山上智の「古代史開封」

未だ我が国の古代史の謎が解けていない。
そんな未知の世界に挑戦する物語である。
「真実の歴史の道は一本である」

第六回古代史開封

2011年04月04日 08時06分37秒 | 日記


第二章「タタラ製鉄技術と鬼伝説の背景」


そもそも中国山地一帯は、古くから「タタラ」と呼ばれる伝統的な製鉄法が行われていた地域だ。
タタラ製鉄とは、古代日本が生んだ、非常にすぐれた製鉄技術である。この方法では、砂鉄を炭で直接的に還元するため、不純物が少ないすぐれた鋼を造ることができた。ちなみに、この鋼を「玉鋼」と呼び、世界に誇る日本刀も、この玉鋼がなければ造れない。
日本のタタラ製鉄は6~7世紀に始まったとされ、江戸時代に隆盛を見せ、明治に入ってからは西洋の近代製鉄法に押されて衰退し、大正の末にはほぼ絶えてしまった。
タタラ製鉄にとってもっとも大事なことは、どれだけ良質の砂鉄が採取できるか、ということである。砂鉄には磁鉄鉱を多く含む真砂砂鉄と、赤鉄鋼やチタンを多く含む赤目砂鉄がある。不純物の少ない玉鋼は真砂砂鉄から造られるのだが、良質の真砂砂鉄が多く採れるのが出雲地方なのである。
注目すべきは、この地域が出雲神話の故郷であり、八岐の大蛇をはじめとする神話の多くもまた、古代製鉄と関わりが深いとされている点である。
そして神話といえば、火を扱い、製鉄・鍛治・鋳物などを生業とする人々が守護神として祀る神「金屋子神」がいる。
伝承によれば、この神は高天原から播磨国志相郡岩鍋(兵庫県穴栗郡千種町岩野辺)の地に天降り、鍋・釜など鉄器鋳造の技術を伝授、さらに「吾は西方を主る神なれば西方に赴かば良き宮居あらん」と、白鷺に乗って 出雲国能義郡比田村黒田の奥にあった桂の木の枝に飛来。ここで安部氏に出会い、「吾は金屋子神なり、今より此処に宮居し、踏鞴を立て、鉄吹術を始めむべし」と宣言して製鉄法を教え、その地に祀られたという。
金屋子神は、「鉄山秘書・金屋子祭文」によれば、金屋子神・金山彦神・天目一箇神の三神同一神とされるが、なかでも天目一箇神が隻眼の神として注目される。
『古語拾遺』には「天目一箇神」をして、雑の刀・斧、および鉄鐸を作らしむ」とあるが、実際にタタラ作業では、炉の温度を炎の色で判断するため、数日間、炎を見つめつづけなければならない。炎の色は両眼では見えにくいので、自然と片方の目で見ることになり、目を悪くするといわれた。
しかも産鉄民の多くは砂鉄や鉄鉱石を生みだす山間に住み、中央の支配からは疎遠だった。そのため彼らは「鬼」や「山の大男」と呼ばれ、数多くの鬼伝説のもととなっていったのだ。
それを裏づけるかのように、島根県に隣接する鳥取県溝口町には、日本最古といわれる鬼伝説「鬼住山物語」がある。
「鬼住山には、昔その名のとおり、多くの眷属を従えた鬼が住んでいて、里の人々を苦しめていた。
それを聞いた孝霊天皇は、みずから軍勢を率いて鬼住山の南の笹苞山に登り、鬼をことごとく退治した。土地の人たちは笹を束ねて苞をつくり、それに団子を入れて山上の天皇に差し上げたので、この山を笹苞山と呼ぶようになった。
また、宮原の地に笹の葉で屋根を葺いた仮の御所がつくられ、そこで天皇は崩御し、その跡に楽楽福神社が祀られた」
ただし、実際には楽楽福神社の社名は「笹で葺いたから」ではなく、金屋子神のササ(砂鉄)と吹子のフクであって「タタラ製鉄」にゆかりがあるといわれているのだ。
いずれにせよ、このようにタタラ製鉄があるところに鬼伝説があり、鬼伝説があるところにタタラ製鉄があることは間違いないのだ。

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