日本書紀 巻第二十七
天命開別天皇 二
・百済再興を救援する
・百済皇子の豊璋を衛送する
八月、
前の將軍、
大花下(だいかげ)の
阿曇比邏夫連
(あずみのひらぶのむらじ)、
小花下(しょうかげ)の
河辺百枝臣
(かわへのももえのおみ)等、
後の將軍、
大花下の
阿倍引田比邏夫臣
(あへのひけたのひらぶのおみ)、
大山下(だいせんげ)の
物部連熊
(もののべのむらじくま)、
大山上の
守君大石
(もりのきみおおいわ)等を遣わして、
百濟を救おうとしました。
なお、
兵杖(つわもの)、
五穀を送りました。
(或る本は、この末に続けて云う、別に大山下の狹井連檳榔(さいのむらじあじまさ)、小山下の秦造田来津(はたのみやつこたくつ)を津に来させ、百濟の守護させたと)
九月、
皇太子は、
長津宮(ながつのみや)にいました。
織冠(おりものかうぶり)を
百濟の王子の豊璋に授けました。
また、
多臣蔣敷(おおのおみこもしき)の妹を
妻としました。
乃ち、
大山下の
狹井連檳榔、
小山下の
秦造田来津を遣わして、
軍五千余を率いて、
本郷(もとつくに)に
衞送(えいそう)しました。
ここにおいて、
豊璋が国に入る時、
福信(ふくしん)が迎えに来て、
稽首(けいしゅ)して、
国の朝政(あさまつりごと)を奉り、
皆、
悉(ことごと)く委ねました。
・大織冠(たいしょっかん、たいしょかん)
織冠は綴錦(つづれにしき)の冠とされ、服色は深紫。 この冠は容易には授けられない高貴なもので、授けられた例は中臣鎌足のみ。
他には斉明天皇7年(662年)9月に帰国して百済の王位に就こうとする百済王子豊璋に織冠を授けたとの記事があるが、大織とも小織ともない。外国の王に授けることを想定した冠位だったとする説がある。
・兵杖(つわもの)
武器
・本郷(もとつくに)
豊璋の本国・百済
・福信(ふくしん)
百済の将軍の鬼室福信
・稽首(けいしゅ)
頭を地に着くまで下げてする礼
・朝政(あさまつりごと)
朝廷の政務
(感想)
(斉明天皇7年)
8月、
前の軍の將軍・大花下の阿曇比邏夫連、
小花下の河辺百枝臣ら、
後の軍の將軍・大花下の阿倍引田比邏夫臣、
大山上の物部連熊、
大山上の守君大石らを派遣して、
百済を救おうとしました。
なお、
武器、五穀を送りました。
或る本は、
この末に続けて云う、
別に大山下の狹井連檳榔、
小山下の秦造田来津を港に来させ、
百済の守護させたと。
9月、
皇太子は、
長津宮にいました。
織冠を百済の王子の豊璋に授けました。
また多臣蔣敷の妹を妻としました。
そして、
大山下の狹井連檳榔、
小山下の秦造田来津を派遣して、
軍5000余を率いて、
百済に護衛して本国に送りました。
この時、
豊璋が国に入る時、
百済の将軍の鬼室福信が迎えに来て、
頭を地に着くまで下げて礼をして、
国の朝廷の政務を捧げ、皆、
ことごとく豊璋に委ねました。
明日に続きます。
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