goo blog サービス終了のお知らせ 

リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十五 天萬豊日天皇 四十二 ・白雉を見る儀式



日本書紀 巻第二十五 
天萬豊日天皇 四十二

・白雉を見る儀式



十五日、
朝庭の儀仗隊(ぎじょうたい)は、
元の儀の如く。

左、右大臣、百官の人等は、
紫門の外において四列になりました。

粟田臣飯虫
(あわたのおみいいむし)等四人に、
雉の輿を執らせ、
こうして前に進みました。

左、右大臣は、
乃ち、
百官及び百濟君・豊璋、
その弟の塞城(さいじょう)、
忠勝(ちゅうしょう)、
高麗の侍医・毛治(もうじ)、
新羅の侍学士等を率いて、
中庭に至りました。

三国公麻呂
(みくにのきみまろ)、
猪名公高見
(いなのきみたかみ)、
三輪君甕穗
(みわのきみみかほ)、
紀臣乎麻呂岐太
(きのおみおまろきだ)の四人に代わり、
雉の輿を執らせ、
ここに殿の前へ進みました。

時に、
左、右大臣がつき従って、
輿の前頭を執り、

伊勢王
(いせのおおきみ)、
三国公麻呂
(みくにのきみまろ)、
倉臣小屎
(くらのおみおくそ)は
執輿の後頭を執り、
御座の前に置きました。

天皇は、
卽ち、皇太子を召して、
共に執り観ました。

皇太子は退き、
再拜しました。

巨勢大臣(こせのおおおみ)に
賀(よごと)を奉らせ、

「公卿、百官人等が賀を奉ります。

陛下が、
清らかな平らな德で、
天下を治めたが故に、

白い雉が
西方より出でるということがありました。

すなわちこれ、
陛下が
千秋万歳(ちよよろずよ)に至るまで、

浄らかに四方、
大八嶋(おおやしま)を治め、

公卿、百官及び諸百姓等は、
冀(こいねが)います。

忠誠をつくし、
まさに事に勤めましょう」
といいました。

賀を奉ることを終えて再拜しました。



・儀仗隊(ぎじょうたい)
儀仗兵により構成された兵隊。天皇や皇族などに対して、儀礼や警護のために付けられる
・賀(よごと)
天皇の御代の長く栄えることを祝う言葉。また、一般に、祝いの言葉。賀詞
・大八嶋(おおやしま)
日本列島のこと



(感想)

(白雉元年2月)

15日、
朝庭の儀仗隊は、
元旦の儀式のように、

左大臣、右大臣、百官の人たちは、
紫門の外において四列に並びました。

粟田臣飯虫ら四人に、
雉の輿を持たせて、

こうして前に進みました。

左大臣、右大臣は、
この時、

百官および
百済君・豊璋、
その弟の塞城、忠勝、

高麗の侍医・毛治、
新羅の侍学士らを率いて、
中庭に到着しました。

三国公麻呂、猪名公高見、
三輪君甕穗、紀臣乎麻呂岐太の四人に、

代わり、
雉の輿を持たせて、
ここに宮殿の前へ進みました。

この時、
左大臣、右大臣がつき従って、
輿の前頭を持ち、

伊勢王、三国公麻呂、倉臣小屎は、
執輿の後頭を持ち、
御座の前に置きました。

天皇は、この時、
皇太子を召して、
共に雉を手にとり観ました。

皇太子は退き、
再拝しました。

巨勢大臣に祝いの言葉を奉らせ、

「公卿、百官人らが賀詞を奉ります。

陛下が、
清らかで平らな徳で、
天下を治めたので、

白い雉が
西方より出現するということがありました。

すなわちこれ、
陛下が千秋万歳に至るまで、

浄らかに四方、
日本列島を治め、

公卿、百官および諸百姓らは、
請い願います。

忠誠をつくし、
まさに事に勤めましょう」
といいました。

賀を奉ることを終えて再拝しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事