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よろずやリンダのブログ

2児ママ、リンダの子育て、仕事、そのほかなんやかんやを書いたブログです。よかったら見てやってください。

なんでやねん

2006年06月07日 23時59分39秒 | 仕事
またまた部長ネタで失礼します。
本日、泊まりあけです。
昨日は、泊まりだけど早めに出社して柔道の取材で
関西へ(^_^;)出張でした。

夜中は、強盗やらなんやらがあって寝ることができなかった上に
午前中もばたばたしてたので、帰ることができなかった。
会社を出たのは昼。
そうしたら、早速部長から電話があったのだ。

実は、女子柔道の件で、ちょっとごたごたがありまして
取材をお願いする先方にご迷惑をおかけしてしまったんです。
私はその件については、最初から首をつっこんでるわけでなく行きがかり上で連絡を取るのを手伝ったり、取材依頼の書面を作ったりして、関わったんだけど、去年私がお世話になった人に連絡したりしていたので、私の所に電話がかかってきたりした関係で、ごたごたの仲介も私がすることになった。

部長は、また私がいらんことして対外的に迷惑をかけたと思っていたようでちょっと事情を説明した物の、私が一番悪いときっぱり言われた。
私はルーズで、仕事をしてるふりだけを上に見せて、全部丸投げしてるとも言われた。
部長はそんな風にしか見てないんだと思うとさすがに悲しいけど、結局何をしても認めてもらうことはできないとある意味あきらめがついた気分。
とりあえず、状況を説明するために顛末書を書けと言われたので、いったん帰ってから顛末書を書いてメールで送っておいた。
確かに、私が間に入ってわかっている部分だけでも「連絡とった?」とか「伝言してくれた?」とかもう一歩確認しておけば良かったわけで・・・。
これについては悔やまれます。そう言うことも含めて書いておきました。

しかし、部長の決めつける言い方は好きになれない。
でも、泣いても笑ってもうちの部長な訳だから
何とかうちとけて和解したい気持ちはいっぱいあるんだけど、
今日の部長の口ぶりを聞いて、和解(っていう表現もおかしいけど)なんてあり得ないことだと実感した。
今の状況をどう打破したらいいのか・・・。謎です。

【追記】
10日土曜日、出社でしたが、部長が私の所へ来て
あの文面を見る限りでは私だけのせいではないみたいだなと
話してきた。もちろん詰めの甘さなど私も反省するところが
あるのは事実だが・・・。とも言われた。
説明すると言い訳するといつも言うので何も言えないのが
常だが、今回は顛末書に冷静に事実を書きつづったのが
良かったのか?しかし、間に入った後輩が私の指示を
ちゃんと聞けていなかったので、そのあたりの話を
月曜にするらしいが、やりとりいかんではまたまた
怒られるのかな?そのときは、
もう知らんわ。

夜回り先生に会った

2006年05月23日 23時59分21秒 | 仕事
今日は講演会の取材だった。
「夜回り先生」こと水谷修さん。元横浜の定時制高校の先生で、先生時代に深夜の繁華街をパトロールしていたことから「夜回り先生」の名前が付いている。今は、高校も辞めて全国で講演会の日々。昨日も児島で講演したとのこと。
最初は気むずかしい先生かと思っていたけど、講演を聴くと引き込まれていった。
先生の周りにいた子供達は本当に痛い子がいっぱい。残念ながら命を落としてしまった子もいるし、笑いあり、涙ありの2時間だった。
子供との関わり方の違いで子供の人生を大きく変えるような話もあった。
そんなときに、高校時代の事を思い出した。
高校2年の担任は、厳しいけどすごく温かい人だった。
今でも年賀状を中心に近況のやりとりをしている。
高2の時に、当時はまだ不登校なんてかっこいい言葉が浸透してなかったが、クラスの友人でなかなか学校に来ない人がいた。たまに来ると、その先生に「珍しい人が来たなあ~」と決していやがるとかしかるではなく、ちょっと頃がしてる程度の扱いをするが、友人はまんざらでもない状態でいやがってるそぶりはない。たまに来てもクラスが暖かいから完全な不登校にはならなかった。
3年に上がり、クラス替えがあって、友人は別の若い先生が担任になったが、その先生は私も中学一年の時にちょっとつらい思いをしたことのある先生で、案の定、友人が来たり来なかったりする生活を繰り返していたら、来るたびにしかっていたり居心地を悪くしたりしていて、結局その友人は一学期も持たずに退学した。
私たちは、高2の先生がそのまま持ち上がっていたら彼女は一緒に卒業できたに違いないと今でも思っている。
そして、10代ながらに先生の力量って物を感じた。
私は中高一貫校に行っていたので、その先生が中一の時の担任で、普段は特に何も思わなかったが、ある時にクラスの子が嫌がらせの手紙をもらったらしく、その犯人探しの時に、私がなぜか疑われた。クラスの誰かが、これはリンダだと思う。って先生に言ったらしい。私は全く身に覚えがないし、手紙の存在も友人が先生に言ってから知ったくらいで、そのことを先生に言うと、一応信じてくれた。でもその後とった行動は「とりあえず念のために筆跡をとらせて」と手紙の一部と同じ文面の文字を書かされた。これはさすがに私はショックだった。「これって信じてると言っておきながら私を疑ってるのでは?」12歳の時の出来事だけど、未だに悔しさは残っている。
今日、夜回り先生の話の中で、先生が持っていた2年のクラスの子がクラスメートの財布を盗んだ話があった。しかも別のクラスメートが見ていて先生に報告したらしい。でも、先生は最後までその子が犯人だとみんなの前でもその子と二人になった時にも言わなかった。先生は、自分が貴重品の管理を怠った、適切な保管の指示を出さなかったと、とりあえずなくなったお金については先生が補填した。お金を盗んだ子はお母さんが入院し、学校を辞めて働くと言っていたのを先生が頑張れと励ましていたから先生も責任を感じたという。その後先生は学校を辞めたが、その子が最後の担任の学年だったので、卒業式に出席したら、お金を盗んだ子は先生に茶封筒を差し出したらしい。その中にはぼろぼろの千円札が50枚。先生に立て替えてもらったお金を卒業までに貯めてへんさいするというのだ。その子は、その後も学校にまじめに通い、就職も決まり、円満に卒業するという。先生はその話を聞いて、その封筒は就職祝いとその生徒にあげたらしい。先生があそこでしかったり、辛らつな言葉を発していたらその子は、ぐれていたかもしれない。不良の多いこの学校で、その子も堕ちていっていたかもしれない。でも、先生が必死でかばってくれた、その先生の気持ちに答えたいと卒業までお母さんを支え、頑張って来たそうだ。
先生は、ぜったいにしからないと言う。家族でも一つしかる前に10ほめなさいと言ってた。そう言えば、私もついついハルが思うようにしてくれないと怒ってるなあと反省した。ハルは弱い子だし、怒ることが決してプラスになる子ではない。ただ、怒ることも多少はやっておかないと社会では怒る人もいる。もちろん、間違ったことをすることもある。そんなときにはちゃんと導いてやる責任は親にはある。だけど度が過ぎる怒り方は行けないなと反省した。
また、先生は専門家が必要な事態には、速やかに専門家の元にいきなさいとも話していた。愛で病気は救えないと言ってた。確かにそうだ。

子供だけでなく人と接する時、優しい言葉を使ってますか?それを心がけると自分にも優しい言葉が返ってくるし、さらに人に穏やかに接することができるとのこと。

うちの部の人たちにも話を聞いてもらいたかったなあ・・・。
まあ、それは置いといても、部の事をあれこれ細かく悩んでいては子供と健康な心で接するのは厳しいなあと思った。私には守る子供がいる、子供の将来を守りたい。だから、いらいらした時こそ大きく深呼吸して歩んでいかなくては。

いじめ・・・?

2006年05月11日 23時59分37秒 | 仕事
今日、仕事終わりの反省会の時に、やたらと部長の視線を感じた。
なんで?と思ったけど、反省会が済んでわかった。

反省会の最後に部長の
「タクシーチケット発行の車両伝票の上長印を勝手に押すやつがいる」
というせりふがあった。

その前の視線と合わせて、私に何か言いたいんだろうけど、
私はタクシーチケットって不正に使ったことは一度もない。
怪しい使い方的な、グレーな使い方すらしたことはない。
だから、何がいいたいんだろう?でも、何か私に言いたいようだ。
と、疑問に思いながら、翌日のネタの準備をして
帰る前に部長に「帰ります」と声をかけたら
「さっき言ったこと、誰に言ったかわかるか?」と返された。
やっぱり私だったらしい
この日のデスクは部長ではなかった。
私は昨日、このデスクから、今日の午前中はタクシーで行けばいいからと
許可をもらっていた。
昨年春、この部署に異動してきて、タクシーを使う機会が多いから
タクシーチケット発行のための伝票の書き方を教わった。
上長印は当日のデスクのはんこを押すこと。
はんこは、伝票のそばに部員全員のはんこががさっと入っていて
当日タクシーに乗る事になっている場合は、伝票作成の際
デスクのはんこはここから自由に押して良いと指導を受けていた。
だから、これまで迷わずその手順で行ってきた。
・・・最初、部長にとがめられた時には「?」だった。
「デスクがタクシーで行けって言ってました」と言うと、
「配車はみんなやる、だけどはんこは別の話だ
無断で押しておまえのやっていることは完全な偽造だ」と言われた。
訳わからん。今まで一年以上この生活をやってきて
何で急にこんな事言われるの???
帰りに、同じ部の人に、はんこの手順についてメールで聞いたら
誰もが「勝手に押してる」と返事があった。
部のルールとして指導を受け、
みんなやってることなのになんで私だけ怒られるの?
もちろん、私が悪いなら素直に反省します・・・。
悔しくてこの日は帰り道、涙が止まらなかった。

帰ってからもしばらく悲しくて悔しくて食欲なかったけど
旦那もご飯まだだったし、マルさんのブログの賞品だった
みそ煮込みうどんを作って頂きました。

ちょっと堅めの麺と、間に合わせで買ってきた具ですが
おいしいのができあがりました。


旦那と一緒に食べて、少し気持ちも落ち着いてきました。

何が正しくて何がおかしいのか

2006年05月02日 23時59分23秒 | 仕事
今朝出勤するやいなや上司に呼ばれ、とあることで事情聴取。
心を痛めた友の相談に乗っていたのだが、
そのことに関連していろいろと聴かれたものの
友が悩みについて私に語った内容を上司に伝える気はない。
無意識で友を傷つけていて傷つけた意識がないんだもん。
私に対しても鋭利な刃物でざくざく来る上司。
しかし、刃物を持っていることに気づかないからどうしようもない。
友がかえって窮地に追いやられてはいけない、私なりに護りたいと思った。

諸事情により詳しく書けないが、改めてうちの部に理解者はいないし、
部との価値観はかなり違うと認識した。

今日は大学時代の友人に凄く久々にちらっと会えた。
彼女もかつて職場問題でいろいろとあったために
カウンセリングに通うまで心を痛めたりしていた時期があった。
だけど、この部署に来てつくづく思うのは、
「人の痛みを知ってる人は痛んでる人に適切な優しさがある」ってこと。
彼女とは10分も話してないが、心にストライクに来る
あったかい言葉を沢山もらって、涙がボロボロ出てきた。
夜にも励ましのメールが来たけど、言葉がさりげなくってすごく暖かかった。

家に帰ると家族がいる。
疲れて帰ってもいつもと同じように家族が待っている。
そんな日常がなにより嬉しく感じる。
心の叫びを訴えると応えてくれる友がいる。
みんなの愛に支えられて、私は困難を乗り越えられる。

ほんとうにありがとう。

今日は抽象的な話でごめんなさい。


今週は忙しい…

2006年04月21日 07時00分36秒 | 仕事
今週は夫婦そろって残業だらけの日々である。
しかし、我が社はタイムカードがなく残業はつかないし、(ただし1日だけ夜遅かったから深夜勤がわずかにつくかも)旦那も課長さん?ゆえに残業はつかない。ともに奉仕活動みたいなもんである。
というわけで、我が実家が全面的にフォローに回るが、ここ最近は母の体調がよくないために、あまり無理も言えない…。
今週は野球にどうにかの取材、選挙の電話調査ととにかく忙しかった。今週は三時間から五時間は残業している。
旦那は経理だから一年で一番忙しくどうしようもないのだ。
昨日は残業しなくても大丈夫だから、仕事が済むやいなや部長に母の体調がよくないから本日はは急いで帰りますと、言う予定にしていた。
ニュースが済んでいざ帰ろうと思い、できたばかりの翌日の勤務を見ると「事件対応」がついていた。つまり一晩中緊急呼び出しに耐えなくては行けない…。
旦那にわびのメールをいれ、こちらに残り警戒…。しかし。朝まで何もなかった。複雑な思いである。

新年度に思う

2006年04月14日 23時59分39秒 | 仕事
2006年度がスタートした。
私は願い聞き入れられず・・・現状と変わらない日々。
だけど、うちの部署には異動や入社と新しい仲間が増えた。
それぞれと話をすると、ひとりひとりの感情とか思いとか
ここに配属されてきた自分とは、って客観的に
見つめる人もいてすごくこちらもはっとさせられる。
と同時に、みんなが同じ方向を向いてないなあというのが
実感できるので、今後が思いやられたりもする。
うまく書けないけど・・・うちの部署は特殊だと思う。
この業界、みんなそうだよ。って同じ職種の人は
思うかもしれないけど、新しいことを触っている割には
一番考えが古いのかも。
でも、ここでさらに最低でも一年はお世話になるわけだし。
一年前の今頃、勝手もわからずおろおろしていて
だれも教えてもらえずすごくつらい思いをしたことは
今でも鮮明に心に残っている。
だから、一年前の私と同じ思いをしている人たちが
目の前にいるから、私は微力ながら力になりたいと思う。
同じ痛みを味わった人たちは、私と同じ考えを持つ人が多く
温かい手をさしのべている。
それを見ているだけで、ちょっぴり癒される。
今年度も自分の中では暖かい心を持ち続ける人になりたいと
強く思っている。
昨日、この春この部署に来た人たちといろいろな場面で話す機会が
多かったので、しみじみと感じてしまった。

懐かしいもの見つけました

2006年01月21日 19時15分24秒 | 仕事
いよいよ今日からセンター試験。
3700人の受験生が訪れる某会場へ取材に行った。
臨時バスが続々と到着する正門前でバス会社の人が対応している。
よく見ると知った方だった。
この方はバスが大好きでバス会社に就職したと言われる方で、
バスを愛し、いろんな愛のあるイベントや対応をなさる方だ。
今日もきっとバスから降りた受験生一人一人に
心の中でエールを送っているに違いない。
しかし、バスの対応とはいえ、
寒い朝にずっと外でたちっぱなしはつらいだろう…
ざっくりと着込んだベンチウォーマーがそれを物語るが、
その上からこんなものをぶらさげていた。



バスの車掌さんが首からぶら下げていたがまぐち(何て言う名前だろう?)。
思わず懐かしい~と言ってしまった。
今ではもう製造もされてないから会社に残る古いのを使われていたようで
「これは貴重だからオークションに出すと高く売れますよ~」と話してくれた。
その方がなんだか嬉しそうに首からぶら下げている姿を見てほほえましかった。
ちなみに一緒に行ったカメラさんもバイトさんも20代。がまぐちはおろか、
車掌さんがバスにいたことすら知らないそうで、
私が嬉しそうに話す私と温度差があった。
いや、私も社会の教科書でみた方が印象に残っていて、
実際いつごろまで車掌さんいたのかわからないです~。

部員失格?

2006年01月19日 23時50分48秒 | 仕事
本日出社早々に上司にお願いしました。
母の手術が来週再び行われるので、
午前中は仕事します、でも、午後から明けてください。と
結果的にはお休みをもらえることになったけど
その代償にいろんなことをいっぱい言われました。

今の部署は基本的には24時間体を空けておいて
いつでも仕事に対応しようという方針。
休みも勤務時間も全て会社の言われたとおりに従う。
残業も休み返上も当たり前、その見返りの賃金の上乗せは一切なし。
それが当たり前だ、とみんな働いている。

私は、子供のこと、今は母のこと、なにかと手枷足枷がある
しかも、自分の体調のことで相談しても
そんなもん(悪い部位は)とってしまえと言われた。
(ちなみに悪いのは卵巣なんだけどね)
たぶん、上司としてはそんな変なもん体に残すならば
さっさと取ってしまって仕事に支障を与えるなって言いたいんでしょうね。

先日、母が調子悪くって、主治医が話したいから夜病院に来てと
いうのがあって、仕事一通りすんでから急いで帰りました。
翌日、上司からそんなときは早く帰ればいいと言われました。
そして、そのときに母の手術が今度の火曜になるので
遅刻させて欲しいとお願いしたものの、それでいいのか?
休みが必要なら言え、と言われたから、
やはり手術、何があるかわからないから
それならば休みにして欲しいと言ったら
遅刻で良いと言っていたのに、とまた怒られました。
そんなやりとりがあったから、さらに来週も時間を空けて欲しいとは
言いにくかったんだけど、でも、母のことを考えてお願いしました。

育休明けて、子供の病院(予約して検査)とか行事などで
前もってこの日に休みをお願いします。
この日の午前明けてくださいなど確かにお願いすることは
多かったし、去年9月に祖父代わりの叔父がなくなったときにも
早退させていただいたりしたけど
のちのちに上司から自分は親が入院しても休まなかった
親戚が亡くなっても休まなかったとかいろいろ言われました。
しかも、だんなには子供のことを何もしてもらわず
私ばかりが休みを申請すると言われたんですが、
ウチのだんなもどれだけ子供のために、私の母のために
休んだり、半休取ったり、早退や遅刻しているか
その量、きっと私より多いはず。
そんなこと、何にも知らずに一方的に言われるのもいやなので
「違う」ってことを言おうとして「あの~」と口を挟むけど
向こうが話をやめず、もともと思いこみ激しくて
両方から事情を聞かず一方的な話で解釈する傾向があるようなので
こちらの話は何も聞いてもらえなかった。
まあ、私は「いいわけが多い」と思われてるので
きっと言えたとしても「また言い訳する」で終わりだと思います。

言い訳する、って昔言われたので、あまりこちらからは
なにを言っても無駄な感があるからあえてなにも言わないことが
多いんだけど、そうしたらそうしたで「ハイ、だけ言ってたら
何でもやってもらえると思ってる」と言われました。
他の人がおもしろおかしくいううわさ話を丸呑みして怒るし、
私のミスや対応の悪さを喫煙ルームで魚にして話してるし
そう、上司にとって私は相当うっとうしい存在なので
なにをやっても気に入らないんだと思います。
ああ、入社してからお世話になった部長たち、
結婚当時の上司、ハル妊娠時の上司、
ハル育休明けの上司、産休にはいるときの上司・・・
本当に私はこれまで上司に恵まれていたなあと実感しています。

部署を変わって10ヶ月。
慣れない仕事で上司の望むようないい仕事がまだ出来てなくて
そんな奴がなにを言うって感じなんでしょうね。
でも、私の得意分野の仕事は一切つけてもらえず
(わざとはずされているような気がする)
慣れないことばかりの毎日なので、なかなかお役に立てるようにと
思ってもそうはいかなくてもどかしいです。

介護休暇を取ってしまえ、とも言われました。
取るにしてもとりあえず火曜の手術の状況を見てからだと
思います。それ次第では本当に検討しようと思うって
会社の別の先輩に話していたところだったので、
もしも来週の処置の結果で長引きそうならその手段も視野に入れて
考えてみようと思います。

どんよりしてはいられない、母を励まさないと行けないんだもん。


思いがけず狂言を鑑賞

2006年01月05日 23時00分38秒 | 仕事
今日は、急に夕方から取材に行くことになり、
それが野村親子3代の狂言の公演でした。
ちょっとうきうきしながらカメラマンと一緒に会場へ。

狂言は、野村家の子供が3歳で初舞台を踏むときの定番
靱猿。萬斎さんの6歳の息子さんも小猿役で登場。
とても楽しいひととき、ありがたい取材でした。
狂言を初めて見たのは中学か高校の音楽鑑賞会の時に見た
狂言「ぶす」。教科書にも載っていてストーリーもよく知っていて
楽しめたことをふと懐かしく思い出しました。
狂言を初めて見るカメラさんも楽しんでいました。

狂言の会場の外にきれいな三日月を発見。
しかし、携帯のカメラで撮るとぼんやり・・・残念。

ところで、退社して家路を急いでいたら母から電話が
母の症状でまた新たな問題が発見。
でも、実は異変はお正月前から気づいていて
先生にも訴えていたんだけど、取り合ってもらえてなくて
そうしたらやはり異常があったの。
兄が怒って「転院させる!」と息巻いているので
明日、兄が病院に怒鳴り込んでいきそうな勢いなので
とても心配です。いや、それ以上に母の容態が心配です。
早くよくなりますように。