リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十四 天豊財重日足姫天皇 十一 ・皇極天皇2年5月~8月の出来事



日本書紀 巻第二十四 天豊財重日足姫天皇 十一

・皇極天皇2年5月~8月の出来事



五月十六日、
月蝕がありました。

六月十三日、
筑紫大宰が、
馳駅(ちえき)し、奏して、
「高麗の遣使(つかわしめ)が
来朝しました」
といいました。

群卿は聞いて、
たがいに言葉を交わして、
「高麗は、
己亥の年より朝しておらず、
今年に朝するとは」
といいました。

二十三日、
百濟の調(みつき)を
進(たてまつ)る船が、
難波津に泊まりました。

秋七月三日、
数の大夫を
難波郡(なにわのこおり)に遣わして、

百濟国の調(みつき)と
献物(けんもつ)を
検(あらた)めました。

ここにおいて、
大夫は調使に問うて、
「進(たてまつ)る、
国の調(みつき)は、
前例より欠けて少ない。

大臣に送る物は、
去年、還した品目は改めておらず。

群卿に送る物も、
また全く来ていない。

皆、
前例とは違う。
この状(かたち)は何だ」
といいました。

大使の達率自斯(だちそちじし)、
副使の恩率軍善(おんそちぐんぜん)は、

倶、答え諮(はか)って、
「ただちに、備えます」
といいました。

自斯は、
質の達率武子(だちそちむし)の子です。

この月、
茨田池(まむたのいけ)の水が
大いに臭(にお)い、
小さい虫が水を覆いました。

その虫の口は黒く、
身は白でした。

八月十五日、
茨田池の水は、
藍の汁の如く変わり、

死んだ虫が、
水を覆いました。

溝瀆(うなて)の流れは、
また凝結(ぎょうけつ)し、
厚さが三、四寸ほどでした。

大小の魚が臭い、
夏に爛死(らんし)したようでした。

これによりて、
食用にすることができませんでした。



・馳駅(ちえき)
令制で、国家緊急の場合、駅使を派遣して諸道に三〇里(現在の約一六キロメートル)ごとに設けられた駅とその駅馬を使って通信すること
・溝瀆(うなて)
水路の溝
・爛死(らんし)
朽死



(感想)

(皇極天皇2年)

5月16日、
月蝕がありました。

6月13日、
筑紫大宰が、
駅馬を派遣し、報告して、
「高麗が使者を派遣し、
来朝しました」
といいました。

群卿はそれを聞いて、
たがいに言葉を交わして、

「高麗は、
舒明天皇十一年より
来朝していなかった。
しかるに、
今年に来朝するとは…」
いいました。

23日、
百濟の調(みつき)を献上する船が、
難波の港に停泊しました。

秋7月3日、
数人の大夫を
難波郡に派遣して、

百済国の調と献物を検査しました。

この時、
大夫は貢調使に問うて、
「献上する国の調(みつき)は、
前例より欠けて少ない。

大臣に送る物は、
去年、返した品目を改めていない。

群卿に送る物も、
また全く来ていない。

皆、前例に違反している。
この状況はどうしたのだ」
といいました。

大使の達率自斯、
副使の恩率軍善は、

ともに、答え諮(はか)って、
「ただちに、準備します」
といいました。

自斯は、
人質の達率武子の子です。

この月、
茨田池の水が大いに臭い、
小さい虫が水を覆いました。

その虫の口は黒く、
身は白でした。

:(;゙゚'ω゚'):

何の虫ですかね。

8月15日、
茨田池の水が、
変色して、
藍の汁のように変わり、

死んだ虫が、
水を覆いました。

水路の溝の流れは、
また凝結し、
厚さが三、四寸ほどでした。

大小の魚が臭い、
夏に朽死したようでした。

これによって、
食用にすることができませんでした。

未だに怪異現象が起こっていますね。

月が欠ける、
虫の大量発生。
池の水の変色など。

現代なら化学で解明される出来事ですが、

当時の人々からしたら
不安な出来事だったことでしょう。

虫の大量発生

:(;゙゚'ω゚'):

オイラには
耐えられない…

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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