日本書紀 巻第四
日本足彦国押人天皇
(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
孝安天皇
(こうあんてんのう)
日本足彦国押人天皇は、
観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしねのすめらみこと・孝昭)
の第二皇子です。
母は世襲足媛(よそたらしひめ)です。
尾張連(おわりむらじ)の
遠祖・瀛津世襲(おきつよそ)の妹です。
天皇は、
観松彦香殖稲天皇の
六十八年の春・正月に、
皇太子となりました。
八十三年の秋・八月に、
観松彦香殖稲天皇が崩御なされました。
元年、春・正月二十七日、
皇太子が天皇に即位なされました。
秋・八月一日、
(孝昭)皇后を尊び皇太后としました。
この歳、太歳は、己丑(つちのとうし)
二年、冬・十月、
都を室(むろ)の地に遷しました。
これを秋津嶋(あきづしま)の宮といいます。
二十六年、春・二月十四日、
姪の押媛(おしひめ)を皇后としました。
また一書では、
磯城の県主葉江の娘・長媛(ながひめ)。
また別の一書では、
十市(とおち)の県主五十坂彦(いさか)の
娘・五十坂媛(いさかひめ)と伝えています。
后は、
大日本根子彦太瓊天皇
(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)を
生みました。
三十八年、秋・八月十四日、
観松彦香殖稲天皇を
掖上(わきかみ)の博多山の上の陵に
葬りました。
七十六年、春・正月五日、
大日本根子彦太瓊尊を、
皇太子としました。年は二十六歳。
百二年、春・正月九日、
(孝安)天皇が崩御なされました。
・室(むろ)
奈良県御所市室