『私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。』
ローマ8:24-25
信仰とはまだ目の前に実現していないことを、すでに成ったものとして、信じ待ち望むことです。
未来のことを完了形として見るのです。
ヘブル人への手紙にこうあります。
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
私はこの言葉を読んだとき、初めて信仰というものが少しわかった気がしました。
「天啓」というのはこういうものかと目の前が急に開けたような思いでした。
洗礼を受けたのはそれからしばらくたってからのことです。
今日も貴方に神様の祝福が豊かにありますように。
シャローム!
For in hope we have been saved, but hope that is seen is not hope;
for who hopes for what he already sees?
But if we hope for what we do not see, with perseverance we wait eagerly for it.
Romans 8:24-25
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。』
ローマ8:24-25
信仰とはまだ目の前に実現していないことを、すでに成ったものとして、信じ待ち望むことです。
未来のことを完了形として見るのです。
ヘブル人への手紙にこうあります。
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
私はこの言葉を読んだとき、初めて信仰というものが少しわかった気がしました。
「天啓」というのはこういうものかと目の前が急に開けたような思いでした。
洗礼を受けたのはそれからしばらくたってからのことです。
今日も貴方に神様の祝福が豊かにありますように。
シャローム!
For in hope we have been saved, but hope that is seen is not hope;
for who hopes for what he already sees?
But if we hope for what we do not see, with perseverance we wait eagerly for it.
Romans 8:24-25
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