吉田屋のブログ。「新・自給ライフ研修旅館」を発信します!

「ミニマム」でいい「持続可能」であれば。あの日からそんなふうに思う。笑いながら汗を流し、ドンと構える社会を掴みたい。

若おかみ奮闘記⑤竹退治ビジネスパック

2007年01月24日 | 2011年3月までのブログ内容はこちら
若女将のコラム 若おかみ奮闘記⑤竹退治ビジネスパック
(中国新聞「緑地帯」コラム 2007年1月23日(月)掲載より)
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 ヘルメット、長靴、虫よけの長袖シャツ、手にはのこぎりとかま。こんないでたちで向うのは竹やぶ。竹の美しさは心を打つ。しかし今は山の手入れをする人が減り、竹の侵食が日本中で大問題になっている。
 石見銀山遺跡も例外ではない。竹は「遺跡を壊す」と厄介者扱い。この問題を何とかしようと、地域貢献プロジェクト「竹やぶSOS基金」は始まった。
 厄介者を地域資源にする逆転の発想だ。普通竹を伐採するには、山の持ち主が作業代を払わなくてはならない。厄介者を商品にできれば、地域に仕事が生まれ、雇用も創出できるのではないか。
 「悩みの種になる竹を一本十円で買い取ります!」。そう呼び掛けると、「お金は要らないから来てほしい」と数多くのSOSが寄せられた。
 竹は長さ三十㌢に切りそろえ、花器にする。東京の卸業者が「若者を応援したい」とメッセージ付で注文してくれた。正月用の金粉花器は都会へ旅立った。
 「竹やぶ」作業員も続々集まった。私が講師として行く地元の小学校の児童も参加してくれる。
 切る時は、のこぎりの人と竹を支える人がペアになる。竹が倒れるときは「倒れまーす」と大声で回りに知らせる。チームプレーはまさに教育だ。
 作業が進むと、うっそうと茂っていた暗いやぶに、柔らかな光が差し込む。参加者にしか味わえないその瞬間の感動は、都会にはない…。
 そこから宿泊料金プラス五千円の「竹伐採コース」が生まれた。汗を流し、地域にも貢献できる「ビジネスパック」は今や、生活にちょっと余裕があり、新しい価値を求めている都会のおじさまたちに大好評;田舎はワクワク連鎖を生むフィールドなのだ!

若おかみ奮闘記④地域貢献日

2007年01月23日 | 2011年3月までのブログ内容はこちら
若女将のコラム 若おかみ奮闘記④地域貢献日
(中国新聞「緑地帯」コラム 2007年1月20日(土)掲載より)
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 旅館の営業は週末の三日間だけ。だからといってあと四日を遊んでいるわけではない。地域の課題を見つけて解決の道筋を探る「地域貢献日」と決めている。
 実は吉田屋は半期で1年の売上目標を達成してしまった。仲間から「売り上げ倍増より、地域の為に時間を使いたい」と声が出た。
 当初から利益の三分の一は地域貢献に充てるつもりだった。当面の活動資金もある。昨年七月から思い切って週休4日に踏み切った。すると、予想をはるかに超えた面白いアイデアが出始めた。
 地域のおばあちゃんを旅館に招き、体操と温泉と若者とのおしゃべりをする企画を立てた。そこでヒントを得て試作したのが「介護陶器」。プラスチックでなく、温かみのある持ちやすいコップだ。東京の展示会に出して、注文が舞い込んだ。
 かつて住んでいた山口では、仲間がさまざまなコミュニティービジネスを始めている。お茶などの農産物、タオル、畳といった不用品や余り物を、ここ島根と広島を結んで、必要な所へ車の便を活用して運ぶ「もったいない運送」が大好評だ。
 旅館の朝食にイカの刺し身を出すのだが、余った脚が冷蔵庫を占拠していた。「もったいない運送」で山口・大島に運び、干してするめに。幼いころ歯並びが悪くて苦労した板前さんが、子どもに歯を鍛えてもらおうと発案した。するめのにおいを気にするお母さんのために、芸大の学生たちがおしゃれな持ち手もデザインしてくれた。
 料理班は地域のお年寄り向けに「量り売り惣菜」を開発中。インテリアに興味のある仲間は、百畳間をシルクロードのじゅうたんで飾ろうとウズベキスタンから輸入した。時間的余裕がアイデアとビジネスの種を産む。

若おかみ奮闘記③発信、また発信

2007年01月22日 | 2011年3月までのブログ内容はこちら
若女将のコラム 若おかみ奮闘記③発信、また発信
(中国新聞「緑地帯」コラム 2007年1月19日(金)掲載より)
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旅館経営一年目は前年を大きく超える利益を出せそうだ。吉田屋は実は金曜からの週三日営業。「週休四日で、どうして売り上げが二倍にもなるんですか」とよく聞かれる。勝因はなんと言っても発信力だと思う。
 身の回りに起こる面白い出来事をホームページやブログ、メールマガジン、ミニコミ、講演などでどんどん伝える。返ってくる社会の反応をみて、面白さが独り善がりでないかを確認する。
 私たちの活動にマスコミが共感してくれると、力はさらに大きくなる。そんな経験を何度か経て情報化社会を実感している。
 昨年、吉田屋はテレビの全国放送の取材を三本受けた。制作者側の提案に対し、私たちは納得するまで話し合う。考えを主張し、一緒に番組をつくるつもりで臨む。
 だからあらかじめストーリーを描いて、せりふまで指示するようなやり方には、明確に「ノー」を言う。軸のぶれない発信が、軸のぶれない経営につながると思っている。
 そうでなければ、これまで応援してくれた人たちを失望させてしまう。ずっと応援団で居続けてもらうためには妥協はダメ。私たちの思いをストレートに伝えてこそ、信頼を保てる。
 そう心掛けた結果、経済誌の「2007年ヒット予測ランキング」でベスト20に「温泉津温泉」が入った。吉田屋の奮闘を知る人が後押ししてくれたという。地域にも貢献できたのがうれしい。
 都会の雑踏から来た人が「(宮崎駿監督のアニメ映画)『千と千尋の神隠し』の舞台に来たようだ」と語る温泉津。時間がスローに流れ、三百年前の石見銀山時代がきのうの出来事のように語られる。「よそ者」の目で発信し、いつも感動していたい。

若おかみ奮闘記②非常識な挑戦

2007年01月19日 | 2011年3月までのブログ内容はこちら
若女将のコラム 若おかみ奮闘記②非常識な挑戦
(中国新聞「緑地帯」コラム 2007年1月18日(木)掲載より)
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 旅館業に身を投じて数ヶ月。背伸びして設備投資をしたり、「旅館やおかみは、もてなしの心こそ命」みたいな昔風の価値観に縛られたりするのは納得がいかない。
 どうせゼロからのスタート。失うモノは何もない。常識にとらわれず、やりたい事ができる場所をつくろう。若くて、ど素人だからこその「無謀な挑戦」を始めた。
 真っ先にインターネットを引き、館内どこでも無線LAN対応を可能にした。ホームページをつくり、予約を受ける態勢を整えた。
 やめたこともある。大手旅行会社の契約は断った。温泉旅館なのに泉源の栓を閉じた。自前のみかん風呂にしてコストを下げた。代わりに新古今和歌集にも歌われた元湯に入ってもらおうと、無料券を配っている。
 むちゃくちゃな独自路線。心配する声も当然あった。だが、お客さんはどんどん増えた。
 「田舎の老舗旅館を拠点に地域の問題を解決しよう」。そう呼び掛けると、大阪の企業支援マネージャー時代に知った若者が続々やって来た。「成長したい者拒まず」の精神が共感を呼んだのだろうか。地元だけでなく全国から就業体験を求める人も集まるようになり、一年間で百人近くのインターンを受け入れた。
 教育機関は小・中学校だけ、高齢化率42%の温泉津の町に突如増えた若者。お巡りさんはうれしそうに聞き取り調査に来られ、消防署には「緊急時に頼れる元気な集団」と映ったようだ。
 「若者、素人、よそ者に何ができる?」
 そんな固定観念を打ち破ることで地域は活性化する。新しい価値を求め、多様な人を受け入れ、自然に足が動き始め、必死で打ち込む。ミスマッチこそ創造性を生み出す鍵。それをここで証明したい。

若おかみ奮闘記①転身を即断!

2007年01月18日 | 2011年3月までのブログ内容はこちら
若女将のコラム① 若おかみ奮闘記①転身を即断!
(中国新聞「緑地帯」コラム 2007年1月17日(水)掲載より)
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 「人生で去年が一番充実していた。今年はもっといい年にするぞ」。いつも新年を迎えるとこう思う。とても幸せ者だ。
 二十六歳(になった)私は突然、「高齢化が進む過疎の町」で旅館のおかみになった。四十七都道府県調査でたいていビリから見つかる島根県。そんな島根の中でも「東京からJRで最も遠い」温泉津町で、後継者に悩む旅館経営者と出会った。
 「問題山積みの所で新産業創出に挑戦しよう!田舎こそ社会起業のチャンスあり。ここで旅館のおかみにならないか」
 島根大や島根県立大でコミュニティービジネスを教える恩師、片岡勝先生の誘いに即OK。起業支援の職をやめ、地下鉄が五分に一本走る大阪の生活にサヨナラ。島根にJターンして昨年一月、旅館を引き継いだ。
 「旅館のおかみ」。華やかなイメージとは裏腹に仕事は慌ただしい。
 朝六時起床。朝食を作り、八時に客室に食事を運び、十時にお客さんを送り出して掃除。建物は文化庁の伝統的建造物にも指定された大正生まれ。掃除が行き届いていないとクレームにつながるので気が抜けない。
 午後三時には新しいお客さんがやってくる。品数の多い夕食をつくり、配膳、片付けまでを終えると、やっとお風呂。その後事務処理を済ませて、寝るのは零時を回る・・・。
 過去五年間で全国五千件の旅館が閉鎖に追い込まれたという。日々の忙しさも後継者難の原因の一つだろうと感じる。
 下松市のサラリーマン家庭に生まれ育った私には、幸い旅館への先入観がない。日常生活には日々発見がある。老舗旅館や元気のない地域が抱える多くの問題に出会うとファイトがわくのだ。