日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 二十一
・田辺小隅、夜襲する
・合言葉は「金」
・足摩侶、免れる
・多臣品治、小隅の奇襲を防ぐ
五日、
近江の別将(すけのいくさのきみ)の
田辺小隅(たなへのおすみ)は、
鹿深山(かふかのやま)を越え、
幟(のぼり)を巻き、
皷を抱え、
倉歷(くらふ)に詣りました。
夜半に、
梅(くちき)を衘(くわ)え、
城を穿(うが)ち、
営中に劇(はげ)しく入りました。
則ち、
己の卒と足摩侶の衆(いくさのひと)とを
別けるのが難しくなるのを畏れ、
人ごとに「金」といわせました。
なお、
刀を抜いてなぐり、
「金」といわない者を、
乃ち、斬りました。
ここにおいて、
足摩侶の衆は、
悉く乱れました。
事はたちまち起こり、
どうしようもありませんでした。
ただ、
足摩侶は、
これを聡(さと)く、
知り、
ひとり「金」といい、
僅かに免がれることを得ました。
六日、
小隅はまた進み、
莿萩野(たらの)の營を襲おうと思い、
急ぎ到りました。
ここに將軍の
多臣品治(おおのおみほむじ)が遮り、
精兵をもって、
これを追擊しました。
小隅はひとり免がれ走りました。
以後、遂に復、
来ることはありませんでした。
・鹿深山(かふかのやま)
滋賀県甲賀市の甲賀山
・倉歷(くらふ)
倉歴峠(くらふとうげ)は、滋賀県甲賀市甲賀町余野と三重県伊賀市柘植町を結ぶ峠。伊賀と近江とを結ぶ
(感想)
(元年7月)
5日、
近江の別将の田辺小隅は、
鹿深山を越え、幟を巻き、
皷を抱え、倉歷に到着しました。
夜半に、
梅をくわえ、
城柵に穴をあけ、
営中にはげしく入りました。
この時、
己の兵士と足摩侶の兵士とを
別けるのが難しくなるのを畏れ、
人ごとに「金」と言わせました。
なお、
刀を抜いてなぐり、
「金」といわない者を、
斬りました。
この時、
足摩侶の兵士は、
ことごとく乱れました。
事はたちまち起こり、
どうしようもありませんでした。
ただ、足摩侶は、
これをさとく、知り、
ひとり「金」
といい、
僅かに生き延びることができました。
6日、
小隅はまた進み、
莿萩野の営を襲撃と思い、
急行しました。
ここに、
将軍の多臣品治がこれを遮り、
精兵をもって、
小隅を追擊しました。
小隅はひとり逃走しました。
以後、ついに、
二度と来ることはありませんでした。
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ありがとうございました。
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