日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 十七
・近江毛野臣、南加羅・喙己呑を
復興させようとする
・筑紫国造磐井、叛逆を謀る
・新羅の策略
二十一年夏六月三日、
近江毛野臣(おうみのけなのおみ)は、
衆(いくさ)・六万を率いて、
任那に往き、
新羅に破られた
南加羅(ありひしのから)と
喙己呑 (とくことん) を復興して、
任那と合わせようと思いました。
ここにおいて、
筑紫国造磐井
(つくしのくにのみやつこのいわい)が、
ひそかに叛逆をはかっていましたが、
猶も年を経ていました。
事が成り難いことを恐れ、
恒に間隙(かんげき)を伺っていました。
新羅はこれを知って、
密かに磐井の所へ貨賂(かろ)をおくり、
毛野臣軍を防遏(ぼうあつ)するように
勧めました。
ここにおいて、
磐井は、
火(ひ)、豊、二国を領有し、
職を修めませんでした。
外では海路にまちうけて、
高麗、百済、新羅、任那等が
国の年の職貢(みつきたてまつる)船を
誘致して、
内では任那に遣わした毛野臣軍をさえぎり、
乱語(なめりごと)を
揚言(ことあげ)して、
「今、使者だが、
昔は吾の伴(とも)として、
肩をすり、肘に触れ、
共に同じ器で、同じものを食べた。
なぜ、
にわかに使いとなり、
余をお前の前に、
自ら伏せさせようとするのか」
といい、
遂に、
戦って受けませんでした。
驕り、
自ら矜(たか)ぶっていました。
ここをもって、
毛野臣は防遏され、
中途、
ひさしく滞っていました。
天皇は、
大伴大連金村
(おおとものおおむらじかなむら)、
物部大連麁鹿火
(もののべのおおむらじあらかび)、
許勢大臣男人
(こせのおおいぎみおひと)等に詔して、
「筑紫磐井が反して、
西戎(せいじゅう)の地を領有している。
今、
誰が将たるべき者か」
といいました。
大伴大連等はみな、
「正直で、仁勇(じんゆう)があり、
兵事に通じているのは、
今、
麁鹿火に右にでるものはおりません」
といいました。
天皇は
「可(ゆるす)」
といいました。
・衆(いくさ)
兵
・南加羅(ありひしのから)
金海、釜山辺
・間隙(かんげき)
1・あいだ。すきま。2・気のゆるみ。油断
・貨賂(かろ)
金銭、宝石などの贈物。特に利益を得る目的で人に金銭などを贈ること。賄賂(わいろ)
・防遏(ぼうあつ)
ふせぎとめること。防止
・火(ひ)
のちの肥前・肥後、佐賀県・熊本県
・豊
のちの豊前、豊後、福岡県の一部・大分県
・乱語(なめりごと)
乱れた言葉
・仁勇(じんゆう)
仁心と勇気。あわれみ深く勇気あること
(感想)
継体天皇21年夏6月3日、
近江毛野臣は、
兵士・六万を率いて、
任那に往き、
新羅に破られた
南加羅と喙己呑を復興して、
任那と併合させようと思いました。
ここにおいて、
筑紫国造磐井が、
密かに叛逆を計っていましたが、
ぐすぐずして事を起こさず、
年を経ていました。
事が成り難いことを恐れ、
常に機会を伺っていました。
新羅はこれを知って、
密かに磐井の所へ賄賂(わいろ)を贈り、
毛野臣軍を防ぎ止めるように勧めました。
ここにおいて、
磐井は、火の国、豊の国、二国を領有し、
拠り所にして、
職務を修めませんでした。
外では海路に待ちうけて、
高麗、百済、新羅、任那等が
国の年貢を奉る船を誘致し、
内では任那に派遣した毛野臣軍を遮り、
乱れた言葉を揚言(ことあげ)して、
「今は、天皇の使者だが、
昔は我の友として、
肩をすり、肘に触れ、
共に同じ器で、同じものを食べた。
なぜ、
にわかに使いとなり、
我をお前の前に、
自ら伏せさせようとするのか」
といい、
遂に、
戦って命令を受けませんでした。
驕り、
自らたかぶっていました。
ここをもって、
毛野臣は防ぎ止められ、
中途、
久しく滞っていました。
天皇は、
大伴大連金村、物部大連麁鹿火、
許勢大臣男人等に詔して、
「筑紫磐井が反逆をおこし、
西戎(せいじゅう)の地を領有している。
今、
誰が将たるべき者か」
といいました。
大伴大連等はみな、
「正直で、あわれみ深く勇気があり、
兵事に通じているのは、
今、
麁鹿火に右にでるものはおりません」
といいました。
天皇は
「可(ゆるす)」
といいました。
反逆を起こした
筑紫国造磐井。
それを討伐することを命じられた、
物部大連麁鹿火。
今後、
どうなるのでしょうか?
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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