日本の神様
意富迦牟都美命
(おほかむづみのみこと)
雷神を退散させた桃の実
「日本書紀」では
巻第一 神代上 第五段 第九の一書に登場しています。
時は闇夜でした。伊弉諾尊は一つの火をかかげて視ると、伊弉冉尊の体は膨れ上がりその上に八色雷公がいました。伊弉諾尊は、驚いて逃げて帰ろうとしました。しかしその時雷たちが、皆立ち上がって追いかけてきました。その時、道の辺りに大きな桃の木がありました。伊弉諾尊はその木のもとに隠れ、その実を採り雷たちに投げつけました。雷たちはみんな逃走してしまいました。これが桃で鬼をさけることの起源です。
名前は記されていませんが、桃の実を投げて雷神を退散させています。
桃で鬼をさけることの起源であると記されています。
「古事記」では
本文では、このように登場しています。
また、後には、その八柱の雷神に、1500人の黄泉の軍勢を従わせ、追わせました。そこで、伊邪那岐命は、 腰にお差しになられた十拳剣を抜いて、後ろの方に手を回し、振りながら、逃げて行くを、彼らは、なおも追いかけてきました。黄泉比良坂の坂の入り口に至った時に、その坂の入り口に在る、桃の実・三個を取り、迎撃したところ、追っ手は、ことごとくひき返りました。そして、伊邪那岐命は、桃の子に、「お前は、私を助けたように、葦原中国にいる、現実の人間が、苦しき目にあって、患ひ悩む時に、助けてあげなさい」と述べられました。名を与え、意富加牟豆美命と名づけました。
黄泉国で、伊耶那岐神に醜い姿を見られた伊耶那美神は、逃げ出す伊耶那岐神を、予母都志許売に追わせました。
伊邪那岐命は、逃げる際、黒い髪飾りや聖なる櫛を、山葡萄や筍に変え、予母都志許売がそれらを食べている隙に、逃げて行きました。
また、伊耶那美神は、八柱の雷神に、1500人の黄泉の軍勢を従わせ、追わせましたが、伊邪那岐命は、 十拳剣を抜いて、追い払いながら逃げて行きました。
その後、黄泉比良坂の坂の入り口に至った時に、その坂の入り口に在る、桃の実・三個を取り、迎撃したところ、追っ手は、ことごとくひき返りました。その後、伊邪那岐命は、桃の子に、名を与え、意富加牟豆美命と名づけました。
祀る神社
賀茂神社
(徳島県阿波市)
行田八幡神社・摂末社・なで桃
(埼玉県行田市)
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。