いまでこそ時たま素晴らしいひと扱いされますが、
アタシャそんな善人ではございません。
人様の心を傷つけたこともあったはず。
それなりに悪い事もしてきました。
(それなりって)
「自分が悪い事をしたと思うならば、それ以上の善行を、見返りを期待せずに実践すれば良い」
そう仰る方がいて、
宇宙からみた私たちの罪というは、
「潔ぎ良ければ罪は無し」
そんなあっけないものだそうです。
自分が行ったどんなことも、
他者から届く如何なる事も、
受容することは大切です。
なにゆえ大切なのか、
それは私たちが成長するために必要だから。
じゃ なんで成長しなきゃならないの!?
自分がそれを望んで「この世」に生まれてきたから。
(ここには壮大なロマン?がある)
したがって、逃げも隠れもできないのですが、
そこに気づかぬままだと 「どうやって免れようかと足掻くので苦しむことになる」
どうもそんな図式のようです。
この2~3日、「罪」に関する文字をずいぶんと目にするので、
若かりし日の自分の行いをあらためて反省し、否定も肯定もせず、
償いがあるのなら一切を受け入れると胸の中で宣言。
そして私が人様にしてさしあげることがあるのなら精一杯それをしようと
ふたたび想いを強く持つ事ができた。
それに気づかせるためだったのか?
そんなんはどうでもいっか
なんか、よかった
あとはそよぐ風まかせ