リートリンの覚書

日本の神様70・神八井命・神渟名川耳尊


神八井命
(かんやいのみこと)


記紀等に伝わる古代日本の皇族。
神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛命の子
神武天皇の皇子、
第二代綏靖天皇の同母兄で、
多臣(多氏)及びその同族の租


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃にむかえました。
庚酉(かのえとり)の年、春正月一日、天皇は橿原の宮で帝位につかれました。この年を天皇の元年とします。正妃を尊んで皇后としました。皇后は、皇子の神八井命(かんやいのみこと)、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)を生みました。“

神武天皇の第二子です。

庶兄・手研耳命が
神八井耳命と
弟・神渟名川耳尊(後の綏靖(すいぜい)天皇)
暗殺を企てます。

それを知った二人は、
それを防ぐため、
兄・手研耳命を矢で
射殺することにしました。

二人は手研耳命が一人、
片丘の大窟で休んでいるところに
突撃しました。

弟が大窟の扉を開け、
神八井耳命が矢を放つはずでしたが、

神八井耳命は戦慄を失い手足が震え
矢を放つことができませんでした。

そこで、
弟が代りに手研耳命を射殺しました。

事を仕損じた神八井耳命はそれを悔い、
弟に皇位を譲り、
自らは弟を助け、
天神地祇を司り祀ることにしました。

神八井耳命は、
多臣(おおのおみ)の始祖です。

綏靖天皇即位四年、
四月に亡くなり、
畝傍山の北に葬られました。


そのほか


・多氏(おおし/おおうじ)は、

皇別氏族の中でも屈指の古族で、

神武天皇の子、

神八井耳命の後衛とされています。

九州と畿内にに系譜を伝えています。



主な神社 

多坐弥志理都比古神社(奈良県)
嶋田神社(奈良県)


神渟名川耳尊
(かんぬなかわみみのみこと)


日本の第二代天皇
神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛命の子
綏靖天皇(すいぜいてんのう)

・別名 
神渟名川耳天皇
(かむぬたかわみみのすめらみこと)
神沼河耳命
(かむぬなかわみみのみこと)
建沼河耳命
(たけぬなかわみみのみこと)

漢風諡号である「綏靖」は
「綏」「靖」どちらも
「やすらか」の意味であり、
「綏靖」で「安らかに落ち着く」
の意味になります。


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃にむかえました。
庚酉(かのえとり)の年、春正月一日、天皇は橿原の宮で帝位につかれました。この年を天皇の元年とします。正妃を尊んで皇后としました。皇后は、皇子の神八井命(かんやいのみこと)、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)を生みになられました。“

神武天皇の第三子です。

庶兄・手研耳命が
兄・神八井耳命と神渟名川耳尊の
暗殺を企てます。

それを知った二人は、
それを防ぐため、
兄・手研耳命を
矢で射殺することにしました。

二人は手研耳命が一人、
片丘の大窟で休んでいるところに
突撃しました。

神渟名川耳尊が大窟の扉を開け、
兄・神八井耳命が矢を放つはずでしたが、

神八井耳命は戦慄を失い手足が震え
矢を放つことができませんでした。

そこで、神渟名川耳尊が代りに
手研耳命を射殺しました。

事を仕損じた神八井耳命はそれを悔い、
弟に皇位を譲り、自らは弟を助け、
天神地祇を司り祀ることにしました。


陵・霊廟

・陵の名は桃花鳥田丘上陵
(つきだのおかのえのみささぎ)


そのほか


・皇居では、
宮中三殿の一つの皇霊殿において
他の歴代天皇・皇族とともに
祀られています。

・阿蘇神社では「金凝神」として
十二宮に祀られています。


主な神社

多坐弥志理都比古神社(奈良県)
阿蘇神社・諸神殿(熊本県)
皇居内・皇霊殿(東京都)


感想

本日から、
日本書紀 巻第四に登場した
人物を詳しく調べて行きたいと思います。

まずは、
神社で祀られている方々から。

神八井耳命の子孫、
多臣(多氏)を調べて、
その方々の苗字をみてみますと、

現在でも、
見たことがある苗字がチラホラ。

二千年以上も続いているとは、
凄い事だとですね。

さて、明日も日本の神様シリーズ
続きます。

最後まで読んで
頂きありがとうございました。







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