今、周辺ではエンディングノートが話題になっています。
私はどうも世事に疎いようです。
社会的なことには疎くないと思っているのですが、
世事はどうも・・・・。
断捨離ということも随分話題になった後でした。
私は正確には断捨離を理解していません。
私が読んだのは、
「シンプルに生きる。モノを持たない暮らしーードミニック・ローホー著」だけです。
このような私にはできないとつくづく思いました。
でも、せめて最後はそれらしくシンプルにしておきたいと思ったのでした。
そして先月だったでしょうか、偶然ある会の「葬式について考える」講演で、エンディングノートが話題になったそうです。例によって私は出席できませんでした。
そういうことを活動に敏感に取り入れる人から
「エンディングノート」の改訂版を手に入れました。
これまでの思い出を書きとめたり、
どんな葬式をやりたいのか、
財産についての記載、
遺産相続についてなどなど。
まだじっくりとは見ていませんので、
もっとメンタルなものなのかもしれませんが。
確かに必要なものには違いありませんが、
書き込むのは何だか覚悟がいるような気がします。
私はいつもその時に精いっぱいで、
あまり自分の将来を設定して生きて来なかったような気がします。
日本の未来に思いをはせることはあっても。
でも、折角、愛情を持って育てた庭を持つ私の住まいが誰にも可愛がられることなく、
更地にされて売り飛ばされるのは、ちょっとさびしいな~ なんて思ったりもするのです・・・・・。
ただ一つ、準備がすすんでいるのは、
フォトエッセイ集を出すことだけです。
ふと思いました。
エンディングノートは
生きてきた人生をこれからの人につないでいくものでもあるから、
自分だけで書くものではないようような・・・・。
そんな風に思えてきました。
でも子どもたち、一緒に動いていた人たちが
どれだけ受けっとてくれのでしょうか?
なんて考えてしまいました。
私はどうも世事に疎いようです。
社会的なことには疎くないと思っているのですが、
世事はどうも・・・・。
断捨離ということも随分話題になった後でした。
私は正確には断捨離を理解していません。
私が読んだのは、
「シンプルに生きる。モノを持たない暮らしーードミニック・ローホー著」だけです。
このような私にはできないとつくづく思いました。
でも、せめて最後はそれらしくシンプルにしておきたいと思ったのでした。
そして先月だったでしょうか、偶然ある会の「葬式について考える」講演で、エンディングノートが話題になったそうです。例によって私は出席できませんでした。
そういうことを活動に敏感に取り入れる人から
「エンディングノート」の改訂版を手に入れました。
これまでの思い出を書きとめたり、
どんな葬式をやりたいのか、
財産についての記載、
遺産相続についてなどなど。
まだじっくりとは見ていませんので、
もっとメンタルなものなのかもしれませんが。
確かに必要なものには違いありませんが、
書き込むのは何だか覚悟がいるような気がします。
私はいつもその時に精いっぱいで、
あまり自分の将来を設定して生きて来なかったような気がします。
日本の未来に思いをはせることはあっても。
でも、折角、愛情を持って育てた庭を持つ私の住まいが誰にも可愛がられることなく、
更地にされて売り飛ばされるのは、ちょっとさびしいな~ なんて思ったりもするのです・・・・・。
ただ一つ、準備がすすんでいるのは、
フォトエッセイ集を出すことだけです。
ふと思いました。
エンディングノートは
生きてきた人生をこれからの人につないでいくものでもあるから、
自分だけで書くものではないようような・・・・。
そんな風に思えてきました。
でも子どもたち、一緒に動いていた人たちが
どれだけ受けっとてくれのでしょうか?
なんて考えてしまいました。
最近所によっては置き去り人間になってきています
我家も二人で 偶に帰省する息子たち
生活状況もわからないことも多いので
爺は戴きモのですが『もしもの時に役に立つ』と言うエンディングノートに 書き留めるようにして
誰が見ても対処できるように しています
核家族になれば 必要なものですね
色々な意味で、安心できます^^
その前に親が自分で生活できなくなったときどうするのかその方が問題のように思いますが。
のど元過ぎれば熱さ忘れるで、延ばし延ばしに来てしまいました。
自分が老いて、自立して生きていけなくなった時のことを考えるのが難しいですね。
もしもの時困らないようにと言うのが元ですが、まだまだ自分は元気だというのが何処かにあるからでしょうね。
書いておけば良いというものでもないので通帳や証券会社の整理を先にしようと思っています。
江戸時代からの家の跡継ぎとしての責任を果たせるように?
子供達は、急にくちこが死んだら、何がなにやら解らずに途方にくれるだろうから、その予防線として?
くちこのいろんな思い、希望、亡き両親の思い、いろんなことへの感情を伝える文章と、実利的なこと、権利証、公正証書、保険、税金、お寺などなど・・・
子供達に渡していますし、非常持ち出しのリュックにも入れていますが、あまりにも年数が経過し、内容に不具合が・・・
良い子に作り直せと、なんども催促されています。
今では、三人とも社会人だし、それほど困ることもないかと思いますが、再婚した責任上、ちゃんとしておいてやらなくてはと思ってはいます。
この夏、次男(普通の子)に、もっと長男を立てる言動をすべしと注意されたくちこです。
それに私は整理が悪いので、書きとめたものの
行方が分からなくなってしまいます。
今見たら自分史というパートもあるので
そんなところは書きやすいかもですね。
節目節目にするべきことを心得ていたのですね。
私は自分が手術をした時に強く意識しましたが、いまだに未完成です。
いろんなことに対する自分の思いを書いておくのはいいですね。
先のことばかり考えていても、
考えたとおりに
計画どおりにいかないものだし、
せいいっぱいに生きてきて、よかったんじゃないかな。
通してきた一本道はあります。
夫の死も、母の痴呆も計画には無かったけれど、立ち向かって時が過ぎました。
ただ自分が、その強さを発揮できなくなる時の生きざままでは決めていませんでした。
どこかで、やはり考えておかなくてはいけないことだと思うようになりました。
今の世の中、高齢者を邪魔者扱いする世の中ですから・・・。
迷惑をかけるという意識からなかなか、自由になれません。
日本という国は弱者に優しくない国ですね。