オールド レノンストリート物語

元オーナー通称レノマスが語る自由が丘にあったレノンストリートの話です。あの頃の時代の仲間、全員集合!

レノンの店が出来るまで3

2007-04-25 17:20:33 | Weblog
この写真は僕が小学校の頃、母親がクラス全員を招いてくれた誕生パーティのもの
だが、自分が親になり、子供にしてやる立場になると、改めて自分の母を思いだしよくしてくれたなーと思うし、また自分がしてあげれた事を神に感謝したい。
さて話をもどすと、当時、僕は勉強ばかりしていて、同級生からはガリ勉のXXX君と呼ばれ、学級委員もやったが、ナイーブな学生であった。クラスメイトに赤坂からかよってた栗原まさし君という、ちょっと大人びていて、バタくさい顔の持ち主がいて、紺のスーツを上手に着こなし、頭をきれいに七三にわけ、バィタリスをつけていた。時たまポケットから櫛を出し、ちょうどTVのサンセット77のクーキーのように髪をなおす。これがかっこよく、クラスの男子生徒はみんな右にならえしたものだ。時はアイビー族、そしてVANジャケット(個人的にはJUNのファンだった)が、最初に親からシャツを買ってもらった店は自由ヶ丘の高原という店でここの息子さんとは学校は違うが同期で同じ塾であった。また僕は余り興味がなかったが、(つまりマセて無かった。)平凡パンチの時代が来ていた。学校では近かったせいもあるのか、よく授業として東急文化会館のプラレタリニュームや名画座、パンテオンに行った。今でもサウンドオブミュージックを見た時の感動は忘れない。その後メリーポピンズ、グレートレース、ビートルスがやって来るとたて続きに見ていった。ビートルズが来日した時は、是非コンサートに行きたいと親に頼んだが、危ないという理由で行かせてもらえず、TVでの観賞となった。世の中は東京オリンピックをへて興奮状態にあったようだ。

昔の花見、多摩川台公園

2007-04-24 15:28:15 | Weblog
4月の始めに行ったワシントンDCの桜は日米の歴史を感じさせ素晴らしかったが、
僕には未だに幼少期の多摩川台公園の桜が脳裏に焼きついている。最近発見した
昔の多摩川台公園の花見風景を公開!

レノンの店が出来るまで2

2007-04-23 18:22:44 | Weblog
正直、プログを始めてわかった事は、始めはとにかく書き続けるしか無いという事だ。さてここでまた古い写真を一枚、後ろの砂利の坂が、昔のレノンの前の坂です。ここから話の続き、
それから僕は地元八幡小学校から青山学院中等部に入学した。当然通学は、家から自由ヶ丘駅まで歩き東横線で渋谷駅、そこから宮益坂を上って学校まで歩くことになる。(当時、渋谷駅には都電しかなかった。)そして青学の制服は当時としては珍しい、紺のスーツの上下と紺のネクタイとかっこよく(ファッションにさらに目覚める)また男女共学であった。授業が始まると僕みたいな新参ものは、後ろの席に座った、下の幼稚舎から上がってきた女子生徒にアプローチをかけられる。僕はその時、さすが青学の女子は進んでるとハッとしたが、この方は忘れもしない。上田守さんで、その後、洋菓子の研究家になられたと聞く。教育ママだった母親にさんざん家庭教師や塾を押し付けられた僕は男子トップで入学したらしい。PS講堂で新入生を代表してスピーチをした。同じクラスに夏目漱石のお孫さんの夏目房乃介さんがいて、担任の今井先生のもとでよく作文を競った思い出がある。その頃の中等部はまだ土のグランドが残っており、相撲の土俵もあった。思い出深い出来事は
グランドの体育の時間に先生が突然、全員集合の笛をならし裏門の前に全員整列した。その前を白バイに先導されたロールスロイスに乗られた天皇皇后両陛下が手を
おふられになり前を通過なされた。生徒も全員手を振ったが、自分にとってお近くで拝謁できた最初で最後のチャンスであった。幸運であったと思う。

息子よ!8才の誕生日パーティ!

2007-04-22 19:02:29 | Weblog
2年ぶりに、息子の誕生パーティを家で開催した。我が家では、毎回誕生会のテーマを決める事にしてる。(将来、思い出しやすいように)今年は<ロビンフッド>である。つまり森に隠れ、悪い王からトレジャーを奪い、民衆に分け与えた中世の
伝説的な英雄の話だ。
まずはテリーがこのイメージに合った手作りケーキを作成、弓矢がうまいロビンフッド、その練習用の的の形を再現!、作り方は、丸型のパウンドを作り2層に重ね
その周りをチョコレートバタークリームで固める。固まる前に、日本のお菓子をくっけ、木の幹や森の感じを出し、上部は、それぞれ着色したバタークリームを型に合わせて塗り固める。最後に割り箸を利用して作った矢を中央に刺して出来上がりだ。テーブルセッティングは森をイメージして、緑葉を飾り、ベイリーのコンフォオートを配置する。各皿には、小さな赤りんご(弓で打ち落とすイメージ)を配置
メインの鳥肉は、足のドラムスティクを選び、塩味と醤油味を作る。これはナイフ
フォークを使わず、わざと野蛮に手でつかんで食べて頂くという具合だ。
学校の後なので、子供達は夢中で食べていると、(契約したパフォーマー)マリアン姫が突然尋ねてきて、唖然とする子ども達に、早く食べて、公園にいるロビンフッドに会いに行こうと誘いかける。裏の公園に行くとロビンフッドがいて、さっそく二人の迫力ある剣の戦いのパフォーマンスがはじまる。みんなスゲーと感じだすと、ロビンが皆に剣の使い方を教えてあげるからと話し出す。子供達は一列にならんで、足と手の動かし方の簡単な練習をする。その後、剣の基本的な安全注意事項
の指示のあと、なんとフェンシングの防具を全員支給され、装着後、剣をわたされる。さあ相手と組んで剣の試合だ、子供達はおそらくフェンシングの最初の体験だ
ろう。面白くてとまらない。こうして最後に記念写真をとり終了した。
ユニークなパーティで友達は一生このパーティを忘れないだろうと思う。

JALのマイレージで半年ぶりの東京へ!

2007-04-19 17:57:39 | Weblog
中々レノンの店2が書けない状態で、一週間だけだが東京に帰って来た。ジェットラグに負けない様に、毎朝6時半に近くの九品仏で行われるラジオ体操に参加する。誰も知人はいないのだが、お互い顔を合わせると、気持ちよい声で<おはようございます>と挨拶する。それだけで話をする訳ではないが、何と無くお互いうちとけあってしまう。早朝の少し冷たい空気の中で、時間になると、昔、学校で聞かされた懐かしい歌声とメロディーが流れ出す。<新しい朝が来る。。。。希望の朝だ。。。。。>を聞いてると今日も一日充実していい日が送れる様な気がしてくるから不思議だ。
家から歩いて10分帰り10分、計30分のコースだがとうとう7日間
最後まで続けてしまった。
実は僕にとって九品仏は結構思い出深い所なのである。僕が小さい頃は、家からは
歩くとここより奥沢神社の方が近かった。だから自転車が乗れるようになってからくるようになったのだが、昔は廻りの土手に自転車で走れる小さな小道があって、よく走り廻った。
おーい!昔あった仏足石はどこえ行ってしまったのか?誰か知ってるかー?
境内の中央にあった大木では鞍馬天狗が隠れたり少年ジェットの悪役ブラックデビルが木の上から攻撃したり、映画撮影をよく見に行った。
裏手にある墓地には我が家の墓があって(後に母の一存で他へ移転してしまうが)
そこを利用して、夏の夜に肝試し。。。怖かった思い出が。。。。
昔は境内は今と違って一面の泥だったが、節分の時は本殿の縁側に歌手や相撲の横綱が来て豆まきをする。豆やお菓子の他に小銭も混じっているから、子供たちはみんな必死で地面に這いつくばって拾った記憶がある。高校時代には大晦日の夜に、
列に並んで除夜の鐘を鳴らしたこともある。
普段、忘れてた、色々な思い出がここに来るとよみがえるのである。

桜の季節 / ワシントンDC

2007-04-05 19:42:44 | Weblog
南カルフォル二アに移住してからは、気候はいつも比較的温暖なので、時たま日本の四季がなつかしくなる時がある。特に春は家の近くにあった宝来公園や多摩川台公園の桜がなつかしい。もちろんそれにあわせて東京に帰るなんて不可能だし、家族でよく花見をしたり、夜桜見物にでかけた事を思い出すだけである。
そんななかで、先週、妻のテリーに同行してワシントンDCに行ってきた。東京時代テリーはCWAJというボランティアグループに属しており、そこが主催の日本人画家のプリントショウがLIBRARY OF CONGRESSで開催することになり、それに参加するのが目的だった。今年のワシントンは例年になく暖かい日が続き、幸運にも少し早くポトマック川沿いの桜の木が咲きはじめた。
約100年前に日本から送られた数千本の桜が咲き出すのを見ると、改めて日米関係の歴史的深さに感激する。またそのスケールの大きさに驚き!逆にこれだけの場所が東京にあるのか?とも思った。ワシントンはその他にも、スミソニアン博物館(無料)ジョージワシントンの生家や他の観光地が沢山あるほか、非常に奇麗な都市である。皆様も、もし東海岸を旅行する機会があれば是非立ち寄ってほしい都市です。