第八章・『飯峯禮山縁起』
「記紀」によれば、伊弉諾尊の子、月読命で、天照大神の弟、素戔鳴尊の兄となっている。「日本書紀」によれば伊弉諾尊が白銅鏡を左の手に持ったときに、天照大神が生まれ、右の手に持ったときに、月読命が生まれたとある。
「古事記」には、伊邪那岐命の妻伊邪那美命が亡くなって、筑紫日向の橘小門の阿波岐原で禊祓をして、左の眼を洗ったときに、生まれたときに、生まれた子が天照大神で、右の眼を洗ったときに、生まれた子が、月読命であると記されている。
「日本書紀」には、
伊弉諾尊、三の子に勅任して曰く、「天照大神は、以って高天原を治すべし。月読命は、以って滄海原の潮の八百重を治すべし。素戔鳴尊は、以って天下を治すべし」とのたまふ。
とあり、月読命は、海原を治める存在とされた。
海原を治さめるのが月読命だという。もしかしたら「潮汲みの儀式」のピラミッドは月読命であり、天照大神はストーンサークルに眠るとも考えられる。そうなると天照大神は卑弥呼だということになる。
そうなると『飯峯禮山縁起』と『武内・望都巻系図』の意味が違ってきて「門外不出」の意味がなくなってしまう。
とにかく、宇佐=邪馬台国説は間違いのないことだ。
飯峯礼の山の麓の望都むら
古郷はるかに見るよしもかな
の「望都村」の意味を徹底的に調べなければならない。そうしなければ猪群山ストーンサークルが卑弥呼の墓という立証にならない。
そのためには再び宇佐神宮に取材に行かなければならないだろう。
そして宇佐という国の起こりや宇佐国造菟狭津彦命の菟狭族を調べあげる必要があるようだ。
次回は、月弓尊(月読命)の謎解きの報告をするつもりである。期待していただきたい。