青森県鶴田町立 旧水元小学校
1876年(明治9年)140年前に創立された歴史ある小学校
現存する建物は、体育館が1907年(明治40年)、校舎は1936年(昭和11年)に建築されたものが、
屋根や窓などは改修されていますが、ほとんどそのままに残っています。
とても良い天気です。
現在は、鶴田町歴史文化伝承館として利用されているので、中に入ってみることにしました。
立派な校舎の入り口。
かなり前のCMですが、ここの小学校が、日立マクセル DVDのCMに、ちょっとだけ出ていたのを思い出し、
調べてみたら、今でも日立マクセル「大人になったジブンへⅡ」篇 の動画が残っており見ることができました。
古い下足箱
左の下足箱は創建当初のものでしょうか!?
入り口より入ってすぐを振り返り、校門を見たところです。
入って右に曲がっての廊下。
まさしく木造校舎そのものです。
急にノスタルジックな世界に引き込まれていきます。
階段には中央に白線があり、右側通行を強いられていた模様・・・(笑)
正面衝突して転げ落ちたら大変ですが、注意されるとわかっていても走ってしまう。
鏡が絶妙なところに取り付けてある。
折り返し先の反対側に誰かいないか確認するための安全ミラーですね。
生徒たちが作成し使っていたポスターが、当時のままに貼ってあります。
鏡に写っているのはわたくしで、実態ですよ。(笑)
2階に上がると大部屋がありますが、元は図書室だったものを改修したようです。
図書室と書物が当時のままだったら、明治時代からの古いものが読めたかも!?
とても残念です。
ほかには大きく改修されたところはないようです。
しかし、これほどしっかりしているのには驚きです。
昔の木造建築のすごさが感じられますね。
今このクオリティーで一軒家とか木造建築したら、どんだけ費用が掛かるのだろうか!?
この先は教室が再現してありました。
教室の廊下側のガラスは、大正ガラスと呼ばれる種類のもので、いくらか歪んで見えます。
外窓以外はオリジナルのままのようです。
この総ヒノキの質感、すごいものがある。
大きな石油暖房器具があるが、冬はこれを目の前にする席の生徒は熱すぎて困るんですが、
一番後ろに離れている廊下側の席の生徒は、寒くてたまらなかったはずです。
黒板に、「青森LOVE」の文字
前に来た来客者が書き残したものかもしれません。
この文字が、今の自分の気持ちを一番うまく表現してくれていると思います。
この柱時計のように歴史的に貴重なものばかりなのです。
備品とかにも一切触っておりません。
生徒が出てきて、勝手に触っちゃいけないんだ、先生に言いつけてやるぅ~とか言われそうで・・・(笑)
ほかの教室には、古い農機具などの民族資料などが展示されていたり、
会議室には、丹頂鶴に関する資料とかが展示されていました。
材が奢られ頑丈に作られているので、使い古されてもしっかりしている。
生徒は、けっこうアクロバティックなことをしてしまいますからね。(笑)
体育館の入り口です。
左側には手洗い場がありました。
生徒たちが使っていた歯ブラシもそのままにしてありました。
食事のあとは歯磨き。
昼休みに外や体育館で遊んだら、うがいと手洗いの励行かな。
体育館は110年ほど前のもので、校舎の80年前のものより30年古いのですが、それを感じさせないしっかりした作りです。
トラス構造が見て取れますが、木造での大空間の作りは圧倒されますね。
作られた時代が違うのは、逆算してみての推理・予想としてみました。
創設当初の小学校は、材は奢られておらず小さいものだった!?
それに体育館と呼べる大きなものではなかった!?
創設から30年後に材が奢られ、立派に増築されたのではないか!?
校舎は創設より60年が過ぎ老朽化、生徒数増加に合わせ、
こちらも丈夫で長持ちするよう材が奢られ、立派に作られたのではないでしょうか!?
何れも明治末期と昭和初期では日本の経済はすこぶる良かったので、
建設費用も存分に掛けられたと思われます。
というのが、私の勝手な推理による予想ですね。
天井には大きな丹頂鶴の模型が吊るされています。
昔はたくさん飛来してきていたようで、町のシンボルの鳥のようです。
保健室前
この先は校長室と職員室なので、「静かに」の看板が目を引く。
職員室を過ぎると、校舎の入り口へと戻ります。
音楽室は体育館側にある二階の部分にあったのですが、まだ整備がされておらず、
物置に使っている感じで入れないようになっていました。
ぐるっと回ってくると、この黒板が目につきます。
遠くからもたくさん来ているようで、いろんなメッセージが書き込まれていました。
自分も1年生の時だけでしたが、地元の小学校は木造校舎でした。
ここは、その小学1年生だった頃の事を思い出させてくれましたね。
2年生からは、併設されていたコンクリート製の新校舎に移り、
木造校舎での思い出は少ないのですが、隙間だらけでボロッチーなぁ~という印象だけでした。
廊下板の隙間からは、「おはじき」などが落ちているのが見えるくらいでしたし・・・
今は、コンクリート製の校舎の小学校も閉校してしまい、生徒のいない寂しい姿を残しているだけです。
校舎を出ると、校門のところで写生をしている人がいました。
ここのOBかなと声をかけたら、地元の方ではないそうです。
ここが気に入っていて、たびたび来ている言っていました。
いい雰囲気で優しい感じの水彩画です。
ここの存在そのものは、だいぶ前から知っていたが中には入れるとは知らなかったのです。
今日、たまたま別のところからの移動中、
校舎の入り口付近に「公開中・・・」的な案内看板を見つけたので、興味半分に入ってみたのです。
基本的に、古い工業デザインのものが好きだったりしますが、
この校舎そのものの古さは、歴史が詰まっているだけあって感慨深いものがありました。
なんでも新しい物のほうが快適なわけなので、古いものには興味が薄れていきます。
しかし、いざ、それが無くなるとなれば寂しくもなり、もったいないと思うものですよね。
ここは、物を大切に使うという精神が根付いている町なのだと思います。
このような歴史的価値のある建物を保存管理することで、
後世に伝え残せることは、とても意義があると思います。
*へばまんだのぉ~*