで練習していて、先生に注意されることもあったそうです。しかし
 上級生や先生たちが相手をしてくれることもあって、力がめきめきついてきまし
 た。そのうち、上級生も先生も歯が立たたなくなりました。


  手作りのコートでは、日曜も休日も毎日使えるようになったそうです。また、
 練習をすると決まった日は、たとえ雨でもコートに出かけ、ほとんどの部員が休
 んでいるのに、佐藤氏一人他の部員が来るのを待っていたそうです。

  「約束というのは、何人かの人の間で成立すのもので、一人の身勝手な判断か
 ら遅刻したり休んだりはできない。」というのが真面目な佐藤氏の考え方でした。
 佐藤氏は「弱きを助け、強きを敬う」という言葉を好みました。

  佐藤氏の高度なテニスの技術は、外国の強い選手から学んだものでした。さら
 に、「勝利は技術だけではとれない。全人格でとるのだ」と考え、より高い目標を
 立て、それに向かって強い意志と実行力で取り組みました。

  佐藤氏のテニスは技術の高さに加え、コートマナーの良さは外国でも高く評価
 され、新聞でも取り上げられました。外国で地元選手と試合をする時にも、外国
 の観客の多くが、佐藤氏を応援しました。

  そのころの日本は、佐藤氏の活躍で外国での日本の評価を高め、多くの日本人
 に勇気を与えました。昭和5年には日本チャンピオンになり、世界タイトルを目
 標にヨーロッパで日本代表の一員として戦いました。

  佐藤氏は、ウィンブルドンではシングルスでベスト4、ダブルスでは布井良助
 と組んで準優勝、その結果、世界ランキング3位の記録を獲得し日本中が沸き立
 ちました。この記録は日本人の史上最高として今でも破られてはいません。

<最近の錦織情報 NHK放映>

 「やりたいプレーと勝つプレーが違う」と語った錦織が選んだ道は?錦織自身が
 自分自身のテニスについても見つめ直していました。当時のインタビューで先述
 の言葉が発せられ「今、自分と戦っています」のコメントを残しています。

  
エースをバンバン取ったり、あり得ないところから打って入れる積極的なプレ
 ーが理想だが、ミスも多くなる。勝つためには安定した山なりのボールも必要だ
 が、それが消極的に感じて嫌だと語るのです。


  やりたいプレーと勝つプレーが違う。
確かに、近年ツアーで活躍している選手
 を見ても、ナダルやジョコビッチ、マレーやフェレールなど、固いディフェンス
 力をベースとした選手の活躍が目立ちます。

  ジョコビッチも、ディフェンス力の強化によってNO.1になりました。一方
 
攻撃的テニスで勝ち上がっているラオニッチなどは、皆2メートル近い長身と常
 時200
キロを超え絶対的にサービスゲームを支配できる選手です。

 
 いくら素晴らしいフォアを持っていても、身長が170cm台でアベレージ
 80~190
キロのサービスの錦織が、トップ選手のディフェンスを打ち崩して
 ツアーで勝ち続けるのは、かなり難しい挑戦になってしまうのです。


  錦織の中では、やりたいプレーを取るか、勝つためのプレーを取るかは単純な
 二者択一ではなく、共存は可能という結論に至ったように思えます。エア・ケイ
 を更に充実させるのが本来的な道筋ではないでしょうか

  プロに於けるコーチの存在で、錦織の最近の成長振りは一段と激しいものがあ
 ります。その成長を支えて来たのはチャン氏とそのコーチンぐスタッフでしょう
 
錦織が成長したのは相手に対して前に出ることを主体としたことでした。

  女子プロの伊達が得意としたライジングボールを再考する必要があります。伊
 達は当時ウエスターングリップでは無かったが、錦織は極端なウエスターングリ
 ップで相手コートに叩き込んでいました。

  いわゆるエア・ケイ打法の
錦織が前で打つのはパワー不足を補う点にありまし
 た。この作戦に対してトップ選手は、錦織をバックライン周辺に止めておき得意
 技を封じ込める作戦に出たのです。これはサービスから始まるものでした。


  チャン氏は、錦織の打球に対して徹底した映像によるデータ分析を行っていま
 す。これらによって、錦織の課題として踏ん張る力を増大させるには構えを低く
 してともかく返球し相手に対応させることをさせたのです。


  トップグループで大変なのは、ライバルとして相手に徹底的に研究されること
 です。プレーのレベルを上げるには相手の弱点を如何に攻め切るかであり、例え
 ば
ジョコビッチと錦織のスピンサービスのトップは30cmの違いがあるのです。

  ジョコビッチの作戦として、先日の錦織との試合では返球をすべてセンターに
 集中させました。錦織はそこから左右のコーナーを狙うしかなく、ボールの角度
 をつけるのが難しく
決め球が打てないため攻撃的になりません。

  

 <日本選手の世界ランキング 6月15日付

 ■女子では、米国在住の17歳、大坂なおみが英国の5万ドル大会準優勝で167
 までランキングを上げた。クルム伊達公子は201位に後退した。

男子シングルス
  5(---) 錦織 圭(日清食品)
 90(---) 添田 豪(GODAIテニスカレッジ)
101(△5) 伊藤竜馬(北日本物産)

女子シングルス
 58(▼1) 奈良くるみ(安藤証券)
 95(△1) 土居美咲(ミキハウス)
143(△1) 江口実沙(北日本物産)
158(△2) 日比野菜緒(フリー)
165(△1) 穂積絵莉(エモテント)
167(△30) 大坂なおみ
171(▼1) 尾崎里紗(江崎グリコ)
175(△2) 桑田寛子(島津製作所)
182(△4) 波形純理(伊予銀行)
201(▼51) クルム伊達公子(エステティックTBC)

女子ダブルス
 38(---) クルム伊達公子(エステティックTBC)
 48(---) 青山修子(近藤乳業)
109(---) 波形純理(伊予銀行)



  伊達は今年のウインブルドンでは予選で敗退。ランキングも200位を超えて
 しまいました。
とても寂しいものを感じています。シングルス敗退時にダブルス
 へ気持ちをシフトすると・・負け惜しみとしてしか聞こえませんでした。




  ◎ 発行者 : 遠藤 侖允 (えんどう みちまさ)     
  ◎ メール : yaendou@po4.oninet.ne.jp