テニスのメモ帖

テニス好きが嵩じて、いままでのコーチ経験から書き綴ったものです。少しでも役立てばと願っております。

第230号

2010-09-30 07:40:08 | 日記
◇◆テニス・メモ帖◇◆ 第230号 08/06/30
<伊達の復帰後の優勝>
 昨日、有明国際女子テニスで、伊達が復帰後初のシングル優勝と
 のニュースを知りました。驚きの感じと、やはりという実力を実感
 した瞬間でした。                      
                               
  よくやったなと言う思いもありますが、より強い思いは日本女子
 選手層の薄さであり、残念な気持ちの方が強いです。伊達が過去の
 選手でないことの証明でしょうか。              
                               
  しかし、それで良いのでしょうか?勿論、伊達の頑張りを云々す
 るつもりは毛頭ないです。正直、よくやったと喜びたい心境である
 のも間違いないです。                    
                               
  だが、この事実を協会の人達はどのように考えているのでしょう。
 素直に伊達の再起を喜んでいるんでしょうか?それとも育たない選
 手育成の反省でしょうか?                  
                               
  真剣に考えるなら、伊達の活躍は協会の選手育成に対する警鐘と
 考えるべきでしょう。対抗できる選手を、育てなかった悔しさが身
 に沁みているのでしょう。                  
                               
  別の情報では、コーチの発言が話題になっています。その内容を
 見ると、いささか驕りを感じるのは私だけでしょうか?コーチの為
 すべき言動を考えるべきでしょう。       
<基礎の基礎 左手の効用>
最近、後輩の練習に参加して気づくことは、基本が出来ていない
 ことです。あれほど雑誌が氾濫しTV放映がある中でどうして出来
 てないのか不思議でなりません。               
                               
  基本と言う概念は、字の通りで将にベーシックなものを言います。
 これが出来てなければ次へ行けませんし、仮に、ステップアップし
 ても非常に脆いものです。                  
                               
  基本を身につけるには、地道な方法しかありません。飛躍的に成
 長することは期待出来ても、それは基本の習得以後の問題であり、
 遅々たるものなのです。                   
                               
  スイングは、フォアハンドとバックハンドなのです。後は、打球
 時のボールが当たるラケット面を、どのように操作するかで変化を
 生じるだけなのです。                    
                               
  このように、基本は極めて単純であり、考え方を習得するのは容
 易なのです。しかし、これを実践面で、勝つために応用することは
 大変なのです。                       
                               
  ここからは、右利きで両方のスイングともシングルハンドを仮定
 して話を進めます。ダブルハンドを使いたい場合は、反対側の腕の
 使い方が大事になります。                  
                               
  まず、フォアハンドの場合、ラケットを持つ腕は右腕であり、軸
 足側についています。これの問題点は、左足のポジションで打球時
 の変わりが激しいのです。                  
                               
  ステップの際、軸足で位置を固定するのは早いのですが、打球す
 るための左足の位置が不定なのです。変化があるのは、柔軟性はあ
 るでしょうが不安定です。                  
                               
  すなわち、軸足を早く決めてしまうと、ボールの位置によっては
 打点が窮屈になりがちなのです。勿論、それだけ足の位置に余裕が
 あるのは変化があるとも言えるのです。            
                               
  と言うことは、軸足の決め方をどのようにアジャストするかが、
 打球時のポイントになるのです。考え方を変えればそれ一つの変化
 で打球点を変更できるのです。                
                               
  それは、相手に対して予測をさせない変化を与えるし、上手く行
 けば、優位に立つことが出来る方法でもあるのです。相手の動きを
 見る余裕があるかないかです。      
<プロの言葉>
理想の踊りとは、踊っていることを忘れる感覚であり、いま踊っ
 ていると思っていることはよくない。             
                               
  踊りたい気持ちを持ち続けることが大切だ。         
                               
                       -坂東玉三郎- 
                               
  すべてをこなして当たり前のレベル。            
                               
  終わったら、すべてのステップを通じてチェックする。    
                               
  いつも理想を目指して頑張るが100点は無い。       
                               
  自分のやることに集中するのは、自分に弱さがあるから。   
                               
                       -吉田  都- 
◇◆<お知らせ>◇◆       
                               
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第229号

2010-09-29 07:50:00 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第229号

08/06/15

 <錦織 残念な離脱>

  ウインブルドンの第1回戦で、期待の錦織が腹筋痛により残念な
 がら途中棄権しました。詳細な理由は分かりませんが、先日も同じ
 ような状態になったと聞いています。             
                               
  私が現役の頃、先輩達に体力維持も実力の内だと聞かされたこと
 があります。練習中に足痙攣の経験はありますが、途中で離脱した
 記憶はないです。                      
                               
  過酷な練習に耐えてきた彼を、見ているととても考えられないの
 ですが、精神面のプレッシャーが、体力まで影響するのでしょうか?
 本人は残念だったと思います。                
                               
  心配なのは、このような状況が繰り返されると、選手寿命を短く
 するんじゃないかとの思いです。体力面であれば、鍛えなおすのが
 優先だと思います。                     
                               
  仮に、精神的なものが多分にあるとするなら、本人に世界の中で
 戦うことの限界があるように思えます。いままでの練習に、耐えて
 きた自負はどこへ行ったのでしょう。             
                               
  棄権した試合は、ほとんど互角と言えるものです。50位前後の
 相手との試合はいま少しでしょう。しかし、問題はここからで、そ
 れ以上を目指すなら再構築が必要です。            
                               
  フェデラーのように、試合中どこまで冷徹さを貫けるかにあると
 思います。どのような状態になっても、自分の感情を露にしてはい
 けないのです。                       
                               
  最近、野球選手の怪我による離脱で、筋肉の怪我が多くなってい
 ます。厄介なのは回復に時間が掛かるのと、完治させないと再発が
 起き易いことです。                     
                               
  試合中、殆ど走り回っているテニスでは、中途半端な治療は選手
 生命を失う痛手になります。いまこそ、徹底した治療が求められる
 のです。好漢自重すべきなのです。              
                               
  彼の場合、若いですから慌てる必要はないのです。時間を掛けて
 しっかりと直して、再起して欲しいと願っています。再発するかと
 心配しては実力を出し切れません。              
<アインシュタインの眼>   
  6月27日(金)NHKで「アインシュタインの眼」が放映され
 ました。アッと言う間の1時間でした。この作成に、ご尽力された
 川副先生には拙文を読んで頂いています。           
                               
  スポーツの世界を、ウルトラアイという特殊なカメラで撮影し、
 超ハイスピードで解析しているものです。ガットがボールとの接点
 で左右にずれる事実を初めて知りました。           
                               
  これらは、ボールに対する角度や接点を、どのように解析するか
 ではなく、自分たちの動作がどのような結果を得るのか、を追求し
 たいものです。                       
                               
  放映されたものを、文字で解説する位難しいものはないです。百
 聞は一見に如かずの心境です。これを見て嬉しかったのは、いまま
 での指導が間違ってなかった点です。             
                               
  どれほど時間を掛けて一緒に練習しても、絶対に不可能なのは自
 分の感じているものを、そのまま受け入れてくれることは出来ない
 のです。だからこそ理解して欲しいと思うのです。       
<基礎の基礎 左手の効用>
  読者の方からメールを頂きました。いつものことながら、基礎の
 大切さを再確認したとの内容でした。同じことでも、若干の表現変
 更で再確認が出来るのです。                 
                               
  練習の繰り返しで、自分では習得したと思っても、それがそのま
 ま試合で出なければ、習得したことにはならないのです。それは付
 け刃にしか過ぎないのです。                 
                               
  いわゆる、化けの皮が剥がれると言うべきでしょうか?ボールに
 集中した時に感じる「無」の認識は、その時点でボールしかないの
 です。そのボールをヒットするだけなのです。         
                               
  集中していれば、フォームが自分のものになっていれば、その時
 初めて無我の心境でスイングが行われるのです。しかし、このとき
 バランスの良いフォームでなくては駄目なのです。       
                               
  それが左手なのです。右手は、ボールを迎えて打球することに懸
 命です。左手は、それがよりパーフェクトになるよう構えて、身体
 全体のバランスを取るのです。                
                               
  このように、打球に対して右手で打っていると感じるようではい
 けないのです。自分が感じるよりは、右手の力みが少ないと思う程
 度が良いのです。                      
                               
  テニスは、オープンコートを作らない戦法として、コートカバー
 リングが大事になります。コート内を走り回ることになるのです。
 だからこそバランスを要求されるのです。           
<プロの言葉>
  元気 → やる気 → 勇気                
                               
                   アーチュリー 山本選手 
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第228号

2010-09-28 08:30:12 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第228号

08/06/01

 <エナンの引退>

  潔いと言うのか?外国人の引き際は、日本人にない潔さがあるよ
 うに思われます。一方で引退があれば復帰もあり、話題が尽きない
 この頃ですが、エナンの引退は寂しいですね。         
                               
  エナンの登場は、体格的に日本の選手を勇気付けてくれたと思っ
 ています。残念ながら、それに伴う彼女のメンタル面の強さは到底
 適わないものでした。                    
                               
  いまの気持ちは、どうして引退なのと言う思いは強いです、自分
 の限界は誰にも分かるものではないですが、現在の地位を確保する
 メンタル面に限界を感じたのでしょうか?           
                               
  確かに、トップを維持するには、かなりのストレスが重なると聞
 いています。それらからの脱却を考えた末なら、敢えて継続するこ
 とを強いたくない気持ちです。                
                               
  エナンも、いまは一抹の寂しさがあるでしょう、またホッとした
 気持ちでもあるでしょう。このまま引退ではなく、出来れば後進の
 指導に眼を向けて欲しいです。                
                               
  強烈なサービスから始まって、相手を寄せ付けないストロークの
 力強さは、他を圧倒していたと思います。特にトップスピンの掛か
 ったバックはエナンそのものでした。             
                               
  打球後、身体を思いっきり反らし、フォロースルーの大きなバッ
 クハンドは、最近流行のダブルハンドではなく、両手を左右に振り
 ほどく迫力は見事でした。                  
                               
  あのようなバックハンドは、誰にでも出来るものではなく、今後
 も出ることはないでしょう。それほどエナン独特の、バランスを持
 ったスイングと感心するだけです。              
                               
  しかも、打点が高いため上からひっぱたくようなスイングは、不
 可能を可能とするほどの見事さでショートクロスへ入ります。その
 ボールは外へスピンします。                 
                               
  外へスピンが掛かったボールは、相手から次第に逃げて行きます。
 こうなるとコートには誰もいなくなります。オープンコートが眼の
 前に開けてしまうのです。                  
                               
  時折のバックのスライスは、ドライヴが遺憾なくその力を出すた
 めに、相手選手には更なる負担を強いるのです。フォアのドライブ
 で選手は両端へ追い出されるのです。             
                               
  試合における見事なコンビネーションは、ただ感嘆するだけです
 が、相手に与えるプレッシャーは限りなく大きく。いつしかエナン
 の掌で弄ばされているのです。                
                               
  あのバックハンドを、見ることが出来なくなる寂しさはあります
 が、真似をしろといっても簡単に出来るものではなく、身体を使っ
 たバックハンドに敬意を表したいです。            
                               
  あの体格から来るストロークは、特別の恐怖は感じませんでした
 が、際立ったものではなく全てに秀でた戦績の根幹は、将にバラン
 スのよさではないでしょうか                 
<横綱の品格>      
  難しく考え過ぎでしょう。横綱の品格を、横綱評価の第一とする
 なら、品格に差し支えのある言動が認められた時点で、前回の朝青
 龍のように即出場停止とすべきです。             
                               
  それが出来ないなら、品格云々は言うべきではないです。北の湖
 理事長の朝青龍の態度は技の延長との解釈は、とてもトップの言葉
 とは思えない粗雑なものです。                
                               
  それを言ってしまえば、どのようなこともまかり通ることになり
 ます。どのような場面に立ち会っても、「淡々」としているのが横
 綱の横綱たる所以でしょう。                 
                               
  今回の、横綱審議会の両横綱への注意要請を、理事長はどのよう
 な気持ちで聞いたのでしょうか?それでも、白鵬が悪いと言い切る
 のでしょうか?                       
                               
  日本人は態度で示せとよく言います。心の中を見透かされないよ
 うにとの思いでしょうが、その態度も度を過ぎると不遜となり、良
 いものではないです。                    
                               
  朝青龍も理事長も、その態度の中にそれを感じます。自分の地位
 を誤解しているように思います。まるで、自分は自分の力だけでそ
 の地位を得たように思っているようです。           
                               
  如何に連続技だからと言って、身近な相手を確認していれば勝敗
 は分かるはずです。技を掛け合っているんじゃないのです。終わっ
 ている相手にけし掛けてどうするんでしょう。         
                               
  「いまだ木鶏足りえず」と横綱の心境を語った双葉山の言葉を、
 相撲界の人達はどのように考えているのでしょう。いま少し謙虚な
 気持ちを持たないと国技でなくなります。           
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第227号

2010-09-27 08:01:16 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第227号

08/05/15

 <伊達選手の功罪>

  一人の人間が、これほどの影響を与えるのは稀有だろうか。しか
 し、現実としてあり得るのです。それが本人の目指すものに合致し
 ていたかどうかを分かりません。               
                               
  伊達なきあと、杉山に依存するだけだった女子テニス界に、新風
 を巻き起こしたのが、再び伊達とは誰しも想像しなかったでしょう。
 しかし、残念ながらそれが現実となったのです。        
                               
  それほど、伊達の復帰はテニス界だけではなく、社会に強烈なイ
 ンパクトを与えました。再び脚光を浴びるテニス界は、単純に喜ん
 でいるわけにはゆかないのでは・・・。            
                               
  実際の戦績は、12年のブランクを乗り越えて、シングルスで準
 優・勝ダブルスでは優勝と、文句のつけようがない結果となりまし
 た。誰しもそれを認めるでしょう。              
                               
  果たして、それが本当の実力なのかどうか?皮肉な見方になるか
 もしれませんが、テニス協会の選手強化担当が、結果で表明したコ
 メントは立場上恥ずかしくないのかと驚きました。       
                               
  伊達が、現役復帰を表明した時点で、その理由と心配がそのまま
 出てきたことに驚くと同時に、協会関係者がその事実をどれほど真
 剣に受け取ったのか知りたいものです。            
                               
  単純な表現をすると、いままでそれで良しとして育成してきた選
 手が、伊達になすところ無く打ちのめされた事実を、どのような気
 持ちで迎えたのでしょうか?                 
                               
  まさか、今の現役に期待しなくても、伊達に任せておけば良いと
 単純な考え方を了としたわけではないでしょう。しかし、何故伊達
 が勝てたのでしょう?                    
                               
  伊達のフォームは、12年前と殆ど変わらないように思えました。
 フォアハンドのライジングを打つスタイルは、逆に研ぎ澄まされて
 いるように感じたものです。                 
                               
  いつも、気持ちの上で持っていたと思われる「前へ!」との気概
 が、伊達を蘇らせたのかもしれないと思いました。不足していると
 すればスタミナではないかと思いました。           
                               
  優勝戦では、それがモロ出たようですが、それにしても闘う姿に
 新たな伊達を感じさせてくれました。何かにチャレンジする姿に、
 胸打つものがありました。                  
                               
  それにしても実力は衰えていません。その証拠がフルセットの戦
 いが多いことで分かります。その殆どが先取されて挽回する姿にあ
 るのです。それは実力以外の何者でもないのです。       
                               
  戦い方を知っていると言うのは容易いですが、伊達の場合は、い
 ままで修羅場の経験が役立っていると思われます。これを後輩がど
 のように受け取ったのでしょうか。              
                               
  目の前の、伊達の闘い振りをどのように評価すべきか?本当に強
 いのか?名前負けしているのか?若い連中の萎縮している姿に、力
 不足は否めないと思えるのです。               
                               
  日本ベスト10位の選手が、12年間のブランクを感じさせない
 伊達との戦いぶりをどう評価するのか?それともだらしない無様さ
 を嘆くのか、いずれにしても前途は多難です。         
                               
  日本人の人の良さというのか?かってのプレーを、眼にしている
 だけに、その相手をコート上に迎えて萎縮するのではないかと思わ
 れますが、実力の差が表面化したのでしょうか         
                               
  それであれば、日本女子の今後は真っ暗闇となります。その状態
 で世界に臆することなく戦えるとは思えません。付いて行くのが精
 一杯ではどうしよもないです。                
                               
  これで伊達にスタミナがついたら、誰も付いて行けないのではな
 いかと、考えただけで暗澹たる気持ちになります。その要因が何で
 あるのか早急に結論づけるべきです。             
                               
  伊達の復帰のコメントで感じた人も、ここでその真なることを再
 確認したことでしょう。それが、技術面なのか精神面なのか、いま
 一度のチェックは必要と思われるのです。           
                               
  伊達の思い出から、高校時代の練習風景を見たが、その練習の内
 容にどのような差があったか分かりませんが、際立つのは伊達のテ
 ニスに対する情熱ではないでしょうか。            
                               
  いまと特別異なる練習をしていたとは思いませんが、福田先生が
 提唱された「この一球」にすべてが集約されたと思われます。選手
 とコーチとの二人三脚が生み出した名品と思われる。      
                               
  その伊達が、福岡で中村にやられました。6-2・6-2のスコ
 ア。これで安心した人もいらっしゃるのでは・・・・。これは当然
 の結果だと思います。                    
                               
  伊達の勢いを間違いだとは決して思いませんが、復帰宣言をした
 後の伊達は懸命だったと思います。プライドがここまで闘わせたの
 ではないでしょうか?                    
                               
  伊達の爽やかな笑顔は、いつまでも見ていたいのですが、やはり
 後輩に頑張ってもらわないと日本の将来は無いです。今回を貴重な
 財産として身に付けて欲しいものです。            
 <今月の言葉>     
 苦しさに耐えられるかどうか                
                               
  工夫次第でなくせる「ムダ」                
                               
  自分で考える社員を作る                  
                               
  経営改善に必要なのは意識改革である            
                               
  プロとは、使命を感じて改革を行い、それを賞賛してくれる人 
                               
                ー工場再建家 山田日登志ー  
◇◆<お知らせ>◇◆       
                               
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第226号

2010-09-26 08:26:15 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第226号

08/05/01

 <デ杯でインドに完敗>

  ひさしぶりにデ杯を見ることが出来ました。結果は完敗?残念で
 すが実力差は歴然としていたように感じました。これはアウエイだ
 からでは無いでしょう。                   
                               
  最近、女子に比べて男子は不甲斐ない試合でしたが、錦織圭選手
 の台頭で新しい息吹を感じさせて期待は多かったのですが、ランク
 的には格下に負けました。                  
                               
  何より残念なのは、フルセットで負けたことでしょうか?格下で
 あるなら、フルセットの敗戦は屈辱でしかありえないと思われます。
 どのような気持ちだったでしょう。              
                               
  今回の錦織のシングルスは、見ていて決して良いとは思えません
 でした。年齢に似合わず若さがなく、テクニシャンと言う感じを強
 く持ちました。                       
                               
  もっと若さを出して、チャレンジして欲しかったとの思いは強か
 ったですね。あまりにもテクニックを使いすぎ、相手に恐怖心を与
 えるような力強さに欠けていたようです。           
                               
  彼には初めてのデ杯参加で、その緊張度は大変なものだったでし
 ょう。現代っ子の錦織でも、そのプレッシャーには勝てなかったよ
 うです。                          
                               
  ダブルスの試合では、相手の自信に満ちたプレーに目を見張る思
 いでした。それより、ミスをした岩淵がラケットをコートに叩きつ
 けた光景を苦々しく拝見しました。              
                               
  怒るなら自分自身への怒りでなければなりません。ラケットを粗
 末にすることは許せません。ラケットがあるから、今の自分の地位
 があると考えられないのでしょうか。             
                               
  失礼を省みず感じたことは、日本選手は甘やかされていると言わ
 れても反論はないでしょう。成人としては未熟だと考えざるを得な
 いです。                          
 <プロ選手の観客へのマナー>     
  スポーツでマナーが取り沙汰されています。その中でプロゴルフ
 ァー石川選手のマナーが目を引きます。選手の中には観客の存在を
 無視しているのが目立ちます。                
                               
  例えば、勝敗後のインタビューがあります。懸命に答えている人、
 面倒くさそうに答えている人、醒めた答え方をしている人、それだ
 けに誠意のある人は目立ちます。               
                               
  勘違いしないで欲しいのは、観客はフェアなスポーツを好んで料
 金を支払い見に来ているのです。プロ選手の収入部分は、経緯は別
 として観客が支払っているのです。              
                               
  どうも、この関係が充分に分かってないんじゃないかと思われま
 す。だからと言って観客の個人個人に阿る必要はありません。しか
 し、観客は大事にして欲しいです。              
                               
  プロ野球のダルビッシュが、勝利を上げるごとに幾許かの寄付を
 するとの話を聞きました。このような選手が観客を大事にしないは
 ずはないのです。                      
                               
  プロ選手は、自分は観客によって育てられ、その上収入を得てい
 ると言う自覚がなくては、スポーツの世界でその地位を磐石にする
 ことは出来ないと思います。                 
                               
  観客の目は容赦がないです。それは遊び半分に見に行っているの
 じゃないからです。それだけに厳しさもあります。これは演劇でも
 あり得ることです。                     
                               
  中途半端や、自分に甘えているものを決して許してはくれないの
 です。観客が真剣であればあるほど選手は育つのです。川淵氏のコ
 メントはその本心を付いていると思います。          
<大学テニスの試合を見て>
  あまりにも個性のないテニススタイルだと思います。もっと個性
 の発揮があっても良いのではないでしょうか?それには自分はどう
 いうスタイルを求めるかでしょう。              
                               
  これは、ラケットの進歩が選手の個性的な動きをとめているのか
 なと思われます。それは自分自身につけたテクニックではなく、ラ
 ケットを自在に使えるためでしょうか?            
                               
  ラケットを使うためには、軽いものを自在に使いこなすのとは違
 い、ラケット面を如何に上手く使うかが必要であった、過去の場合
 をどう見るかではないでしょうか?              
                               
  その試合を見て、驚いたことがあります。シングルスで、シング
 ルポールを使わないで試合をしてました。まさか選手にとって条件
 は同じだからと思っている?のでしょうか           
  
  部活のあり方を、再考しなければならない時期に来ているようで
 す。伝統と練習の厳しさ、これらに耐え切れない、若者が増えてい
 るのも事実です。                      
<今月の言葉>
  流行っているものを取り入れると自分は薄くなる。      
                               
  それに打ち勝つには、自分のレベルを上げるしかない。    
                               
  プロとは、自分の思ったことを確実に「形」にする。     
   それをなし得る情熱を持った人だと思う。         
                               
                      -武部 聡志-  
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第225号

2010-09-25 08:16:33 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第225号

08/04/15

 <伊達選手の現役復帰>

  かなり大きな記事で現役復帰が発表されました。25歳で引退し
 た彼女が何故いま復帰?と不思議な気持ちですが、どうやら本気で
 宣言したようです。                     
                               
  引退したときの雑音が耳に残り、とても本気ではないだろうと思
 いましたが、記事の内容を見ると決めたようですね。いまでもとて
 も本気とは思えません。                   
                               
  先日かっての相手だった、グラフやナブラロチワとプレーをして
 ましたが、お遊びに近く真剣勝負ではないので、それで一念発起し
 たのではないと思いますがどうなんでしょう。         
                               
  別にスポーツ美学として、カッコ良い引退声明を推奨するわけで
 はないですが、やはり駄目だったと言う結果にならないようにして
 欲しいと思います。                     
                               
  伊達のフォームは決して華麗ではなく、どちらかと言えば、じっ
 くりと相手の欠点を攻めてゆくスタイルで、地味な内容を持つだけ
 に成功して欲しい気持ちもあります。             
                               
  しかし、12年のブランクは大きいと思います。後輩の育成に努
 力していたので、テニス勘は残っているでしょうが、問題は体力で
 はないでしょうか?                     
                               
  伊達の復帰に対するコメントは、不甲斐ない女子プロ選手の現状
 に苛立ちを感じたものと思われますが、それは何故なんだろうと考
 えた上なんでしょうか。                   
                               
  それをベースにしないと、復帰する本来的な目的が不明確なまま
 で、注意しないと単なる自己満足に終わらないかと心配します。ど
 こまで後輩が気づくでしょうか?               
                               
  日本のスポーツ界で、意味不明なのは協会と言う組織です。なか
 でも、独自性の高いものほどその内容はいびつと言えます。自分た
 ちプレーヤーのとき感じていたはずですが・・・。       
                               
  今回の北京オリンピックでの女子柔道では、選手選考がどう考え
 ても納得できないものがあります。スポーツが競技である以上、そ
 の選択方法は勝負の結果であるべきです。           
                               
  それを、協会の役員が行うのであればなら、選出理由は明確にす
 べきです。それでないなら、選出の手段として行われる試合結果を
 重視すべきです。                      
                               
  いつの時代も、選手はオリンピックを目標に頑張っているのです。
 その結果が試合の勝敗ではなく、協会役員の勝手な判断だとすると
 スポーツマンシップは消滅します。              
                               
  たまたま負けたのであって本来は強いから選出した、と言うなら
 試合などする必要はなく、すべて過去の実績のみを重視すれば良い
 のです。その上で周囲の批判を受けるべきです。        
 <日本プロ野球とMLB>     
  最近、資格を得た日本選手が次々と海を渡っています。実力を試
 すためか?残り僅かな野球人生の最後を飾るためか、その真意は分
 かりませんが、不可解な行動です。              
                               
  それにもまして不思議でならないのは、日本の中心的なメディア
 であるNHKが率先して放映し、解説者まで現地に赴いていること
 です。無駄遣いだと思われます。               
                               
  彼等はプロですから、どこへ行っても自由です。本来なら資格を
 取らなければ自由行動が取れないところに問題はあるのでしょう。
 それは周囲の環境から考えなければ・・・           
                               
  これらの選手に対して、連続記録とか新記録とは表示しています
 が、メディアはそれを不思議に思わないのでしょうか?条件の違う
 場所での戦いに同じ評価をなぜするのでしょう?        
                               
  良い例が新人王です。日本では一流の称号を得ている選手が、渡
 米した結果1年目に活躍で新人王となる場合、どのような気持ちで
 それを受け取っているのでしょう。              
                               
  ならば、日本へ入団した外国選手に対して、そのような評価をし
 たことがあるのでしょうか?これらの行為は日本の実力を馬鹿にし
 ていると思うのは可笑しいでしょうか?            
                               
  一つの例を上げるなら、全盛期の王選手の場合ホームランの数字
 は大変なものです。これも四球の多さが物語っています。MBLで
 は殆ど勝負をしていると聞いています。            
                               
  そのような状況の中で、その結果を比較して何の意味があるので
 しょう。それより日本の野球を楽しむべきではないですか?そうす
 れば渡米する選手も減ると思います。             
                               
  どのような理由があれ、渡米する選手を擁護する気にはなれませ
 んし、MBLの放映ですら殆ど見ていません。渡米したければ最初
 からそうするべきです。                   
  
  上原選手の巨人の選手でありながら、今年の暮れにはMBLへ行
 くと言う発言は考えられない行為です。応援する気持ちも失ってい
 ます。野球は団体競技であることを忘れたのでしょうか?
<今月の言葉>
  教えられたものは弱い。                  
                               
  教えるタイミングが難しい。                
                               
  結局は自分で勝ち取るしかない。              
                               
                     ー 中島 常幸 - 
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第224号

2010-09-24 07:45:47 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第224号

08/04/01

 新聞スポーツ欄の片隅に、貴重なコラムを発見しました。それは
 「プロテニス選手協会は、2007年の最優秀選手に男子テニスの
 フェデラーを選出した」でした。               
                               
  同時に、選手投票によるスポーツマンシップ賞も、併せて受けて
 いるとありました。これが素晴らしいと思いました。強いだけでは
 なく人柄を含めて評価されたのです。             
                               
  やはり、どのような場合でも、ただ強いだけでは駄目だという証
 拠を見せられたようです。プロ選手としての、社会的な活躍を評価
 されたものでしょう。                    
                               
  何も、社会活動をするから立派なのではなく、プロとして収入を
 得て、その一部を社会奉仕に使うのが立派だと思うのです。自分の
 身の丈にあった行動が立派なのです。             
                               
  それは、決して突然に現れるものではありません。自分を痛みつ
 けるほどの練習や試合を経て気づくものだと思います。見方を変え
 れば、それは過酷そのものです。               
                               
  栄枯盛衰世の習いと言いますが、時期がくればどれほど力のある
 人でも、力の限界を悟るのです。厳しい現実の世界を、いやおうな
 く垣間見ることなるのです。                 
                               
  先日、今までの男子と女子で、一番強かったのは誰かと言う質問
 がありました。判断は難しいですが、基本的な条件としては、オー
 ルラウンドプレヤーでしょう。                
                               
  その時期々で選手を見ていますが、トータルで判断するのは難し
 いし、特にラケットの変化が、どのように影響するかを考えると世
 界最強の称号は難しいです。                 
                               
  それでも自分なりの判断をして、どうでしょうかと言えるのは、
 男子ではケン・ローズウォールであり、女子ではモーリン・コナリ
 ーではないかと思います。                  
                               
  勿論、実際に戦うことは不可能です。それだけに本当は意味がな
 いでしょうが、自分たちの時代を、席巻した選手への憧れでしょう
 か?選ぶ楽しさはあります。                 
                               
  ただ、ラケットの変化は気になります。昔よく見られた、サービ
 スでセンターベルトを吹き飛ばした勢いは、今のラケットでどうな
 るのだろうかと言う思いは強いです。             
                               
  リストを使えない時代の選手が、使えるようになったら、どれほ
 どインパクトのあるボールを生み出すのか?ラケット面の使い方に
 どのような工夫が出るのか?                 
                               
  そのようなことを考えると、ローズウォールやコナリーに軽いラ
 ケットで、さらに華麗なプレーを見せて欲しいと思います。瞬間的
 なリストの使い方が素晴らしかったでしょう。 

<最近の女子プロの戦い>
  その内容では、他を凌駕する強さを持つエナン・アーデンを応援
 していますが、最近イワノビッチで感じる、日本女性ではと思わせ
 る優雅さは素敵な雰囲気を持っています。           
                               
  厳つい感じの多い中で、その容姿は一際目立つものがあります。
 その彼女が、めっきり腕を上げた中で素晴らしいのは、サービスの
 確実性とストローク打点の高さでしょうか。          
                               
  身長に見合う、高い打点で叩き込むボールの勢いは、その打点の
 高さと角度は、知らず知らずにオープンコートを作り出し、自分を
 有利に進めているようです。                 
                               
  打点が高ければ、当然ですが角度は鋭くなります。特にバックハ
 ンドは両手打ちですが、相手のサービスエリアをクロスする、鋭角
 的な打球は相手選手をコート外に・・・・。          
                               
  それを難なくやってしまうのですから、あのおっとりとした表情
 の中に、底知れぬ強さを秘めているように思えます。メンタル面の
 強さもあり、上位ランクに君臨するのも直ぐでしょう。     
                               
  もう一人最近印象に残った選手が、ベルギーのバシンスキーでし
 た。サースポーで相手のバックサイドでサイドラインへ切れて行く
 サービスは素晴らしいです。                 
                               
  特徴のあるスピンが掛かったサービスは、生きているように鋭く
 曲がり、それを追っているレシーバーは、通常のポジションではな
 く完全に追い出されていました。               
                               
  身体も日本人とは変わらない、バシンスキーの経歴を調べると、
 17歳で世界ランク94位と分かり驚いています。今更に世界の大
 きさを思い知らされました。                 
                               
  その度に思うのは、日本選手の層の薄さでしょうか?よくハング
 リーと聞きますが、テニスに懸ける熱意は、毎日でも良いから練習
 したい気持ちの持ち方でしょう。               
     
<今月の言葉>
  プロとは、与えられた課題に対して、100%努力すること。 
                               
  信じることが、選んだものの責任である。          
                               
  その信頼関係が、すべてに優先する。            
                               
  競争が組織を強くする。(ライバルの存在)         
                               
  コミュニケーションが大事、時間を共有すること。      
                               
  ハットトリックが優秀なのではない。            
                               
              ーサッカー経営者 祖母井 秀隆ー 
◇◆<お知らせ>◇◆       
                               
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第223号

2010-09-23 08:55:40 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第223号

08/03/15

   いま、考えていることがあります。テニスのメモ帖も当初から考
 えもしなかった100回を越え、200回をも越えました。これも
 読者各位のお陰だと思っております。             
                               
  しかし、その内容は技術面・メンタル面でも底を付いてきたよう
 に思われます。このまま続けるよりは、一度この資料を整理して、
 ブログへ挑戦して見ようと思っています。           
                               
  勿論、整理にもかなりの時間を要しますから、すぐには無理です
 が今後の予定を明確にしておくのも、いままでお付き合い頂いた各
 位へ誠意ではないかと思っています。             

<あるテニス教室の練習について>
 つぶさに見たわけではないですが、錦織のコーチが話していたこ
 ととは、その内容にかなりの違いがあるように思われます。前にも
 一度書いたことがあります。                 
                               
  練習で一番大事なことは、最初に基本をいかに習得させるかにあ
 ります。繰り返しの練習の中で、基本の大切さを認識させることが
 大切なのです。                       
                               
  何よりそれが一番なのです。それは個人個人の違いを本人に納得
 させることなのです。好き勝手にボールを持て遊んでいてはいけな
 いのです。                         
                               
  一度くらい外から見ていて、何が分かるかと言われるかもしれま
 せん。しかし、子供たちの動きを見ていて、気付いたのはフットワ
 ークの拙劣さです。                     
                               
  テニスは皮肉な言い方で、テニスではなくアシニスだと言われて
 いました。先ずは、フットワークを身につけることがスイングより
 も大切なのです。                      
                               
  その意味は、スポーツ全般に問われることですが、動くことを考
 えれば当然と言えば当然なんです。極めて単調な面白みのない練習
 ですが、それを克服することが大事なのです。         
                               
  フットワークを軽視して、ラケットを振り回すだけでは全体のバ
 ランスが身に付きません。フットワークが引っ張って、ラケットス
 イングが付いてくるのです。                 
                               
  そのフットワークを完成させるには、膝の使い方が大事になりま
 す。これがショックアブソーバーになるのです。上半身と下半身を
 連動させる基本となるのです。                
                               
  このように、どのような内容の練習をするにしても、部分的なも
 のを求めては駄目なのです。全体の中で、その部分をどう生かすか
 を考えないといけないのです。                
      
<最近の女子プロの戦い>
  最近の女子プロのTV放映を見ていて、感心した選手にめぐり合
 えることが出来ました。スイスのシーニーダーで、調べましたら世
 界ランクが11位でした。                  
                               
  サースポーですが、一番気に入ったのは全体のバランスです。体
 格も日本人と変わらないものがあり、それこそ身近に参考になるの
 ではないかと思います。                   
                               
  まず、バックサイドへのサービスは、極端なスピンを掛けるため
 相手はコートから追い出されました。このようなサービスは過去に
 一人しか見てないです。                   
                               
  サービスにスピードはなかったのですが、その回転でそれこそオ
 ープンコートを作り出しているのです。これを見ても分かるように
 回転がどれほど効果があるかなのです。            
                               
  次に気づいたのは、ワンテンポの「間」を置くテクニックです。
 相手コートを見ながらの「間」は、逆を取ると言うものとは若干違 
 うものを感じました。                    
                               
  これは、かなりボールを引き付けないと不可能であることです。
 オープンコートをカバーしようとするのは、選手にとって本能的な
 動きなのです。                       
                               
  その中で、ボールを引き付けられて逆方向へのボールは、的確な
 方向性を持って打ち出されますから、相手選手は逆方向へ走るしか
 ないのが唸らせました。                   
                               
  日本の選手も、体力的に適わないのであれば、ボールの回転を考
 慮し方向を定める「戦略的」テクニックを身につけることで充分世
 界に望めると思われます。                  
<今月の言葉>
            世界最速の男 ジャマイカのパウエル 
                               
  100M競争は戦場です。ライバルとの戦いの場だからです。 
                               
  走るときは、握るのではなく両手を一杯に開きます。それで肩の
  力が抜けるからです。                   
                               
  自分との闘い。トンネルの中を一人で走っている心境が必要  
                               
                               
                               
                   かぶぎ役者 坂東玉三郎 
                               
  明日をちゃんとしないとお客様はこない。          
                               
  遠くを見ることはない、明日だけを見るようにしている。   
                               
  究極の美しさは、自然な何気ない美しさに惹かれる。     
                               
  その意味からすれば、花は意識した美ではない。       
                               
  プロとは、どのような状況でも、              
   ある種のレベルを維持している人を言う。         
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第222号

2010-09-22 08:07:22 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第222号

08/03/01

 <錦織の快挙>

 TVや新聞では大変な騒ぎです。また日本独特の「王子様」が誕
 生したわけです。皮肉な見方ではないですが、一人の先のある若者
 を潰す気ではないでしょうね。                
                               
  それにしても、どうしてこれほどの騒ぎになるのでしょう。これ
 で活躍しなくなったら、それこそ年齢に関係なく過去の人になるの
 です。プロだから自己責任で済ますのでしょか。        
                               
  テニス愛好者としては、彼の快挙を喜ぶと同時に、今後へ向けて
 一層の引き締めを行い、自分の実力を継続してアップさせて欲しい
 と願うのみです。                      
                               
  今回の優勝は誰でもが出来るものではないです。244位の彼が
 世界12位のジェームス・ブレイク(米)を3-6・6-1・6-
 4で破り優勝したのです。                  
                               
  試合後、彼が信じられないと言ったのは、そのまま本音でしょう。
 実力の差232をどう説明したらいいのか?それは実力差がランク
 とは関係ないことなんでしょうか?              
                               
  彼は、昨年(19年)9月17歳でプロ宣言をしています。今年
 18歳でツアー初優勝です。1セットダウンしてから開き直ったの
 か実力なのか?これからの課題でしょう。           
                               
  気になるのは、彼を取り巻くコーチや指導者の話があります。あ
 まりにも口を揃えてべた褒めです。いまこそ、しっかりとしたアド
 バイスが必要ではないかと思われます。            
                               
  いま一つは、次の試合でロディックと闘った後のコメントです。
 ロディックは、あらゆる手段を使って闘ったとコメントしています。
 下位と闘う気持ちがよく現れています。            
                               
  対して、彼は「思ったより強くはなかった」とコメントしている。
 「フロック」と言う言葉があります。当たり前ではない勝利の意味
 ですが、そう言われないためには次が大事なのです。      
                               
  ここで忘れてならないのは、彼は18歳だがプロだと言うことで
 す。フェデラーの、プロとしての心構えをどのように考えているの
 か?先輩に対する礼儀を失ってはいけません。         
                               
  自分の気持ちの中で、相手をどのように評価しようと一向に構わ
 ないです。しかし、相手を尊重することが、スポーツマンとして重
 要であることを忘れてはならないのです。           
                               
  勿論、試合が開始されたら徹底的に攻撃なければなりません。相
 手を二度と立ち上がれないほど打ちのめすべきです。相手の欠点を
 探り当て攻撃するのです。                  
                               
  それが出来てこそプロと言えるのです。コメントで試合の鬱憤を
 披瀝するようでは駄目です。勝てなかったら、何を言っても負け惜
 しみでしかないのです。                   
                               
  プロは勝って何ぼの世界です。それは充分に認識していると思い
 ますが、体力的な問題点を抱えているようで、世界各地を転戦する
 プロでは注意が必要でもあります。              
                               
  日本テニス協会では、優勝戦での彼のプレーを見せてくれるよう
 です。間違えてはいけませんので、協会のホームページをご覧くだ
 さい。3月の予定だそうです。楽しみです。          
                               
  これを書いているときに、デ杯の日本代表として彼を選んだこと
 を発表しています。彼もそれを胸躍るとして受け止めています。選
 手冥利に尽きることでしょう。                
 <民間TV放映 錦織のスタイル・・・松岡修造氏>     
  錦織が優勝した次の試合で、相手ロディックとの闘いに付いての
 コメントがあった。試合の結果は(2-6・4-6)でロディック
 の勝利となりました。                    
                               
  松岡氏は開口一番、あの試合ではロディックに勝っていました。
 実際には負けた試合なのに、どうしてこのようなコメントをしたの
 でしょうね。相手に対して失礼ではないですか?        
                               
  ベスト20位くらいでは、殆どの試合で互いが顔をあわせるでし
 ょう。嫌と言うほど相手を知っているはずです。そこには長所も短
 所もなんです。                       
                               
  解析し尽くした相手との試合と、初めての相手では戦い方がかな
 り違うのです。長所も欠点も分からないからです。しかし、一方は
 失う物はないのです。                    
                               
  彼の優勝を、祝する気持ちはあって当然でしょう。時折名前を知
 る程度の彼のこの事実は限りなく嬉しいものです。だからと言って
 甘やかしてはいけないのです。                
                               
  負けた理由として、ロディックが潰しに掛かった。メンタル面で
 負けたと言ってました。ロディックも綺麗な勝負ではなかったと語
 っています。勝負はそのようなものではないでしょうか。    
                               
  誰でも、綺麗な文句のつけようがない勝ちを理想としているでし
 ょう。あくまでも理想です。しかし、勝負の世界はそんなに綺麗な
 ものじゃないです。甘えちゃいけないです。          
                               
  前にも、杉山に対して解説時に「愛ちゃん」を連呼した松岡氏で
 すが、今回も同じように「圭、圭」と連呼してました。いずれもプ
 ロとして独立していることを忘れているんでしょうか?     
                               
  もし、親しみを込めて使ったのであれば公式の場ではありえない
 ことです。教えた選手であると思うなら、指導者として教え子を子
 ども扱いにする驕りと言えます。               
<今月の言葉>
  丁度そのようなとき、NHKで羽生棋士の放映を拝見しました。
 プロのプロたる彼の言葉は重いと感じました。         
                               
  <才能とは、努力を継続する力               
                               
  <手を読むのではなく、流れを読む             
                               
  <負けても、そこに得られるものがある           
                               
  <勝負はやってみないと分からない             
                               
  <勝負師としての心掛けは、進化してゆくこと        
                               
  <プロとは、何事にも揺らぎない人             
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第221号

2010-09-21 07:52:57 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第221号

08/02/15

 <ダブルスの面白さ>

 何故か、テニスでダブルスはマイナーな感じ、その主体はシング
 ルスでこれこそメジャーと言う感じです。これは競技の内容からど
 うしてなのかとの疑問はありました。             
                               
  ダブルスが主体で発展してきたソフトテニスと違い、テニスの場
 合はシングルスかなと思います。確かにTV放映でもダブルスは殆
 どないというのが実情です。                 
                               
  最近になって、ネットワークの事情が変わりチャネル数の増加で、
 ダブルス世界ランカーのプレーを、間近で見ることが出来るのは望
 外の喜びです。                       
                               
  こうなると、欲が出るのでしょか?かっての名選手ローズウォー
 ルやマッケンロー、女性ではコナリーやエバートのプレーが見たい
 です。素晴らしかっただろうと夢見る思いです。        
                               
  しかし、ダブルスは個人技を全面的には受け入れません。シング
 ルスと異なる部分です。このために個人技を封印する点でダブルス
 が軽視されたのかと思います。                
                               
  それだけに感じるのは、プロのダブルスに於ける個人技の発揮で
 はないかと思われます。チームワークを整え勝利へ向かう体制作り
 はさすがプロと言う思いです。                
                               
  最近のダブルスで強く感じるのは、ラケットの捌きではないかと
 思われます。重いラケットのときにラケット面を上手く使う方法は
 軽くなった今でもあるようです。               
                               
  重いときと軽くなった今との大きな違いは、瞬間的な動きに対す
 るラケットの捌きと思われます。反応する角度にかなりの違いがあ
 ると思われます。                      
                               
  だから、ゲーム運びが速くなり動きがスムースになり、見ている
 人にスピード感を与えるのではないでしょうか?このスピード感が
 見ている人を酔わせるのでしょう。              
                               
  ラケット面の活用と、手首の操作によるボールのコントロールは、
 誰にでも出来るものではないですが、とりわけ華やかさを感じさせ
 る瞬間の動きは見事です。                  
 <後輩の練習について>     
 継続した練習がどれほど大事かは、選手ではなく監督なりコーチ
 が選手に分からせるべきです。何故なら、理論では納得しても、選
 手は自分主体に考えるからです。               
                               
  最近のスポーツ関係の書籍を見ても、長期の休みが体力を挽回す
 る難しさは中々納得させるのは難しいものです。自分は別だと考え
 るからでしょうか                      
                               
  例として、朝青龍の状態が考えられます。今までとどこが違うか
 と言えば、はっきり証明するものはありませんが、何とか勝ち進ん
 だ大半は実績の存在でしょう。                
                               
  相手は強いと言う感覚は、土俵上に立てば強く自分に降りかかり
 ます。このプレッシャーはかなり強いものです。自分の実力を閉じ
 込めるほどの強さが在ります。                
                               
  その相乗効果としての朝青龍の自信でしょう。場所前は砕けかけ
 ていたその自信を何とか立ち直して、見下していた相手への自信復
 帰が最大の拠り所だったでしょう。              
                               
  これほどの選手でも、精神面の充実感がいかに勝敗への負担が高
 いか分かります。休場することによる体力の衰退、試合に参加して
 ない勝負感の挽回など大変な負担です。            
                               
  勝負について、これほど精神面が影響することを身近に感じるの
 は選手以外にはないのです。いくら周囲が唱えても本人の自覚が一
 番大切なのです。                      
<今月の言葉>
 自己評価は誰よりも何よりも一番厳しいものでなくてはならない。
                               
  自分に厳しいものだけが自分流を貫けるのです。       
                               
  プレッシャーを受け入れて前に進む。            
                               
  一つのことに満足したら、次の満足を追求する。       
                               
                       -イチロー選手-
                               
  いつも努力が足りないと考えている。            
                               
  昨日より今日、今日よりも明日進化する。          
                               
  自分が納得しないとお客様には出さない。          
                               
                 -フレンチシェフ 岸田周三-
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第220号

2010-09-20 08:03:12 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第220号

08/02/01

 <全豪オープン>

 新年を迎えての全豪オープンが終了しました。波乱含みで観戦す
 る側から見ると面白かった試合だったと思います。しかし、フェデ
 ラーの敗戦は驚きました。                  
                               
  やはり、日本選手の進出は無理なんでしょうか?男子は皆目先が
 見えません。僅かに望みのある女子ですが、高齢の杉山への期待に
 胸躍らせる時代は過ぎたと思われます。            
                               
  それにしても、杉山と言う名前に負けるのか実力の差があるのか
 理由の如何を問わず、中々新鋭選手の台頭がありません。これは世
 界的に見ても同じかも知れません。              
                               
  シャラポアの優勝も、結果としてなるべくしてなったと考えるか
 どうかでしょう。決勝で、相手になったイワノビッチの立場では、
 簡単に済ませるわけにはゆかないでしょう。          
                               
  男子のジョコビッチは20歳、フェデラーを破りその勢いで勝ち
 進んだと思われますが、その道は優しくない。優勝した後のコメン
 トは思って出来ないものでもあるのです。           
                               
  彼が語った「自分のテニスをした。その結果の優勝だ」は、勝利
 の際誰でもが口にするもの。しかし、それを実行することは至難で
 す。決して簡単なことではないのです。            
                               
  勝敗について、自分のテニスを続けるのが、如何に集中すること
 であるかを知らしめてくれるのです。ミスが続くと、実力の限界を
 知ることになるのです。                   
                               
  試合中に、揺れ動く自分の考えとのギャップに、動じることなく
 冷静に見つめることが勝利には不可欠ですが、それを如何に続ける
 かが求められるのです。                   
                               
  しかし、相手になったツオンガは、ノーシードから立ち上がった
 俊英。負けて失うものはない、ことをバックボーンにした相手はよ
 り一層手強かったと思います。                
                               
  このような試合を見ると、チャン選手を思い出します。何が全て
 の中で飛び抜けているのか判断できない技術面、同じような体格に
 潜む力量をどうして継承できないのか             
                               
  勿論、体格ではなく底に潜む精神面の強固なベースは、簡単に習
 得できるとは思えませんが、諦めるものでもない。総合力を如何に
 効率よく発揮できるかではないでしょうか。          
<後輩の冬季トレーニング>          
 練習を続けている選手が、練習を休んだ場合どのような影響があ
 るか?休暇中の衰えを、後輩連中がどの程度本気で考えているのか、
 思えば愕然とするものがあります。              
                               
  最近の出来事で、大相撲の朝青龍があります。あのまま横綱とし
 て場所を続けていたら、如何に上り調子だと言っても、白鵬は勝て
 なかったでしょう。                     
                               
  それは、技術や精神面だけではなく、総合的なプレッシャーとな
 って、朝青龍に押し寄せたと考えるべきです。ここからくる白鵬の
 語る「負けられない」があるのです。             
                               
  練習で、現在の位置を確保していればこそなのに、その練習をし
 なければそこからの転落は当たり前なのです。現在の位置から、落
 ちたくないから練習するのです。               
                               
  単純な考え方から、それが練習をせざるを得ない環境にするから
 選手は頑張るのです。これが基本にあるのです。スポーツマンの真
 骨頂と言えるのかも知れません。               
                               
  最近の選手の中では、気持ちの中でそこまでの盛り上がりが見ら
 れません。楽しみたいから・トレンドだから・など何となく亜流で
 やっているようにしか思えません。              
                               
  練習は、試合での技術的な不足を補う目的があります。不足とは
 長所を伸ばし短所を是正することです。それだけに真剣に取り組ま
 なければならないのです。                  
                               
  例えば、サービスの場合でも、入っているから良いのではないの
 です。コントロールとスピードを如何にして向上させるかが本来の
 練習する目的なのです。                   
                               
  そのような練習をベースにすると、疎かな内容の練習は出来ない
 のです。たかが練習されど練習なのです。練習こそ試合以上に心を
 込めて向かうべきなのです。                 
                               
  練習に心を込めるのは、オフである冬季にこそ出来るのです。試
 合が始まると規則正しい纏まった練習は難しいのです。オフをどの
 ように過ごすかでその選手の一年は決まるのです。       
<今月の言葉>
 今日から明日へ  妥協なき日々              
                               
  遠くを見ない、明日だけを見る               
                               
  達成できないと残念だから、明日のことだけを考えよう    
                               
  明日をちゃんとしないとお客様は来ない           
                               
  向上したいと思って生きている               
                               
  目標を明確にすると、達成すれば次が見えてくる       
                               
                ー歌舞伎役者  坂東玉三郎ー 
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第219号

2010-09-19 07:42:54 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第219号

08/01/15

 <ダブルスについて>

 最近、TV放映でダブルスの試合がよく見られます。ダブルスは
 性格上華やかで、見ていてその素晴らしさに感嘆することがよくあ
 ります。                          
                               
  シングルスと比較しても、その技術は多彩で一打一打に目を奪わ
 れ、試合の中に溶け込んで行く心境になることが多くあります。将
 に技術の宝庫でしょうか?                  
                               
  後輩に比較的に使う言葉に、シングルスの1・2位のぺアよりが
 3・4位のペアに勝てる保証はない。そこにダブルスの真髄として
 のコンビネーションがある。                 
                               
  これらの言葉も、最近になっていよいよ現実味を帯びています。
 世界のダブルスランカーを見ていても、それは如実に感じられます。
 杉山がダブルスに吹っ切れない証拠でしょう。         
                               
  コンビネーションに例えるもので、自動車のワイパーの動きがあ
 ります。あれほど定型化した規則性はありませんが、ペアが交差し
 ない動きは何より効率的なのです。              
                               
  それだけに、習得するには突っ込んだ考え方をする必要はあると
 思われます。人の動きが、一つのボールを追いかけることで発生す
 るなら、追いかける効率を考えなければいけません。      
                               
  相手コートに返球するのが第一ステップであるなら、法則性は有
 効かも知れません。しかし、相手があるだけに、そこからの返球を
 どうあるべきか考えなければいけないのです。         
                               
  ボールを打ち続け、その中で相手のミスを誘う有効打は簡単では
 ありません。互いに競う合う中で、如何にして相手のミスを誘発さ
 せるかがポイントになります。                
                               
  試合から受ける印象は、当然ながらコンビネーションの素晴らし
 さ、動作の機敏性、ラケットの的確な面角度、振り切るのではなく
 面の角度の使い方等があります。               
                               
  独特のサインにより、オープンエリアを決して作らないポジショ
 ニング、これらはペアのコンビネーション哲学と言えるのではない
 でしょうか?                        
 <グラウンドゴルフについて>     
  突然にごめんなさい。毎年のように新しいスポーツが発表されて
 いますが、グラウンドゴルフ(GG)も高齢者のスポーツとして、
 最近になって市民権を得るようになったのです。        
                               
  町内会で誘われ、スポーツ大好きとして参加しています。いまま
 でクラブ活動をしていた立場から、GGの思いつきルール等が目に
 付くようになりました。                   
                               
  折角、いままでスポーツに馴染めなかった方達が、いまや自分達
 のスポーツとして楽しんでいるのを拝見すると、ベースをしっかり
 したものと言う要望は強くなります。             
                               
  GGと比較されるのがゲートボールです。いままで、高齢者のス
 ポーツはゲートボールだったのは間違いないです。比較すれば、こ
 れほど両極端のスポーツは珍しいです。            
                               
  その内容を、ここで説明するのが本来の趣旨ではないです。遊戯
 ではなく、スポーツとして認められるには、どうあるべきなのか?
 運営側の一途な気持ちが大切だと言いたいのです。       
                               
  このままでは、スポーツではなく単なる身体運動でしか評価され
 なくなります。高齢者のスポーツ、との大義名分に振り回されては
 いけないのです。                      
                               
  ゲートボールは団体競技で、GGは個人競技です。個人競技にし
 ただけに、その骨子は個人の尊重にあります。これは個人が自由に
 判断していいことではないのです。              
                               
  GGのルールは、公認ルールとして16条しかありません。追記
 は全くありません。すべて、ローカル・ルールとして判定されてい
 ます。そこに運営(協会)側の怠慢を感じるのです。      
                               
  いまさら言うまでもありませんが、スポーツの基本はルールにあ
 ります。GGのように、個人競技であればあるほどルールの重要性
 は貴重なのです。                      
                               
  基本として作成されたルールは、人が机上で作成したものです。
 それは、実際面でケースによる追加や修正が必要なのです。それが
 GGをバックアップするのです。               
                               
  GGについて、今は何らかの関係があり、これからも時々口を挟
 むかもしれません。真剣にプレーしている高齢者を拝見すると気に
 なってなりません。                     
<今月の言葉>
  プロフェショナルとは、自分の仕事の中でもっと上を目指す。 
                               
  修行は一生終わらない。                  
                               
  自分の好きなことだから突っ込んで考える。         
                               
  仕事に自分を合わせる。                  
                               
  世界中に評価されても、次を考える。            
                               
               -三ツ星・寿司職人 小野二郎- 
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第218号

2010-09-18 07:47:22 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第218号

平成20年1月1日

<エナン・アーデンについて>
  最初に見たとき、身体つきから日本人と変わらぬところから活躍
 を応援してきました。いまや押しも押されぬ女王ですが、その実力
 には言うべきものはないです。                
                               
  日本選手にとっては、あらゆる面で参考に出来るのではないかと
 思います。かってのコナリー選手を感じさせ、もっと突っ込んだ研
 究をすべきではないでしょうか?               
                               
  エナンで一番驚くのは、誰もが同じように身につけることが可能
 であるメンタル面です。ピンチになればなるほど冷静に現状を見つ
 める態度は素晴らしいです。                 
                               
  それは、いったんコートに入ったときから、ゲーム終了まで途切
 れることのない集中力ではないでしょうか?ボール以外へ気持ちを
 揺らせないのは立派としか言えません。            
                               
  集中力は、誰でも習得できる心的な技術だと思います。しかも自
 分自身がその気になって出来ることなのです。スポーツ選手として
 不可欠なものなのです。                   
                               
  次いで驚くのはその身体能力です。これは選手自体に備わった能
 力で練習での練磨も可能ですが、ある程度は残念ながら生まれ持っ
 た物だと思われます。                    
                               
  だからと言って諦めてはならないのです。鍛錬で近づくことが不
 可能ではないのです。少しでも近づけるならそのために努力するの
 は選手として当然なことです。                
                               
  試合でプレッシャを感じない選手はないと思います。その中で実
 力を発揮できるのは集中力の持続でしかないのです。その集中力は
 習得が可能なのです。                    
                               
  更にエナンを支えているのは、強靭な自信ではないでしょうか?
 これこそ練習で支えられるものなのです。たかが練習されど練習で
 あることは間違いない事実です。               
                               
  例として、在学中の経験として、しっかりとした練習で得たもの
 は、ダブルフォルトを全く考えないことです。自分の中ではあり得
 ないとの自信があるからです。                
                               
  これによる結果は、身体の動きをよりスムースにしサービス力が
 アップし、ひいてはスイングがスムースに行われインの確率が高ま
 ることになるのです。                    
                               
  人間の身体は不思議なものです。自信を持つことで身体がリラッ
 クス出来るのです。そのリラックスした身体が発揮するのは時には
 実力以上のショットなのです。                
                               
  これは考えて出来るものではないのです。鍛えられた技術に後押
 しされて「この一球」に集中するからこそ生じるものなのです。ま
 ぐれ当たりではないのです。                 
                               
  これらは、エナンだけではなく他の選手からも受ける場合があり
 ます。それほど物事に集中すれば実力以上のものが発揮されるので
 す。決して計算されたものではないのです。  

<選手の技術探求について>
  先日、米大リーグの名投手ノーマン・ライアンの技術探求の経緯
 が発表されました。その内容の巧拙は別にして、その探究心はスポ
 ーツマンの心構えを示していると思われます。         
                               
  彼がバックボーンとしたのは、「いままで調整不足で負けたこと
 は一度もない、充分な練習をしていれば結果を出せないことではな
 い」だったのです。                     
                               
  それは自信に満ちた言葉であり、スポーツを目指す人が座右の銘
 として心すべきではないかと思われます。ライアンは46歳でノー
 ヒットノーランを達成したのです。              
                               
  彼が投手として心がけたのは、打者に対する気持ちとして、絶え
 ず「内角を攻め、自信を持って投げる」で引退するまでその気持ち
 を切らすことが無かったとあります。             
                               
  解説にあったその内容は、実に多岐にわたっています。単なる教
 本ではありません。名選手が後輩のために経験をくまなく披瀝する
 のは役立つことです。                    
                               
  しかし、単なる技術教本ではなく、あらゆる角度から後輩が育つ
 ための示唆がなければならないのです。それでこそ、それを遵守し
 た後輩が立派な選手になるのです。              
                               
  経験は、その選手がプレーした集大成です。かけがえの無いもの
 です。それを試合に充分生かすことが必要なのです。それが発揮さ
 れて初めて試合に勝てるのです。               
                               
  このように試合に勝つ方策を後輩へ伝えることが、先輩の務めで
 もあるのです。いままで自分が得た技術を、後輩へ伝えることは自
 分を自慢していることとは違うのです。            
                               
  そのような意味では、ライアンのメジャーで培った投球術は、続
 く後輩達にとって極めて貴重なものです。後はそれをどのように自
 分の身につけるかなのです。               
<今月の言葉>
   プロフェッショナルとは、精神的にタフであること     
                               
               ー あるヘアデザイナーの言葉 ー
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第217号

2010-09-17 08:11:58 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第217号

07/12/15

 <マスターズを観戦して>

  一時、力の衰えを感じさせていたフェデラーが、結局は優勝しま
 した。その力はさすがと思わせるもので、技術の練磨を志す人には
 欠かせないものでしょう。                  
                               
  詳細な説明には紙面が不足しますが、何より素晴らしいのは、そ
 の動きの俊敏さでしょうか?予測の素晴らしさが、それを助長させ
 ているのかも知れません。                  
                               
  サーフェイスの関係か、サービスエースが激減しています。それ
 だけに、ストロークの大切さが再認識させられています。そこにこ
 そフェデラーの強さが引き立つのです。            
                               
  ゲームを見ていて気づくのは、ボール回転の多様性といいますか?
 ともかく変化が大きく多彩です。同じ回転のボールが二球と続かな
 い点が印象的でした。                    
                               
  しかも、ネットに接近する相手には、巧みな裁きでロビングを上
 げ、その時すでにネットには、フェデラーがいると言う素早さで見
 事な動きです。                       
                               
  ストロークで気づくのは、ともかくボールが深いです。このため
 簡単にネットへ付くのは容易ではないです。相手がネットに付くの
 を警戒した行動はこれらと連携しています。          
                               
  また、ショートクロスへの打球が、的確に打たれています。基本
 的にはクロスへ長いラリーとなっていますが、短くなるとショート
 クロスになり、ネットへ付いています。            
                               
  相手を崩す方法では、圧倒するストロークではなく、タイミング
 を図ったドロップショットで相手を誘い出し、その間隙を縫って自
 分を優位にしているようです。                
                               
  特に目立つのは、ネットへ付いた相手に対しての、ショートクロ
 スではないでしょうか?しかし、決め球としては、狭いダウンザラ
 インを狙ってるようです。                  
                               
  いずれにしても、技術ではトップクラスのプロ選手の動きは、参
 考になるのは当然ですが、ややもすると感心するしかない素晴らし
 さが、目立つだけとなりかねません。             
<後輩の練習に対して>      
  どのスポーツも同じだと思いますが、シーズンオフ練習の大切さ
 は、選手生活の中でどれほどのウエイトを占めているか、計り知れ
 ないものがあると思います。                 
                               
  その考え方に対して、後輩から2月の中旬まで練習を休みますと
 の連絡が入ったのです。意外と言うより、唖然との気持ちが心に響
 きました。                         
                               
  勿論、練習が過度になってはいけません。適当な間隔で定期的に
 行うことで、今までに培った練習の成果を、更に持続できることは
 自明の理なのです。                     
                               
  気をつけるのは、選手の休憩による体調の回復をパターン化した
 ものがあります。それによると、1週間休めば元へ復するに半月掛
 かるという事実です。                    
                               
  この見地から見れば、殆ど2ヶ月近い休憩は、その回復にどれほ
 どの時間を必要とするか分かるはずです。極論すれば、いままでの
 苦労が水の泡となるのです。                 
                               
  練習は、試合よりも更に気力を充実させないと、その効果はない
 と言われています。それほど練習は、選手にとって避けられない練
 磨の場所なんです。                     
                               
  試合が、殆ど無くなった選手にとって、自分をレベルアップして
 くれる場は練習しかないのです。これらは自分のこととしてやらな
 ければ効果はないのです。                  
                               
  他の選手がしないのであれば、自分こそ必死になって練習し、他
 の選手を見返してやりたい、という気持ちを持たなければ競争に勝
 つことは不可能です。                    
<今月の言葉>
 リラックスしていないと、実力を発揮することは出来ない。  
                               
  習熟するな。考えながら処理することが必要だ。       
                               
  自分の技術を披瀝するため、担当することで充分と思っている。
  名前が出なくとも寂しいとは思わない。           
                               
  「一人前」への関門 → 技術の具現化だと思う。      
                               
  プロとは、慣れた仕事でも新鮮な気持ちで向き合えること。  
                               
              文化財修復  -鈴木  裕-   
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第216号

2010-09-16 07:42:51 | 日記

◇◆テニスのメモ帖◇◆

第216号

07/11/30

 <全日本オープンの感想>

 鈴木とクオンのシングルス優勝戦を見ました。内容的には、鈴木
 の一方的な試合になってしまい、その影響か迫力を感じさせない試
 合になりました。                      
                               
  試合と言うものはシード選手の区分で、最終的には実力が拮抗す
 る選手の台頭があり、それだけに試合内容も迫力があり、観戦する
 側の興奮も増すものです。                  
                               
  しかし、今回はそのような興奮も無く、結果としては?マークが
 付く平凡なものになってしまいました。勿論、それで優勝した鈴木
 の戦績が損なわれるものではありません。           
                               
  ただ、このような相手であったためにコントロールしたのか?勝
 ちに拘ったような試合になったようです。自分の形より勝負に拘っ
 たのでしょうか?                      
                               
  そのような感じが随所に見られました。確かに如何に良いプレー
 をしても、結果として敗戦したのでは意味がなくなります。形より
 は勝敗を取ったのでしょう。                 
                               
  鈴木のボール処理のスタイルが本来どのようなものか?イメージ
 としては、強力なサービスからネットダッシュし、ネットプレーで
 相手を仕留めるものだったはずです。             
                               
  試合で気になったのは、打球するよりタイミングを合わすだけの、
 ただボールをピックアップする感覚で、処理していたように思われ
 ました。                          
                               
  余裕がある試合態度だから通じるのでしょうが、世界的な試合に
 なると、このような余裕はないでしょうから、タイミング主体の打
 法では通用しないと思われます。               
                               
  試合は、6-2・6-2で10年ぶり3回目の優勝となりました。
 その経過は、双方の実力から見て不思議な感じですが、鈴木の試合
 運びに一日の長があったのでしょう。             
                               
  その実力は、世界ランクから考えれば全日本での優勝は、当然と
 言えば当然であり不思議はないのですが、それだけに小手先の技術
 を見せて欲しくなかった。                  
                               
  相手は、スライスを特徴とするオールラウンドプレーヤーと聞い
 ていました。しかも、今回二度目の出場で、いずれも決勝まで進出
 している力は大変なものです。                
                               
  その得意とするところは、スライスで角度をつけたストロークで、
 相手を走らせオープンコートを作り決めてゆく。その巧妙な試合運
 びに翻弄されたようです。                  
                               
  その選手に勝つために、サーブ&ボレーを徹底した試合運びは、
 つけ入る隙を見せなかった鈴木の実力として評価出来るものだと思
 われます。                         
                               
  そのような中で、鈴木が見せたポイントが決まるたびのガッツポ
 ーズは、相手に対して威嚇的な感じがあり、上位ランクの選手の所
 作ではないと思いました。                  
                               
  世界でも、ナダルのように自分を鼓舞するだけではなく、相手へ
 勝利宣言を込める場合もあるし、フェデラーのように自分に対する
 集中を高める場合もあるようです。              
                               
  それぞれ国民性があるのでしょうが、ガッツポーズは本来自分に
 対するものであり、相手に対するものではないことを知らなければ
 ならないと思います。                    
                               
  それこそ、スポーツマンシップの欠如ではないでしょうか?先ず
 は相手を思いやり、対等に闘える立場を喜ぶべきではないでしょう
 か?これこそ、スポーツの真髄だと思われます。        
 <後輩の練習に対して>     
 いつも感じることですが、先輩の良いところを何故真似しないの
 だろうかと思います。あまりにも情報が多すぎてどれが良いのか分
 からなくなっているのでしょうか?              
                               
  一番良いお手本が手近にあるのに、それを吸収しようとしないの
 はもったいないと思います。先輩のというより、後輩であっても、
 自分よりレベルが高い場合は吸収すべきです。         
                               
  それもこれも、結局は吸収することで自分のものになるのですか
 ら、それをしない理由はないのです。いずれにしても自分を高める
 ものであることを自覚すべきです。              
                               
  私も、練習や試合では自分のものにしようと思う先輩の後ろに周
 り、先輩と同じようにスイングをしていました。バックのスライス
 はそれで自分のものにしました。               
                               
  ただ毎日、闇雲にボールを打つことだけが練習ではないと思われ
 ます。少しでも効率よく練習してレベルを上げることが、今の後輩
 には必要ではないかと思われます。              
                               
  いろいろなものの吸収に、貪欲でなければいけないと思われます。
 今は、先輩に食い付いて教えを乞うという、必死さが無いように思
 われます。それでは自分のものにはならないのです。      
                               
  どのようなものでも、楽をしてすべてを吸収することは不可能で
 す。今月の言葉にプロの心構えがありますが、それはプロだけでは
 ないのです。                        
                               
  コーチの立場として、全ての選手に対して同じようなレベルで指
 導することは不可能です。それだけに、自分自身が懸命にならなく
 てはいけないのです。                    
<今月の言葉>
  打球時点でのインパクトの感触は、通常60~70%程度のもの
  100%はあり得ない。                  
                               
  この一球は二度とない。                  
                               
  プロは結果のみであり、言い訳はしてはならない。      
   (プロ魂。プロ根性)                  
                               
  いつも根底にあるのは、いま自分は何をすべきか?      
                               
                        -王 貞治- 
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