リートリンの覚書

日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 四 ・即位 ・后妃と子どもたち ・天皇、童女君を疑う



日本書紀 巻第十四 大泊瀬幼武天皇 四

・即位
・后妃と子どもたち
・天皇、童女君を疑う



十一月十三日、
天皇は、有司に命じて、
壇(たかみくら)を
泊瀬(はつせ)の朝倉に設け、
天皇位に即きました。

ついに宮を定めました。
平群臣真鳥(へぐりのおみのまとり)を
大臣とし、

大伴連室屋(おおとものむらじのむろや)、
物部連目(もののべのむらじのめ)を
大連(おおむらじ)としました。

元年春三月三日
草香幡梭姫皇女
(くさかのはたびひめのひめみこ)を
立てて皇后としました。
(更の名は橘姫)

この月、
三人の妃を立てました。

元の妃は
葛城圓大臣(かつらぎのつぶらのおおおみ)の娘、
韓媛(からひめ)といいます。

白髪武広国押稚日本根子天皇
(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)

稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)
(更の名は栲幡姫皇女(たくはたひめのひめみこ)
とを生みました。

この皇女は伊勢大神の祠に侍しています。

次に、
吉備上道臣(きびのかみつみち)の娘、

稚姫(わかひめ)
(一本は云う、吉備窪屋臣(くぼや)の娘と)といいます。

二男を生みました。

兄を磐城皇子(いわきのみこ)といい、

弟を
星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)
(下文に見えます)といいます。

次に、
春日和珥臣深目(わにのおみのふかめ)の娘、
童女君(おみなぎみ)といいます。

春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)
(更の名は高橋皇女)を生みました。

童女君は、もと采女です。
天皇と一夜をともにして妊娠しました。
遂に女の子を生みました。
天皇は疑って養いませんでした。

女の子が歩き行くようになると、
天皇は大殿にいて、
物部目大連が侍していました。

女の子が庭を過ぎました。
目大連は、
顧みて群臣に話して、

「麗(かおよき)女の子だ。

古の人は、
娜毗騰耶皤麼珥(なひとやはばに
(これは古語で未詳です)
と言った。

清らかな庭を徐歩(じょほ)する者は、
誰の女の子だ」
といいました。

天皇は、
「何ゆえに問うのか」
といいました。

目大連が答えて、
「臣が行歩(ぎょうぶ)する女の子を観るに、
姿が天皇に似ています」
といいました。

天皇は、
「是を見る者はみな、
卿がいうように言う。

然るに、朕は、
一宵(いっしょう)ともにして妊娠し
女の子を産んだのは、
普通ではない、

これによりて、
疑いが生じるのだ」
といいました。

大連は
「然るに、則、
一宵に幾回喚(よ)びよせましたか」
といいました。

天皇は
「七回喚んだ」
といいました。

大連は、
「この娘子は、清き身心を以て、
一宵を奉りました。

安く、すなわち、疑いを生じ、
他の潔(きよ)くあるのを嫌うのですか。

臣は、聞いた事があります。
妊娠しやすい者は、
褌(はかま)を以て體(からだ)に触れても、
即ち、懐妊すると。

一宵ともにして、
疑いを生じるとは」
といいました。

天皇は大連に命じて、
女の子を皇女とし、
母を以て妃としました。

この歳丁酉(ひのととり)。



徐歩(じょほ)
しずかにゆっくりと歩くこと
・行歩(ぎょうぶ)
歩くこと、ほこう
・一宵(いっしょう)
ひとばん



(感想)

11月13日、
天皇は、
有司に命じて、
高御座を泊瀬の朝倉に設け、
天皇位に即しました。

高御座が歴史書に登場するのは、
これが初めてです。

すでに、
この時代から
即位礼が始まっていたと思うと、
感慨深いものがあります。



そして、宮を定めました。
平群臣真鳥を大臣とし、
大伴連室屋、物部連目を大連としました。

雄略天皇元年春3月3日、
草香幡梭姫皇女を立てて皇后としました。

この月、三人の妃を立てました。

元の妃は
葛城圓大臣の娘で韓媛といいます。

白髪武広国押稚日本根子天皇、
稚足姫皇女(更の名は栲幡娘皇女)
とを生みました。

この皇女は伊勢大神の祠に侍しています。

葛城圓大臣の娘で韓媛…
韓媛の父は、
雄略天皇によって、
殺されています。

親の仇と結婚。
複雑ですね。

次に、吉備上道臣の娘、
稚姫(わかひめ)
(一本は云う、吉備窪屋臣(くぼや)の娘と)
といいます。

二男を生みました。
兄を磐城皇子といい、
弟を星川稚宮皇子といいます。

次に、春日和珥臣深目の娘、
童女君(おみな)といいます。
春日大娘皇女(更の名は高橋皇女)を
生みました。

童女君は、
もと采女です。

天皇と一夜をともにして妊娠しました。
そして、女の子を生みました。

天皇は疑って養いませんでした。

女の子が歩き行くようになると、
天皇は大殿にいて、
物部目大連がお側仕えしていました。

女の子が庭を過ぎました。

目大連は、
顧みて群臣に話して、
「美しい女の子だ。
古の人は、娜毗騰耶皤麼珥と言った。

清らかな庭を静かにゆっくりと歩く者は、
誰の女の子か?」
といいました。

天皇は、
「どうして問うのか?」
といいました。

目大連が答えて、
「私が歩行する女の子を観察しますと、
容姿が天皇に似ています」
といいました。

天皇は、
「これを見る者はみな、
卿がいうように言う。

然るに、
朕は一晩ともにしただけで妊娠し、
女の子を産んだのは、
普通ではない、

こういうわけで、
疑っているのだ」
といいました。

大連は
「それなら、
一晩に何度、
呼び寄せましたか?」
といいました。

天皇は
「七回呼んだ」
といいました。

大連は、
「この娘子は、
清き身心をもって、
一晩、奉仕いたしました。

安易に、
疑いをもち、
他者の純潔であるのを嫌うのですか。

臣は聞いた事があります。

妊娠しやすい者は、
褌(はかま)が、
體(からだ)に触れても、

すぐに、懐妊すると。

一宵ともにして、疑うとは…」
といいました。

天皇は大連に命じて、
女の子を皇女とし、
母を以て妃としました。

この歳丁酉(ひのととり)。

物部目大連。
雄略天皇に意見するとは…

勇気あるな。

しかし、
心を許した者に対して、
雄略天皇は、
素直な面があるように感じます。

現に女の子を娘と認めていますしね。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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