ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

往診

2021-08-25 16:45:00 | 日記
本日週1の往診日。自宅から車で10分のクリニックからクマ先生は来る。タフだなあ、午前と、午後の診察の合間に往診。何かあれば、休み、夜間も対応してくださる。ありがたいです。お酒飲まないのかしら?医師って、大変だなあ。

今日は、エコーでお腹を見て、腹水を抜いた。横たわると、お腹がプックリ妊婦さんみたい。エコーで抜く場所を確認、麻酔をうち、管で抜いた。約500ml、あまりたくさん一度には抜けないらしい。
義母は、肝臓も悪いので、そちらも関係しているかも、と先生。水は検査に回された。
癌による浮腫、イヤな症状ですね。

水を抜いて、少し呼吸も楽になるようです。
明日になれば、このこと忘れちゃうかな。

昨日のトイレの詰まりの請求書が届きました。10,000円也、まあ、相場でしょう。助かりましたと、お礼を言い、支払いを済ませました。



別人

2021-08-24 21:32:00 | 日記
昨夜の騒ぎで寝不足です。
トイレは、業者さんに朝イチで来ていただき、30分位で開通!感謝です。近くのドラッグストアにもトイレをお借りし、助かりました。

何かあったの?なんて呑気な義母に、お母さんがパット流しちゃったから、トイレが詰まったんだよ、と話しましたが、何で私流しちゃうんだろうと、不思議そう。仕方ないなあ、と苦笑いです。今後の再発も十分あり得るので、トイレの鍵を外から掛けることにしました。やはり、トイレは1人では無理のようです。

義母は、今まで1人で何でもやってきて、気が張っていたのが、優しい息子の家に来て、至れり尽くせりの生活を始めて一気にボケが進んだのではないでしょうか。

プロテインもボケ防止という事ですが、今の状況では、あまり効果は無いみたい。

なるべく、声を掛けてあげるよう、私の息子たちにも話しましたが、全く別人と、戸惑い気味です。

久しぶりに休みで帰った長女に、デイサービスの着替えをしてもらい、今日もお姫様はお出かけになりました。

大騒ぎ

2021-08-24 06:07:00 | 日記
最近は、トイレまで自分で行って帰れように、なるべく手助けしないでいました。出来ないことをお手伝いするようにしていたんですが、深夜に事件は起こりました。

私は当直、「起きなくていいから」と言って、トイレからなんとか自力で帰ってきた義母。リハビリパンツにパットを装着して、パジャマをはかせ、トイレのパットを片付けに行くと、パットが無い。。。
まさか、、トイレの水は流れている。パットは付けていなかったっけ?
トイレの水をもう一度流すと、あーー、溜まった。溢れはしないけれど、少しずつ流れていくようですが、パットを流してしまったみたいです。3度目です。いままでのパットは水を含み何とか、流れずに引き出せたのですが、今回のパットは、メーカーものでなく、なんとかオリジネルみたいな安価なパットでした。安価がこんな事になるなんて。
ため息です。ダンナと、深夜に何とかしようと2時間半奮闘しましたが、結局無理。24時間対応の業者を呼ぼうかと調べましたが、どこにしたらいいかわからず断念。
今朝、地元の業者に連絡しようという事になりました。
そのあと義母がトイレにおきました。パット流したみたいで使えないと話しましたが、自分がやったことはわかったみたいですが、ひと事のように困ったねーとあまり、何をしたかわからないみたいです。
もうあのしっかりしていた義母とは程遠く、残念です。
深夜、私たちは近くの観光トイレへ行ってきました。
今日は、デイサービスの日。朝、義母が便意をもよおさないことを願います。汚い話で、ごめんなさい。

ボケてきた?

2021-08-23 16:16:00 | 日記
しっかりしていた義母でしたが、少し、おかしくなって来ました。。顔つきが、私の実母が少しずつ変わっていった時の顔つきです。目が、今までとは違います。
薬を飲んだのも、忘れてしまうし、今日は、お昼に「朝ごはん食べた?」のダンナの問いに、「食べてない」と答えたそうです。しっかり食べたのに、忘れてしまったんですね。

人は、忘れることで、自分を守る、本人は自分の状態がわからないから、情けないとか、落胆せずにすむ、というようなことを何かで読みました。
そうなのかもしれない、と思います。

今日は、訪問看護で体重が4キロ増えたと聞いてビックリ。腹水の影響のようです。明後日の、往診で水を抜きましょうか?と言われましたが、痛いのはイヤなので、やりたくないようです。
腹水の影響で、息が少し苦しそう。酸素量が1.5から2.0へ増量されました。


私の実父

2021-08-22 15:37:00 | 日記

私の父は17年前86歳で亡くなった。母は、弟の出産時に脳梗塞をおこし、右半身不随となった。それから母を支えながら、一生懸命生きた人だった。授業参観も、ほとんどの家は母親が来ていたが、家は、いつも父が仕事を休んで来てくれた。ただ、気が弱いのに、怒りっぽく、酒癖もあまり良くなく、人には好かれないタイプだった。

母の体が不自由だったため、母を残しては先には逝けないと言っていたとおり、父は母を見送った。

弟夫婦と同居していたが、その性格からあまりうまくいっているとは言えなかった。母を見送ってからの父は、寂しそうだった。

実家から車で10分ほどの、こじんまりした家庭的な施設に何年か入り、最期は病院で亡くなった。認知気味で、気分障害もあり、家では手に負えずの入所だったけれど、父は、よく家に帰りたいと、こぼしていた。弟夫婦も、盆正月は、外泊させてくれて、私たち夫婦も顔を見に行った。

父の亡くなる前日、病院に見舞いに行った。父は、話もできて、その時は穏やかだった。血尿が出ていたが、検査もせず、延命治療もしない、そう長くはないと医師からも言われていた。

今まで、一家の大黒柱として働いて来て、私たちを育ててくれた、父を、私は、何もしなくてもいいのか、今ここでまだ生きて、話もできる父を、見放すような気持ちになり、複雑だった。翌朝、父は1人で旅立った。母が亡くなって3年弱、よく頑張った父。

ありがとう、私は父の死を悲しむと言うより、ホッとした気持ちで迎えました。やっと、お母ちゃんの所へいけるね、良かったね。

人は必ず死ぬけれど、どう生きたかを、神様は見ているらしい。お父さんは、神様に何点もらった?気難しい父だったけれど、私にはたった1人の父、私には、100点の父でした。