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脳内一人旅日記・改

登山、ロードバイク、一人旅好きのつれづれなるブログ。

槍ヶ岳登山記・2 紅葉やべえぇ!

2008年11月18日 | 登山記


鼻腔から流れ出ようとするスプラッシュマウンテンとの戦いも熾烈を極めます。
休憩時には汗でびょしょ濡れになったユニクロの速乾性シャツを脱ぎ、もう一枚の速乾性シャツに着替えます。


びしょ濡れになった速乾性シャツはザックの外にくくりつけて速乾し次の休憩でそれを速乾で着回すという………なんでしょう、特にうまい速乾が見つかりませんが、そんな速乾で風邪引いた体が速乾するように気を使っていたというわけです。




平地歩きが終わると同時くらいに穂高方面と槍ヶ岳方面の分岐に差し掛かります。

ここからいよいよ坂道に突入するわけですが、槍方面に行く人の姿はありません。一物の、いや一物に不安を覚えながらも薄暗い林道の中へと分け入っていきます。






標高1800mに位置する槍澤という山小屋に差し掛かるところでやっとこさ第一山人を発見。しかも、背のちっちゃな女子を連れているカップルですよ。

山登りでもたま~にカポーをお見かけすることがありますが、見るたびにおいらもそんな小さな女子を連れて登りたいと強く思念するのです。

ザックにつめこんだ小女子をテント内で取り出して携帯コンロにかけ、小女子を軽く炒めて小女子をおいしく頂く♪これこそ小女子登山の醍醐味でしょう☆
(※小女子とは魚の名前です)




山小屋に着くと、登山者の群れが集合写真を神仏習合しておりました。

山小屋のスタッフと登山者が次々と握手をして「また来年も集まろう!」なんて声を掛け合ってのを見て、おいらはよだれを垂らしながら裸で全力疾走するしかありませんでした。


毎年ここに集まっているのか。こーゆうのもええわなあ。


満面の薄ら笑いを浮かべているおいらの表情は恍惚となっていたでしょう。


どんどん歩を進めていき2000mまで標高を稼ぐと、林道は終わり視界が開けてきます。
目に飛び込んできたのは鮮やかに紅葉した山々の赤や黄色。
英語で表するなら、bloody redにtoilet yellowです。













あの紅葉の素晴らしさは決して一言では言い表せませんし、

「素晴らしい!」

の一言でしか言い表せません。

つづく。

槍ヶ岳登山記・1 始まりの風景

2008年11月17日 | 登山記
10/12、10/13と北アルプスの槍ヶ岳に登山に行ってまいりました。
非常に天候がよく綺麗な写真もばっちり撮影。
写真だけでも、覚えて帰ってください。


夜行列車に乗りバスを乗り継いで、北アルプスの玄関口である長野県・上高地に早朝到着。標高はすでに1500mを数えます。


バスを降りて外に出た途端、M8.5の直下型地震がおいらの体内で発生、同時に口から大量のエクトプラズムが吐き出されました。


寒い!なんじゃこりゃ!


速攻でザックからフリースを着込み強姦、いや防寒対策を施します。


こりゃ雪降るんじゃねえか。

あたりにいた「山岳相談員」とかかれた腕章をつけているおっさんに天候状況を尋ねます。


おっさん「まあ、山の天気は変わりやすいですから、なんとも言えないですね。」


おいら「…。」



っていうか、前日あたりからおいら、風邪を引いてまして、鼻水が那智の滝、いや袋田の滝になっていたんですね。鼻腔内の貯水率が100%になるたびにティッシュを取り出し、放水しなければいけないので非常に面倒でした。


売店で新たに手袋を購入、いざ槍ヶ岳に向かって出発です。


上高地から3時間ほどは平地歩きなのですが、北アルプス登山はしょっぱなから飽きさせません。進行方向左手には明神岳の雄大な姿を見ることができます。けっこうな迫力!



歩を進めると、さらに梓川から穂高の山々も見えてきます。



色づいた紅葉の赤がさらにぽっくんのココロカプセルに詰まった夢を膨らませます。



つづく。

駒ケ岳登山記・3 出会い系

2008年11月12日 | 登山記
おいらにはひとつ心に決めていたことがありました。キメル!
先ほどの男性のことです。彼も目指しているのはここ甲斐駒ケ岳の山頂。三度会うことが叶ったら、これはもう何かの縁ということで知り合いになってしまおうと画策していたのです。


景色を見ながら結構待ったんですがその方は現れず。
まあ、帰るルートは男性がこちらに向かっているルートと一緒なので途中どこかで会うかもしれない、という期待を持ちつつ山頂を後にします。



程なくしてそのお目当ての方と三度目の正直。
これは行くしかない!ハンターチャンス!


もし良かったらお名前教えていただけませんか、と尋ねると快諾。
お互いの名前を交換し、ミクシィのニックネームも交換します。もちろん、おいらのミクシィのあの変な顔文字をノートに書いたり、地面に書いたりして説明。


そうしてめでたく旅で出会ったマイミクさんが股一人増えたのでした☆


どうやら来年も山の頂上で現地集合をやるみたいなので来年はおいらも参加させてもらえることになりました。いやー、この山旅の素晴らしさを他の誰かとも分け合いたいと思い始めていたので願ったり叶ったりです。


旅の神様に素直に感謝っす。素敵な出会いと素敵な景色をありがとう!
この栗林みな実アルプスの山旅も大変よい思い出酒となりました。

駒ケ岳登山記・2 頂上にて

2008年11月11日 | 登山記


(駒津峰までの登山道はかなりの急登になりまっする)


ペースはお互いそんなに変わらなかったので当然ながら途中の休憩ポイントでも再び遭遇してしまうわけですね。


特別長話をしようと思っていたわけではなかったのですが、またここでも談笑してしまいます。

その方が、一人旅のほうによくお金を使うとか、屋久島でたまたま出会って仲良くなった人と、今度は北岳でばったり会ったとか、旅で会った仲間と北岳の山小屋で現地集合したとか、一人旅が好きってのも自分の趣味とあってるし、なんか牛が合いそうだなあという感じはしていました。


とりあえず、ここの休憩ポイントからは先はルートが二手に分かれていて、自分はその男性と違うルートを使うのでここで一旦お別れとなります。





おいらが使ったのは写真にもある通り、直登ルート。手を使わなければ登れないようなタルルートです。北アルプス程の険しさや恐怖感はなく無難にルートを通過、そして山頂へたどり着きます。やったー!






山頂にはすでに例の通年夫婦も到着していて、「あ、直登ルートからきたの?!おつかれさまー。」と声をかけられます。
お互いの健闘を叩き合い、しばし山頂で景色を蓄のうタイム。




(手前に見えるのが鳳凰三山と呼ばれる山でその後ろが富士山)



(こちらは北岳をバックに撮影)



山頂は気温も低く、風も吹いてちょっと寒い感じ。そこで、持参した水とガスバーナーを使ってカフェオレを作ります。これがまたうまい!ほんとにうまい!食うもの飲むものいちいちうまい!


曇ってはいましたがガスがかかって視界がないということはなく、富士山も見えましたし、他の山々も素晴らしいの一言。特に、鳳凰三山という山があって、その山の上部が雲からぽっこり出ている姿はなんとも神秘的。いやー来て良かったぁ。












痛風夫婦との絡みも絶好調で、いろんな角度やいろんな山をバックに写真を撮ってあげていました。


「完全に専属カメラマンだね!あっはっは!」


なんてゆるい会話を交わしてしまう程。もちろんおいらの写真も無駄に撮ってもらいましたけど。

駒ケ岳登山記・1

2008年11月10日 | 登山記



とうとう南アルプス登山も最終日。
ヘッドランプをつけ薄暗い山道をてけてけでてけてけ歩いていきます。他の登山者の姿もなくとても静かな山の朝。いいですなあ!





(序盤からちょっと急登もありーの)



(この小屋、わざわざロープ貼って宿泊者以外立入禁止って看板まで掲げてソ連ですよ、これは)


どんどん高度を稼いでいき次第に風景が開けてくると、雄大な山の姿が視界に入るようになります。自然にテソソソも上がりますね!そして、ふと後ろを振り返るとそこには見たことのある左右対称の山の姿が!





ちょっと後ろを歩いていた中年の夫婦が登ってくるのを待ちちょっと汁をかけてみます。

「あれってもしや富士山っすか?」

「そうそう。綺麗に見えてるよね!」


ついつい興奮して液をかけてしまったのですが、この会話がきっかけでこの中年風の中年夫婦と仲良しになります。



頂上まであと少しの距離にある駒津峰というところで一休憩。
さきほどの中年夫婦もやってきてまたちょっと歓談。そして、お互いに写真を撮り合いっこします。






さらに、すでにここで休んでいた一人の男性とこの夫婦がなにやら楽しげに会話している様子。注意深く彼らの会話を耳を削いで聞いてみると、北岳がなんちゃらかんちゃらと話しているではありませんか。おおおおおおおいらも昨日北岳に登ってきたばかりでちゅよ~!




(駒津峰からみえる北岳に来ただけ。)


中年夫婦が先に駒津峰を後にし男性が一人残されると、すかさず自分も彼ににじり寄り一声かけてみることにしました。


一人で山に来てる人って意外とざっくばらんな人が多いんですよねぇ。この方もそのうちの一人でした。結構話が盛り上がってしまって5分くらいはずっとしゃべってた記憶が彼方にあります。


行き先は同じ駒ケ岳だったのですが、じゃあ二人で一緒に登りましょう的な変に馴れ合う感じでもなく、先にその方が出発し自分はちょっと遅れて駒津峰を後にしました。

北岳登山記・4 ブロッケン現象

2008年11月08日 | 登山記


破水するまで景色を胆のうし山頂を後にしようとしたのですが、なにやら上ずった人ではない人の声がおいらの注意をひきつけます。




「これなんだっけ?ブロッケン現象だっけ?そうだそうだブロッケン現象だ!すごーい!」


ブロッケン現象?ブロッケンJr?ん?





ブロッケン現象…太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲や霧に光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象。


らしいです。



(こいつ誰だよ!自重しろ!)


わっかの中心に自分の影を合わせて手を振ったりすると、その影がちゃんと光の輪の中で動いてくれるんですよ!もちろん初めて見る大気現象で、目から血が飛び散るくらいに興奮してしまいましたぁ。


旅の神様に感謝せずにはおれません。




おいらの山旅はここで終わりではなく明日も続きます。次に目指す山は甲斐駒ケ岳!



(たぶん、右に見える頭が禿げに禿げっているのが甲斐駒ケ岳…かと)



一旦麓まで降りた後、バスで移動することになります。


バス停でバスを待っていると、降りてきたおじさん登山者から話しかけられます。

きたきたー!


山登りをやっていると必ずと言っていいほど見ず知らずの人と会話する機会があるんですよねえ。またそれも山旅の後醍醐天皇といっていいでしょう。



おじさんの話によると、ニュースで大きく取り上げられた白馬岳の崩落事故のあったその日にちょうど白馬岳に登っていたそうです。とにかく雷雨がひどくて、崩落が起こるちょっと前に下山して事なきを得たそうですが、やっぱ天候には細心の注意が必要っちゅうことですな。




(この日のテント場がある山小屋。)


続く。

北岳登山記・3 奈々クライマー

2008年11月07日 | 登山記






(山に映る雲の影ってなんかいいっすなー。やっぱ山の景色の粗大ゴミですかな!)




(この山の稜線・尾根筋をひたすら上り下りするのも登山の魅力のひとつ。左下のところに人が立ってますw)



南アルプスは初めての登頂でしたが、去年行った北アルプス同様ほんっとに景色が素晴らしかった。北に比べると南はたいしたことねーんじゃねーの?と最初は思っていたのですが、どっちもイイ!!なんつっても北は地上の楽園ですからね!!(朝日)




(奈々クライマーであることを写真を撮ってくれた人に主張するも無反応。いつになったら同胞に会えるのだろうか。)

北岳登山記・2 完全メイド宣言

2008年11月06日 | 登山記
前の日の夜も夕飯を食ってこの日の日記をちょこっと書いたらまたすぐに眠気がやってきておいらの脳みそを食べていきましたわ。
おかげでぐっすり永眠することができました。



んで、朝5時くらいに、テントに雨が叩く音でお目覚め。
マジかよ…汗


雨かぁ…まあこれも山旅キノの旅の醍醐味かぁ
諦めムードの中、準備をしようとした次の瞬間、何かの光がテント越しに差してきます。


やべぇ!雷か!やべやべやべやべ…あたふたあたふた
一瞬、いや五瞬ぐらいびびりました。ただのヘッドランプの光でした(照)。


とりあえず、テント内で軽く飯を食いながら雨が収まるまで詰所で待機。
小ぶりになったところで一気呵成にテントの撤収作業に入ります。


テントが雨に濡れると重くなるしかさばるし嫌なんだよなあと、まるで雨が初めてではない振りを脳内でしながらなんとかテント撤収終了。




(山小屋前で撮影。空から光が…。間違いなくユーエフオーがきてますよ、あの光のエレベータで人が誘拐されているんですよ!)



山小屋前で朝飯を食っていると、近くにいた年老いて老いさばらえて老化した皮膚をした初老の登山客二人が、今日は曇りのち晴れで、気圧もどんどん上がってるぞ、と時計を見せびらかしながら会話しておりました。


よしよし、今日はこれから天候回復するんだな…。ふざけんじゃねえ!ばかやろう!


ひとしきりテンションが上がって下がったところで、わが国第二の高峰北岳山頂を目指します。




(まだ雲が厚いもなんとか輪郭を捕らえた富士。どっから見てもそれだと分かるわが日本の心)




(頂上途中で撮った東の空。この山々の連なりは曇っていても綺麗だと思わずにはいられませんえん)




(だいぶ登ってきたところ。山小屋もテントも小さいっすなあ)



登っていくうちにどんどん霧が晴れ雲が切れ痔が切れ、空の青が顔を出してきました。マジ泣きそうでした。


ここで重要なことを念のため言っておくと、泣きそうだったのは晴れ間が見えて綺麗な景色に感動して泣きそうになったわけで、痔が切れたから泣きそうになったわけではありません。



おいらが頂上に付いた頃には西側の空は完全に晴れていました。ここで完全メイド宣言してもいいくらいです。


続く。

北岳登山記・1 つきましょう

2008年10月29日 | 登山記
外もすっかり明るくなった早朝6:30、バスは登山口に到着。トイレを済ました後、早速登山の開始です。




(広河原登山口。すでにたくさんの人のごみ)




(いざ北岳へ)


登っている途中、どうもうざいしゃべり方の奴がいるなあと思ったら、やっぱりいました。若い男子の二人組のうちの一人で、相方のほうに


「俺が誘わないと山に行かないってのもどうかと思うし、やっぱ俺がいなくても一人で行けるようになってもらわないと困るんだよね。」


うぜぇ


草に付いているアブラムシを見て


「俺はかつてアブラムシを大量殺戮したんだよ。なんて言うの?アブラムシジェノサイドってやつ?俺が殺したアブラムシは一千匹は下らねえ。」


小学生かよ、ばかかこいつは。


いやぁ、喋り方だけでなく言ってる内容もうざかったー。エスカリボルグで殴り殺し殺したかったー。



とりあえずこの日は曇りで天気が良いとは言えませんでした。でも普通に登れるだけで十分楽しい!雨の日の両神山登山の辛さに比べたら…下痢みたいなもんです。




雨の日の登山を経験しておいてほんと良かったと思いました。晴れた日の素晴らしさしか知らなかったら面白くなかったかもしれません。楽しみの幅が広がったんだ!ヤフー!
と思った矢先、雨がぱらぱらと落ちてきたのです!

ズサー!

滑落しそうでした。滑落の原因を調査しそうでした。




(時折晴れ間も。北アルプスは上のほうは岩だらけなのですが、ここ南アルプスはけっけう上のほうまで草が生えてます。)



雨もすぐに止み、なんとか順調に登山は進みます。
テント泊の重いザックで歩はなんともゆっくりです。その横をおいらよりもでかいザックを背負い、ストックも使わず、快調に歩いていく若者と、その若者と楽しそうに談笑している女子の登山者。


横顔を見たらかわいい!

おいらもこんな女氏と登山がしたいなあ。んで、わざと遭難して、
「やっとふたりっきりになれたね。」とかなんとか言って、んでんで断崖絶壁に出てきたら、「この岩を二人で乗り越えよう、二人の最初の共同作業だ。」とかなんとか言って、んでんで、滑落した挙句に沢に落ちて「お前に溺れてる」とかなんとか言って、んでんで溺死して、死体はヘリで運ばれるんだけど、死体は航空法上”物”として扱われるので機内に持ち込めないので吊り上げて運ばれるんだけど、これで僕はあなたの物とかなんとか言って成仏できずに無間地獄を繰り返したい、なあ。


念のため、正面からその女の子の後ろの正面の反対をフォーカスしてみると…

ズサー!

滑落しそうでした。滑落の原因を調査しそうでした。




(尾根まで出るもまだ緩やかな道が続く)





(?。この日の幕営地まであと15分とかなんとか書かれていた看板の横にあった看板。意味不明。)


そんなこんな真木あんなでなんとか幕営地に到着。テントを張り、昼食を作ります。






(今日の幕営地、肩ノ小屋。ここまでほんとへとへとでした)






つーか、山で食う食事ってなんであんなに野中あんりにうまいんでしょうか。


毎回そうなんですけど、ついつい独り言が出てしまう瞬間。


「なんじゃこりゃ!うまッ!」



飯を終えシェラフ(寝袋)に下半身をうずめると心地よい暖かさと共に眠りが股ズレます。




(一休みしてから頂上を目指そうと思いましたが完全にガスがかかってきたので断念。ちなみに真ん中の黄色いテントがおいらの○ント。)



目が覚め時計を見るとすでに夕方。だいぶ疲れがたまっていたようです。
外に出て山小屋のほう歩いてみると西の空に向けてカメラを向けている人が多数。





雲に広がる茜色はなんとも綺麗で美しいの一言です。


彼らには過酷を、僕らには始まりを。
無限の終わりを目指して。


ぼぼぼぼぼぼぼぼぼくは翼を持った少女を探す旅に出出出出出出ますよ!ハァハァハァ…
みす…みす…みひろ…


続く

みな実アルポン登山記1日目(1) うじきつよし

2008年10月28日 | 登山記
2008/09/13にみな実アルプスへ登山へ行ったときの模様をお送りします。なるべく無駄に長くならないよう努めますので努めます。



ムーンライト信州という夜行列車を利用してまずは甲府駅を目指します。


この列車、全車指定席ですでに席は満席となっていたのですが構わず乗車。車掌が検札に来た際に揉めたらゴネてゴネてゴネまくろうという泉こなた、魂胆でした。ごね得でテロ指定解除です。



おいらの悲壮の覚悟とは裏腹に、検札はすんなり終了。おいらはデッキにいたのですが他の乗客と百発百中とらぶるんにならなければ空いてる席に座ってもだいじょぶですよ、となんとも友好的。



ということでこれは朗報です、早漏です。ムーンライト信州は指定席が満席でも問題なく乗れます!!




夜中2時半頃に駅に到着。ここから登山口までは2時間以上バスに揺られて揺さぶられっ子症候群になるわけですが、バスの出発時刻は4時半。まだ2時間以上空きがあるので、荷物をバス乗り場に置きあたりをぶらぶらします。




↑なんか見たことあるなあ。ええと、あ!



そうそう、これは旭化成の陸上の人で、おいらの高校時代からのぶっかけ3人組(:通称Sペルマ3人組)で山梨旅行略してやおい旅行に行った際に記念撮影した場所ではありませんか!


懐かしい…再びこの場所を訪れるとは…


1,2秒感傷に浸った後適当に時間をつぶしてバスの発射を待ちます。



バスの乗る時間が迫るにつれいつのまにか人がうじのように沸いています。おいらは問題なく2台目のバスに座ることができたのですが、後ろの人は3台目も乗り切れない様子。



どうやら4台目が手配されているようですが、乗り切れない人が無理やりおいらが乗っている2台目に押し込められ通路で立つよう指示されていました。現場はかなりメダパニってます。



通路で立つことになった登山客の一団あやしげ団は、



「なぜ自分たちは立たなきゃいけないんだ!4台目が来るんだから待てばいいじゃないか、ええじゃないか!」


と、バスの中で切符の確認をしていた係員のおばちゃんに当然の主張をします。



おばちゃんは外の館内担当(混対)をしている腕に腕章を巻いたおじさんに状況の確認をするが要領を得ません。むしろそいつがカオスの源、ロードオブナイトメアでとうとうおばちゃんが怒り出してしまいます。


「あんた、ちゃんとしなさいよ!」
「お客さんどうするのよ!」
「なにやってんのあんたは!冗談じゃないよ!」
「こっちは片手間でやってんじゃねーんだよ!」
「ふざけんじゃないよ!」


…。
怒号、ドゴウラ、ドゴウガ。
バス内にいてつく輝く息…完全に凍り付きました。声も世界の中心もいきり立っていた通路に立たされているあらびき団もさすがに苦笑。

結局は、

「いいですよ、このままで」

と、悲しげな倒置法。まあそうなるだろうなw


続く。

富士山登山記2008・後半

2008年10月23日 | 登山記
寝袋を広げ空を見つめると満天の星が!
山で見る星ってほんと沢山あってめっちゃ綺麗ですよねえ。
この日は運が良いことに流れ星も拝むことができました♪二人してテンションが上がります。

星も堪能しさあ寝るか、となったところでここからとんでもないカオスが始まることとなります。


ここ本八合目は各登山口のルートが合流してる地点でありまして、ここから頂上までは一本道になります。
よって、一気に人がごった返している状況でした。


とりあえず、登山ツアーのガイドの点呼・号令の馬鹿でかい声が静かに寝ようとしているおいらの耳をつんざきます。さらに、我々が寝床としたちょっとした広場はちょうど登山ツアーの集合場所に適していたようで、どんどん人が集まって隙間もないほど。
人が入ってくる度にヘッドライトで我々の顔を確認してくるのでまぶしくて寝られやしねえ。
かと思えば、俺らを見つけたある登山者は驚いた声で


「人だ!」


ラピュタか!
人間様に決まってるだろ!ばかやろうが!


またあるばばあ連中は

「こんなところで寝てるわよ」「こんなところで寝てるわよ」「こんなところで寝てるわよ」

3人して同じセリフを等間隔で連呼してんじゃねー!ばかやろう!



一度足を踏まれたのでひざを立てて寝ていたところ、ある別の女性登山者は何を勘違いしたのか、


「こんなところに岩があるよ、ここに座って休もうよ」


と、俺様のひざの上を手で押え始めたんですね。

もちろん、そこにごつごつ固い物があることを想像していたその登山者の驚きといったらありません。


「ぎゃあああ!!!」


よほどびっくりしたのか、女性とは思えない異形の生物のような叫び声。


おいらとしては、ざまーみやがれ、はっはっは!

…こんなんばっかで全く眠れませんでした。



そんなこんなで頂上まで登りM君にすでにアップしているウマウマの撮影依頼をすると
「撮ってるこっちも恥ずかしいじゃないですかー」

と、あまり気が進まない様子。しかし、カレーをおごってやったのとセーターを貸してやったことの補償はどうするつもりだと詰問すると、しぶしぶ承諾しました。


かなり人として軸がぶれている富士山登山でしたが、自分の生を、存在を実感できた貴重な山行でございました。

富士山登山記2008・前半

2008年10月22日 | 登山記
8月2日~3日にかけて富士山登頂に行って参りました。


去年と違って今年は友人(M君)を伴っての参加です。この友人、2002年の夏に人生最初の登山を経験した屋久島登山でのパートナー。単独もいいけど、誰かを連れ立ってわいわいやりながら登るのも楽しいもんですね♪


御殿場駅でM君との再会を果たし、駅からバスを乗り継いで登山口へ。
30分ほど準備運動(高度順応)をした後、夕方17時半くらいから登山開始。


1時間ほど登ったところにある最初の山小屋で夕食となります。
M君に山での食事の楽しさを知ってもらうべく、ご飯とカレーを二人分用意しておりました。


キャンプ用のガスバーナーと皿(コッヘル)を取り出し、お湯を沸かしてレトルトのカレーを温めます。白飯は、水を入れるだけでご飯になるというアルファ米を使用。カップ麺のように乾燥しているので非常に軽く山ではかなり重宝します。


M君は、水と携帯用バーナーがあれば山でもカレーだって食えることに非常に感銘を受けている様子。さらに、その味にも舌鼓を打っておりました。


山ん中で食う食事ってなんであんなにうまいんですかねえ!
いっつもですが、山でなんか食うときは思わず「んま!」って独り言が出ますw登山の醍醐味のひとつですなあ☆



腹ごしらえが済んだ後、本格的に山歩きとなります。
登山中、下のほうから威勢のいい声がするなと思ったら自衛隊員の一団でした。


訓練だろうと思っていたんですが、どうも様子がおかしい。
まるで修学旅行生のように話し声や笑い声が絶えることがありません。中には歌いだす奴もいてなぜか選曲がモー娘の「恋愛レボリューション21」。


ひたっすら「超超超いい感じ、超超超超いい感じ」を連呼しています。
こんな、「超超超いい感じ」しか歌えないような連中が国を守れるはずがない!


とりあえずおまいら全員アフガニスタン行きやがれ!ばかやろう!
大日本帝国の将来を憂いながらもどんどん高度を稼いで登っていきます。



日付が変わり0時半頃には本八合目に到着。
山小屋の裏手のちょっと広場になっているところを見つけ、
ここで仮眠をとることにします。


本八合目となると標高は3300mもありますが、夏といえど気温は真冬の東京ぐらいになり、夜は相当冷え込みます。
おいらはセーターやらフリースやらを着込み防寒は万全。

M君はというと、まだ山をなめていたらしくYシャツ一枚しか手持ちの服はありませんww

ぶるぶる震えて寒がっているM君にこう一言。


「ほんと申し訳ないんだけど、マジあったかい(^^♪」

うっひゃっひゃ!

まあ1枚余分に持ってきていたセーターをもれなくレンタルして差し上げましたがw


後半へ続く

屋久島後記・3 臥薪嘗胆

2006年06月22日 | 登山記
またまた更新が微妙に滞ってきました。以前に書いていた屋久島後記がまだ途中だったので、続きを書こうと思います。まあ、あまりネタもないので手短にまとめます。

熊本市内でなんとかヒッチハイクが成功しましたが、それも市内の高速道路の入口まで。そこからさらに、停まってくれる車を待つための果てしない戦いが始まります。
場所は高速へ続く4車線の幹線道路。街灯もあり直線なので見通しもよく、ヒッチハイクするには絶好の場所といえます。交通量は少なかったのですが、トラックを中心に車通りが全く途切れるということはありませんでした。

このとき、時間はすでに22時頃になっていましたが、ヒッチハイクで帰るという目的を達成するためには悠長に寝てる時間はありません。徹夜覚悟でのヒッチハイクとなります。
しかしながら、日付も変わり深夜になっても一向に車は停まってくれません。ボードに書いた目的地を何度か変更しましたが、結果は変わらず。

時間が限られている中でヒッチハイクをするという計画にはもともと無理があったのですが、ここにきてようやっとその計画の浅はかさを理解します。もう時間は深夜4時。6時間以上ただひたすら待ち続けましたがリミットまでの時間を逆算すると、とてもじゃないが帰り着きそうにありません。

ここでおいらは苦渋の決断をしなければなりませんでした。それはヒッチハイクの断念。それまでおいらは場所を変えることはあれど、ヒッチハイクそのものを諦めたことは一度ありません。しかし、現実を前にしてはおいらの矜持など蟻の触覚にも満たない、矮小なものです。

残る手段は電車か飛行機ですが、ここにきて余計な交通費を出費するのは愚の骨頂でしょう。手持ちの青春18きっぷを使って普通列車を乗り継げばなんとか帰れそうです。

ヒッチハイクの場所を反対車線側に変更し目的地を熊本駅にしたボードを掲げ、忸怩たる思いで停まってくれる車を待ちます。

すると、30分も経たぬうちにヒッチハイク成功。まあ、目的地が近いという要素が大きいと思われますが、心中は複雑極まります。

そして、熊本駅からの始発列車に乗り普通列車での帰還となりましたが、いったいどのようなルートで帰ったのか全く記憶がありません。失意の中、ただただ阿鼻叫喚するしかありませんでした。

そんな感じで、屋久島の旅も終焉。良くないことだらけの旅でしたが今ではそれも良い思い出です。一人旅って本当にいいもんですね。

屋久島後記・2 記憶喪失と若者二人

2006年05月29日 | 登山記
さてさて、前回はヒッチハイクをするためにタクシーを使うという、本末転倒なことを見事にやってのけました(せんだ偉い!)。今回はヒッチハイクを使った本格的な奇声の旅、いや、帰省の旅の様子をお届けいたします。


旅の様子をお伝えする前に、ここでちょっとヒッチハイクにおける私見を述べておこうと思います。
某SNS(mixi)のコ●ュニティに、「ヒッチハイクをしてくれた人には必ず連絡先を聞いて、あとで何らかの形でお礼をする。」というようなことを書いてた人がおりました。まあ、ヒッチハイクというのは善意で成り立つものなので、律儀にそのようなことをするのは大変すばらしいと思います。

それに対してわたくしはというと、そんなことは一切しません。もちろん、口頭でお礼はちゃんと言いますが、それ以外のことは記憶に留めておけばよいのだ、と考えております。

ヒッチハイクの出会いというのは偶然の産物、まさに一期一会ですので、それは思い出として自分の中で大事にしておけばよい、というわけです。実際、思い出しては懐かしく、そして胸が温かくなるような出会いばかりでした。もしもピアノは弾けませんが、もしもまたどこかで再会したらそれはそれで素敵なことですし。

ということで、鹿児島インターチェンジからのヒッチハイクの模様は都合によりカット致します。いや、ただ単にその部分の記憶が無い為です。
何が一期一会だ、ばかやろう!このノータリンが!

ポカーン

気を取り直して、半開きになった口を閉じて、慢性ちくのう症の僕が鼻呼吸でいってみようと思います。


とりあえず、次は熊本市内を走る国道沿いでヒッチハイクを始めることになりましたが、道の反対側にファミレスがあったことが、ここでの重要ポイントとなりました。

なかなか車は停まってくれず、2、3時間程経過後、やっと一台のRV車が停車。この車の乗組員はなんと若い女の子二人。
車に乗り込み話を聞いてみると、この二人組、実はザ・ピーナッツでした(んなこたぁない)。
車に乗り込み話を聞いてみると、この二人組、実はミラクル☆ガールズでした(んなこたぁない)。

特段面白くも無かったですが、実はこの二人組、前述したファミレスのアルバイトスタッフで、バイト中においらの行動を目撃していたというのです。そして、バイトが終わり、
「ちょっとあの人乗っけてみようか」
というノリで停まってくれた、というわけです。

こんなラッキーもあるもんだと思いつつ、車内での会話も弾みます。


女の子A「どこから来たんですかぁ?」
ぽっくん「東京から来ました!」
女の子A・B「うわーすごーい!キャッキャッ」
ぽっくん「(ほんとは埼玉だよ!だ埼玉の埼玉(さきたま)古墳の竪穴式住居だよ、ばーか!)」

それにしても、女の子が話す方言がとてもラブリーに思えるのはなぜなんでしょう。無理に標準語で話そうとするところも、脳漿が耳から垂れるぐらいにかわいかった。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

っていうか、この女の子達はおいらが単なる異常者だってことは知る由も無いんだろうなあ。


そんなドタバタ劇がありましたが、みかげとともみの二人はおいらを熊本市内の高速道路付近までしか行ってはくれず、またもやインターチェンジ入り口でのヒッチハイクと相成りました。

屋久島後記・3へ続く。

屋久島後記・1 ヒッチハイクしちゃうぞこのやろう!

2006年05月25日 | 登山記
さて、この屋久島・後記では、友人M君と鹿児島で別れた後のおいらの足取りを追ってみたいと思います。すでに屋久島での波乱な旅も終わり、あとは帰途につくだけなのですが、ここで普通に帰ってしまってはモッタイナイと思い、「モッタイナイ」を国連会議の場をはじめ世界各地で呼びかけながら、ヒッチハイクでの帰省を決意します。


当時、小生が目論んでいたことはおいらの住まいである埼玉まで全てヒッチハイクを使うということだったのですが、おいらの休暇もこの日を含めて残り二日。冷静に勘案すれば、その日数で九州南部から関東までヒッチハイクをするには時間があまりに足りません。非常に無理があるミッションです。

つまり、この旅で発生したポルターガイスト現象、生存危機、異臭騒ぎなどのハプニングの連続で、おいらの思考回路はすでにショート寸前だったといえます。電話もできないミッドナイト、林原めぐみのラジオは東京ブギーナイト(関係ない)。

とにもかくにも、鹿児島からヒッチハイクの開始です。

地図を取り出し熊本・福岡方面に伸びている高速道路を検索。九州自動車道の鹿児島インターチェンジが最も近かったので、インターチェンジに通じる幹線道路沿いで早速ヒッチハイクを始めます。

まずはインター入り口まで行き、そこからさらに高速道路を使う車を捕縛します。そして、熊本、あわよくば福岡まで一気にいってみようやってみようという大胆かつ堅実な計画を立案していました。

ここでちょっと話は変わりますが、おいらは一人旅に対して一つのポリシーを持っており、それはお金がかかる移動手段は極力使わないというものです。具体的には、

飛行機・新幹線→×
タクシー   →×
特急列車   →▲(キセルなら乗車)
バス     →▲(近距離なら乗車)

この信念はおいらの中で非常に堅固・強固となっており、いかなる障害・困難・侵略があろうと揺らぐことはありません。この九州の知覧から飛び立ち、若くして散った特攻隊員のそれとも相通じるものがあるといえるでしょう。我の魂は靖国に祀られ、英霊達との再会を果たせるものと確信しております(感極まって号泣)。

もちろん、この屋久島の旅においても信念は変わりません。ヒッチハイクの車を待つ我の胸中にもその思いがかけ巡ります。

そして、行き先を示すために今まで掲げていたボードを静かにリュックへと収め、代わりに、天井に突起物があるちょっとハイカラな普通乗用車に向かって片手を挙げたのでした。


我「九州自動車道の鹿児島インターチェンジまでお願いします。」

彼「インターチェンジの入り口まででいいの?お客さん。」




……
もう台無し!エリーゼ台無し!音が違うでしょー?



いやーなんちゅーか、残り少ない時間でヒッチハイクをしなければならなかったわけですから、インターの入り口まで行く時間がもったいないと思ったんですよ。たいむいずまにーということなんですな。

そう思い立ったが吉日、もう迷うことなくタクシーを使ってインターまで一気にいってみようやってようしたわけですな。これこそが、大胆かつ堅実な計画なのです。

ということで、タクシーを有料でヒッチハイクし、関東までの帰省の旅が新たに始まったのでした。

屋久島後記・2へ続く