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英語の美貌録。

さとうひろしの受験英語ブログです。文字通りの備忘録で、よくいえば独自研究、悪し様に言えば妄想の類いです。

法王構文  

2017-02-16 16:28:39 | 比較
法王構文とは、形式的には<If A is B, (then) C is D>というものであって、意味上は「もしAがBであるならば、CはDであるが、然るに常識的にみてCがDであるべくもないので、結局AがBであることもない」というものである。ここで仮に「法王構文」と書いているのは、「ジーニアス」に掲載されている例文が法王(the Pope)に関連するからである。その例文を紹介すれば、

1)If he's Irish, I'm the Pope.

となる〔法王文〕。これを三段論法風味で味わえば、

・もし彼がアイルランド人ならば、我れは法王なるぞ。
→然るに、我れは法王であるべくもない。
→故に、彼とてアイルランド人であるはずもない。

ちなみに、「ジーニアス」で訳文を紹介すれば、次の通りである。

1)もし彼がアイルランド人というのなら、私は法王だということになってしまう(というくらい彼は絶対にアイルランド人ではありえない)

この法王構文を用いた例文を他にも紹介すると、

2)If Mary is beautiful, then I'm Albert Einstein!

・もしメアリーが美人ならば、あたいはマリリン・モンローよ。
→然るに、あたいはモンローなんかじゃ、ないわ。
→故に、メアリーだって美人なんかじゃないわ。

3)If he's intelligent, then I'm Albert Einstein!

・もし彼が頭がいいなら、僕はアインシュタインさ。
→然るに、生憎僕はアインシュタインなんかじゃないさ。
→故に、彼とて頭がいいわけもないんだ。


(以上の例文2)と3)は安藤貞雄『現代英文法講義』(開拓社)より)以上の例文はすべて主節の主語にIが用いられているが、これは多分たまたまだろう。「ジーニアス」にはこんな例文もある。

4)If she doesn't get first prize, she's no daughter of mine.

三段論法語に翻訳?すれば、

・もし彼女が一等賞を取らなければ、私の娘ではない。
→然るに、彼女は私の娘である。
→故に、彼女は一等賞を取るに違いない。

とでもなるだろうか。「ジーニアス」の訳は次の通り。

彼女が一等賞を取らないというのなら、私の娘ではないということになってしまう(彼女は必ず一等にならないといけない)(=She must get first prize.)


not+比較級とno+比較級  

2017-02-16 16:26:51 | 比較
not+比較級では、notは文全体を否定する。対して、no+比較級では、noは優劣並びに形容詞を否定する。優劣が否定されると同等の意味を帯び、またnoが形容詞を否定すると強意的になって、形容詞はその逆の意味を持つことになる。

も少し詳しく説明しよう。まずは、no+比較級が優劣を否定して同等比較と同意になる現象を確認していこう。

次の例文を見てみよう。

Tom is much taller than Jim.
Tom is a little taller than Jim.
Tom is no taller than Jim.

いずれも<程度副詞+比較級>となっており、much tallerならば差の程度は「大」であり、a little tallerでは差は「小」となり、最後にno tallerならば両者の差は「ゼロ」となる。両者の差が否定されるのだから、no 比較級 than は as 原級 as と等しくなる。

次に、noにより形容詞が否定されると、強意的になって、逆の意味を帯びる点を確かめてみよう。

「ジーニアス」でnoの形容詞用法を調べると、以下の記述に出くわす。

[be動詞の補語(名詞)または形容詞+名詞に付けて;しばしばおおげさに]決して…でない、…どころではない

用例としては、

He is no fool.
彼はばかどころではない。
(=He is not fool at all./He is far from a fool./He is anything but a fool.)
《「なかなかえらいやつだ」という含みがある。;He isn't a fool.は単に「彼はばかではない」》

つまり、単に否定するだけのHe isn't a fool.では、彼は普通かも知れないし、たいしたヤツかもしれないが、He is no fool.とした場合には、彼は普通ではなくって、たいしたヤツだという含みがあるのであり、彼に対する評価がfoolから逆転しているのがわかる。

no 比較級 than もこれに準ずると考えられる。すなわち、noが比較級で用いられている形容詞を強く否定して、その正反対の意味を帯びるのだ、と。

実際、同じく「ジーニアス」でnoの副詞用法を確認すると、

[比較級・叙述形容詞(different, goodなど)の前で]少しも…ない

とあり、例文として

I am no good at tennis.
私はテニスは全然だめだ。

とある。単にgoodを否定するだけならば、上手でないにしても人並みでもいいし、下手くそな可能性もあるのだが、強意的なnoで否定すると、人並みである可能性はなくなり、むしろgoodの正反対のbadの意味を匂わすことになる。

さらに「オックスフォード」でnoの項目を開けば、

used to express the opposite of what is mentioned

とあって、

She's no fool(=she's intelligent).
It was no easy matter(=it was difficult).

とある。ここいらの話にはなかなか厄介な難所もあり、それは後にさ迷い歩くことになるのだが、現段階では、こう結論しておこう。すなわち、

no 比較級 thanでは、

①noは優劣を否定して同等比較as 原級 asの意味になっており、
②また、noは比較級として使われている形容詞を強く否定して、その逆の意味を帯びることになる。




…おっと、忘れていた。not+比較級である。簡潔に言って、not+比較級は文全体を否定する。つまり、

Jim is taller than Jack is.

という文があれば、JimとJackの関係は、いわば[Jim>Jack]となるが、この文全体をnotで否定すれば、

Jim is not taller than Jack is.

となって、[Jim≦Jack]となる([Jim<Jack]ではない)。心理的にはいざ知らず、論理的に言えば、not+比較級は≦(あるいは文脈によっては、≧)を意味するのであって、イコール(=)の意味も含む。


to 不定詞

2014-09-02 07:06:50 | 比較
以下、思いつき。



to 不定詞は、時間がかかる[かかった]場合を表し、事物の断絶性を意味し、その方向性は中立的である。

He went out of the room to sing.
He went out of the room singing.

前者は、「歌うために部屋から出た」のであって、歌う行為と部屋から出る行為とは連続せずに断絶しており、時間差がある。後者は、「歌いながら部屋から出る」のであり、歌う行為と部屋から出る行為とは連続的(一体的)であって断絶してはいない。


It is nice to be young.
It is nice being young.

前者は、「若かったら素敵なのにね」となって、若くない人が現実からは断絶された(現実には存在しない)仮想世界に言及しているねに対し、後者は、「若いというのは素敵だね」となって、現に若い人が現実に存在する世界について述べるものである。


to 不定詞には、方向・対立・到達の意味があり、そこから「ある方向に向かい、現状と対立する何らかの事象と向き合い、これを乗り越えて目標に到達する」というイメージが派生するのであるが、だから「時間がかかる」ことにもなる。


to 不定詞は時間の向きに対しては中立的である。原因と結果に即していえば、物事はふつうは原因から結果に向かうのであるが、不定詞においては、必ずしもその順序で原因と結果が述べられず、しばしば結果の次に原因が述べられる。

He grew up to be a poet.
He was sad to hear the news.

前者は、<原因→結果>であるのに対して、後者は、<結果→原因>である。

クジラ構文

2014-08-19 07:03:15 | 比較
・<A is no 比較級 than B>は、「AはBと同程度に~ない」という意味の比較であり、BはAの比較対象である。以下のような文である。

Tom is no taller than Jim.
トムはジムと同程度に背は高くはない
=Tom is as short as Jim.

・<A is no more ~ than B>という、いわゆるクジラ構文は、「AはBと同様~ない」という、比較の形式を採用した否定構文であり、修辞的かつ強意的である。「AはBと同様に~ない」と訳されるが、場合によっては「Aは全く~ない」とも訳され得る。話し手の主題は主節にあって、than節は一種の比喩である。

I can no more swim than a stone can.
私は石と同様に泳げない。また、私は全く泳げない。

ここでは、more が形容詞や副詞でなく動詞を修飾している、人間と石を比較している、など通常の比較とは考えにくいことがなされていることからも、ふつうの比較構文とは言えない。話し手が言いたいのは、自分が泳げないということであって、意味的には石の話は情報的には意味のない補足に過ぎない。