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リートリンの覚書

124・日本の神様・弓月君・王仁


124・日本の神様

・弓月君
・王仁


弓月君
(ゆづきのきみ)


秦氏の祖先とされる渡来人


別名


融通王(ゆうずうおう)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

弓月君が、百済から来帰しました。そして奏して、「臣は、自国の百二十県の人夫を領いて帰化しました。しかし、新羅人が拒むので、みな加羅国に留まっています」といいました。 ”

応神天皇14年、
弓月君が自国の120県の人を率いて
帰化しました。

しかし、
新羅人の妨害により
みな加羅国に留まっていました。

そこで、
葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)を
遣わして、
弓月の人夫を加羅で召集しました。

しかし、
三年を経ても襲津彦は帰って来ませんでした。

応神天皇16年8月、
平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)、
的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)
加羅に派遣しました。

ここに木菟宿禰等は精兵を進めて、
新羅の国境に相対しました。

新羅王は驚きあわてて、
その罪に服しました。

それで弓月の人夫を率いて、
襲津彦と共に帰国しました。


祀る神社


大酒神社(京都府京都市)


王仁
(わに)


古代の百済系渡来人
太子・菟道稚郎子の師
書首らの始祖


別名


和邇吉師(わにきし)
鰐大明神
王仁博士


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“十六年春二月、王仁が来ました。”

応神天皇15年
阿直伎(アチキ)より
王仁が優れていることを聞いた天皇は、
荒田別(あらたわけ)、
巫別(かんなぎわけ)を百済に遣して、
王仁を召し出しました。

応神天皇16年春2月、
王仁が来ました。
太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が
師事して諸典籍(てんせき)を
王仁に習いました。

王仁は、
書首(ふみのおびと)らの始祖です。


祀る神社


鰐神社(王仁神社)(佐賀県神埼市)
東高津宮 境内 王仁神社(大阪府大阪市)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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